ある男の後悔する人生。どうして、君の手を離してしまったのだろう。
何を間違えたのだろう。
自分は彼女の何を見ていたのだろう。
ロイディールは目の前の妻の顔をマジマジと見つめる。
真っ赤な品のないドレス。ゴテゴテと飾り付けた宝石。
金の髪に空色の瞳の妻アリアはロイディールに見つめられて、にっこりと微笑み、
「ロイディール様ぁ、わたくしがあまりにも美しいからって、そんなに見つめられたら恥ずかしいですわぁ。」
以前はこの好ましかった甘えたような話し方も、今ではうっとうしく感じるだけだ。
それに比べて、かつての婚約者であった彼女は…
艶やかな黒髪。透き通るような白い肌。冷たく見えるその容貌の美しき人。
ロイディールの以前の婚約者、オリビアであった。
紫紺のドレスを着て華麗に踊るオリビア。その相手はこの帝国の皇太子。リード皇太子だ。
黒髪碧眼のリード皇太子と、同じく黒髪碧眼のオリビア。どちらも背が高く、美しく、似合いのカップルだと、オリビアは未来の皇妃様にふさわしいと誰しもが噂しながら、二人を見つめている。
どうしてこうなった。
オリビアは自分と婚約していたはずだ。
いや、悪いのは自分である。
オリビアの可愛らしい妹、アリアに心を移してしまったのだ。
幼い頃からの婚約者であったオリビア。
そのオリビアを裏切ったのは自分である。
アリアに誘われるがまま、不貞を働き、婚約解消になった。
本来なら、不貞による多額の慰謝料を請求されて、ロイディールの実家のグラス伯爵家は潰れていた事であろう。しかし、不貞の相手が同じカルディウス公爵家の姉妹、オリビアの妹アリアである。
婚約者が代わった。それだけで…ロイディールは婿養子となり、アリアの夫としてカルディウス公爵家に入った。
オリビアは、その後、熱烈なリード皇太子のアタックの末、皇太子の婚約者に収まったのだ。
以前からオリビアに惚れていたらしいリード皇太子。確かに彼のオリビアに対する態度は学園でも親し気だった。そして彼はチャンスを逃さなかった。
ふと、思い出すオリビアとの思い出。
「ロイディール様。カルディウス公爵家の為に、色々と勉強して下さり、有難うございます。」
嬉しそうに微笑むオリビア。
一緒に、将来の事を話す時間は幸せだった。
オリビアは勉強好きで、貴族が行く皇立学園での成績も上位の方で。
同い年のロイディールも、そんな美しく賢いオリビアを婚約者にしてとても幸せだったのだ。
いつの頃からだろう。
ちょっと窮屈に感じて来たのは。
だから、オリビアの妹、アリアが学園に入学し、昼休みにオリビアと共に食事をする所へ割り込んで来て。その甘えたような話し方に。その癒されるような笑顔に。彼女は無知だから、一生懸命聞いてくるその姿に。可愛いと思ってしまったのだ。
オリビアと違って彼女はか弱い女性だ。
守ってあげたい。そう思ってしまったのだ。
何故、そう思ったのだろう。
今となっては解る。
アリアははっきりいって馬鹿である。
「ねぇ。もっとわたくしに構ってよ。」
「領地経営を学ぶに忙しいんだ。君も少しは勉強してくれよ。」
慣れない領地経営の勉強。義父であるカルディウス公爵に教わってはいるが、学園を卒業したばかりのロイディールには難しい。
妻アリアは全く、我関せずと言う感じで。
「ねぇ、新しいドレスが欲しいの。今度の夜会に着ていきたいの。お願いっ。」
「この間、ドレスは作ったばかりだろう?」
「いいもん。貴方の許可がなくたって、お父様に頼むんだから。」
遊ぶことばかり考えて、こちらの苦労なんて我関せずなアリア。
あああ…何を間違ってしまったんだ。
オリビアだったら、きっと自分の苦労を解ってくれて。
共に領地経営を学んでくれて…
アリアの声が聞こえてくる。
