15
僕は数日部屋に閉じこもって生活した。
御飯も喉を通らない。
母親が声をかけても答える気にもならない。
彩の事はあまり大きなニュースにはなっていなかった。
人通りの多い通りでオオカミが死んでいたという事実は最初は誰もが物珍しさから注目したが、同じような勢いで皆の興味も失せて行った。
彩はオオカミの姿のまま死んだ。
どうやら、オオカミから人間の姿に代わる前に死んだため、二度と人間の姿に代わることは無いようだ。
その後、砂州軒出版の笹沼から何度も話がしたいとの申し出があったが、いまだに断り続けている。
――この期に及んで。
元をただせば彩の父親の写真がきっかけで彩の様子はおかしくなった。
旅行に行ったときも彩の異変に気づけなかったのは僕の責任もあるのだけれども…
すると、スマホが一通のメールの着信を告げた。
このような状況からでも、いつもと変わりなく鳴るスマホに腹を立て、ベットに投げつける。
反動で床に落ちたスマホはその衝撃からか、電源が付きメールの着信元を表示していた。
『新野彩』
僕はスマホに表示されている名前を見て、暫く動くことができなかった。
彩はもうこの世にはいないはず。
その彩からメールが送られてきた。
僕の頭は混乱し、そのメールを開けないでいた。
僕はこの数日彩から連絡がもしかしたらあるのではないかと妄想に似た在りえない願いを思っていたが、それが現実になることは当然あり得ないと思っていた。
そうこうしている内に数時間が過ぎた。
ぼくはずっとスマホを見つめていた。
何時間も。
それだけ僕の精神は追い詰められていた。
すると今度は電話の着信を告げた。
もちろん彩から。
もう僕の涙腺は崩壊して、スマホの画面を見れない程であった。
「彩が生きている」
冷静になった僕は慎重に通話ボタンを押した。
「何やってるの!メールも無視して、私のお母さんの電話にも出てくれないみたいじゃない」
――僕はいきなり何で怒られているんだ?
「駿君がそんなに弱い人だとは思わなかったよ」
「ちょっと待って。全然理解できないんだけど、君は本当に彩?」
「当たり前じゃない。もう声忘れちゃった?」
「じゃああのオオカミの死体は?」
「あれも私。あれはオオカミの私で、今は人間の私」
僕は何が何だかわからず、とりあえず会うことはできないか提案すると「何度も提案しようとしたけど、駿君がいつまでもとりあってくれないから」と少し笑いながら彩は返した。
「でも彩本人だとは…」
「それは少し事情があって私のお母さんや、駿君のお母さんに頼んだの。多分駿君のお母さんは私と駿君が壮絶な喧嘩をして駿君がフラれたと思っているようだけど」
「その事情って?」
「それは電話では言えないの。だから、今から言うところに来てくれる?そこに迎えに行くから」
僕は了承すると、彩は最後にこう言った。
「駿君ありがとね。駿君がそんなに悲しんでくれてうれしかった」
彩の声は最後の方は震えていた。
その後、直ぐにシャワーを浴びて家を出ようとした僕に目を丸くした母親が僕を抱きしめた。
「変なこと考えていないよね?一度や二度の失恋は人生にはつきものだから。この先もっと大切な人に出会えるのよ」
彩の言う通り完全に勘違いしている。
説明するのも億劫なので「母さんありがと。そういうんじゃないから安心して」とそっけなく返し、急いで外に出た。
久し振りの日差しは僕の目に容赦なく入って来て、最初は目を開けることが困難であった。
彩から指定された場所はもとよりの駅。
旅行に行くときにも利用した駅だが、そこに彩が本当に待っているのだろうか。
足早に歩いていくと目的の駅が見えてきた。
その改札前には彩ではなく、見覚えのある男が立っていた。
「久し振りだね。駿君。」
砂州軒出版の笹沼であった。
「どういうことですか?彩は?」
「ここにはいない。これから行くところにいる。ここでは話すことができないんだ。これは世界的な問題だからね」
「世界的って、彩は一人の女子学生ですよ。それをそんな世界的って…」
「俺も駿君の気持ちは痛いほどわかる。けどね、彼女がそういう特殊な人間だと認識しなければ、彼女の命にも関わってくるんだ」
「命って、そもそも彩は」
