木を隠すなら森の中
連載中の「行き倒れを拾ったら何だか知らないが懐かれた件」に出てくるダールを主人公にしたお話です。
本編を読まなくても、話は分かると思います。
そこは、街の中に在りながら、まるで森の中を思わせる程、鬱蒼たる木立に覆われた一角だった。繁る枝から葉擦れの音が響き、湿気を帯びた濃密な空気が満ちる。木々の合間から木漏れ日が斜めに差し込み、薄暗い中に光の縞模様を作っていた。
街の北側にある屋敷町に、それまで足を踏み入れることはなかった。西の職人区画に住む少年にとっては、屋敷町に住む金持ち連中と縁もなければ行く用事もない。同じ街の中とはいえ、まるっきり別世界だった。
その日、少年は派手に兄弟喧嘩をした。ドワーフ混じりの鍛冶屋を父に持ち、兄弟揃って鍛冶や細工などの才能を見せる中にあって、少年だけがそのどちらも上手く熟せなかった。その劣等感からか、些細な事で兄弟とぶつかってしまう。
その挙げ句に、今度は仲裁に入った親と衝突し、むしゃくしゃしていた。思わず家を飛び出した少年は、鬱々とした気持ちを晴らしたくて、普段は行かない方向に足を運んだ。
屋敷町は一区画が広く、建物も大きくて意匠も凝っている。閉じた門扉もやたらと豪奢で、敷地を囲む塀も、そこから覗く小綺麗に手入れされた庭の植栽まで、下町の物とは段違いな代物だった。
見慣れない風景を眺めて歩くうちに、それまでの街並みとはまるで違う一角に辿り着いた。ただでさえ広い区画の、何区画分かの広さを、丈高い木々が埋め尽くしている。周りとは明らかに違う、異質な所だった。
その場所の、人の立ち入りを拒むかのような気配に抗い、足を踏み入れる。すると、自分を取り巻く空気が変わったのを感じた。まるで森の中に居るような、濃厚な緑の息吹に躰を包まれる心地がする。
最初の抵抗感から一転し、奥へ奥へと誘われるように歩を進める。木々の間にひっそりと続く小径を辿って行くと、小さな庵の前に行き当たった。人目を避け森に溶け込んでしまいそうな、苔生した丸木造りの庵だ。物珍しさに誘われて、庵をしげしげと眺めながら一廻りする。
ちょうど庵の裏手に差し掛かった時、勝手口がギィと音を立てて開き、中から人影が現れた。少年はびくりと肩を跳ね、立ち止まる。暗い庵から姿を現したその人影は、長身痩躯の儚げな雰囲気をした青年だった。ゆとりのある丈の長い衣を纏い、背の中程まで伸びた銀髪から少し尖った耳が覗いている。
少年は惚けたように、その円らな黒い目で青年を見詰めた。青年の淡い金色の瞳が、少年を見詰め返す。
「おや、こんな所に人の子とは珍しい」
「わっ! ご、ごめんなさい!」
「そう恐れなくとも良い。何用じゃ?」
「あっ、あのっ……ええと……」
「少し落ち着け。時間がかかりそうじゃな。入れ」
青年は見かけにそぐわぬ古風な口調で少年に語り掛けた。庵へと招く所作は、ゆったりと優雅で美しい。
庵の中に招き入れられた少年は、部屋の暗さに一瞬、視界が真っ黒に閉ざされた。目をぎゅっと瞑って、拳を握った手の甲を瞼に押し付ける。暫く待って、そっと手を除けゆっくり瞼を開けると、暗さに馴染んだ目が辺りの様子を映し出した。
そこは、仕切りの殆どない一続きの部屋で、装飾の類は無く、家具も机や棚など最低限の物だけが置かれている。そして、至る所に草や木の葉、実や種、皮や根などの植物の素材が溢れ、部屋中に草いきれのような青臭さが漂っていた。
「さて、話を聞こうかの。そこに座るが良い」
「ええと……この椅子、いっぱい何か載ってるんだけど」
「おお、そうであった。久しく訪ねて来る者も居らなんだ故、忘れておったな」
青年は椅子に盛り上げてあった薬草の束を退けて、少年に椅子を勧める。おずおずと椅子に腰掛けた少年が見ている前で、青年は抱えた薬草の束を棚の隙間に押し込んでいた。あまり物の片付けが得意では無さそうだ。もう一つある椅子に腰を落ち着けた青年は、改めて話し掛けてきた。
「人の子よ、名は何という?」
「俺、ダールっていうんだ。親父はドワーフ混じりの鍛冶屋だよ」
