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暴竜再臨  作者: 瀬川弘毅
1/6

1 和泉蓮の章

「汚された箱庭」から四年、そして「堕天使たちの愛」から二年。シリーズ最終章となる今作では、能力者たちの最後の戦いが描かれます。

それぞれ別のキャラクターの視点から書かれた四つの短編に、決戦とエピローグの章を加えた構成になっています。まずは、この「和泉蓮の章」からお楽しみください。

 都内某所。

 繁華街の片隅にあるカフェで、蓮は待ち合わせをしていた。二階席へと上がり、やがて目的の人物を見つける。

「お待たせしました」

 注文したアイスカフェラテをテーブルに置き、一礼してから席に着く。


 その向かいには、四十代前半と見られる女性が座っていた。パンツスーツをきっちりと着こなし、控えめながらも丁寧なメイクをしている。初対面の人間にも好印象を与えるポイントを、彼女はくまなく押さえていた。

「こちらこそ、お忙しいところ無理を言ってすみません」

 女性はにっこりと微笑み、名刺を差し出した。

「改めまして、フリーライターの宮川菜穂子です。本日はよろしくお願いします」

 蓮の警戒心を解くには、十分すぎるほどの笑顔だった。


 電話で取材を申し込まれたのは、つい三日前だ。迷う気持ちもあったが、「討伐隊のイメージアップにも繋がるだろう」との曽我部の判断で、申し出を受けることとなった次第である。

 話によれば、宮川は討伐隊とNEXTとの戦いの模様を、ノンフィクション作品として残したいのだそうだ。そこで、討伐隊所属の能力者である蓮に声がかかったのだった。


 もっとも、NEXT解体から四年が経った今になって取材を申し込んでくるのは、やや不自然とも思われる。しかし蓮は、二年前の事件で能力者への注目度が高まった影響だろうと考えていた。第三世代の能力者と政府軍が衝突し、痛み分けに終わったあの事件である。

 それでも多少は警戒していた。何しろ、今まで世間はほとんど能力者へスポットを当てて来なかった。二年前を皮切りに少しずつ関心が高まり、今日こうして初めて取材を受ける運びとなっている。


「和泉さんは当初、自分が能力者であることを知らなかったとか」

 宮川は早速テープレコーダーをセットし、会話内容を記録できるようにした。その上で、テンポよく質問を投げかけてくる。

「ええ、そうです。その頃はまだ討伐隊は政府軍と対立関係にあって、戦いの中で自分の力に気づいた、という感じですね」

 当時を思い出しながら、蓮は答えた。藤宮に痛めつけられ、苦しみの中で覚醒した異能。最初は何が何だか分からなくて、恐怖に襲われることもあった。 


 その藤宮が第二世代の能力者の手で亡き者にされてしまうことも、あの頃は知り得なかったのだ。

「能力者になった経緯についても、当時は分からなかった?」

「はい。見当がつきませんでした」

 首肯し、正直に述べる。

「真相が明らかになったのはずっと後、父が―和泉零二が軍の元から逃れ、討伐隊に身を寄せたときです。父の話によると、俺は元々身寄りのない子供で、NEXTに引き取られて能力者の被検体にされたそうです。養子として俺を引き取って育てることで、父は俺を守ろうとしていました」


「……親の心子知らず、ね」

 宮川は、曖昧な笑みを浮かべて言った。どこか歯切れの悪い様子だった。

「でも、あなたは父の思惑なんて知らなかった。だから反発して家を出た。そうでしょう?」

「はあ」

 少々困惑しつつ、蓮は応じた。彼女の口調に皮肉じみたものを感じたからだった。

「あなたが家出をしたとき、自分が能力者であることは知らなかった。これで間違いないかしら」

「大丈夫です」


 いよいよ雲行きが怪しくなってきたぞ、と蓮は思った。まるで取り調べをされているかのようだ。それほどにまで、能力者は一般人から奇異の目で見られなければならないのだろうか。

 宮川氏は、討伐隊とNEXTの戦いの記録を残したのではなかったのか。どうも先ほどから、蓮個人に関する質問ばかりになっている気がする。今や蓮は、取材を引き受けたことを後悔し始めていた。長くなりそうなら、適当な口実をつけて抜け出しても良いかもしれない。


 それからしばらくは、話題の軌道修正が行われていた。つまり、繰り広げられた戦闘の詳細についてインタビューがなされた。蓮も少しリラックスすることができ、ついさっきまで抱いていた疑念は半ば消えかけていた。