「ロイディールったら、口うるさくて。お父様。彼と結婚するんじゃなかったわ。」
「何を言っているんだね。アリアがロイディールと不貞を働いた末、どうしてもと言うから、オリビアの婚約者であったロイディールをお前の婿にしたんじゃないか。」
「でもぉ。もっと甘やかしてくれる人が良かったわ。お姉様は皇太子殿下の婚約者になってしまったし。わたくしの方が余程。美しくて可愛いのにぃ。」
「皇太子殿下の婚約者にお前がなれるとは思えんがな。」
娘に甘いカルディウス公爵もアリアの無能さは解るのであろう。
そんな言葉が部屋の中から聞こえて来て、ロイディールは惨めになった。
ああ…オリビアに会いたい。
会って謝りたい。
もう、手の届かない人になってしまったけれども。
一言でもいい。謝りたい。
ロイディールはリード皇太子の婚約者になってから、公爵家に戻ってこないオリビアに会いたいが為に、皇宮へ出かけた。
皇宮へ行けば、オリビアに会えるかもしれない。
奥宮でない限り、貴族は出入り自由な皇宮。皇宮は貴族達に常に解放されているのだ。
広い皇宮の中を歩き回り、オリビアに会えないか、出来るだけ奥宮に近づきたい。でも、近づきすぎれば近衛兵に質問され不審に思われるだろう。
奥宮の庭が見える場所まで庭伝いに、こっそり移動する。
すると、偶然、オリビアの姿が見えた。
数人の女官達と薔薇が咲き誇る庭を散歩しているようで。
相変わらず美しくて…手が届かないと解っているからこそ、愛しくて。
「オリビアっーーー。」
思わず叫んでしまう。
オリビアはこちらを見て、眉を寄せて明らかに表情を曇らせた様子で。
近づこうとすれば、背を向けてその場を去ろうとする。
ロイディールは叫ぶ。
「オリビア。すまなかった。私が間違っていた。」
オリビアは振り向くと、こちらを睨みつけて。
薔薇の生垣越しに、オリビアに近づく。
勿論、生垣が邪魔をしてこれ以上、近づけない。
オリビアは冷たい口調で、
「今更、謝られても。わたくし、リード皇太子殿下の婚約者ですの。気軽に話しかけないで欲しいわ。」
「それでも謝りたくて。私は君に…」
「謝罪なんて必要ありません。失礼致します。二度と、わたくしに話しかけないで。」
「オリビア。愛している。今も昔もっ。」
「どの口が…貴方、おっしゃったじゃありませんか。アリアこそ、自分が守ってあげたい最愛の人だって。アリアこそ、人生を捧げるに等しい人だって。だから、婚約を解消したい。そうおっしゃったじゃありませんか。アリアとの不貞を正当化して。今更、何をおっしゃっているのかしら。わたくしは…」
「君だって私の事を愛していたのだろう?」
オリビアはきっぱりと、
「貴方と婚約者だったと言う事を、後悔しております。わたくしは今、幸せですのよ。
リード皇太子殿下は貴方と違って、わたくしの事を必要として下さいますの。わたくしの事を褒めて下さいますの。オリビアは美しくてとても優秀で、最愛の女性だって。わたくし、とても幸せですのよ。ですから…もう二度と。話しかけないで下さいませ。」
オリビアは背を向けて、女官達と共に行ってしまった。
あああ…オリビア。オリビア。私が悪かった。
私が悪かったんだ。
カルディウス公爵家でのアリアの態度は悪くなるばかり。
ロイディールに向かって、やれ、ドレスが欲しい。自分を甘やかせ。
我儘放題で、つくづく嫌気がさしたロイディールはアリアとの夫婦生活もしたくなくなり、寝る部屋も別にするようになった。
すると、怒りまくったアリアによって、
「婿として役に立たない貴方なんていらないわ。出て行って下さらない?」
カバン一つで公爵家を叩き出された。
どうしてこうなったんだろう。