「確かに、見目はドワーフに近いようだが、半ば以上は人の子であろ? 我はハーフエルフじゃ。名は……」
「……イル……バン?」
ダールは机の上に広がる雑多な物の一つに彫り込まれた名前を見つけ、辿々しく文字を拾い上げて読んだ。青年はダールの視線からそれに行き着き、苦笑交じりに答えた。
「お主の言うように、これは我の名ではあるが、読み方が違う。この綴りで、アーヴァインという」
「アー……バ……イン」
「素直に耳から音を拾えぬものかの? ダール、言い難ければ、イルで構わぬ」
「イル」
「ふむ。それで良い」
アーヴァインはふんわりと微笑み、つられてダールも口角を上げた。
「して、改めて問うが、此処へは何をしに来よった?」
「いやー別に、何でもないよ。ただ、普段は行かない方に歩いて来て、足が向いたから」
「ふむ。そのような瑣末な理由で、我の張った結界を造作もなく破ったと言うのか。つくづく、妙な人の子よの」
「へ? ば、ばりあ? 何それ?」
アーヴァインの物言いに、ダールは混乱した。結界など魔法や魔術に縁のない街暮らしの子供には、理解を超えた話だ。アーヴァインも、それについては詳しく話す気はないらしく、早々に話題を転じる。
「ダールよ、お主、薬学に興味はあるか?」
「は? 薬学? それって、薬を作ること? 俺、鍛冶屋の息子だし、今まで全然関わったことないんだ。分からないよ」
「しかし、此処へ入って来られた。ならば植物との相性は悪くない」
「ふうん。悪くないんだ。俺、ドワーフ混じりのくせにに鍛冶も細工もからっきしなのにさ」
自嘲気味に言うダールの言葉を聞き咎め、アーヴァインがぴしゃりと遮る。
「己を指して、くせに等と言うものではない。他人から傷つけられたとしても、己自身で自らの誇りを貶めるな。分かるか、ダール」
「……よく分からない」
「まあ、言ってすぐ分かるものでもないの。追々、分かってくれば良い」
項垂れたダールを慰めるように、アーヴァインが声を掛けて頭を撫でる。ドワーフらしい癖の強い赤茶けた髪を、アーヴァインの手がその長い指先で梳いていく。やがてダールが落ち着いた頃、アーヴァインが薬草茶を振る舞い、二人で飲んだ。素朴な風味が、ダールには好ましかった。
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それからと言うもの、ダールは暇さえあればアーヴァインの庵に入り浸った。彼と話すのは勿論のこと、彼の生業である調薬作業を眺めるのも気に入っていた。
アーヴァインはエルフ族の習い性として、調薬と魔法に秀でていた。庵の周辺は薬草となる草が生い茂っており、庵の外で草の種類や採取方法を教わりながら草摘みするのもダールの楽しみになった。
調薬するアーヴァインの手元を見ていると、何の変哲もない草から次々に薬の出来上がっていく様がまるで魔法のようで、ダールは日がな一日飽きもせずにそれを眺めて過ごした。
「調薬に興味がありそうじゃな」
「うん、見てるの面白いよ」
「ダールは薬師が向いておるやも知れん」
「薬師か。考えたこともなかった」
ダールは自分にも向いた職業があるかもと聞いて嬉しくなった。親兄弟とは違う新たな可能性に、胸が高鳴る。薬草の採集や調薬について、もっと知りたいと思った。
庵周辺の木立に無い薬草は、弓を携えて街の外で採集することもあった。そういう時のアーヴァインは、いつも身に付けているゆったりとした裾の長い服ではなく、まるで冒険者のような装備品を纏っている。ダールには、見慣れないアーヴァインの格好が新鮮に映った。
ダールは嬉々として、アーヴァインに同行を願い出る。足手纏いにならないようにと、ダールは護身用に父親の工房から自分にも扱えそうなナイフやらメイスやらを持ち出し装備して行った。
「ダール、着いて来るのは構わぬが、街の外では我から離れるでないぞ」
「分かった!」
アーヴァインは、庵に程近い北門から街を出ると、街壁を回り込んで東の森に向かった。東の森へは、東門から行く方が近い。ダールはアーヴァインの行動を不思議に思った。
「ねぇ、イル。東の森に行くのに、何で北門から行くんだ?」
