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暴竜再臨  作者: 瀬川弘毅
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4 村上蒼真の章

 海沿いの道路をひた走る、漆黒のバイク。それに跨った一組の若い男女。けれども、どうやらデートといった雰囲気ではない。

 男の腰には親しげに腕が回され、女はリラックスして身を委ねている。一方で彼らの目線は決して交差せずに、絶えず辺りを見回していた。

「この近くのはずなんだけどな」

 直線に近い道を走りながら、村上蒼真は軽く首を傾げた。左手には午後の日差しを反射した海が、右手にはまばらに住宅が立っている。

 スパイダープランが実施され、陸地の大部分は彼らの編んだ糸で覆われた。その下で人類は、紫外線と温室効果ガスの悪影響をほとんど受けずに生活している。ただし、陸と海の境目であるこうした場所は微妙なラインだ。頭上に張られた巣が途切れ途切れになったり、ときには破れたりしている箇所もある。基本的に内陸部を移動することが多いスパイダーは、僻地に張られた巣についてはあまり補強しないのだ。

 村上としても、できればこういった場所には来たくなかった。通常より強い紫外線に長時間晒されるのは、健康に良くない。前世紀には栄えていたらしい海水浴場にも、皮膚ガンを恐れて人々はほとんど寄りつこうとしていない。左に見える砂浜にも、人影はまばらだった。

「早いところ見つけないとね」

 同乗者の三浦怜奈が、小さく頷く。彼女もまた、肌が焼けるのを気にしているようだった。日焼け止めを塗っているし、さらにヘルメットを被っているのだから大丈夫だろうと村上は思うが、年頃の女性の悩みが理解できないほど、彼は鈍感ではない。

「ああ。分かってる」

 さっきから近辺にくまなく目をやってはいるのだが、特に怪しい人物は見受けられない。そのうちに漁村が見えてきた。

 スパイダーの巣に守られた陸から離れることになるため、一昔前よりも漁業はさらに過酷な仕事となっている。その影響で、今では魚の値段もだいぶ高くなっている。紫外線から身を守るべく、厚着をした漁師たちを何人か見かけた。

 もっとも、最近では大気中の温室効果ガスを削減すべく、世界全体が環境問題に取り組んでいる。破壊されたオゾンホールを復元しようとする試みも、各地で行われているそうだ。

 何しろ、スパイダーの巣が崩壊するまでの猶予はあと一年しかないのである。NEXT解体の時点であと五年と言われていたタイムリミットも、残り僅かとなった。

 各国が取り組みを重ねている現状、巣がなくなってもさほど生活に支障は出ないと報道されている。だが、こうした糸の層が薄くなっている地域では、やはり日差しが強く感じられるのだった。

 糸が崩壊するときに振ってくるエキスへの対応策も、実施する必要がある。あの液体を浴びた人間は、スパイダー同様の白く硬い皮膚をもった、人ならざる存在へと変貌してしまうのだ。村上は実際に目にしたことはないが、討伐隊の和泉らは、NEXTの科学者たちがおぞましい姿へ変身するのを目の当たりにしたと言っていた。

 政府は、タイムリミットまでに可能な限り大気環境を改善し、かつスパイダーの巣を処理するつもりらしい。一定量の日光が当たる前であれば、糸はただの頑丈な繊維にすぎない。軍と討伐隊で総力を挙げて巣を破壊し、回収した糸を専用の処理施設で保管するという。

 これからの地球環境について束の間思いを馳せていた村上を、怜奈の声が現実に引き戻した。

「ねえ、あれ」

「ん?」

 徐々に減速し、バイクを路肩に止める。ヘルメットを脱いで彼女が指さした方向を見ると、女が一人佇んでいた。波打ち際に立ち、ぼんやりとした表情で海を眺めている。

「こんな寂しいところに一人で来てるなんて、ちょっと怪しくない?」

 疑わしげに言う怜奈に、村上はすぐには賛同しなかった。

「いや、分からないぞ。写真を撮りに来ただけかもしれない」

 女は、首から一眼レフカメラを下げていた。ちょうど夕日が海に沈もうとしている頃である。彼女は地元民には見えないが、この光景をシャッターチャンスだと思い、宿から飛び出してきた旅行客である可能性はあった。

