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引越し

作者: takkaman

引っ越し

「なんで、また。」

子どもといっても31歳になる次女が通う施設の理事長に、この度施設のある当市に転居したことを告げると、その第一声がその言葉であった。保護者会の会長をして4年が経ち、副会長や理事の期間を含めると、次女が通い出してから12年の間、最初の1年こそ何も役職はなかったが、ほぼ毎年何らかの形で役職を引き受け、役員会やその後の親睦会では、理事長とも何度も話をしたことがあったので、転居のことは理解してくれているものと思っていたが、青天の霹靂のように思われたのが、私としては意外な感じであった。

 2ヶ月ほど前にあった親睦会では、理事長ともよく話しをし、私が今住んでいるところでは副区長をしていることを伝えた。任期が2年なので、それが終われば次は区長を引き受けざるを得ない立場であることは理解してもらえたように思った。理事長は町の会計をしているとのことで、その業務が割と大変なことも話題に上った。私はなぜか2期4年で済むはずの町会計の役を4期8年もしていたので、そのしんどさは町が違っていても実感できるところがあった。苦情を聞いたり外に出ていくことがなければ、区長よりも案外会計の方が大変なこともその8年の間に経験した。理事長は、

「町内の議論は正邪で分かれるものでなく、どちらもが正論だと思っていることで議論するので、やっかいだ。」

と言っていたが、まさにそんなことを公民館の利用で経験していた。副区長ということは我が町では、公民館長を兼務することになっていた。公民館の利用申請は、公民館長に出すことになっているのだが、利用2週間くらい前になってから急に、今まで利用したことのない形で利用したいとの話が電話で区長にあった。新規のことについては、公民館運営委員会を開いて審議することになるが、区長は安易に利用できるのではないかとの発言をしたらしい。新規の利用とは、こういうことであった。【スポーツ少年団で、子ども達の為に夏休みに合宿を計画をしたが、計画を立てた時期が遅かった為予約が取れずに、このままでは計画倒れになってしまうので、公民館を一晩貸してもらえないか】とのことであった。葬儀の通夜で一晩過ごすことはこれまでもあったが、それ以外の形で公民館に人が泊まったことはなかった。一晩過ごす為だけのものであるので入浴設備はもちろんない。寝具もない。それに、公民館利用の決まりの第一は葬儀がある場合は町内の行事があったとしても、それが優先されると書いてある。市の斎場に葬儀する場所ができてから、公民館で葬儀する人は少なくなったものの、それが優先事項と書いてある以上は、それ以外のことで利用を認めるというのはおかしいのではないか。もし宿泊の利用の許可をしてその後葬儀が入ったらどうするのか?子ども達に出ていって貰うのか?もし、そうなったならば、子ども達はどこで過ごすことになるのか?計画を立てるのが元々遅かったのが原因なので、無理をして合宿をする必要はないのではないかというのが、私の意見であった。それに、夏の頃は台風も割と来ていて、警報も出たり被害もそこそこあったので、もしもの時には、公民館が避難場所になることも考えられるので、そのような場合はどうするのか?そういったことを考えると、今回の利用については断る方がよいのではないかと区長に話をした。区長は安易に利用できるようなことを言ったことを気にはしていたが、計画が急であることを理由に、断りの電話を入れたようだ。だから、書類として申請書そのものは上がってこなかった。

 ところが、区長が断りの電話を入れてから一週間ほどたって別の所からクレームが出てきた。スポーツ少年団の責任者はなんとか合宿をやりたかったようで、自分の両親の住む家(両親とは別居)で合宿を強行することを考えた。20人近くの子ども達がその日一日過ごすことになるので、両親はどこか違うところに行くことになった。そしてその身の上話を近所の人に話したようだ。その話を聞いた近所の人は、

「空いているんやったら、公民館貸してあげたらいいのに。」

と何人もの人が言ったようだ。子ども達の為にその日1日出ていかないといけない身の上話を聞くと誰もがそう思うのはあり得ることである。そんな話を聞いた町役員の一人が、翌月の役員会でそのことを議題にした。断りの電話を入れた区長はそのことに対しては何もしゃべらなかったので私だけが話すことになった。私の意見で利用を断ったのだから。そして、その次の役員会の時に公民館利用についての規則を配るので、それを元に話し合いをして欲しいと伝えた。また、そういった疑問があるのであれば、事前に話してくれていたら、資料を用意することができたとも伝えた。