「我は街中を彷徨くのは好かん。多少遠廻りしても、外を歩く方がマシだ」
「ふぅん……」
アーヴァインの吐き捨てるような物言いに、ダールは違和感を覚えた。普段、穏やかな言動をするアーヴァインにしては珍しい。街で余程嫌な思いをしたのかも知れないと、ダールはそれ以上追及することは避けた。
東の森には、子供の足でもそう時間は掛からず辿り着く。森に入ってから、アーヴァインは慣れた様子で小径を進んで行った。普段のゆったりした所作とは異なり、森でのアーヴァインはきびきびとした動きをしている。
初めて街の外に出たダールには目にするもの全てが物珍しく、あちこちをキョロキョロ見回してはアーヴァインを質問攻めにした。
「此処、何があるの?」
「色々ある。薬草もあるし、木の実や茸、ハーブ類も数多い」
「魔物はいる?」
「いる。が、少ない方だ」
何処と比べてのことだろうかと尋ねかけた傍から、灰色狼が現れてダールに向かって来た。身を竦ませ、動けなくなったダールにとは違い、アーヴァインは落ち着き払っていた。弓を構え、即座に矢を放つ。最初の一射で魔物の動きを封じると、続く矢で確実に止めを刺した。
「よくじっとしていたな、偉いぞ、ダール」
「俺、びっくりして動けなかったんだ」
「こういう時は、下手に動かれる方が余程、足手纏いになる」
ダールはアーヴァインの『足手纏い』という言葉に反応した。
「イル……俺、邪魔か?」
「我から離れなければ良いと許可したであろう? 気に病むな。そこら辺に穴を掘っておいてくれ。これを捌いてしまおう」
アーヴァインはダールの懸念を一蹴すると、灰色狼を引き摺って小径脇の閑地に入り、解体を始めた。ダールに解体を教えながら手際良く捌いていき、不要部分を穴に埋める。肉の可食部分や毛皮は別個に包み、荷物に加えた。
小径に戻り、森の奥へと進む。ダールは自分の役割をアーヴァインの動きを妨げないことだと理解し、肝に銘じた。此処は長閑に見えても、安全な街の中ではない。自分の身だけでなく、アーヴァインをも危険に晒すような真似は出来ない。
やがて、二人は森の中程にある草原に足を踏み入れた。草原には、よく見れば様々な薬草類が茂っている。街の庵の周りに生えているものの他、見慣れない草も沢山あった。アーヴァインに教えられ、ダールは夢中で草摘みに精を出す。日はいつの間にか中天を過ぎていた。
「そろそろ昼にするか。ダール、水汲みと火熾し、どちらが良いか?」
「火熾し。水汲む場所知らないし」
「水場ぐらい教えるがの。ならば、その隅にある空き地に石を積んで、火を熾しておいてくれ。我は水汲みだ」
ダールは言われた通り、草原の端にある空き地に石や枯れ枝を寄せ集めて竃を作った。火を点けるのは、屑魔石を加工した燐寸で簡単に出来る。ダールの家は魔石焜炉だったが、アーヴァインの庵は旧式な薪の焜炉だったので、燐寸が欠かせない。アーヴァインに持たされた装備品にも、燐寸はしっかりと入っていた。
ダールが火の番をしていると、小鍋に水を汲んできたアーヴァインが草原に戻って来た。水場が何処にあるのかダールには分からないが、案外此処から遠くないのかも知れない。アーヴァインは慣れた仕草で、小鍋に干し肉や乾燥野菜を入れ、先程捌いた狼肉を切り分け串に刺し炙る。
「ダール、器にスープを注ぎ分けてくれ」
「分かった。なあ、パンも炙っていい?」
「チーズもあるぞ」
「わぁ、ご馳走だな!」
ダールは喜び勇んでパンを炙り、チーズも載せて溶けるまで温めた。塩を振っただけの串焼き肉も、簡素な干し肉スープも、いつもと違う環境で食べると数段美味しく感じる。ダールにとって、忘れられない記憶になった。
■ ■ ■ ■ ■
月日は流れ、ダールも成人する歳を迎えた。アーヴァインの許に通って習い覚えた調薬と採集技能、森での身の処し方などを生かして、ダールは薬師兼冒険者として身を立てることにした。
冒険者協会と職人組合の両方に籍を置き、自分で使う分の薬草を採集する傍ら他の採集依頼を受けて納品する。そして、薬草を自ら薬に加工してから、組合に卸した。片方だけでは中途半端な技量も、両方を熟すことで一人前の上がりが得られる。このやり方が、今のダールには合っていた。