「最後に、討伐隊がNEXTの本拠地に乗り込んだときのことを聞きたいのだけれど」

「はい」

 笑みを消し、宮川は真剣な表情で切り出した。ここが取材の肝心なところなのだろうと思い、蓮も神妙な顔つきで頷く。

「ラードーン、と呼ばれていた巨大な能力者がいたわよね。ある筋から、彼を倒したのはあなただと聞いたわ。それは本当なのかしら?」


 彼女の発言には、いくつか奇妙な点があった。

 まず第一に、能力者の名前を知っていたことだ。事件のあらましはマスコミによって報道されているが、それはNEXTの行おうとしていた計画と、計画を未然に防いだ討伐隊の活躍を大衆に説明することが主になっている。能力者の具体的な名称を知っているのは、関係者に限定されるはずだった。何故、宮川が知っているのか。


 第二に、ラードーンのことを「彼」と呼んだことだ。性別不明、人間だった頃の姿すら分からない能力者に対して使うには、やけに親しげな響きが込められていた。

 けれども蓮は、この時点ではさほど深く考えていなかった。フリーのライターなら、極秘ルートで機密情報を仕入れることだって不可能ではないかもしれない。単に言葉の綾という可能性もある。


「はい。と言っても、正確には俺一人で倒したんじゃありません。討伐隊の皆、それから多くの能力者の協力があってこそです」

 蓮たちだけでは、ラードーンを倒すことはできなかっただろう。セイレーンが身を挺して竜の動きを封じてくれたおかげで、僅かながら勝機が生まれた。何より突破口を見出せたのは、至近距離から対スパイダー用ライフルを連射するという大胆な作戦を立てた、渚のおかげなのだ。


 謙遜してそう答えた蓮を、宮川は感情のこもっていない目で見つめた。

「先頭に立って戦ったのは、あなただということでしたけれど。ラードーンの頭部に銃弾を撃ち込み、倒したのはあなたじゃないんですか」

 一気に冷え込んだムードが場を包む。わけもなく、蓮は背筋が泡立つのを感じた。

「それは……そうかもしれないです」

 女性ライターに圧倒されそうになりながら、心なしか声を落として応じる。ふと違和感を覚え、蓮は顔を上げて宮川を真っ直ぐに見た。

(どうして、この人はラードーンが倒されたときのことを知ってるんだ)

 まるで、既に知り尽くしている事項の最終チェックを行っているかのような態度だった。


 宮川は蓮の返答を聞き、静かに席を立った。そしてスーツの胸ポケットから、小さなボトル状のものを取り出した。長さ数センチほどのそれの先端には、短い針がついている。

「今日はありがとう。聞きたかったことは全て聞けたわ。私の探していた答えもね」

 先刻までとは打って変わった、低い声音。愛想笑いを浮かべるのではなく、強い憎しみに歪んだ顔。テープレコーダーを殴りつけるように叩き、無理矢理にスイッチを切った。


「お、おい。何をする気だよ」

 驚き、後ずさった蓮の目の前で、宮川は小型注射器の針を二の腕へ突き刺した。容器の中で渦巻く灰色のガスが、体内へ注入されていく。

「決まってるでしょう?復讐よ」

 唸り声を上げた宮川の肉体を、ドレスのような形状をした半透明の皮膚が覆う。背中からは、毒針をそなえた無色の触手が何本も伸びていた。

「あなたは私の息子を殺した。今度は私が、あなたをこの手で裁く!」

 クラゲの異能を発現した宮川は、怒りを露わに蓮へと飛びかかった。



「待ってくれ。どういうことなんだ、俺があんたの息子を殺したって」

 咄嗟に横へ飛び退いて、蓮は宮川の突進攻撃を躱した。呼吸を整えながら問うも、彼女は聞く耳を持たない。背中の触手を伸ばし、蓮に毒針を突き刺そうとしてくる。

「仕方ない。――『能力解放』!」

 蓮の体が白煙に包まれ、金のたてがみを持つ獅子の能力者の姿へと変わる。発達した筋力を活かして手近な空きテーブルを持ち上げると、それを盾代わりに毒針を防いだ。


 触手を一旦収縮させ、宮川はテーブル越しに蓮を睨みつけた。

「文字通りの意味よ。あなたは私の息子を二度殺した。一度目は自我を失わせ、人として生きる道を閉ざした。そして二度目は、怪物になってしまった息子を殺めた」

 今やカフェ内は騒然としていた。パニックに陥った他の客が、我先にと出口から逃げ出して行く。店員らもどう対応していいか分からない様子だ。


「全然分からねえよ。分かるように説明してくれ」

「しょうがないわね」

 クラゲの能力者となった宮川は、苛立ち混じりのため息をついた。

「簡潔に説明するけど、あなたは元々ラードーンの器になる予定だったの。でも、あなたが家出したことでその計画は破綻した。代わりに選ばれたのが、私の息子だったというわけ」