 公民館ができて20年近くになり、できた当時に比べるとずいぶん状況が変わってきた。公民館が何の為に建てられたのかというと、一番の目的は葬儀の時に利用したいということであった。葬儀会館はほとんど無く、少し余裕のある人は寺院を借りて葬儀する人もあったが、ほとんどが自宅の狭いところで葬儀を営んでいた。公民館の利用の第一は葬儀と決められていた。そして、それは一番優先されることで他の行事が事前に入っていても、葬儀が優先されるとなっていた。また、町内の認可団体は無料で使えるが、葬儀の時は5万円、それ以外の時で認可団体以外が使用する時は、使用場所により料金が定められていた。私の説明はその時の資料によるものであり、今回利用を断ったケースは料金そのものも決められて無く、公民館の通常利用時間(8時~22時)の枠外であったので、利用料についても、運営委員会で決める必要があるものであった。だから、正論な訳であるが、自宅まで開放して合宿をしていると聞くと気の毒な面もあり、そのことを考えるとそれも正論のような気もした。

 公民館の利用については、こんなこともあった。私が副区長になり公民館長になってしばらくしてから些細なことからトラブルになった。これまでの管理者はいい加減と言えばいい加減で、有料利用者に対してしっかりした説明もないまま利用がされていた。どこの部屋を使うかによって料金規定なるものがあったが、それをほとんど見ることもなく利用料を徴収していた。たとえば、一番広い集会室は半日使用するとなると5.000円になるのだが、自分の思惑で半分の2.500円しか徴収してなかった。そして、それは次の管理者にも引き継がれ、私が館長になって規定を確認するまで、ほぼ4年の間2.500円のままだった。私としてはさかのぼって徴収するわけにいかないので、公民館の規定を渡し、次の機会からは5.000円徴収することで納得して貰った。それからこんなこともあった。公民館の利用規程には、有料の場合、使用前に利用料を納めるとなっているのだが、そのときに館長が領収証で、大したことではないが、お互いが自分が正しいと思うと引っ込みがつかなくなる事案である。

 副区長ですら、こんな立ち回りでトラブルの多い私が、区長になったとしたら、とてもではないが軋轢がたくさん生まれるのは目に見えているように思う。これは私の性分から思うことであるが、それ以外に私には自閉症の次女のことで、日々時間が取られることが多く、区長になると次女の世話ができなくなることが一番の心配であった。2年前、次女の通う施設は大規模な工事を行い、重度の高齢利用者の為に、14名定員のミニ施設とでも言えるような大規模なグループホームを同じ市内に建設した。そして、10名近くの利用者がそのグループホームに移ったので、次女の通う施設に10名ほどの空きが出た。私としてはこの施設の保護者会の会長でもあり、6名しかいない理事の一人でもあるので、次女に入所の話が来ないかと期待していたが、残念ながらその話は来なかった。相談支援事業所にも申し入れをしてもらったが、施設から入所の話はなかった。もし、次女が入所して平日の面倒は施設が見てくれるのであれば、なんとか区長を引き受けられるかも知れないと思っていたがそのように話は進まなかった。手がかかる重度の障害者は施設から敬遠されるとは思っていたが、実際に話がないことがわかると、施設の理念ではなく施設の経営が優先されるのであると改めて思った。3年前、施設から次女のショートスティの利用を断られた時、施設長から【費用対効果】という言葉を聞いた。私が次女の障害支援区分が6であり、ショートスティを利用すれば、支援区分の低い人より利用料がたくさん入るはずであると言った時、施設長が言ったのがその言葉であった。それは確かに入るお金も多いが、人もたくさん雇わねばならず、あまり儲からないということであった。支援区分が高くても、手のかからない人はたくさん居るので、その人を受け入れる方が施設としては儲かるということであった。その後、施設長はまずいことを言ったと思ったようで、本意は違うと何回も弁解したが、本音が出ただけのことであると私は思った。