「死んだのは彼女ではない。もう一人の彼女だ。これ以上はここでは話せない。一緒に来てくれるか。彼女の為にも」
僕は納得できずにいるも、付いて行かなければいつになっても真相は分からなくなることを恐れ笹沼についていくことにした。
車中、僕は彩のことではなく、笹沼自身の事を問いただした。
「笹沼さんは本当にただの出版社の社員なのですか」
「ただの社員がこんなことに首を突っ込まないさ。ある機関に所属していてね。ただその機関は世界的な機関なんだけど、その存在は誰にも知られてはいけないんだ。だから、本職はこっちで、砂州軒出版はこんなこと言ったら怒られるだろうけど、情報収集のために雇われているんだ」
世界的な機関、誰にも知られてはいけない。
どこかの小説にでも出て来そうな話になかなか信じることができずに話題を変えた。
「その機関は日本では笹沼さん一人なんですか?」
「一人じゃないけど、駿君はこれから深く関わることになると思うから言うけど、駿君の周りに一人だけ、俺と同じ機関に属している人がいるんだ」
僕は一つ思い浮かんだが、とても恐ろしいことなので、聞くか迷ったが、いずれは向き合わなければならないことだと思い、恐る恐る聞いた。
「もしかして彩?」
笹沼はちょっと唸るような声を出すと「ちょっと違うな。半分は正解だけど」と言い、続けた。
「彼女のお母さんだ。先日亡くなった彼女のお父さんもね」
僕はあまりの驚きに身を固めてしまった。
彩の両親が世界的といえど謎の機関に属していた。
「彼女のお父さんの死と今回の彼女の死。どこか似ていると思わないかい?」
僕は考えると一つの考えに行きついた。
僕がはっとした顔をすると、笹沼は微笑みながら「気がついたようだね」と言い、続けた。
「二人とも、オオカミの姿で亡くなっているんだ。そして、彼女は生きている…」
「ということは彩のお父さんも生きているんじゃ」
「ところがそれは違くて、彼女のお父さんはお父さん自身も亡くなっているんだ。これ以上は、話がややこしくなるから着いたら落ち着いて説明するよ」
それとと笹沼は釘を刺すように言った。
「これらの話しは当然のこと他言無用で頼むよ。家族でさえもね。SNSにあげるなんて論外」
僕は神妙に頷くとこれから起きるであろう出来事に身構えた。
一時間ほど車は走ると、景色は一変し森の中に入って行った。
先程から平坦の道はなく永遠と山道をカーブしながら登って行く。
救いなのは、道がしっかり整備されているおかげで、そこまで車は揺れていない。
それでも、動物が木に登って落ちたのか、木の枝が無数に落ちていたり、大き目な石が落ちていて、笹沼はその度に減速し車への衝撃を最小限に抑えていた。
「こんな道で悪いね。ここしか通れる道が無くてね」
「大丈夫ですよ。だけどさすがに慣れてますね」
僕等はそんな他愛もない会話をしながら目的地へと向かった。
すると坂の上のほうに森の切れ目が見えて来た。
「もう少しだ」
笹沼は言いながらも、今まで通り衝撃を抑えるよう運転して森の切れ目を目指した。
森を抜けるとそこには鉄でできた重厚で巨大な門が立ちはだかっていた。
門の前で車を降りた笹沼は門の端に行き、何やら作業をすると門が大きな音をたてながら開いていった。
「中に入るのに、暗証番号と指紋そして網膜スキャンによる認証と三種類のセキュリティーがあって大変だよ。だけどそろそろ大型の認証機が導入されるようで門の前で車を停めるだけで車中の人間の認証を出来るようになるようなんだ。それも二、三秒で出来るっていうんだから科学の進歩はすごいね」
僕には次元の違いすぎる話で追いつけず、「はあ」と返すのが精一杯であった。
門を通るとそこには広大なサッカー場のような芝が広がっていた。
芝の周りは車が通れるようにか、コンクリートが施されていた。
そして、その向こう側には学校のような巨大な建物があった。
「彼女はいまあの建物にいるんだ。こっからだと一棟だけのように見えるが、奥に八棟あるんだ。彼女がいるのは一番手前の建物だよ」
ぼくはその建物をじっと見つめた。
――あそこに彩がいる。
一度は死んだと思っていた彩が。
正直まだ何も理解できていないけれど、彩が生きていて、その彩があの建物の中にいる。
そう考えるだけで僕の目からは涙が出てきた。
