中田先生
人は、
人の中に、
色々な出会いや別れの中に、
人のつながりの中に存在するもの。
自分にとってかけがえのない大切な大切な人が、
たとえ今、目の前にいなくとも、
心の中には確かに生き続け、
感謝や愛が強ければ強いほど、
決して色あせることはない、ということを、
今、心の中に存在している方々に、教えていただきました。
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今回は、そんな心の中で私を支えてくださってくれる方の一人、
中田先生をご紹介いたします。
中田先生は、小学校1年生の時の担任の先生でした。
定年前の大ベテランのおじいちゃん先生で、
子どもたちからも保護者からも深く愛され、尊敬され、一目置かれる、
優しさに包まれた先生でした。
中田先生の授業自体は一つも覚えていないのですが、
(すいません。ぺこり。)
覚えていることは素敵なことばかり。
授業中に手品師のように紙を一枚取り出して二つに折り、
広げた紙の左右を両手でしっかりと持ったと思ったら、
右手を右方向に、左手を左方向に引いて、
バン!という爆発音とともに紙を切断!
その切れ目は、
まるで機械を使って切断したかのようにシャープで美しく、
ほーっ!スゴイ!!!と、
目を見開いて、
先生、すごーい。もう一回やって、やってー!と
何度もおねだりをし、
その度に中田先生はニコニコとそしてかっこよく、
紙をバン!と二つに切ってくださいました。
また休み時間には、
タバコを取り出して、
(今では考えられないことでございますけれども、
40年前はそういう時代だったのですね。)
口の中に煙を含み、
口を開けてほの字の形を作ったと思ったら、
ほっ、ほっ、と上手にドーナツ型の煙を吐き出されました。
これまた感動した私は、
先生、もう一回!もう一回!
また、ほっ、ほっ、ていうの、やってー!
と休み時間中は何度もお願いをして
ドーナツ型の煙が立ち上ってゆく様子を眺めたものです。
図工の時間に絵を描くと、
とにかく褒めてくださいました。
図画工作展、出展作品(38cm X 54cm)
絵を描くことが楽しくてしょうがなかったのは、
中田先生からいただいた絵心が続いたのは、
小学校の2年生まで。
その後は、心がパタリと閉じてしまったかのように、
全く絵が描けなくなってしまいました、が、
今でもあの時の興奮は引き出しを開けるとすぐに蘇ってまいります。
中田先生(38cm X 54cm)
またある時、先生はおっしゃいました。
じゃ、今日は、作文を書いてみようか。
ほら、これが原稿用紙だよ。
一マスに一文字づつ書いてゆこうね。
テーマは何でもいいよ。
わぁ!楽しそう。
何書こう・・・
ドキドキしました。
そうだ、昨日の日曜日のことを書いてみよう。
きょうは、にちようびです。
あさ、おきました。
パパに「おはよう。」といいました。
パパも「おはよう。」といいました。
ママはまだねていました。
おなかがすいていたけれど、まちました。
・・・
などと書きはじめたところで授業が終わってしまいました。
クラスメートのほとんどは、
もう書き終わって提出していました。
えー、まだ朝ごはん食べるところにさえ行っていない、
とほんの少し焦りましたが、
最後まで書きたいという、気持ちでいっぱい。
やる気だけは満々です。
放課後、一人教室に残って、
作文の続きを書き続けました。
教室の中が、だんだんと夕焼け色に染まっていきます。
中田先生は、一枚では足りない子供達のために、
予備の原稿用紙を用意しておいてくださったので、
何回も何回も先生の机に新しい原稿用紙を取りに行きました。
とにかく、夢中でした。
どこか別の次元に行ってしまったかのように感ぜられました。
パパが、つりにいこうか、といいました。
わたしはいいよ、といいました。
いもうとも、うん、といいました。
・・・
ある日曜日の出来事を朝、起きたところから書きはじめ、