 

 殴られたような衝撃を受けて、蓮は床が揺れているように錯覚した。しかし実際には、彼の足元がふらついているだけだった。

「じゃあ、もしかして父さんは、俺がラードーンの器にされるのを避けるために」

「それは違うわ」

 台詞を途中で遮り、宮川が否定する。

「あなたを器にする計画は、NEXTの上層部しか知らなかった。政府軍には一切知らされていない」


 次々に明かされる事実を前に、蓮は大いに混乱していた。だが一方では、冷静に情報を整理している自分もいた。

 家を出て討伐隊に入った自分を、政府軍は執拗に追ってきた。軍としては単に司令官の子息を連れ戻すつもりだったのだろうが、NEXTはおそらく違う。回収した能力者をベースにして、ラードーンの開発を行うつもりだったのだ。


 宮川の話が本当なら、最後の戦いのとき、ジェームズが自分をラードーンに変えようと試みたことも納得がいく。冷静に考えれば、あの状況でジェームズが専用の薬品を所持していたのはいささか用意が良すぎる。蓮が本来ラードーンの器たる存在だったのであれば、彼と戦う場面を想定して注射器を隠し持つくらいのことはしたであろう。


「第一世代の中でも、百獣の王の力を宿すあなたの力は卓越したものだった。器にするのにこれ以上適した能力者はいないとさえ言われたわ。でも、あなたが身勝手な理由で逃げ出したから、計画は頓挫したの」

 素早く前に踏み出し、宮川が右の拳を突き出してくる。テーブルから腕を離し、蓮はそれを左の掌でかろうじて受け止めた。束の間の均衡状態が生まれる。


「当時NEXTの研究員だった私は、『息子を最強の能力者にしてやる』とジェームズに騙され、代わりの研究材料として最愛の息子を差し出した。でも、あの子は」

 宮川が床を蹴って後方へ跳び、最低限の間合いを確保する。同時に背中の触手を限界まで伸ばし、蓮を狙う。

 触手の一本が足に絡みつき、回避しようとした蓮を転倒させる。その隙を逃さず、二本の触手が獅子の能力者へと迫った。脇腹に毒針を打ち込まれ、蓮は激痛に悶えた。


「……負荷に耐えられず、実験開始から一週間足らずで自我をなくした。人の心を失ったのよ!」

「ぐっ…」

 体に猛毒が回って呻く蓮に、宮川は冷酷な眼差しを向けた。

「痛いでしょう。苦しいでしょう。あの子はもっと苦しかったのよ」


 触手を縮ませ、蓮の体を近くへ引き寄せる。思うように体を動かせず、抵抗できない彼の胸部を、宮川は容赦なく蹴り飛ばした。喫茶店の壁にしたたかに体を打ちつけ、蓮は力なく崩れ落ちた。

「その上、変わり果てた息子を殺したのは他でもないあなた。あなたが逃げたせいであの子がどれだけ辛い思いをしたか、身をもって教えてあげるわ」

 とどめを刺すべく、宮川は勝ち誇った笑いを上げて、倒れた蓮へと歩み寄った。



「それを伝えるために、わざわざライターのふりをして俺に近づいたのか」

 絞り出した声は弱々しく、体には力が入らない。だが蓮は、強い意志を秘めた視線を宮川へと向けた。

 彼の気迫に押されたのか、クラゲの能力者が足を止める。けれども彼我の距離はあまりにも近く、彼女がその気になればいつでも毒針で仕留められる程度だった。


「悪かったよ。他意はなかったとはいえ、結果的にあんたの息子さんを傷つけてしまったのは俺の責任でもある。すまない」

 横たわったまま紡がれた言葉に、宮川が柳眉を逆立てる。

「謝って済むとでも思ってるの?それとも、命乞いのつもりかしら」

「どちらでもねえよ」

 残された力を振り絞り、蓮は必死に立ち上がろうとした。床に手を突き、どうにか体を起こす。


 あの頃の自分は未熟だった。何度も父と意見を対立させ、勝手に討伐隊に入隊を申し込み、家を出た。その後も、しばらくの間素性を誤魔化し続けた。身勝手な行動だとなじられても、弁解の余地はない。言い訳を重ねるつもりはなかった。