 私が2年前胃ガンの手術を受けた時、手術の前後7日間に渡ってショートスティで預かって貰い、その時はとても助かったが、その後は毎週1泊2日の利用が中心で日数が短いからといって、ショートスティがスムーズに行くわけでなく、もちろん日によってはスムーズに進むこともあるが、本人が動かない時はほぼ停滞してしまって、薬も飲まず食事や着替えもせずに、私が迎えに行って連れて帰るだけの時も何度かあった。1泊2日であるので命に関わることはないが、こんなことが長く続くと施設としては責任が持てないというのが考えのようであった。確かにそういった考えもわからないわけではないが、そうだとすれば次女は一生私や妻が見ていかないといけなくなる。私たちが元気でいる間はそのことは可能であるが、2年前に私が胃ガンの手術をしたように、いつまでも元気でおられるわけがない。毎週ショートスティを利用しているのはそのためである。そうであるのに、利用を断られたとしたら、私たちはこれからどのようにしていけばよいのかわからなくなる。それに毎日生活しているからといって何事もなく生活しているわけでなく、施設で次女がやっている行動は自宅でもやはりあり、そのたびに何とか関わって生活しているのであり、福祉施設が何の為にあるのかを考えた場合おかしいのではないか。施設が次女の対応が難しいというのであれば、対応に困った時に電話をしてもらえれば施設に行って協力する。ショートスティで預けているのに、親がその施設に行くということは、何の為のショートスティかわからないし、また、そのようにして施設が利用者から利用料を徴収していたとしたら問題にはなるかも知れないが、そうでもしないとショートスティを利用させてもらえないのであれば、親として協力させて貰うことを施設長に話した。引っ越しをしたのもそのためである。さすがにこれに対しては利用を断ることはできず、首の皮一枚ショートスティの利用は継続されることになった。

 施設の利用料は本人の自己負担はほぼ1万円程度で、多くは税金から施設に払われており、市が施設に払っているお金は毎月施設から届けられる領収証に記載されていて、次女の場合ほぼ40万円近くになっている。つまり、年間にすれば500万円近いお金を払っていることになる。このお金が本人から施設に払われるような仕組みであるならば、利用者に対してその利用を断るということが通常考えられるのかということになる。サービス提供者が消費者に対してサービスの提供を断る、そんなことが通常考えられるわけがない。しかも、私が施設の要請に応じて、施設に行くということは消費者が自分でサービスを提供し、何もサービスをしていない施設がその代価を受け取ることになる。そんなことがわかっていても、今はそれしか方法がない。悲しいことである。

 長年住み慣れたところから、しかも、後1年したら区長をするような立場で、引っ越しをせざるを得ないような状況になったのは残念であるが、残された選択肢がそれしかなかったということである。幸い住宅ローンも完済していたこともあり、賃貸の良い物件が施設のある市内にあったということが、決断を促したことには違いないが、振り返ってみても思い切った決断であったように思う。

 引っ越しを決めたのは9月の初めであったが、それまで妻は施設のある市の住宅物件など、めぼしい不動産会社のホームページを見ては探していた。私以上に引っ越しのことは考えていたと思うが、あくまでも願望的なものであったのが、私がそのことでゴーサインを出すと進展具合は早かった。次女の2泊3日のショートスティの中日であった。初めは交通事故で車いす生活を余儀なくされた先輩のお見舞いに行くつもりであったが、9月はじめで残暑もあり、先輩の体調も思わしくないということで、お見舞いに行くことは取りやめになったので思わぬ時間が転がり込んできた。それで、2つの不動産会社に連絡し、午前・午後それぞれ1社ずつ案内をして貰った。午前中はどちらかというと、買う物件が中心であった。市街化調整区域に建っている物件の場合、地縁者でないと買えないとの規定があり、値段も手頃だと思ったものはそういう物件であった。また、市街化区域内にある物件は値段も高く狭いところが多かった。市街化区域内にあって、値段もすごく安くてオール電化の家があったが、告知物件の家でその家で不幸なことがあったと説明を受けた。また、市街化調整区域内にある物件でも線引き以前というものは、市街化・市街化調整区域と決められていない以前に建ったもので、当然ながら古いものが多く、購入できたとしてもリフォームしないと住めないものが多かった。現在住んでいる築25年の家は退職金でローンを完済したので、リフォームでお金を使うとなると今後の生活設計が苦しくなるので、リフォームするのは難しいと思った。ただ、せっかく案内してくれたのに、何もないというのは心苦しい気がして、リフォームするとしたら、どれくらい係るのか見積もりして欲しいとだけ、一番低価格の物件の家に対してお願いした。消費税増税前ということで、見積もりには時間がかかる言われた。