「少なくとも、夕日を撮ろうってわけじゃないと思う」

「どうしてだ?」

 首を傾げた村上に、怜奈は丁寧に説明した。

「太陽を直接見るつもりなら、遮光板か何かを使わないと目をやられちゃうでしょ?でも、あの人は特に何も用意してない」

「素人ならともかく、高性能なカメラまで持参しているマニアのすることじゃない…か」

 二年も付き合っていれば、お互いの言わんとしていることは何となく分かるようになる。村上は台詞の残りを引き継ぎ、合点がいった様子だった。何度か軽い喧嘩をしたことはあるものの、二人は概ね順調に愛を育んでいるといえた。

 さて、では女は一体何を撮影しようとしているのか。

「もしかして、カメラは観光客に見せかけるためのカモフラージュなんじゃないか」

 ふと思い当たり、村上は呟いた。彼女が撮りたいのは海辺の風景などではない。いや、そもそも撮影が目的ではない。性能の高いカメラを望遠鏡代わりに使い、怪しまれることなくターゲットを観察するのが狙いなのではないか。

 注意深く女を身張っていると、やがて彼女は体の向きを変え、右を向いた。その視線の先を、村上たちも追う。一隻の漁船が、遠くに見える港を出発したところだった。

 女が素早くカメラを構える。船に乗っている漁師たちの顔を、望遠レンズを使って確認していく。探していた若い男を認めると、彼女はカメラを下ろした。

 「見つけた」。声こそ聞こえなかったが、女の唇がその形に動いたのを、村上は見逃さなかった。

「そこまでだ」

 海に向かって、女が嬉々として走り出す。その背に呼びかけ、村上が後を追った。怜奈も彼に続く。こちらを振り向いた女は、胡散臭そうに二人をじろじろと見た。

 年齢は三十代くらいだろうか。スレンダーな体型に、白いワンピースとサンダルがよく似合っている。茶色に染めた長い髪には艶があり、身だしなみに気を遣っているのだろうことが窺われた。鼻の低い顔立ちはやや幼く、実年齢よりも若く見える。

「あんたか。このところ、第三世代をさらっているという能力者は」

 砂浜を踏みしめて歩き、少しずつ距離を詰めながら問う。村上の気迫にも怯まず、女は微笑を浮かべた。

「何のことかしら」

「とぼけても無駄だ」

 彼我の距離は五メートルもない。村上は一旦足を止め、さらに言葉を重ねた。

「さっき、あんたが観察していた男は俺の顔見知りなんだ。エドワードから警察が押収した能力者のリストにも、彼の名前は載っている」

 彼女が狙っていた男は、かつてエドワードの手駒にされたサード・ジェネレーションの一人。確か、クワガタムシの異能を持った男だったと記憶している。集会で何度か顔を合わせていた相手だ。能力者がその常人離れした筋力を活かし、肉体労働の仕事に就くことは多い。第三世代の仲間にも、そうした道に進んだ者が一定数いる。彼もまた、例にもれなかった。

「調べはついているというわけね」

 観念したように、女がため息をつく。同時に愛想笑いを消し、残忍な表情を垣間見せた。

「どうして能力者を誘拐したりした。何が狙いなんだ」

「あの人の期待に応えるためよ」

 ためらう素振りも見せず、彼女は答えた。あの人とは誰なのか、今の時点での村上には察しようがなかった。

「NEXTが解体されて、上層部が隠していた計画を知ったとき、あたしは愕然とした。そんな人道に反したことが水面下で進められていたなんて、知らなかった。でも、あの人はあたしの間違いを正してくれた」

 女の笑顔からは、時折狂気じみた気配が滲んでいる。洗脳されている、と村上は直感的に思った。推測だが、エドワードが使っていたのと似た手法でマインドコントロールを受け、操られているのではないだろうか。

「NEXTは正しいことを成そうとしていたの。そして、あの人は今再び、考えられる限り最高の善を行おうとしている。あたしはただ、彼の力になりたいだけ」

 洒落たデザインのポシェットから、女は小型の注射器を取り出した。中には、灰色のガスが渦を巻いている。中身の相違こそあれ、村上や怜奈に対してエドワードが使ったものに酷似していた。

