022 目に見える不安
先週、お休みしてすみません。
台風の気圧の影響か、土曜夜から日曜朝にかけて、動けませんでした。
ただ強く、彼女は我が子を抱きしめていた。
路地を駆けていた少女には悪気はないのだろう。それでも、あの速度で我が子にぶつかっていたらと思うと、恐ろしい。
それに――先ほどまで繰り広げられていたのは、奇妙な格好をした者たちによる、自分のような貧民街で暮らす一般人には埒外の戦いだ。
周囲には裏ギルドの関係者らしき人や、流旅行者らしき人たちもいたのにも関わらず、彼らは一様に一歩引いたところから、顔をひきつらせるように眺めていた。
つまり、一般的な冒険者や傭兵のような流旅行者や、裏ギルドの末端関係者程度では、関われない戦いだったのだと思われる。
そんな戦いを繰り広げた者たちと言葉を交わし走り出した彼女は――つまるところ、あの奇妙な姿をした者たちと同様の埒外の戦闘能力者なのだろう。
「ママ、痛いよ……」
「ああ――ごめんね。カイ、怪我はない?」
「うん。大丈夫だよ!」
何事も無かったかのように快活な返事をする我が子に、ホッと胸を撫でおろす。
「さっきのお姉ちゃん、バン! バン! ビューン! ってすごかったね!」
自分がぶつかりそうになったことなど気にしてない様子に、何とも言えない気分になる。
だが、息子の機嫌の良さに水を差すのも気が引けて――
「そうねぇ」
――と、曖昧な相づちを打った。
「ボクも冒険者とかになれば、ああいう風になれるかな?」
すると、息子はそんなことを訊ねてくる。
「カイは、冒険者になりたいの?」
思わずそう聞き返すと、息子は少し困ったような顔をしてから、やがて自分の中で答えがまとまったのか、ハッキリとそれを口にする。
「うーん……冒険者というか冒険者の人たちみたいに強くなりたい!」
「どうして?」
「強くなれば、それだけでお金を稼げるし……何よりママを守れるからッ!」
息子の言葉が嬉しくて、彼女は再び息子を強く抱きしめた。
「ありがとうッ! でも、無理して強くならないでね。危ないコトをするカイをみたくないから……」
「でも、強くならないとママを守れないでしょ?」
「そうね……なら、カイが強くなるまではママが守るからね」
「……ママはいつでも守ってくれてるでしょ?」
不満そうに口を尖らせる息子が愛おしい。
家は貧しくとも、この子はこんなよい子に育ってくれている。
「互いに守りたいという思い……とても素晴らしいコトです」
唐突に、聞き慣れない男の声がして、そちらへと視線を向ける。
そこにはフード付きローブをすっぽりとかぶった人物がいた。
フードを目深に被っていて顔はよく分からない。
背は小さく、少年のようにも見えるが振る舞いはどこか老人のようにも見える。
「……何か?」
声が平坦になる。
目の前にいる人物からは、異様な何かを感じるのだ。
息子を――守らなければ……。
「こちらを」
その男は、丸い物体を手渡してくる。
「…………」
素直に受け取る気になれず、彼女は男を睨みつける。
「サイクリスタルというものをご存じですか?」
「ボク知ってる! 冒険者の人とかが持ってる、クラスを封じ込めてある石だよね?」
「その通り。よく勉強しているね」
男が息子を褒める。
だが、その褒め方は、どこか息子を見定めているようで、気に入らない。
「これは、それの上位版のようなものです」
「上位版……?」
「そのままでは使えないので、こちらのサイクリスタルと一緒に使って頂くのです。どうぞ」
そうして、男はサイクリスタルを手渡してきた。
受け取る気は無かったのだが、息子がそれを手にしてしまった。
「君にはまだ早いかな。それを使えるようになるまでは、お母さんに預けておくといい」
「うん!」
息子は男の好意に対して純粋に喜んでいるが、どうしても信用ができない。
「そちらのサイクリスタルにも、こちらのガチャプセルにも戦士のクラスを封入してあるんだ」
「戦士!」
息子の目が輝く。
戦士や騎士などのクラスは、非常に分かりやすくカッコいい動きをするからか、子供たちからの人気も高い。
「ガチャプセルはどんな人でも高位のクラススキルが使えるようになる道具なのですよ」