そんな僕に気づいた笹沼は一度ミラー越しに僕を見たが、すぐに視線を元に戻し暫く話しかけなかった。
それにしても広大な広さを誇るこの芝生。
これまでの道のりを考えると信じられない程の土地だが、元は何だったのであろう。
森を切り開いたのか。
分かる由もなく、僕は只々彩と少しでも早く会いたいという気持ちで涙を拭いた。
彩がいるという建物の名称は第一棟と言うようでその奥が第二棟とそのまま番号順に名称が割り振られているようだ。
その第一棟に近づくにつれその巨大さを認識せずにはいられなかった。
普通の学校の校舎の四倍はあろうという長さで高さはおそらく十階はあるであろうと考えていると笹沼が説明した。
「これらの棟は十二階建てになっていて、幅は僕も詳しくは分からないけど、国立の大型病院の二倍はあるだろうね」
「こんな広いところで何をしているんですか?」
「それはまだ早い。中で詳しく説明するから、悪いけど今は我慢してもらうしかないんだ」
僕は不詳不詳といったかんじで頷き、車の座席に身を預けた。
車は第一棟の地下へと入って行った。
そこには何台もの車が置けるような駐車場があり大半が埋まっていた。
しかし、一番異様なのはすべての車が同じ車種で、暗い色をしているため、その車が何台も連なっている様は、何かマイナスのイメージをもった組織なのかと思ってしまいそうである。
僕の表情にも出ていたのか笹沼は少し微笑みながら言った。
「安心して。犯罪組織でも何でもないから」
笹沼はそういうが、この光景は変なイメージを持ってしまう。
しかし、笹沼の車はこれらの車とは全く違った車種で色も明るい色。
その事を問うと、笹沼は先程の表情と変わらずに答えた。
「それは俺が外で動くことが多いからだよ。これらの車はあくまでこの敷地内だけなんだ。敷地内なのにこんな量の車が何故あるのかも後で説明するよ」
その駐車場の端に空きが一台分ありそこに車を停め、僕たちは車から降りた。
そのすぐ隣には両開きと思われるドアがあり、そこにまた指紋センサーがあり、笹沼が手をかざすと、ロックが外れる音がすると、思った通りにドアが両開きに開いた。
中に入ると、そこにはエレベーターがあるだけの狭い空間があった。
笹沼がボタンを押すと、暫く立つとエレベーターが開き乗り込んだ。
これだけの施設だから、スカイツリー等のようにエレベーターの速度も速いのかと思っていたら、その速度は普通で、徐々に昇降していく。
笹沼が押したボタンは十二階のようで、先ほどの笹沼の話し通りとすると、最上階のはずだ。
そこに彩がいるのか。
それともまだ何か僕が思ってもみないような空間が広がっているのか。
むろん僕には想像もつかなかった。
どこにでもあるエレベーターのように目的の階に着いたことを知らせる乾いた音が鳴るとエレベーターが開き、最上階である十二階の空間が目に入ってきた。
しかし、そこは驚くも何もいたって普通のオフィスビルの如く、廊下が左右に延びていた。
その壁には左矢印の上にこう書かれていた。
『極秘会議室・第一棟長室』
右矢印の上には
『ネットワーク管理室・WLroomA』
僕にも名前を見れば大体の内容は想像がつくが、右矢印の上のWLroomというのは全く想像がつかず、笹沼に問うと「それはもう少し待って」と返された。
どうやら先ほどから言っているこれから僕に説明する事に大きく関わってくる部屋のようで、僕はその説明を聞くのが先決だと判断して笹沼の後に続いた。
笹沼と僕はエレベータを出て左側に歩いているので、目的の部屋は、『極秘会議室』か『第一棟長室』という部屋のどちらかになるだろうか。
もちろん更に歩けばまた別の部屋の案内が書いてある可能性もあるが、エレベータから出てすぐに壁に表示してあったからして、『極秘会議室』と『第一棟長室』が主役な部屋なのであろう。
すると、すぐそこに『極秘会議室』とプレートのある部屋が見えて来た。
笹沼は「ここだよ」と言うとドアをノックした。
中から女の人の声で「どうぞ」と返答があり笹沼が扉を開けた。
今度はその空間に僕の思考は停止するかと思うくらいの光景が広がっていた。
そこには想像を絶する人数の人間がそろっており、座席列ごとに坂になっており、映画館さながらで、国籍も多種多様で、国際会議という名前がまず僕の頭に浮かんだ。
