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第9話 友



 招き入れてもいないのに、御簾の内まで入られた。

 胸倉を掴まれた。近づく顔から漏れる呻きは押し殺されていた。でもその声は間違いなく叫んでいた。


 「なぜ? どうして書を渡さない!」


 その剣幕、間違いなく殺気だった。

 物怪に取り憑かれたことのある私には、今目の前にあるのは鬼だって、心で理解できたから。

 反射的にその手首を掴み引き上げてしまう。


 握り込んでいたはずの襟から呆気なく振りほどかれバランスを失った相手の体、その背中を取るのは容易なわざ。右手で左肩を掴み左手で後ろへと引き伸ばすようにして腕を捉えれば鬼でも人でも身動きは取れない。


 「書の内容も価値も分からないくせに! 馬鹿にして!」


 叫ぶ肺を潰さぬように、乱れ広がる黒髪を踏み千切らぬように背中から馬乗りになれば、ようやく一応の落ち着きを見せた。それでも引き起こそうとする私の手は跳ねつけられる。振り向こうともしない。

 

 背を見せたまま、伊勢は塗籠へといざり入った。

 秘められてあるべきことと十分に承知していたから。

 

 「蘭台さま以上の適任は無い! 私が繋ぎをつけた、それも分かってたでしょう!?」


 ようやくまともに向き合ったその目は大きく見開かれ、濡れていた。


 「そうね伊勢、すぐに分かった。あなたの好意だって」


 おかげで気持ちを整理できなくて。

 そんな動揺を見透かしたから、聡い男は、三事兼帯のあの男は強気で押して来た。

 その態度が腹に据えかねたから合理的な判断が下せなかった。

 そのこと否定するつもりは無いけれど。


 「なら、御簾の内にお招きすれば良かったわけ?」


 「好意」にも、それを認めようとしない伊勢にも、同じく小さな苛立ちを覚えていたから。つい口を突いたそれは言わいでもの当てこすり。


 「なっ!」


 ごめん伊勢、私が悪かった。

 だけど。ずっと肩を並べてきた、これからも一緒に過ごすことになる、やって行きたいって。あなたが大事な友達だってこと、それは本当だから。


 「伊勢を騙している、いえ『たぶらかしている』なら絶対に許せない。蔵人さまの言っていることが正しくて、それで本朝が良くなるんだとしても、あの書は絶対に渡せない」


 言葉に乗せた、私の精一杯の思い。

 通じなかった。


 見開かれた伊勢の目、真っ赤に染まってた。残業があっても徹夜しても、絶対に見せない顔だった。

 そのまま頬が歪む。せっかく収まった鬼の形相が帰って来る。


 「あの方は! なけなしの勇を振るって簀子縁に上げた私に向かって! 『東豎子とは、紀朝臣とは何なのだ』って!」


 友達だろうと親兄弟ですら、どうにもならない問題だったんだって。


 「それ、風流浮き心とは違うでしょ? あの男は国のこと、政治のことしか考えてない」


 だからこそ。私までが熱くなってはどうしようもない。

 茶化したり、さっきみたいに皮肉を言うべきでもない。

 落ち着いて、真っ直ぐに向き合わないと。向き合わせないと。


 「分かってる! 分かってても! 私じゃなくてあなたを見てるのが悔しくて! 切なくて! 張り裂けるんじゃないかってぐらいに胸が痛くて! でもそこで拗ねたり八つ当たりしたり、尊敬してるあの方の前で、そんなあさましい真似はできない!」