 その針を、ワンピースから露出した腕に突き刺す。ガスが肉体に注入され、彼女の肉体が変化を遂げた。頭部からは、背ビレを思わせる鋭利な突起が伸びる。両の手首からも、カッター状の群青色のヒレが生えた。また全身の筋肉量が増大し、速く泳ぐことに最大のパフォーマンスを発揮できるように発達する。

 昆虫の特徴をそなえた、第三世代ではなさそうだった。村上たちサード・ジェネレーションは、変身に伴う外見的変化がほとんどない。それに比べて彼女は、目立った身体的特徴を持っている。

 ならば、第一世代か第二世代か。しかし、和泉蓮ら以外の者は戦いの中で散ったと聞いている。

「邪魔をするのなら、まずはあなたたちから消してあげるわ」

 イルカの能力者へと変化し、女は村上へと殴りかかった。一瞬で間合いを詰め、右腕を振りかぶる。

「―『能力解放』」

 勢いよく繰り出された拳を、村上の左の掌が受け止める。白煙に包まれたのち、アメンボの能力者は女と対峙し、敵を睨みつけていた。全身の筋肉が発達した以外に、特に外見の変化はない。だが今の彼は、普通の人間を凌駕した力を発揮できるのだ。

「悪いが、とことん邪魔させてもらうぜ」

 攻撃を防がれ、女は動揺を隠せない。その隙をつき、村上は腕にいっそう力を加えた。イルカの能力者を押し出すようにして、波打ち際へと追いやる。

 水上滑走の異能を誇る村上にとって、海は自身の能力を限界まで引き出せる場所だ。横に跳び、足を海面に乗せる。危なげなくバランスを取り、アメンボの能力者は海上を滑らかに滑った。浅瀬に立った女が、ぎょっとしたように目を見開く。

「あんたを倒して、さらわれた能力者の居場所も吐かせてもらう!」

 威勢よく叫び、村上は一気に敵へと接近した。

 

 海面を滑り、迫るアメンボの能力者。彼に対し、女は潜水で対抗した。バタフライのようなフォームで海へ飛び込み、深く潜っていく。

 攻撃目標を見失い、村上は一旦足を止めた。彼の異能は手足の裏から浮力を発生させるという性質のもので、水面下に潜む敵への対抗手段は持っていない。自分も潜って追跡しようとしても、浮力が邪魔をしてしまう。かといって能力を発現させずに追えば、返り討ちに遭うだけだ。

 一瞬の間を逃さず、女はイルカを彷彿とさせる華麗なジャンプで飛び出してきた。死角から村上へと襲いかかり、体当たりを喰らわせてバランスを崩す。

「くっ」

 咄嗟に片足を後ろに引き、どうにか体勢を保つ。その頃には、女は再び姿を消していた。

 かと思えば、今度は反対方向から飛び出し、タックルを仕掛けてくる。横方向に滑ることで回避した村上を横目に、イルカの能力者はまた水中深くへと潜っていった。

 戦況は好ましくなかった。このまま延々とヒットアンドアウェイを繰り返されれば、自分の方が先に消耗してしまうだろう。

 一度砂浜に上がって仕切り直すという手も考えたが、村上は即座に却下した。そんなことをしている間に、女が目的の能力者を連れ去ってしまう可能性も否定できない。退くに退けない状況下で、村上は周囲の海面へとしきりに目を向けた。しかし、黒っぽい青に濁った海水は、その下に潜んでいるかもしれない襲撃者の姿を見せてはくれない。

 イルカの能力者が次に使ったのは、絡め手だった。出し抜けに村上の足元へ浮上し、彼の足首を掴んで水中に引きずり込もうとする。体勢を崩し、村上へ前のめりに倒れた。

 反射的に腕を海面へ突き出し、手のひらから浮力をはたらかせる。けれども、いくら浮力が作用しても相手の引っ張る力の方が強い。足先から徐々に海へと沈んでいき、村上は必死にもがいた。

「心配しなくても、たっぷり可愛がってあげるわ。海の底でね」

 いつの間にか耳元へ顔を寄せていた女が、蠱惑的な声で囁く。逆に言えば、顔を近づけられるくらいに村上の体は沈められていたということだ。

水中戦になることを想定し、彼女はワンピースの下に競泳水着を着こんでいたらしかった。今では、衣服の上からでもそれが透けて見える。イルカの異能を発現するには、これ以上にないコンディションだろう。