自分が過ちを犯さなければ、今頃はオリビアと共に、可愛い子もいたかもしれない。
実家は兄が継いでいて、公爵家を叩き出されたと知ったら、入れては貰えないだろう。
それでも、このままでは野垂れ死んでしまう。
恥をしのんで、実家のグラス伯爵家へ戻る。
兄に訳を話して、頭を下げたら、兄は。
「公爵家を追い出されたお前を置く部屋はない。働き口を世話してやるから、出て行ってそこで働くがいい。」
厄介者として追い出された。
仕事を紹介して貰っただけでもマシであろう。
仕事は皇宮の外の警護である。
巡回して警護するそんな仕事だ。
最初は慣れぬ仕事に苦労をした。
いかに学園での剣技の腕が認められていたとは言え、一日中、立って見回る仕事はしんどいものだ。
ようやく仕事に慣れた頃、リード皇太子とオリビアの結婚式が行われた。
勿論、ロイディールも警護をする一員として、皇太子殿下と共に馬車に乗る美しく着飾ったオリビアを見つめる。
国を挙げての結婚式。
豪華な馬車に乗って、皇宮を出発するリード皇太子と共にいるオリビア。真っ白な花嫁衣裳の彼女はそれはもう美しかった。
オリビアは自分の物だ。
オリビアは…オリビアはオリビアは…
民衆を近づけないために警護についていたロイディール。
フラフラと馬車のオリビアに近づいて。
自分の手に入らないオリビア。だったら今こそ、殺してしまおう。
自分の物に…してしまおう。
懐にナイフを忍ばせて、馬車に近づく。
馬車は屋根の無いタイプの馬車で。オリビアはリード皇太子と共に民衆に手を振っていた。
近づいて来たロイディールにオリビアが視線を向ける。
「馬車を止めて。」
オリビアが殺意をむき出しのロイディールに話しかけてきた。
「貴方も祝って下さるのね。とても嬉しいわ。ほら、昔、カルディウス公爵領の麦の収穫について、話し合った事があったわね。貴方の提案で、麦の収穫が倍に増えたわ。貴方のそういう所が好きだったの。わたくしは皇太子妃、いずれは皇妃になります。人の為に国の為に役立つ人間になるつもり。貴方も、必ず立ち直って、貴方らしく生きて頂戴。わたくしは貴方の幸せを願っているわ。」
ロイディールはオリビアの言葉に涙がこぼれる。
何もかも、自分の殺意も。今の自分のいる場所も、生き方も。何もかも見透かして。
そして、応援してくれているのだ。
ロイディールは馬車に乗っているオリビアに向かって跪き、そして見上げて。
「有難う。オリビア。いや、オリビア皇太子妃殿下。私は必ず、立ち直って国の役立つ人間になってみせます。本当に有難う。」
オリビアは満足げに微笑んでくれた。
その日以来、ロイディールは人が変わったようになった。
警護の仕事の他に、休みになると、街へ出て教会に行って食べられない人々の炊き出しを手伝ったり、困った人を助けたり。それはもう、人の為に尽くす為に働いた。
警護も真面目な仕事ぶりが皇宮でも認められて、外回りの皇宮警護の副責任者にロイディールは任命された。
その頃にはリード皇太子とオリビア皇太子妃は可愛い二人の男の子に恵まれて、ご家族が外出するときには馬に乗り、ロイディールは必ず警護に加わった。
幸せそうなオリビア。そしてそのご家族。
命に替えてもお守りしたい。ロイディールはそう思えるようになっていた。
ロイディールは、生涯結婚しなかった。
オリビアのお陰で立ち直ったロイディール。
でも、時々思うのだ。
自分は何故、オリビアの手を離してしまったのだろう。
何故、アリアなんかを選んでしまったのだろう。
やり直せるならやり直したい。
この後悔は一生、引きずっていくだろう。
それでも、オリビアが望んだのは、立ち直ってしっかり生きなければならない自分の人生。
私は一生、オリビア、君の為に捧げるよ。