 午後からは、賃貸の物件も含めて違う業者に案内して貰った。最初に見た家は、線引き以前の家でとても広い家で、周りも静かなところであったが、ほとんどまだ片づいていない感じで、売れたとしたら所有者は片づけると言っているそうであるらしいのだが、大変だろうなあと思った。その後見た家の中では賃貸の物件が一番よかった。賃貸であるので、市街化調整区域内にあっても住むことができるし、引っ越しに費用がかかるにしても、購入するのに比べれば遙かに安い費用で住むことができるからだ。不動産会社は敷金や礼金のことは書いてあるが、その地域がどんなところかはほとんど情報を持ち合わせてなかった。自治会費がどれくらいかかり、祭りなどの時の祝儀など、持ち出しのお金がどれだけかかるのかは、住んでみないとわからない感じであった。それに、施設とは車で10分の距離となり、あまりにも近いと次女が直ぐ帰ってしまうのではないかと思ったが、通所する時は遠回りのルートを通ればいいので何とかなるだろうと思った。平屋の物件で2階建ての我が家に対しては半分ぐらいの広さになるが、今の家に住んでいたとしても、長女はすでに豊岡の方に嫁いでしまって旦那の実家があるところだから、こちらに帰ってくることはほぼ無いし、私が死んだ後、家を相続するにしても大変なだけでそのことを考えるのであれば、今のうちに処分しておくことも必要ではないかと思った。賃貸料もそれほど高くはなかったし、広くはないが車も2台駐車できるスペースがあるので、その日のうちに借りることにして、10月1日付で賃貸契約を結ぶことにした。賃貸契約を結ぶことを決めただけで、どんな大家さんかはわからなかった。ただ、県内に住んでおられなくて、東京に住んでおられるということだけがわかった。年老いた親が何年か前に住んでいたが、今は空き家になっていて貸す為に水回りを中心に少しリフォームしたと言われた。平屋の家であったが12畳の洋室が増築されていて、全部で4部屋しかないのにトイレは2つあり、どちらもウォッシュレットが付いていたのも、ここに決定するポイントになった。

 10月初めからの賃貸契約を結んだが、年内一杯かけて引っ越しができればいいという感じで、取り組むことにした。幸い引っ越し先は冷蔵庫も洗濯機もあったので、直ぐにでも住むことはできた。ただ、次女にとっては環境が大きく変わることもあり、ある程度私たち夫婦が、新しいところで住めるようになってから、次女のお泊まりを増やしていくことで対応していくことにした。次女がショートスティの時に、私たち夫婦が先に泊まり、ショートスティあけの金曜日から土曜日にかけて引っ越し先で泊まるようにした。

 そのようにしていく中で、次女に一番こだわりが出てきたのは家に帰った時に車を止める時であった。これまでも、前の家で車を止める時に、日によってこだわりが強い時に何度もやり直しをしたことがあった。一番多かったのが私が車を入れる時に、後から車が来た場合、相手の車に迷惑がかかると思い、家の前を通過して国道をもういちど走り、再度車庫入れをした場合、なかなか合図を出さず、そうしている間に、また次の車が来たりして、また、国道を走り直すということが何度もあった。ひどい場合は、車庫入れをするのに30分以上係った時もあった。新しい家の場合も、同じようにやり直しをすることがあった。交通量は前の家に比べると少ないものの道幅が狭く、また走り直しをして車庫入れをするにも、適当なルートがなかった。それに、車庫が狭く、前の家の時は2回ハンドルを切れば入庫できたものが、今度は3回切らないとできないということもあり、その分私が操作を誤って時間もかかることがあり、30分で済まないことも多くなってしまった。