「…『能力解放』!」

 そのとき、今まで戦いの成り行きを見守っていた怜奈が動いた。意を決して海へと走り出し、カマキリの異能を解き放つ。両の手首から、ガラスのように薄い三日月型の刃が伸びた。

 高く跳躍し、右腕の刃を振り上げる。落下の勢いを加えた斬撃が、村上の足首を掴んでいるイルカの能力者を襲った。

「小娘が」

 女が舌打ちし、村上から両手を離す。手首から生えたカッター上のヒレを構え、怜奈の攻撃を迎え撃とうとした。

 だが、怜奈の方が一枚上手だった。ほとんど垂直に振り下ろされた刃の一撃は、生半可なガードで防げるものではない。刃とヒレがぶつかり合い、激しい火花を散らす。次の瞬間、イルカの能力者は衝撃を殺し切れずに吹き飛ばされた。海面すれすれのところを、慣性の法則に従って十メートルほども滑っていく。

 敵の意表を突いた攻撃を見事成功させ、怜奈は静かに着水した。彼女には、水際の戦いに活かせるような特別な能力はない。それは村上にも分かっていた。立ち泳ぎの姿勢のままこちらを見上げてくる怜奈に、軽く頷いてみせる。

「ありがとう。あとは任せてくれ」

 彼女の機転で生まれたチャンスを、無駄にするわけにはいかない。即座に敵へと向き直り、全力疾走で間合いへ踏み込む。はっと目を見開いた女が、潜水して逃れようとする。しかし、もう遅すぎた。

 スライディングの要領で海上を鮮やかに滑り、体を沈みこませた村上が渾身のキックを繰り出す。それを胸部に受け、イルカの能力者は苦悶の叫びを上げて砂浜へと打ち上げられた。


「ちょっと手荒かもしれないが、勘弁してくれよ」

 一応断りを入れてから、うつ伏せに倒れた女の側へ屈み込む。彼女の体を右膝で押さえつけて動きを封じてから、村上は尋問を開始しようとした。

「答えろ。あんたが誘拐した能力者たちはどこにいる」

「…申し訳ないけど、その質問には答えられないわ」

 敗北した屈辱を噛みしめ、女は硬く口を閉ざしている。埒が明かないな、と思った村上の耳に、微かな水音が聞こえた。海から上がった怜奈が、こちらへ近づいてきていた。その表情は何故か、ちょっぴりふてくされたようだった。

「村上君の、馬鹿」

「は?」

 思わず、間抜けな声を出してしまった。硬直する村上に、頬を朱に染めた怜奈は不満を訴えた。

「水辺で戦うことになるなら、前もって言ってくれたら良かったのに。びしょ濡れだよ」

「いや、俺にとっても想定外だった。悪い」

 きまり悪げに目を伏せ、謝罪の言葉を述べる。イルカの能力者の女性と違い、怜奈は水中戦に備えていたわけではない。村上はその能力ゆえに衣服が濡れる心配はなかったが、彼女は別だ。ブラウスとスカートが海水にぐっしょりと濡れてしまっている。下着まで透けていなかったのが、せめてもの救いか。

「しょうがないなあ」

 まるで、初デートの際のハプニングを追体験しているような錯覚に陥りかける。しかしあのときと違うのは、怜奈の機嫌がすぐに直った点だ。困ったように微笑み、村上の側へ駆け寄る。二人の関係は目に見えて前進していた。