喜ぶ息子を横目に、男はこちらへと聞かせるように、道具の使い方を説明してくる。
「こちらの鏡も差し上げます。
是非、使ってみてください」
「……なぜ、私たち親子にこれを?」
「ちょっとした気まぐれです。サイクリスタルの可能性、クラスの可能性……そしてまぁボクの好奇心からくる研究ですね。
ガチャプセルの強さというものを、調べておりまして。後日また訊ねますので、是非とも使い心地などを教えていただければ」
どこまでも胡散臭い。
笑顔で明るく朗らかに告げる男。
だが、フードの下から僅かに覗く双眸は、研究者の好奇心とは異なる何かが宿っているようにしか思えない。
「では、失礼しますね」
男の纏う空気に飲まれ、なかなか言葉が出て来なかったのだが、こちらが何かを言うより先に、男はそう言ってここから去っていく。
「……何なの……あの男……」
ようやく出てきた言葉は、サイクリスタルやガチャプセルを興味深そうに見ている息子の耳に届くことなく、路地裏の喧噪の中へと溶けていった。
★
戦闘を始めてから、すでに十数度目の交差。
サリーの刃と謎のリオンの拳がぶつかりあって、文字通りの火花を散らす。
剣の弾かれる反動に逆らわずに体を捻り、サリーは回転するように斬撃を放った。
だが、その剣は、謎のリオンは左腕のガントレットと一体となっている板のような盾で防ぎ、靴底を押しつけるような前蹴りで反撃する。
「……がッ!?」
体重の乗った蹴りがサリーの腹部にめり込む。一瞬あとに衝撃が広がり、サリーはうめきながら吹き飛ばされた。
「ゲホッ、ゲホッ……」
地面を転がり、それでも何とか立ち上がるが、身体が勝手に咳を繰り返す。
「これだけ攻防を交わし、こちらにまともな一太刀を浴びせられないのに、まだ続けるのか?」
噎せながらも剣を構えるサリーに、謎のリオンは呆れたように訊ねくる。
「ハァ……ハァ……カッコ付けて追いかけてきたんだから、取り戻さないと……ね……」
「無理だね。どうみても満身創痍。そもそも五体満足だった時にすらこちらに一太刀も届いていない。どうやって取り返すつもりだ?」
「何がッ、何でもッ、かなッ!!」
これまでで一番速い踏み込み。
だが、それでも、目の前のリオンには届かない。
「悪くない。けど、悪くないだけだ」
謎のリオンは左手で剣を受け止め、右手でサリーの顔面を鷲掴むと、そのまま地面を蹴った。
サリーの顔を掴んだまま滑るように地を駆けて、サリーを近くの木へと叩きつける。
ドン――という派手な音を立てて、叩きつけられた木の裏側が破裂した。
ズルリ……と背中で木の表面を滑るように身体が崩れ、サリーは地面に尻餅をつく。
「あ……ぐ……」
「頑丈さだけは、確かに生半じゃないみたいだけど」
両手に力が入らず、剣が手からこぼれる。
目の焦点がぼやけて意識が滲む。
それでも、サリーは謎のリオンを睨むように見上げた。
「闘志は萎えないか。変身適正はなくとも、その意志だけは変身者並だな」
声色含め、本当に賞賛するような口振りだ。
だが、サリーにとっては嬉しくも何ともない。
「だけど……」
謎のリオンは、サリーのポニーテールを無造作に掴み、そのままひっぱり上げ、強引に立ち上がらせる。
震える足にはふんばりが聞かず、謎のリオンが手を離せばたちまち倒れてしまうだろう。
「一つ聞きたい。おまえ、ひょっとして自分が死なないとでも思ってるのか?」
「…………」
その言葉は、意識が滲みかけているサリーの心に、嫌にしっかりと染み込んでくる。
「確かに人間としては規格外の強さを持っているが……だが、それでもまだ人間の枠ギリギリに収まっているのが、お前だ。
我々リオンは、変身するコトによって、その枠の外へと飛び出す。一時的とはいえ、人間を辞めるのが、この変身というスキルだ」
つまり、人間のままでいる限り、自分はリオンたちに勝つことはできないということだろうか。
「それでも、人間の枠のままリオンに追い縋りたい、共に並び立ちたちと言うのであれば、『自分は死なない』などという価値観は、それこそ命取りだ」
耳元で囁かれるように告げられる言葉。
「そもそも、お前の目的はなんだ?