ダールは成人後も変わらず、アーヴァインの庵に入り浸った。薬学は奥が深く、学ぶことはまだまだ沢山ある。背丈はアーヴァインに追い付きそうに無いが、ドワーフの特性か腕力だけはダールの方が強く、体力も根気もある。アーヴァインの助手として、薬草採集や調薬に携わり日々精進していた。
ある日、アーヴァインが珍しく作業の手を休めて、書状を読み耽っていた。それは先日、職人組合経由で何処からか届いたもので、ダールが組合から預かり手渡したのだ。使われた紙が古く、書体も古風で読めなかったので、覚えている。アーヴァインは、難しい顔をしては、溜め息を溢していた。
「イル、その手紙、また読んでるんだ?」
「……ああ」
「その字、エルフ文字?」
「……いや、人の子の文字だ。古い字体だから、ダールには見慣れぬものかの……」
「元気ないね。手紙のこと、聞かれたくない?」
「……いや……うむ、そうかも知れぬ……」
「じゃあ、聞かないでおく」
「済まんの、ダール」
アーヴァインはその日、丸一日物思いに耽って仕事にならなかった。ダールが暇を告げても、何処か上の空で返事していたので、おそらくは分かっていないだろう。ダールも何となく気落ちして、家に帰ってから早々に床に就いた。
翌日、アーヴァインは見た所、いつも通りに振る舞っていた。ダールも平静を装って接していたが、ふとした拍子に心配そうな目を向けてしまう。日も暮れかけてそろそろ帰るかという頃になって、アーヴァインはダールを呼び、改まった調子で向かい合った。
「まだ心の準備が覚束ないが、あまり心配を掛け続けるのも本意ではないのでな。あの手紙について、ダールには知っておいて貰いたいことを話そうかの」
「昨日読んでた手紙のこと?」
「そうだ。あれは、我の孫に当たる者の訃報での」
「ま、孫!?」
ダールはアーヴァインの歳や身内に関することは何も知らなかったが、まさか孫がいるとは、況してやその孫の訃報とは思いもよらず、固まった。
ダールの困惑を余所に、アーヴァインの語りは続く。
「まあ、孫といっても、エルフ混じりだった伴侶の連れ子の子で、我の血筋ではないが。とはいえ、我が子同然に可愛がった子のもうけた子じゃ、孫と言って差し支えなかろう。その孫が亡くなったと、この手紙で知らせてきた」
「その……手紙の差出人は誰?」
「孫の末子じゃから、曾孫に当たるかの。これにも、もう孫がいるそうじゃ」
「……イル……今、何歳?」
「もう歳を数えるのも面倒で覚えてないが、まだ寿命の尽きるまでは間があろう」
ダールは言葉もない。エルフ族は寿命が長いとは聞いていたが、人の何世代分の年月を生きるのだろう。アーヴァインはハーフエルフと言っていたから、純粋なエルフよりは短命かも知れないが、それでも只人の身とは違う。今までに親しい人々を、どれだけ見送って来たのだろうか。
「じゃあ……俺がもっと歳をとって、爺さんになっても、イルは今のままなんだ……」
「それは分からぬ。我はハーフエルフだ、どのように歳を重ね寿命が如何程となるかは死して初めて分かることだ」
「なら……俺と一緒に歳をとれる?」
「ダールがそう望むのなら。まあ、望む通りになるとは保証しかねるがの」
そう言って、アーヴァインがふわりと微笑を浮かべて見せると、ダールは勢いよくその懐に飛び込んで行った。
「イル、俺と一緒に生きて、俺と一緒に歳をとって、俺と一緒に爺さんになろう?」
「そう……なれると良いな」
ダールの背を宥めるように撫でながらアーヴァインが呟く。ぎゅうぎゅうとその躰にしがみ付き、ダールはずっと今のまま時が止まることを祈っていた。
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ダールは成人後もずるずると居座り続けていた生家から、漸く独り立ちを果たした。
そもそもこの独り立ちの遅れは、なるべくアーヴァインの庵に近い場所に居を構えたいとコツコツ蓄えていた為だった。よりによって、アーヴァインの庵は街の高級住宅地に建っている。因ってそこに近い場所といえば、自ずと地代が跳ね上がるのだ。