 「やっぱり、私への好意で橋渡ししたわけじゃないのね?」


 「あなたへの好意だけじゃなかった、それは認めるけど。でも、だけど。それが悪いって言うの!?」


 悪くなんかない。恋ってたぶん、そういうものだと思う。

 でも伊勢はまだ恥ずかしがっていて。恋だって、開き直って正面から認めることができなくて。


 「『寄る辺』を持ってるあなたに私の気持ちが分かるわけない! 何百年も代々ずっとご先祖がはっきりしてて! 実の親がいるあなたに!」


 目が眩んだ。

 血の気が引いてゆくそのさまが自分でも分かった。


 瀕死の危機を迎えているわけでもないのになぜか思い出が蘇った。

 幼き声が耳に響く。我と我が口から発せられた、たどたどしい声が。


 「おかあさま、私のおとうさまはどなたですか?」


 思い出の中にある母さまは若かった。

 若くて、今にも増して厳しい顔をしていた。よく通う男がいたと思うほど。


 「誰でもよろしい。東豎子の家に、わが紀家に夫や父は不要です」


 それは、ずっと忘れていた景色。

 子供ながら心の奥底にしまいこんでいたんだと思う。


 はるかに見上げる母さまの顔、気づけば黒一色に覆われていた。

 視界が上から黒くなる、これ気絶の前兆だって経験がそう告げていたけれど。

 最後まで食らいつけ、諦めた時が身の終わりだって。そう育てられてきたのは我が身の不幸。


 「親がはっきりしてるのはどっちよ! 誰も言わないだけで、立派な両親から生まれたあなたに何が分かる!」


 肘から落ちながらの捨て台詞、叩き付けた時には遅かった。

 鬼から人に返った伊勢は、後悔と謝罪の表情を見せていて。

 心臓が軋んだ。跳ね上がった。後悔に血が上ってどうにか気を取り直し……同じ表情で見詰めあったのも束の間のこと。


 泣き崩れて逃げるか? ずるいよ伊勢、それは。

 私はどうすれば良いの?


 「ごめん。卑怯だった。認める。私、あの方が好き。あの方の生き様に憧れてる」


 そうやって、すぐに立て直す!

 あなたのそういうところ、涙に逃げないところは好きだけどさ。


 「血筋で、家柄で全てが決まる世の中で、あの方は学問に励んで身を起こした。主上のご信頼を勝ち取り、国政を改めようって……寄る辺を、自らが拠って立つところを、己の手で作り出そうとなさっていたから」


 でも、もう少しこう、さあ。

 甘やかな物腰とか、情感豊かな物言いとか。いろいろあるでしょ?


 「己を憐れむことが恥ずかしくなった。それで、私も頑張ろうって。出世して己の居場所を作ろうって。お仕事に励むうちに、あの方の大きさが分かって、尊敬するようになって」


 陰ながら慕うようになった、か。

 あらまあ、おくゆかしい。これは本物みたいね……。


 「書の話を持ち込まれた時、ああ、これであの方に会えるって。いえ、逢うって言うんじゃなくて。お声を聞ける、お話することができるって」


 真っ赤になって、いつのまにやら顔を扇で覆っていた。

 そういうとこがどんくさいのよ伊勢は! 


 「私に嫉いてる暇があったら、そこでお誘いの歌でも詠めばいいじゃない! 得意なんだから!」


 「ちょっと、人を浮かれ女みたいに言うのやめてくれない!?」


 歌が得意って言ってんの! お誘いが得意だなんて言ってない! 脳みそ甘葛漬けか!


 「安心しなさいって。あの男は無いから。向こうだって誘う気もないでしょ。あの手の男は政治とか出世にしか興味無いわよ。女を口説くとしたら、それを梃子にして情報を得ようとか、そういう下心だって」


 「あの方を悪く言わないでよ!」


 あ、ダメなヤツだこれ。


 「伊勢あなたのために言ってるの! 騙されて身を許したら良いように扱われてポイ、そういう男にしか見えない!」


 ちょっとばかり採点が辛すぎるかとも思ったけど、恋愛ボケしてる伊勢のためにはこれぐらい言っとく必要があると思った。

 抜け駆けされたようで悔しいとかそんな気持ちではありませんことよ?


 「分かった分かった。書類とか、後宮の情報とかを釣り針にして、こっちが良いように振り回して差し上げれば良いんでしょ? 見てなさいよ?」


 ようやく涙を拭いた。笑顔を見せてくれた。

 そうそう。私たちはただでさえ男顔なんだから。泣いたり怒ったりしたら目も当てられないって。


 「あなたにできるわけ? そんな器用な芸当」


 せめて愛嬌振りまかないとさ、恋なんてできやしないの。


 「あなたこそ。恋多き阿閉宿禰さまと一緒に仕事してるくせに何も学んでないじゃない」


 痛いところを突く! そういうところが可愛げ無いって言ってんの!

 でも、ま。それぐらいの余裕は必要よ。我ら女官はただでさえ仕事が忙しいんだから。恋愛でも過剰な心労を負ったら身が保たない。

 恋のお話なんてのはね、おいしいものでも口にしながら楽しむに限るのよ。


 「お血筋かしら、小姫さんももてるもてる。ほんと、うかうかしてると私たちどんどん置いてけぼりになっちゃう」


 「一緒にしないでくださいますぅ? 我が身に覚えがないからって人の恋ばかり取り沙汰するなんて、わびしいにも程がありません?」


 調子取り戻しすぎだろ。

 そういうこと言うヤツは振られて泣けばいいのよ!

 ……本当に伊勢を振ったらぶん殴るけどな!


  

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