 そのとき突然、彼女の目が驚きに見開かれた。

「村上君、避けて!」

 わけが分からぬまま、女から離れる。先刻まで村上がいた空間を一本の触手が通り過ぎ、先端が女の腕へと突き刺された。


 ザクザク、と砂を踏みしめる足音が響く。

 どこからか姿を現した一人の男は、触手を女から引き抜いて元の長さへと縮めた。男の背中からは触手が垂れ下がる他に、黒い翼も生えていた。能力者だ、と一目で分かる。

 何の根拠もなかったが、「この男が彼女の言う『あの人』ではないか」と村上は思った。そして、その推測は当たった。

「永山さん」

 黙りこくっていた女が、ぱっと顔を輝かせる。村上に押さえつけられていながらも懸命に身をよじり、彼の方へ視線を向けようとする。

「ごめんなさい。邪魔が入って、ターゲットの捕獲に失敗してしまいました」

 そう報告しながらも、口調には熱がこもっている。彼女の目は、愛しい人を見つめる目だった。

「別に構わないよ。雑魚を一匹取り逃がしたところで、僕の計画に大きな支障は出ない」

 永山と呼ばれた男は、親しげに応じた。第三世代の仲間を雑魚呼ばわりしたことで、村上は彼に反発心を覚えた。永山からは、エドワードと似て非なる臭いがした。

「それよりも、西岡君にはもう一つ頼みたい仕事がある」

 よく通る声で言い、彼は口を大きく開けた。蝙蝠の鋭い牙が覗くそこから、不可視の波動が放たれる。不意打ちを受け、村上と怜奈はよろめいた。彼らが怯んだ隙に、女は這うようにして永山の元へ近づいていった。

「ペガサス、セイレーンの異能は首尾よく回収できた。あとは君がメドゥーサの被験者になってくれれば、タスクは完遂される。引き受けてくれるかい?」

「もちろんです」

 即答だった。永山から新たに渡された注射器を、西岡はためらわずに受け取った。彼女は、自分が永山に愛されているのだと信じて疑わなかった。彼の頼みであれば、何だってやった。

 実際には、永山はエドワードの用いた手法を真似て西岡を操っているに過ぎない。彼にしてみれば、西岡直美の存在はせいぜい愛人程度だった。NEXTにいた頃の忠実な部下であり、都合よく操れる手駒であった。

 西岡が注射器の針を腕に刺す。白煙に包まれたのち、彼女の肉体が変貌する。茶色がかった長い髪、その一本一本が毒蛇に変わる。

「新手の敵か」

 怜奈を背後に庇うようにして立ち、村上が呟く。今度は水生動物の能力者ではなさそうだ。であれば、水際に誘い込んで倒すという得意戦法が成立する。幸先よく殴りかかろうとした彼を、西岡はじっと睨みつけた。

 刹那、アメンボの能力者の肉体が硬直する。金縛りにあったかのような感覚に、村上は抗えなかった。わけも分からないまま身動きをとれなくなった彼へ、メドゥーサが止めを刺すべく歩み寄る。


「―奴の目を直接見るな!」

 戦場を鋭く切り裂く声に、村上は我に返った。足元へ視線を落とすようにすると、徐々にメドゥーサの呪縛が解けていくのを感じられた。

 防波堤を乗り越え、一人の青年が砂浜に降り立った。彼のことを、村上は二年前の事件で知っていた。

「あんたは、確か…」

「討伐隊第十八班所属、佐伯雅也だ」

 簡潔に自己紹介を終え、佐伯は村上ら二人を見やった。

「墓参りからの帰りだったんだが、騒ぎを聞いて立ち寄った。これはどういう状況だ?」

「俺にもよく分からない」

 ようやく金縛りが解け、村上はぶるっと身を震わせた。自分の体が他人に支配されるというのは、あまり気分の良いものではない。

「そうか」

 佐伯は事態を傍観している永山を見て、メドゥーサの首より下を見た。一瞬の思考の末、彼は単純明快な結論を出した。

「ともかく、この能力者を無力化するぞ」

 言うが早いか、佐伯は右手に構えていた対スパイダー用ライフルを発砲した。勢いよく放たれた弾丸がメドゥーサに命中するが、傷一つつかない。石化した皮膚が衝撃を受け止めたのだ。

「奴の異能は、この石化能力。近距離の敵には毒霧も吐きかけてくるから注意しろ。さっきも言ったように、目を見ないことにも細心の注意を払ってくれ」

 防御されるのを見越していた様子で、佐伯がてきぱきと指示を出していく。司令塔じみた手際の良さに、村上は感心していた。

「詳しいんだな」

「昔、この能力者とは嫌になるくらい戦った」

 毒を浴びて生死をさまよったことがある程度には、佐伯にとってメドゥーサは因縁の相手だった。やはりライフルでは効果が薄いと判断し、銃を捨ててコマンドを唱える。黄色い毛に黒い稲妻模様の走った、虎の能力者がここに見参した。