「確かに、俺にも非はあるのかもしれない。けど、あんたは怒りの矛先を向ける相手を間違えてるんじゃないのか」

「……何ですって?」

 怪訝な表情を浮かべた宮川に、蓮は再起し、問うた。


「どうしてNEXTの責任を問おうとしないんだ。自分を騙して、息子をラードーンの被検体にしたのは他でもないあいつらだろう。最後の戦いのときに、俺たちへラードーンを差し向けたのもNEXTの仕業だ。あいつらが何も介入してこなければ、あんたは子供と一緒に幸せな日々を送っていたはずじゃないか。何で問題の本質から目を背けようとするんだよ」

「うるさいわね」

 怒り狂った宮川が伸ばした数本の触手が、一直線に蓮へと迫る。反射的に体を屈めたが、毒針が首筋を掠めた。痺れるような鈍い痛みが、傷から全身に広がっていく。

「たとえそうだとしても、あの子を殺めたのがあなたであるという事実は変わらない!」


 悲しみと怒りが入り混じった唸り声を上げ、宮川は蓮目がけて突進した。全ての触手を最大限に伸ばし、決着をつけるべく猛攻を仕掛ける。

 あのとき、ラードーンは蓮たち討伐隊を皆殺しにしようとしていた。息の根を止める以外に彼を無力化する方法はなく、そうしなければ自分たちは倒され、NEXTは全人類を異形の姿へと帰ることに成功していただろう。倒すのもやむを得なかったのだ。

 しかし、そんな理屈を説いたところで、今の宮川は聞く耳を持たないだろう。


 蓮の肉体には、既に相当量の毒が回っている。長期戦になれば勝ち目はない。一気に仕留める必要があった。

「あんたの歪んだ憎しみは、俺が正してやる」

 そう呟き、蓮が動いた。四方八方から襲いかかる触手を腕で払いのけ、叩き落とし、宮川の懐へ潜り込む。またしても毒針が皮膚を掠めたが、多少のダメージは覚悟の上だ。それ以上の打撃を相手に与えるまでのこと。


 ほとんどゼロ距離から、蓮は左右の拳を交互に突き出した。発達した筋肉が常人離れしたパワーを発揮し、宮川の腹部へ、目にも止まらぬ速さでパンチが叩き込まれる。

 だがその拳は、彼女の体を覆う半透明の皮膚に阻まれた。クラゲの特性を反映した、柔らかく弾力に富んだ皮膚だ。クッションに似た感触がある。

「無駄よ。私に打撃攻撃は効かない」

 獅子の能力者を嘲笑い、宮川は一本の触手を素早く繰り出した。至近距離からの攻撃を避け切れず、蓮は毒針が自身の左肩へ吸い込まれていくのをただ見つめるしかなかった。さらに毒素が体内へ送り込まれ、気を抜くと倒れそうになる。


 打撃の無効化に加え、中距離からの触手による攻撃。クラゲの能力者の発揮する異能は、近接戦闘に特化した蓮にとって相性が悪いものだった。あるいは、彼と戦うことを想定したがゆえにこの能力を使っているのか。そうだとすれば、かなり厄介である。

「……だったら、通用するまで殴るだけだ!」

 けれども、蓮の仕掛けるラッシュは止まらない。なおも突き込まれ続ける両の拳が、ついに宮川のガードを破った。継続的に与えられる衝撃に、透明なドレス状の皮膚が耐え切れなくなる。攻撃の威力を殺せなくなり、彼女は反動で数メートルも後方へ吹き飛ばされた。喫茶店の椅子やテーブルに体を打ちつけながら、やがて壁に叩きつけられて止まる。かろうじて立ち上がった宮川は、足元がふらついていた。


「あり得ないわ。私の防御が崩されるなんて」

 触手がギリギリ届かない程度に、開いた間合い。チャンスは今しかないと、蓮は距離を詰めた。大きく踏み込み、一瞬で相手の眼前に迫ると、宮川が驚愕に目を見開いているのが視界に映った。獅子の能力者がこれほどの力を残しているとは、予想だにしなかったらしい。

