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俺、吸われる。

 俺は幼稚園の頃、体操教室に通っていた。でもすぐやめた。小二のころも、水泳教室に見学に行った。空手も習っていた。一日限りの指導体験だったけど。何かを始めては何一つもやり通せなかった俺だけど、何か一つでもうまくできていれば、何か変わっていただろうか。

 天井は明るい。白いバレーボールが勢いよく飛びあがり、電灯の光を背に浴びて、落ちていく。俺はそれを間の抜けた顔でながめていた。頭の中ではずっとイメージしていた。俺が、あのボールを受け、鋭いスパイクを返してやることを。

「伊勢谷!」

 ろくにしゃべったことのないクラスメートの怒号が響いた。その瞬間、俺は目を見開いた。それと同時に、周りのざわめきや、シューズの床に擦れる音が耳に響き始める。

 間抜けに両手を上に伸ばして、「あ」と言った。ボールは手の先を軽くかすめて、地面に落ちた。

 笛が鳴る。

 ゲームセット。

 俺のせいで、うちのチームが負けたみたい。

 卑屈に口を歪めていると、いくらかの視線がいたい。チームメイトの男子や、それを見守っていた女子たちだ。でも文句は言ってこない。そこまでの関係ですらないからだ。

 俺は、うつむきながら、壁際に置いてあった水筒を手に取った。隣でしゃがみこんで友人と談笑していた女子の一人が、俺の方を見ていた。多分、軽蔑するような視線を向けていると思うからそっちは見ない。くらくらする。口を開けて水筒を飲む動作さえ、恥ずかしいもののような気がした。逃げるように、教室に戻った。体育館の出口の「二年生球技大会」という白い幕に書かれた文字がなにやら呪いの言葉のようだった。

 教室は暗くて誰もいない。と思ったけれど、教室の隅っこで猫背になってカチカチと手を動かしている少年がいた。よくみると眼鏡のレンズに、ゲームの画面のようなものが反射して見えた。

「中村君」

 呼びかけると、彼はこちらを向いた。

「君も逃げてきたのかい」

少しだけ愉快そうに笑うけれど、ぎこちない。俺も同じくぎこちない笑顔を返す。

「……まあ、僕のせいで、負けちゃったから」

「うまくいかないもんだよ」

 彼はぼそっと呟いた。

「何のゲーム、それ」

「一般的な横スクロールアクションさ」

「面白いの」

「ストーリーがね、いいんだよ」

 俺は画面をのぞき込む。

「空っぽの世界に一人の巫女が幽閉されてしまった。それを助けるために主人公はその世界にやってくるわけだが、謎がたくさんあるんだ」

「へえ」

 いまいちストーリーの良さが伝わってこないけど。

「伊勢谷君って、休み時間はよく本を読んでるけど、何を読んでるの」

「え、ラノベ。最近は異世界ものとかかな。やっぱり」

「異世界ものか、最近人気あるよね。平凡な主人公が、何か力を得て、別の世界で大活躍。伊勢谷君も、エルフとかに会いたいの? 」

「別にそんな願望があって、読んでるわけじゃないよ」

「ほんとかい」

 彼はしゃべりながらも、画面から目を離さない。画面の中では、ドット絵のキャラクターがピョコピョコ動いている。……やっぱりあんまり面白そうには思えない。

「君だって、ゲームのヒロインを実際に助けに行きたいとは思わないでしょ」

「いや、僕はできることなら、助けてあげたいよ」

 しかし、彼は言った。

「囚われの巫女は、何もない場所で寂しく生きてるんだぜ。救ってあげたいじゃないか」

 俺は、その言葉をどう受け止めるべきか悩んで、曖昧に笑うことにした。何が寂しいって、そういうことを願ってしまうのが寂しいことだろうに。


 学園祭とか、球技大会とか。俺はそういう皆で何かをするのは嫌いだ。俺はいつだって隅っこの方で、自分が何かへまをしないかを必死に案じている。それで、俺は周りみたいに楽しめない。陽キャ陰キャというくくりは嫌いだけど、その言葉を使えば、俺は紛れもなく陰キャだ。そして、俺は劣っている。生きるのが非常にへたくそだと思う。