どうしてもこの光景と彩のイメージが掛け離れすぎていて、本当に彩はこの施設内にいるのだろうかと不安になった。
するとさっき笹沼のノックに答えた声で「駿君だね」と壇上で経っている一人の女性がマイク越しに声を掛けて来た。
一番驚くのがその女性やここにいる多国籍な人ではなく、その女性の背後にある大型スクリーンに僕と彩の姿が映し出されている事であった。
「いったいこれは」
思わず笹沼に問いかけるも、笹沼は頷くだけで何の回答もない。
更にその女性は僕を壇上に来るように言い、笹沼に背中を押されながら、壇上に登った。
壇上に登るとその異様さは更に増し、これだけの多国籍の人達から見られたことなど当然ながら無い僕は緊張して頭が真っ白になっていた。
「駿君が来たということで本題に入りましょう」
その女性は言うと壇上端にある椅子にその女性と共に僕を座らせた。
笹沼はというと、僕を壇上にいざなった後、そそくさと部屋から出て行ってしまった。
スクリーンの映像が切り替わったようであるが通常の映画館のスクリーンと同様、これだけスクリーンの近くにいると、全く内容が分からない。
すると、その女性は一台のタブレットを僕に渡した。
「このスクリーンに映し出されているものと同様の映像よ。更にさすがに話の内容が分からないと思うから解説も端の方に載っているわ」
女性の言う通りタブレットには映像とその端に解説であろう文が並んでいた。
今その映像にはこの女性が今から説明するのであろう話のテーマが映っていた。
『WLクローン問題について』
まただ。
『WL』
エレベーターから降りたばかりの壁にも案内矢印と共にこの文字があった。
何かの略なのであろうが、僕にはWouldぐらいしか思い浮かばず、Lは何の予想もつかない。
すると解説が載っている欄に一つの単語が映って来た。
『WL=Wolf Life』
――Wolf?Life?
直訳するとオオカミと命というそれぞれ別々の単語になりそうだが、何のことなのだろう。
オオカミは彩と関係あるのは僕は当然わかるが、オオカミと命。
そしてクローン問題。
何やらキナ臭い予感はするが全く想像が出来ない。
するとその女性が再びマイクを持ち立ち上がった。
『WLクローン問題について今まで世界中で様々な研究がおこなわれてきました。しかし、残念なことにその成果は乏しいばかりです。しかし、この度秘密裏に皆様に情報が伝えられたかと思われますが、Wolfの人体の切り離しに成功した例が起こりました』
この女性が言っていることが現実なこととは思えず、思わず多国籍の日達を仰ぎ見ようとしたが、スクリーンに映像を写すため、室内を暗くしており、その表情は窺い知ることができなかった。
『新野彩。彼女がその第一号というべき人物となったのです。年齢的にも未だ十代と若い彼女ですので、その年齢と今回のWolfとの乖離について関連性を早急に調べ上げているところであります』
いきなり彩の名が出てきて驚いたが、この中で発言できるほど、考えも全くまとまっておらず、それに先ほどと違って、その女性の誰も寄せ付けないような表情を見ると、このまま話を聞き続けるしか僕には出来そうもない。
『彼女が大きく心身ともに大きく変化したのはここにいる男子学生と交際を始めてからということが分かっております。彼女の当時の余命と思春期特有の精神的な揺れも相まって、彼女の身体に何かしらの変化が起きたのではないか。まだ創造の域を出ませんが、私共といたしましても、これは大きな第一歩になるのではないかと確信しております』
その女性が一区切り話を止めると、スクリーン同様タブレットも次の画面に映った。
しかし、この時の僕の頭の中にはその画面は認識していなかった。
その女性の話しに出てきた僕と彩の関係が彩の身体に大きな影響を及ぼした可能性があるという話。
――やかり僕が彩を追いつめたのか?
この話を聞いた人は誰でも、そんなの誰も気づかないし、僕にどうする事も出来なかった、不可抗力だよと言うかもしれない。
しかし、それでも僕は彩の大きな変化に気付かなかったことへの自責の念が湧きあがり、目からは涙が溢れ、一粒、二粒とタブレットに落ち、タブレットをぼやけさせた。
僕の今の頭の中のように。