「…行くぞ」

「ああ!」

 佐伯の号令に、村上と怜奈が頷く。第一世代と第三世代の共同戦線が、今ここに再び結成された。


 左右から佐伯と村上が近づき、挟み撃ちを試みる。それぞれが放った殴打を、メドゥーサは皮膚を石化させて防いだ。

 しかし、ここまでは想定通り。二人への対処に気を取られた隙に、背後から怜奈が斬りかかる。両手首から伸びる刃を交互に振るい、メドゥーサの頭部に巣くう蛇を何匹も切断した。飛び散った鮮血に、怜奈が僅かに顔をしかめる。

 蛇による毒液攻撃は、これで封じることができた。だが、メドゥーサは怯んだ様子を見せない。おそらく人間と同様、髪の毛には痛覚がないのだろう。怒りの形相でカマキリの能力者へ振り向き、口を大きく開く。繰り出された毒霧を、怜奈は横に跳んで間一髪で躱した。

(厄介な相手だ)

 ひとまず彼女が難を逃れたことに安堵しつつ、一方で村上は、この敵をどうやって攻略するか考えを巡らせていた。不利な条件下で工夫を凝らして勝つのは、彼の得意分野である。

メドゥーサに単純な打撃は通じない。頭部の蛇については怜奈が無力化してくれたが、口から毒を吐き出す攻撃は健在だ。毒を浴びないように攻撃を繰り返すのみでは、突破口を開くことはできないだろう。

村上には知る由もなかったが、メドゥーサは討伐隊が束になってかかってようやく倒せるレベルの相手だ。佐伯は二度目に彼女と―正確には先代のメドゥーサと―戦ったとき、撃退に成功している。しかし、これは多方向から銃撃を浴びせ続ける荒技によるものだ。そのときでさえ戦闘不能まで追い込んだわけではなく、あくまで「体を覆う石の鎧を破壊した」だけである。ましてや、銃で後方支援してくれる仲間がいない状況で倒すのは困難をきわめる。

一対一での戦いでメドゥーサの防御を破ることができたのは、彼女を喰らったラードーンの牙だけであった。

(秘密兵器を使うしかないか)

 ならば、こちらも出し惜しみはなしだ。存分にやらせてもらおう。

「怜奈、例のものを頼む!」

 村上の呼びかけを受けて、彼女は理解したようにこくりと頷いた。

 そして高く跳び上がり、砂浜から防波堤の方へと移動する。目指しているのは、村上がバイクを停めた場所だった。

「逃がさないわよ」

 徐々に遠く離れていく彼女へ、メドゥーサは再び毒霧を吐きかけようとした。しかしその頬に、死角から繰り出された佐伯のパンチが叩きつけられる。不意を突かれ、皮膚の硬化が遅れた。当然、猛毒の吐息も不発に終わる。

「よそ見をするな。貴様の相手はこの俺だ!」

ダメージを殺せずによろめいた西岡に、虎の能力者が猛攻を仕掛ける。最初に軽くジャブを放って怯ませ、次に本命のアッパーカット。下からすくい上げるような力強い一撃が、彼女の顎を捉えた。

けれども、今度はメドゥーサの方が早かった。衝撃が加わる一瞬前に石化を終え、威力を最小限に抑える。西岡はほくそ笑み、佐伯に向かって唇を開こうとした。


「…村上君!」

 そこへ、息を切らして怜奈が駆け戻ってきた。手にした一足の革靴を、村上に向かって放り投げる。難なくキャッチし、アメンボの能力者は手早く靴を履き替えた。

「何をするつもり?」

 メドゥーサは目の前の敵よりも、不可解な行動を取った第三者の方が危険だと判断したらしい。村上へ向き直ると大きく息を吸い込み、大量の毒霧を吐き出した。彼女の能力をフルに発揮した、最強の攻撃だった。

 横方向に広がる禍々しい紫雲は、能力者と言えども容易に回避できるものではない。普通であれば、そうだった。

 アメンボの能力者が右足を踏み出し、砂浜を軽く蹴る。その瞬間、カチリと小さな音がして革靴が変形した。ブーツ状になったそれは、対能力者用の特殊装備の一つ。かつて村上が政府軍から奪ったものだ。使用者の運動能力を底上げしてくれる、高性能な代物である。

 佐伯の所属する討伐隊は、軍と連携して動いている組織だ。ゆえに、彼の見ている前でこれを出すのは少々ためらわれた。けれども、今は敵を倒す手段を選り好みしている場合ではない。あとで小言を言われようが知ったことか。