 同じことを繰り返しても仕方がないので、車庫入れをするのをやめて、少し離れたところの公民館に車を止めることにした。そして、歩いて帰ることを告げた。最初の時は、すんなり歩いて帰ったが、次からは歩いて帰ることはなくなった。車庫入れができなくて公民館に車を止めると、【今度は合図を出すので、もう一度車庫入れをして欲しい】と訴えるようになった。次女は話し言葉を持っていないので手を振るなどゼスチュアでしか伝えるすべはないのであるが、何となくそんな感じでやりとりできるので最初苦労したものの、今では2回やり直すぐらいで車庫入れできるようになった。このやり方は、前の家の車庫入れの時も応用が利くようになった。これまでなら、国道をもう一度走り直していたが、同じように自宅近くの公民館の駐車場に、一端車を止めることでやり直しをすることが少なくなった。なぜこんな簡単なことに気が付かなかったのだろうかと、今思えば私もまたこだわりにとらわれていたような気がする。同じようにやり直しをせずとも視点を変えるだけで、案外簡単に解決できることを改めて知った。

 次女を新しい家に迎えるのに当たって、まず考えたことは動線をどうするかということであった。2階建ての家で2階の居室で寝ているので、平屋の家の中でどの部屋を次女の部屋にするのかを考えた。ベッドで寝ていることもありそのことを考えると12畳の洋室しかなかった。ただ、一人で寝るには広すぎるので私がその隣で寝ることにした。前の家では私が次女の部屋の隣の居室で寝ているので、壁があるかないかだけの違いであった。次女は睡眠が安定せず夜間の2時や3時頃起きてくることがたびたびあり、そのたびに居室を替わったりしていたので、同じ部屋になるとベッドは替わることはあっても、その部屋から出ていくことはないだろうと思った。

 寝室の次は普段過ごす部屋についてだ。前の家ではリビングのうち6畳の畳の間が次女の普段過ごす部屋で、朝食後に施設に行くまでに【おかあさんといっしょ】などのテレビ番組を見たり、施設から帰ってきて夕食までの間、テレビを見て過ごすところであった。また、気が向いた時は、リビングのフローリングの所にあるパソコンでYOUTUBEを見ることもあった。YOUTUBEを見始めるといつまでたっても止めないことがあり、そんなときは、WIFIのルーターの電源(2階の私の部屋にある)を切ることも何度もあった。テレビ番組の途中では止めないこともあったが、DVDを見ている時以外では、1時間もすれば止めるので、番組が終わるまで待つことの方が多かった。ただ、朝出かける前にDVDを見出すと、なかなか止めないので、そんなときは洗面所の上にあるブレーカーを切ることもあった。サッカーのサドンデスではないが急に見られなくなったものだから、本人の気持ちが落ち着くまで20分ほど係ることも多く、施設に行くのが遅くなることも何度もあった。そんなとき、引っ越しの荷物を片づけている時、タイマーがあることに気が付いた。なぜ今まで気が付かなかったのか不思議なくらいであるが、それまではタイマー設定ということあまり考えたことがなかった。タイマーを使い出すと、予告してもうすぐ見られなくなると伝えても、本人としては実感がわかないのか、途中で見るのを止めることはできず、また、タイマーもデジタル設定のできるものでなくアナログのものなので、日によっては若干のずれがあったりして、こちらが言うようには切れなかったりすることもあった。ただ、何回かサドンデスを繰り返すうちに、急に切れるのは怖くなったようで、私たちがもうすぐ切れるというと、自分から合図を出して、切ってくれということも増えてきた。本来ならば、自分で止めることができればいいのだろうが、次女が大きくなったからといってできるようなものでなかった。ただ、もう少し早いうちから、タイマー設定を取り組んでいたらと思ったが、時間が見えた方がわかりやすいだろうと、砂時計を使ったり、デジタルのキッチンタイマーのようなものを使ったり、試行錯誤してきたが、ほとんど効果がなかった。テレビタイマーという形で取り組んでいたらと思うがこれだけでも効果があったことを喜ばねばならない。