「自分の能力に頼りすぎたこと。それがあんたの敗因だ」

 右腕を軽く後ろに引き、渾身の力を込めて前へ突き出す。蓮の放った右ストレートが宮川の胸部を捉え、今度こそ完全に無力化した。



 クラゲの能力者を下した直後、蓮は糸が切れたように座り込んでしまった。毒を流し込まれた影響で、全身が痺れる。すぐにでも医療機関へ向かい、しかるべき処置を受ける必要があった。

 だがその前に、一つ確認しておきたいことがあった。

「宮川さん」

「……何かしら」

 力なく横たわった彼女は、顔だけをこちらに向けて尋ねた。

「あんたにその異能を与えたのは、一体誰なんだ」


 一瞬の沈黙があり、宮川が口を開く。

「これは私が自分で開発したものよ。誰に頼ったわけでもないわ」

「嘘だな」

 荒い呼吸を整えながら、蓮はきっぱりと言い切った。

「変身する前にあんたが使っていた器具は、見たこともないものだった。二年前、第三世代を生み出したエドワードの研究室から押収された注射器とも少し違う。外部からの技術協力を受けでもしない限り、元NEXTの研究員に作れる代物じゃない」


「それは」

 宮川が何か言いかけたそのとき、喫茶店の二階席の窓が勢いよく割られた。辺り一面にガラス片をまき散らしながら、黒い影が店内に飛び込んでくる。否、降り立つ。

「――駄目じゃないか、宮川君。機密事項を喋ったりしちゃ」


 背中に漆黒の翼をそなえ、口元からは長く鋭い牙が覗く。黒いスーツに身を包んだ男は、蝙蝠の異能を発現していた。整った甘いマスクも相まって、「吸血鬼」というイメージを強烈に焼きつけてくる。謎の能力者は、只者ではない雰囲気を纏っていた。

(新手の敵か⁉)

 弱り切った体にどうにか力を込め、蓮は身構えようとした。


 しかし、突然の乱入者は蓮に興味を示さなかった。彼の方を見ようともせず、つかつかと宮川の元へ歩み寄っていく。

「気は済んだかい」

「まだよ」

 首を振り、彼女は弱々しい声で答えた。

「私の復讐はまだ終わっていないわ。お願い、もう一度だけ力を貸して」


 おそらく、宮川に異能を授けたのはこの男なのだろう。けれども、何が目的でそんなことをしたのか。二人の会話を聞き、蓮は疑問に感じた。

「それは無理な相談だ」

 途端に男の態度が一変する。目をらんらんと輝かせ、屈み込むと、彼は顎を大きく開いた。そして、その鋭利な牙を宮川の首筋へ突き立てたのだった。


「……何をするの。やめて。やめなさい」

 必死に抵抗しようとする宮川だったが、体を押さえつけられていて身動きが取れない。ちゅうちゅう、と蝙蝠の能力者は美味そうに彼女の血を吸った。

 彼が血液を吸い上げるごとに、クラゲの能力者の触手が一本、また一本と消滅していく。肉体を包んでいた透明な皮膚も、空気に溶けるようにして消えてしまった。目の前で何が起こっているのか、蓮には全く理解が及ばなかった。


「君の役目はもう終わったんだよ」

 ようやく彼女の首から顔を離し、男はにやりと笑った。それと同時に、男の背から何本もの触手が生え、だらりと垂れ下がる。スーツに包まれた逞しい肉体を、半透明の皮膚がレインコートのように覆った。

「素晴らしい。また一歩、僕は究極の存在へ近づいたというわけだ」

 恍惚とした表情で、男が独り言ちる。彼は吸血することで宮川からクラゲの異能を抜き取り、自身へ移植したのだった。どうしてそんな芸当が可能なのか、蓮には分からない。


 宮川を乱暴に突き飛ばし、男は立ち去ろうとした。来たときと同様、突き破られたカフェの窓から飛び立とうとする。

「待て」

 その背を追おうとして、蓮は激しい痛みに呻いた。毒がほぼ完全に体に回り、手足が痺れて動かせない。脳を炎で焼かれているような強烈な頭痛が、断続的に襲ってくる。

 途切れ行く意識の中で、蝙蝠の能力者が都会の青空へと消えるのが見えた。

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