戦うのではなく、ガチャプセルを取り戻すコトではなかったのか?
戦闘力で劣るお前が、何で真正面からこちらと戦っている?」
言われてみればその通りだ。
取り戻す為に敵を倒そうとしていた。それは自分の落ち度だ。
その結果がこのザマなのだから笑えない。
「お前は恐らく人間としては最上位の強さのポテンシャルを持っている。だが、それを使いこなすほど成長していないし、使いこなすつもりもないのだろう?」
「……そんな、こと……」
「お前は自分が一方的に敗北する可能性を考えてなさすぎるんだ」
悔しいが言い返せそうにない。
言い返せないけれど、一方的に言われ続けるつもりもない。
拳に、なけなしに光力を込める。
「言わせてッ、おけばッ!!」
その拳を振り上げる。
並のモンスターであれば一撃だろう威力はあるそれを、しかし謎のリオンは避ける素振りも防御する素振りもなく、受け止めた。
「まだこれだけの力があったか」
感心するように、リオンはそう口にする。
それから何かを探るようにこちらをしばらく凝視したあと、何かに気づいたような様子を見せた。
「……この頑強さに、この力。そうか――お前、今代の……」
次の瞬間、謎のリオンは髪を掴んでいる手を思い切り上に振り上げた。
そのままサリーは宙へと放り投げられる。
「……目障りな」
小さくうめき、謎のリオンはバックルを操作した。
『クリティカルクラッキングフィニッシュ』
バックルが調子の良い声を響かせる。
(ああ……だめかな……。
こんな状態で大技を受けたら、どうにもならないし……)
悔しいが、謎のリオンの言う通りだ。
人より強くて調子に乗っていた。どんな危機も問題ないと思っていた。
グランオークの変異種の時に痛い目にあっているのに、あんなもの滅多にないと思ってた。
その後にも、ウィルサーカーと対峙してたのだから、その自惚れを正す時はいくらでもあった。
だけど、傍にクロトがいたから――クロトとなら、どんな相手も大丈夫だって勝手に思ってた。
完全に、自分の落ち度だ。
謎のリオンの足に黒と白のマーブル状の炎が灯る。
足を揃えて天高く飛び上がり、宙を舞うサリーめがけて片足を突き出す。
「堕天皇技・天魔詐翔撃!」
黒と白の羽を周囲にまき散らしながら、謎のリオンが天を切り裂く流星の如く、宙を滑り落ちていく。
しかし謎のリオンは、そのままサリーの脇を抜け――その先に、こそこそと二人のやりとりを見ていた黒いローブへめがけ突っ込んでいった。
「危ないな」
黒いローブの男は手を掲げて燃えさかる足を受け止めながら、気安い口調で問う。
「君には何者だい?」
「その言葉そっくり返そう」
「それもそうだね」
刹那の言葉のやりとりの直後、爆発が起こる。
森の中心で、周囲の木々よりも高く――白き炎と、黒き炎の火柱が螺旋を描きながら、そびえ立った。