 そして引っ越し先の家で過ごす時は、そのタイマーも忘れず持参していくことにした。引っ越し先は6畳の和室があり、そこを次女の部屋にすることは何の問題もなかったが、部屋数が前の家よりも少ないことから、次女が洋室に行って休む時はそこが妻の寝室になった。6畳の和室と洋室の間には8畳の和室があったが、ここは通過する部屋であり、しかも荷物がたくさんあったので落ち着ける場所ではなかった。それに、本間の8畳で、中京間に慣れているものにとっては10畳ぐらいの広さに感じられ、その分広く感じられた。エアコンは付いていたものの、ここで過ごすとなると電気代はかかるだろうと思った。6畳の間にもエアコンは付いていたが、昔あった有線の付いたリモコンで、動くことは動いたが、旧式の為電気代がかかることを考えると、新しいエアコンを買う方がよいと考え、早速工事を申し込んだ。そして、次女がテレビを見る空間は前の家と同じように、横に特別支援学校の時のアルバムや家族で旅行に行った時の写真や好きな音の出る絵本を三段ボックスに置いたりして、変わらないようにした。

 また、寝る前に必ず確認するカレンダーの位置も、同じような感じになるようにした。寝る前に確認するのは、明日の予定でショートスティがある時は、施設に泊まるという文言が入るが、それ以外の時は、【ご飯を食べること、おやつを食べること、お風呂にはいること、寝ること】を時系列に確認することであって毎晩同じことを繰り返してきた。そしてその最後に、ショートスティあけの時に、何を食べるのか選択する行為が入る。次女は音声言語がないので、代替えコミュニケーションとして昔購入していたチャットボックスが引っ越しの荷物の整理する中で見つかり、AC電源を使えば十分使用できることがわかった。昔使っていた時は、3つ年上の長女の声を録音していたが、その時は、選択するというより、一日の流れを時系列に入れていて、こちらが声かけする言葉を機械に言わせたようなものであったが、今回は選択するものだけを入れ、たとえば、【マクドやケンタッキーやホットモット等】の名詞を入れ、妻の言葉で録音し直した。そうすると、自分の思いが伝えられるとわかったのか、毎晩使うようになった。意思決定支援というと大げさな感じがするが、次女にとっては唯一の機会である。

 普段過ごす部屋が決まると、次は食事をするところだ。前の家では6人掛けのできる食卓は、次女一人が食事をしていた。親父がいて長女がいたときは、5人で食事をしたこともあったが、親父が18年前に亡くなり、長女が15年前に大学に進学して京都で住むようになってからは、私と妻、次女の3人で食べていた。そのうち、妻が忙しいということで、台所の流しの上で食事をするようになった。私と次女だけで食べるようになった。そうすると、次女は私がどの順番で食べるのかが気になったり、気になるだけでなく、それに介入したりすることが増えてきた。また、口の中で咀嚼する、口の動きにこだわったりして、もうすでに嚥下しているのに何度も咀嚼を要求することもあった。その間、自分は全く食事に手を付けてなくて、人のことを気にしているばかりであった。私が食事した気持ちを持てないまま食事を終えると、ようやく次女が食べ始めるような感じであった。おかず類をすべて、丼に入れて、箸でかき混ぜるだけ何度もかき混ぜて、ゆっくり時間をかけて食べるので、食事だけで2時間近くかかることもあった。夕食ならばある程度時間がかかっても、朝の忙しい時間帯であれば2時間もかけるわけにはいかない。いつしか、私も台所の流しの上で、食事をとるようになっていた。ところが、流しの上で食べていても様子が気になるのか、こちらにやってくることが多くなってきた。妻は次女と食べる時間帯をずらし食べるようになっていた。私は流しの上のところで食べることもあったが、できる限り、目の見えないところで食べるようになり、仏間で一人食べることが増えてきた。家族一緒、みんなで食べると楽しい食事ではないのである。

 引っ越し先では、台所と食堂をあわせたスペースが前の家の半分ぐらいしかなかった。それに台所と食堂の間に段差があり、なかなか使い勝手が悪そうであった。3人で食事をすることは最初から考えてなかったので、次女が機嫌良く食事ができることを考えると、段差があることで、エリアを仕切ることができたのは好都合であった。そして、対面で食べると人のことが気になることから、窓に向かって食べる位置に食卓を置き、私たちは次女の背中をみて食べる位置で、食事をとるようにした。そして、段差を利用して、死角を作りできるだけ見えないところで食べるようにした。はじめのうちは違和感があったが、少しずつそれも解消されてきた。

 もともとが次女中心のことを考えて引越しをしたわけで、次女が入所できればその生活は大きく変わるが、そうなったとしても、近くに居て見守ることができる。そのことで、引越しした意味はあるのではないかと思う。


 



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