 大地を強く蹴り飛ばし、村上は空高く跳び上がった。眼下には、メドゥーサの放った猛毒の霧が小さく映る。

「馬鹿な。一体、どうやってあれほどの跳躍力を…」

 西岡は動揺を隠せていない。全身の皮膚を石化して、こちらの攻撃にそなえている。それを打ち破るべく、村上は突き出した右足の先に全身の力を集めた。

「知らなかったのなら、覚えておくといい」

 莫大な位置エネルギーが加算された跳び蹴りが、メドゥーサへと真っ直ぐに放たれる。海辺に吹き寄せる潮風も、攻撃の勢いをさらに増した。

「―切り札は、最後までキープしておくものだってな!」

 一気に降下して繰り出されたキックが、西岡の胸部へクリーンヒットする。石化された皮膚が叩き割られ、灰色の破片となって零れ落ちる。メドゥーサの体は大きく吹き飛ばされ、波打ち際に力尽きたように倒れた。


 静かに着地し、ズボンについた砂を手で払いのける。西岡を無力化したことを確認すると、村上は改めて永山を見やった。彼は近くの岩場に座り込み、今まで事態を見物していた。西岡直美が窮地に陥っても、助けようとする素振りさえ見せなかった。まるで、彼女が負けることを予期していたかのようだった。

「次はあんたの番だ」

 村上に睨まれ、永山は大げさな身振りで肩をすくめた。ゆっくりと立ち上がり、薄笑いを浮かべる。

「おいおい、僕は君たちと戦うつもりはないよ。少なくとも、今はまだね」

 永山は出し抜けに背中の翼を広げ、村上たちの頭上を低空飛行した。気を失って横たわる西岡の側へ降り立ち、そっと触手を伸ばす。針が二の腕に吸い込まれ、血液が採取された。

「ここに来たのは、あくまでデータ収集のためだ。そろそろお暇させてもらおう」

 そう言うと、彼女の襟首を掴んで乱暴に立たせる。彼女を抱きかかえ、永山は大空へと飛翔した。

「待て」

 後を追おうと、佐伯が駆け出す。しかし、飛行能力を有する相手に追いつくのは簡単なことではない。ごく微小な点となって消える永山の姿を、ただ眺めていることしかできなかった。

 三人は変身を解き、荒くなった呼吸を整えた。

 さて、これからどうしたものか。とりあえず、討伐隊や軍に事態を報告する必要があるだろう。そう思った矢先、佐伯の携帯端末が振動した。

「もしもし」

 聞こえてきたのは、異様に切羽詰まった声だった。電話口の向こうで、相手は泣きじゃくっているに違いなかった。

『佐伯君、うちよ、森川よ。蓮君と渚ちゃんが、今大変なことになってて』

「何っ?」

 永山啓一が四か所で同時多発的に事件を起こしていたことを、まだ村上たちは知らない。

「実は、こっちでも一騒ぎあってな。とにかく、すぐに戻る」

 手短に通話を終了すると、佐伯は村上たち二人へ振り向いた。

「どうやら、相当まずい事態になっているらしい。お前たちの力も貸してくれないか」

「もちろんだ」

 二つ返事で村上が頷く。三人は防波堤を越え、海水浴場を後にした。佐伯は運転してきた自家用車に、村上と怜奈はバイクに跨る。運転先から顔を出して、佐伯がこちらを向いた。

「俺は直接、討伐隊の拠点へ向かう。お前たちはどうする」

「そりゃもちろん―」

 直行するぜ、と即答しかけた村上の袖を、後ろから怜奈がちょいちょいと引く。少しだけ頬を膨らませ、彼女はむっとした表情で言った。

「村上君の、馬鹿」

 本日二度目、人生で三度目となる台詞を叩きつけられ、村上は狼狽した。

「着替える時間くらい、あってもいいじゃない」

 海水に濡れてうっすらと透けているブラウスは、確かに着替えの必要性を訴えていた。気のせいだろうか、佐伯も彼女の衣服から意識的に視線を逸らしているように感じる。

「…先に行っててくれ。少ししてから合流する」

 気まずい空気の中、村上はしどろもどろに妥協案を出すのが精一杯だった。


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