ならいっそのことワケあり物件でも、と借家や建売など手当たり次第に探して漸く見付けたのが、アーヴァインの庵のある木立に隣接した土地の邸だった。この邸は、大きさの割に立地や築年数などの条件が相場に見合わず、もう何年も売れ残っていたという。ダールが買い受けたいと申し出ると、商人同盟の担当者に泣いて喜ばれた。
「イル、此処を俺の住処にしようと思うんだ」
「こんな近くに家が建っていたのだな」
「イルって、ホント縄張り以外のことに興味ないよねー」
「そうかの。しかし、ダールが隣に住むなら心強いではないか」
「そう? へへへっ」
一人で住むには広過ぎる大きさの古い邸を、ダールは何とか人が住める程度まで整えた。しかし、その後の維持にまでは手が回らず、邸の手入れと庭の管理に通いの使用人を雇った。使用人は二人で、邸の管理と庭とに一人ずつだ。人選は商人同盟に任せてしまったが、折良く年嵩の夫婦者が条件に合い、すんなりと決まった。
ダールが邸に移ってから暫くして、アーヴァインを邸に招いた。アーヴァインは見慣れぬ邸の中を落ち着き無く見回していたが、ただ広いだけで己の庵と変わらぬ質素な様子に安心したらしく、勧めた席に収まった。
「これが俺の塒だよ。どう?」
「ダールらしい飾り気の無さで落ち着く」
「褒めてねぇよな、それ!」
軽口を叩きながらも、ダールは内心、緊張していた。アーヴァインとは長い付き合いだったが、一度も彼の庵に泊まったことはなかった。庵が狭く、ベッドも一人用で泊まる余裕が無いのもあるが、アーヴァインにとって自分がそう言う対象と見なされていないからだろう。
先日、身内の訃報に落ち込むアーヴァインにその場のノリで告白まがいなことをしてしまったダールは、その時に初めて自分の想いに気が付いた。そして、あんな子供染みた、泣いて縋るような真似をしたことが恥ずかしくてならなかった。
何とかきちんと告白し直して、アーヴァインの認識を上書きしたいと思い、その機会を窺っていた。今回の新居招待は、いい口実になる。願わくば、この告白を機に二人の関係を己の望む方向へ進めたい。
「まぁ、いつもと変わり映えしないけど、食べて」
ダールは心尽くしの夕食を用意してアーヴァインをもてなした。彼の好みに合わせて野菜中心の献立にしてある。酒はアーヴァインが持ち込んだ自家製の蜂蜜酒だ。アーヴァインはそれを、室で冷やした水で割ってちびちび飲んでいる。
「相変わらず、イルの飲み方は倹しいな」
「ダールのように、酒を水と変わりなく飲む方がどうかしていると思うが」
「実家の奴らは、皆こうだぜ?」
ドワーフ混じりの者の常として、ダールの実家では皆揃って飲み方が半端ない。エールや葡萄酒などは樽単位で消費するし、蒸留酒も水で割って飲むことは滅多にない。そんな中で育ったダールも、自然と酒を飲む量は人並より多かった。
ダールは自分ではイケる口だと思っているが、家族からは酒に弱いとレッテルを貼られていた。すぐに酔って陽気に浮かれ騒ぐ上、周りの者に絡み、挙げ句には寝落ちしてしまうせいだ。尚悪いことに、ダールにはその所業の自覚はなかった。
「ずっと不思議だったんだけどさ、何でイルの庵の周りって屋敷町なのに木がボーボーなんだ?」
「それは順序が逆じゃな。我の住まう庵のあった森が、いつの間にか侵食され人の子の家に囲まれて、そのまた外側を街壁に囲まれておったのだ」
「じゃあ、この街は元々森だったって事かー」
「街全部がそうではないが、この辺り一帯についてはそういうことじゃの。我が庵の周囲に張り巡らせた結界と認識阻害のかかった木立を残して、すべて街に取り込まれてしもうた」
「そっかー、逆なんだー」
雑談しながら、ダールはなかなか話の流れを自分の目的の方向へ持って行けないのに焦れていた。どうすれば、ちゃんとした告白のやり直しになるだろうか。アルコールで蕩けたダールの頭では思い付かない。所詮は酒の勢いを借りようなどという己の浅知恵など、アーヴァイン相手には通用しない。