とうとう、夜、布団に入るところまで書き終えました。
原稿用紙にして11枚。
その達成感。
わたしは、
一つのことをやり遂げた心地よい疲労感に包まれて、
夕暮れの教室の中で、
一人、心から幸せでした。
後から母が教えてくれたことには、
懇談会の時に、作文を11枚書いた子がいたと先生がおっしゃっていた、と。
小学校1年生の子供にとって、
物事を順を追って文章で書くことができるというのは素晴らしいことです、
と褒めてくださったとのこと。
朝食べたもの、だの、
会話、だの、
トイレに行きました、だの、
そんなことしか書いていないのに褒めてくださった中田先生。
言葉に対する劣等感の塊のようなわたしが、
今、こうして文章を書こうという気持ちになったり、
ドイツ語やら英語やらを日常的に使わなければならない環境でも何とか生きていっているのも、
あの時中田先生に、
引き出していただいたもの、
経験、体験させていただいたもの、
それがしっかりとリソースとして存在しており、
今も尚、力をくれているからに他なりません。
またある時、先生は言いました。
今日は「もくひょう」を書いてみよう。
先生は「もくひょう」がどういうものか、
丁寧に説明してくださいました。
短冊型の色画用紙が配られ、
皆、それぞれ自分の「もくひょう」を書き込みます。
書いたもくひょうは、後ろのボードに貼っておこう。
先生は言いました。
さてはて、大変なことになったぞ。
文字通り、うんうんと、唸るように考え込みました。
わたしは何を目指しているのだろう・・・
どこに向かおうとしているのだろう・・・
周りを見ると、皆スラスラと書き込んでいるように見えます。
その時間を目一杯使って考え込み、
時間ギリギリになって、
よし、と、気持ちを固めて短冊に言葉を書きました。
「つよくなりたい。」
初めての「もくひょう」を考えていた時に思い浮かんだのは、
イメージのようなものでした。
その時、わたしに見えたものは、
心の達人の象徴のような像。
何か、揺るぎのないものに包まれた魂の宿った人物。
これだ!と、強く思いました。
わたしはこれになる。
わたしの「もくひょう」はこの人だ、と。
でもこの人のことを、なんて書いたらいいのだろう・・・
そこで書いた言葉が、
「つよくなりたい」だったのでした。
後日、皆の目標を見て、びっくりします。
クラスメイトたちは、
「なわとびを100かいとぶ」だの、
「さんすうをかんばる」だの、
「テストで100てんをとる」だの、
具体的な目標ばかりで、
自分の「もくひょう」だけ、なんだか浮いているように見えました。
自分だけ違う種類のことを書いているので、
恥ずかしくなっているときに、
中田先生は、言いました。
「いいもくひょうだね。」
中田先生は、
何もかもわかっていらっしゃるかのように、
ニッコリと声をかけてくださったのでした。
恥ずかしさが先に立って、
その後はもうこのような目標を書くことはなくなってしまいましたが、
この時浮かんだ「像」は、今でもわたしの中に確かにあります。
それから今までの、40年弱の歩みは、
2歩進んで3歩下がるかのような時間を積んできてしまったので、
小学校1年生のあの時のあの「もくひょう」であるはずの像からは、
実際にはますます遠ざかるばかり。
また、早い段階に到達できない領域であるということもわかってしまいました。
ただ、たとえその領域に行き着けなくとも、
心にその像を持ちつつ、
ジタバタと模索し続けるのも悪くないな、と。
わたしの中の魂の像なるものは、
中田先生からの贈り物、だと想っております。
先生は、いつでも、
子供の中にある、小さな原石を見つけ出し、
ほら、磨いてごらん、と経験する機会を与えてくださり、
そして、大丈夫、できるよ、と励ましてくださいました。
中田先生
たくさんの貴重な贈り物を本当にどうもありがとうございます。
今、中田先生からいただいたそれらは
わたしの大事な大事な宝物たちです。