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第13話 決断


 「それで? 一度断ったものを今さら呼び立て、何を望む?」


 言いながらその声は上ずっていた。

 三事兼帯の江弁、渡した書類の一方を……「本物」のほうを食い入るように眺めていて。


 存じております。

 取引というもの、値切れるならばそれに越したことはありませんものね。

 今のお立場では出せる対価も限られておいででしょうし。


 「これと言って、何も」


 御簾の向こうで目が光ったけど怖くなかった。

 もう腹を括っていたから。


 「あるべきところにお返しするのが一番と。そう思い直したのみにございます」


 それこそが、卜二に後事を託した老人の望みでしょうから。

 もはや財を、名誉を取り戻すことはできないと分かっていて。それでも無念をはらしたかった。

 だから。正当な寄進があったと、証ひとつを立てることができるならば。

 私から望むことなど、他に何も無い。


 「さらに託されたものは無かったか?」


 偽造書類のご要求。

 手に入れておけば反論の要旨が分かりますものね。

 分厚い再反論を準備しつつ相手の粗を突くために。


 「いま一通ございました。しかしこれなる源博士さまに読んでいただいたところ、お粗末の限り。お手元にお届けせずともご用は足りるかと」


 江弁さまとふたりきりで会ったら伊勢がうるさいから……なんて、ふざけていられる余裕は無かった。

 必要があるから同席してもらった。そのこと、御簾の向こうにも明らかに告げる。


 「なるほど、偽造書類まで提出しては前関白さまの面目に傷を入れると。反撃を恐れているのか、紀朝臣? ならばこちらで秘密は……いや、守れぬなさすがに……だが実害が及ぶことのないよう保証しよう。主上に申し上げご内意をいただく」


 誠実な人だって、伊勢は言っている。

 それを贔屓目とまで言うつもりはない。ただただ「絶対に安全だ、任せろ」としか言わない人よりは、人柄を信用できることは確かだ。

 その能力も信ずるに足ると知った。信じてもらえるはずもないと、冷えた目で己を眺めることのできる人だもの。

 だからこそ。今度は私も本気で向き合う。伊勢の話を抜きにして。 


 「いまひとたび申し上げます。私は何も望みません。左衛門権佐さまが直に入手したものとしていただきますよう」


 御簾の向こうにある男が、ため息をついた。

 書類から面を上げこちらを真っ直ぐに見詰め直していた。


 「先に申したであろうが、国家の政が財が私されている現状は改めねばならぬと。信賞必罰は政の根本にあたるのだ。この書の重要性、お前には分からぬのか? 源博士、あなたなら分かるだろう? 権臣の横暴を正し国家の財政を建て直す、まさにその端緒。主上の御世はこれより始まる。弁官局に届ければ大功に……」


 言いさして口籠っていた。

 弁官局の誰に届けるか、それによって結果が変わりかねない現実に思い当たったんだと思う。

 ……口を拭って説得する能ぐらいお持ちでしょうに、それを選ばない。


 やっぱり、この人しかいないんでしょうね。


 この場は稚拙でも誠実な論法こそが有効と見抜く頭脳と、根っこの誠実さをお持ちの方。

 書類を預けても迷惑にならなくて、喜んでくださる方。


 「ならばひとつだけお約束くださいませ、お言葉を違えぬと。先に伺った『悪は大も小も挙げて許さぬ』、『みだりがましいことは許さぬ』とのお言葉を守り抜くと。私はそれだけを望みます」


 何が正義か、それは分からないけれど。この人が思う正義を。

 そしてもうひとつ……伊勢が赤くなった。

 ええ、みだりがましいこと――あなたをいい加減に扱うこと――は、絶対に許さないから。


 「私の抱負だ、改めて念押しされるまでもない」 


 おっしゃいましたわね?

 ならば。


 「私などが申し上げることではありませぬが、どうかお仕事にお励みくださいませ。お言葉を、お約束を違えぬ限り……」


 お願いします、源博士。


 「勾当内侍の名をもって、内侍司が敵に回ることはあり得ぬと申し上げます」


 今の私にはこれが限界。

 書類を利用する地位も力も能も無い。

 藤左少弁いえ、許せない男がいても、その脚を引っ張るなんて技は……その心も、持てそうに無い。


 だって宰相中将さま、権中納言さまの目を見てしまったから。

 右少将さまの真っ直ぐな行動を見てしまったから。


 伊勢が憧れるこの人も、ド汚い嵌め手で出世を目指すことはないと思う。

 背を押して諸大夫の頂点に駆け上がらせれば、それが藤左少弁への意趣返しになると思う。

 そう信じたいから。


 この話はこれでおしまい!

 すっきり新年を迎えます!


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