表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

未来への高潔

作者: 原田かこ

 梅雨の強い降り狭間、厚い雲が一息ついたような弱雨を喜び、会社を出て足取り軽く帰路についた月曜日の話だ。高架下の信号は薄暮の中、赤が煌々とする。4車線の向こう側の信号が緑に変わる瞬間を無心で待つ。信号の色が変わると、右折車が来る前に分離帯まで速足で横断歩道を急ぐ。視界の隅に首都高速真下の広い中央分離帯の歩道から一段上がった石柱の横に身を潜めるように横たわるサバトラの猫を見つけた。

 顔は石柱を横向きに睨み両手をクの字に織り込み右足は段の下で踏ん張ったまま転んで起き上がれない姿勢で横殴りの雨にさらされている。生死を確かめるため傘をコンクリートの上に置いてしゃがむ。下になった右耳はサクラカットがされている。体格の良い艶やかな毛皮を持った彼の目は黒く大きくなっており、微動だにしない気配から既に魂は昇天している確信を持った。しっかりと事実を知るため横腹に手を伸ばす。毛皮の先から冷気が伝わってくる。柔らかな毛皮に包まれた肉は固くなっていた。

 ここまで硬直しては目を閉じることは叶わない。

 私は、そう考えた。横殴りに雨に石柱に隠れない下半身を湿らせたまま、口をきりっと結び前を見たまま絶命した猫を非常にきれいだった。

 臨終際の排泄した形跡はなく、右耳から髄液のような黄色の液体が僅かにコンクリートを汚しているだけだ。違う場所で車に跳ね飛ばされて避難している最中だったのだろうか?人目から身を隠そうと一段登ったところで倒れ伏してそのまま絶命したと感じられた精悍な顔は、生きるということを見詰めままだ。苦悶も、恐怖もない野生の顔に心が揺れた。

 肩掛けバックから弁当を包んだ白いナフキンを解いて伸ばして彼の顔を覆った。高潔なな猫にとって、死体が人目に触れることはさぞ苦々しいことと思えたからだ。常備しているチュールを上に乗せる。信号に添って何回目かの右折車の中から視線を感じるが、構うことない。風がナフキンを攫おうとする。片手で固く重い体を浮かせ体の下の布をたくし込む。

 私はようやく納得できて合掌した後、沈んだ気分のまま公園に向かう。帰宅時の日課である寄り道先にも猫がいる。濡れそぼったいつものサクラカット4兄弟猫に取り囲まれる。生命を感じながら均等にチュールをふるまった。


 彼との出会いと別れは前日で終わる予定だった。翌朝、出勤時に前日のまま放置されている彼と再会した。悪天候と重なり、中央分離帯という場所は近隣住人の目に留まり難かったのかもしれない。

私は出勤後、自席につく前、逡巡した迷いは始業までの残り時間と相談して直ぐに心が決まった。手早く段ボールを物色し小走りで彼の元に戻る。両手で持ち上げると固まっているので重く感じた。箱の大きさは調度だった。箱からはみ出す、段差を登ろうとした名残の垂れた尾をゆっくり押すとうまく収まった。朝のピークは過ぎているのに通りすぎる車がわざわざ減速して眺めてゆく。箱を抱えながら、「一晩、雨の中待たせてしまってごめんね。我慢強くてえらいね。」と、走りながら話しかける。

 静かな倉庫の片隅に箱を置き、区の清掃所に電話を掛ける。ペットか野良かを聞かれ、「縁があった猫なので費用をお支払いしますので、供養してください。」と、頼む。電話の先の男性は快い返事をくれる。「飼い猫でなければ、無料でいいですよ、ペットたちと同じ方法で合同に供養するだけですから安心してください。」

 季節が過ぎた路肩のつつじを少し供え、30分程経ったところで引き取りの軽トラが会社の前に来た。ヒンヤリした箱の下を持って引き渡す。

 次は、いつもお腹がいっぱいで、危険がなく、暖かな場所で過ごせるといいねと願ったが、昨日までの時間を全力で生き抜いた彼は、悪くない一生だったと満足していると凛とした表情が語り掛けているようだ。

 トラックを見送ると、わだかまりが少し整理できた。

 野生は、野蛮で残酷で美しく、高潔だ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