「自分の家の周りが他所の家に囲まれるまで気付かないって、イルは相当の引き籠もりだよな」
「そこは否定せぬ」
「あははっ、自覚はあるんだー」
ダールはいつしか、当初の目的を忘れてアーヴァインとの会食を楽しんでいた。元々考えることに向かない頭で、先のことなど見通せる訳がない。無自覚な絡み酒体質も発揮して、常日頃は聞けなかった素朴な疑問をアーヴァインにぶつける。
「イルはエルフなんだろ? エルフの里に知り合いとかいないの?」
「我はハーフエルフと言ったろう。二親が森の子と人の子じゃ。もうその時点で、里との縁は切れる」
「そうなの?」
「森の子は排他的じゃ。他の種族を受け入れはせぬ。例え半分が同胞であってもな」
「ふぅん……」
アーヴァインはゴクリと手にした杯を呷る。ダールも流石に言葉を失い、気まずさに杯を重ねた。二人の間に微妙な空気が流れ、暫し重い沈黙が場を覆った。
ダールは話題選びを誤ったことに追い詰められ、頭の中が真っ白になっていた。これでは、仲の進展どころかアーヴァインから見限られ距離を置かれかねない。躰の芯がひんやりと冷えてくる。
再び口を開いたのは、アーヴァインだった。
「ちと飲み過ぎた。今夜はもう仕舞いにしようかの」
「ああ、そうだな。また来てくれよ」
ダールはせっかくの新居招待が後味の悪いものとなったことが、心の裡に刺となって残った。
■ ■ ■ ■ ■
ダールは久しぶりにアーヴァインの採集に同行して、東の森へとやって来た。何度も足繁く通ったそこは、もう庭も同然だった。薬草の群生地や水場も把握しているし、よく遭遇する魔物への対処にも慣れた。今回もまた、アーヴァインの目当ての薬草狙いで、群生地近くに拠点を設える。
「イル、俺がテント張るから水汲み宜しく!」
「任された」
役割分担も慣れたもので、そう時間も掛からず野営場が完成した。まだ日が落ちるまで間があるが、明日からに備えて早めに食事の支度等をまだ明るいうちに済ませる。その分、ゆっくりと食事を摂り休息した。
「まだ早いが、もう休むかな」
「そうじゃの。明日は薬草摘みに大忙しだろうて」
ダールが水を向けると、アーヴァインも同意する。焚火の中に魔物除け香を投げ入れ、テントに引き上げた。狭いテントに身を寄せ合い横たわる。出会ってからずっと、野営の度に繰り返してきた事だが、その余りにも近い距離感に胸苦しさを覚えた。
(こんなに苦しいなら、自覚なんぞしなければ良かったなぁ……)
薄暗いテント内の宙を見るとも無く眺め、ダールは己のままならない想いを省みた。
悶々とするダールの隣からアーヴァインが問い掛ける。
「どうした、ダール。何ぞ言いたい事などあるのか」
「ん……うん……いや……」
「はっきりせん事よの」
アーヴァインの苦笑する声が間近に響き、ダールは背中がぞくりと粟立つ。吐息が思いの外、近い。
「イ、イル……?」
「この処、ずっと思わせ振りな視線やら、何か言い掛けては口を切るを噤むやらが続いておるでの。気になって仕方ない」
「あ……あの……」
「まだ言えぬか、我も気の長い方だが、ちと長過ぎる」
話す声が益々近付く。殆ど耳に触れそうな程だ。ダールは息を詰め固まった。
「ダール、お主は何を望む」
「あの……俺、イルと一緒になりたい。俺の家で暮らさないか?」
「やっと言えたの、ダール。我は構わぬよ」
「本当に?」
「ああ」
ダールは感極まり、アーヴァインに抱き着くと噎び泣いた。アーヴァインはダールを受け止め、ずっとその背を撫でていた。
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エルフ族と言えば、永い寿命と美しい容姿と共に、その排他的な気性で知られている。その珍しいエルフ族の姿が、この街の中に見られるという。
何でも、人の目に見えない森が街にあり、その森にエルフ族が住んでいるとか。そんな噂が人々の口に上る。
街随一の噂好きに聞いても、ニヤリと口角を上げたまま何も語らない。
『森の人』とも称されるエルフ族の事、さしずめ真相もその見えない森の中なのだろう。