 何がどうしてこうなったのかということは、結構考えた。俺の家族は全然根暗じゃない。父も母も、明るい人で、姉は、その明るさをかけ合わせたようなとびきり元気な女の子だ。

 だから俺がこうなのは、きっと育った環境のせいじゃなくて俺自身のせいなんだろう。親と離れて、学校で、部活での自分のふるまいをもっとよく考えなかった俺のせい。運動も勉強も友達作りも、面倒くさがって中途半端に済ませていたせいだ。

 さんざんだった球技大会の帰り、俺はすさんだ気持ちを抱え自転車を漕いでいた。空には雲が浮かび、沈む夕日に照らされて、琥珀色になっている。キャラメル味の綿菓子みたいだ。そんな綿菓子があるのか知らないけど。

 きれいな景色は、独りぼっち暗い気持ちによくしみるけど、なんだか今日は心が癒されない。

 車輪がザラザラの路面にこすれ、俺の体は小刻みに揺さぶられる。その振動さえにも、いらいらしてしまうありさまだった。

 小学生が草野球をしている河川敷を通り過ぎ、でっかい病院が見えるころ、俺はこのまま家に帰るか悩み始めた。帰ったところで、まだだれも家にいないだろう。両親は働いているし、姉はサンタクララにいる。

 自宅につながる分岐を無視して俺は大通りをそのまま進んだ。しばらく行った先に、小さな神社がある。界門神社。通っていた中学校に近く、俺は嫌なことがあったときは、そこに逃げ込んだ。とてもいい神主さんがいたのだ。中学のとき、一度だけ家出をしたことがあったのだが、そのときもそこに逃げ込んだ。

 自転車をそばの予備校に無断駐車。長い石造りの階段を上って、木々の間を潜り抜ける。やがて、階段は大きくうねり、境内へと俺を導いた。鳥居をくぐると、ひび割れた石の床の上に、枯れ葉が静かに踊っているのが見えた。人っ子一人いないし物音ひとつしない。賽銭箱の横の段に腰を下ろすと、しーんと静まり返った空気が俺のすさんだ心を静めた。

 中学生のころ、俺の相手をしてくれた神主はもういない。死んだ。竹箒を片手に黙々と地面を掃いていた巫女さんも、どこかへ消えた。しかし、ここは変わらず俺の憩いの場だった。

 「助けて」

 ひゅうひゅうと音立てる風とともにかすれた声が混じった。俺はびっくりして、辺りを見回してみたけれど、声の主はみえない。空耳だろうか、と思い直して、正面の鳥居を向き直った。

 「助けて」

 しかし、今度ははっきりと、しかも、正面の、古ぼけた鳥居の方から聞こえてくる。俺は立ち上がった。鳥居の真下の空間が、水面のように波打って、キラキラしているような気がしたのだ。息をのんでおっかなびっくりゆびさきを伸ばすと、波紋が広がった。指を突っ込むと、先っぽが透明な水面に沈んだように、すっかり見えなくなってしまう。

 「助けて」

 相変わらず声が聞こえる。女の人の声だと、このときはじめて意識した。

 「なんだこれ」

 自分の指先と、鳥居とを見比べて、愕然とした思いでいると、いきなり、鳥居の中に身体が倒れこむように傾ぐ。強い力で引っ張られている、と気づいた。この鳥居は俺を吸い込んでしまおうとしているのだ。肩から腕がずぶずぶと虚空に沈んでいくのを見て、俺は、鳥居の柱に手を掛け、ろくに筋肉のついていない足腰で踏ん張ろうと力んだ。しかし、ダメ押しをするかのように、鳥居の吸い込む力は大きくなっていく。加えて、柱に必死にしがみついている惨めな自分に対する「おれなにしてるんだっけ」的な雑念のせいで、しがみつく力が弱まって、俺は鳥居の中にすっかり飲み込まれてしまった。

 目の前が真っ暗になる。神社の落ち着いた景色がすっかり消える瞬間、俺は自らを哀れんだ。どうして、俺はこうなんだろう。いつから、誰のせいで俺はこうなんだろう。自分のせいだけじゃ、やっぱり納得できない。

 「助けて」

 助けてほしいのはこっちだってば。

 混濁する意識の中、心の中でそんなことをひとりごちた。

 

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