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ガジェット。  作者: 朝日 湊
ガジェット。 雪
4/6

雪 part4


 先程入った煉瓦造りの研究棟と比べると、幾分か年季を感じる建物が密集したエリアにたどり着いたところで、未来がライトを持った右手を上げてその内のひとつを指さした。

「あの辺りは共通教育棟といってな。学部問わず使われているところなのだ。だが、授業としての使用頻度は低い。むしろ部活動やサークル活動の場所としてよく利用されている。今から向かうあの棟は、今日は部活動などには使われないはずだ。屋上に上がるぞ」

 未来について共通教育棟に入ったところで、秋良は愕然とした。エレベーターがないのだ。自然、台車を使って昇雪機を運んでいた秋良はこれからこの装置を抱えて階段を上がることになる。

「ちょっと、未来さん、これはひどくないっすか?」

 秋良は階段の前で憤然と未来に詰め寄った。「いやいや、はっはっは」と未来は取り合う気がないようだ。

「すまんな、私も春霞も手が塞がっていて手伝えない。だがせめてその脚パーツだけは脇に挟んで持っていこう」

「僕も脚パーツは手伝いますね。未来、二本ずつ分けましょう」

 こんな時だけ息の合った従兄弟たちである。秋良は唇を尖らせ、昇雪機の側面についた取っ手に手をかけた。

 秋良が必死で階段を上り切って屋上に倒れこむように体を投げ出した。共通教育棟は三階立てだったが、屋上への階段を含めると四階分の階段を上がったことになる。

 先に屋上に着いていた未来が昇雪機を抱えるようにして受け取った。秋良は胸で荒く呼吸をした。

「腕、いってえー……」

「ご苦労様、助かったよ。ありがとう、秋良くん」

 未来は倒れた秋良を見下ろすような形で労いの言葉を述べた。

「しばらく休んでいてくれたまえ。先に向こうで用意を始めているから、楽になったら来てくれればいい」

 そう言って未来は秋良から離れていった。

「春霞、脚を取り付けるのを手伝ってくれ。ここから外側に向けて風を起こす」

「ああ、そういうことですか」

「それが終わったら観測しやすいようにライトを屋上の淵に設置しよう」

 二人の会話を聞きながら、秋良は未来の考えている実験方法を想像してみた。だがいまいち思考がまとまらない。そもそも、風は起こさない方がいいのになぜ昇雪機などを持ち出して来たのだろうか。

 考え始めると、次々に他の疑問が浮かんできた。

 湿度ってどうするんだろう。

 未来さんって何年生だっけか。

 そういや京子さん綺麗だったなー。結局あの人と未来さんってどういう関係なんだろうか。まさか母親ではないだろう、何でもかんでも萌えに持っていくライトノベルじゃあるまいし。

 考えている内に腕の痺れも取れてきて、呼吸も収まってきた。

「お待たせっす。なにしたらいいですかね?」

 息を整えてやってきた秋良を見て、未来はたらいを指さした。

「あれに水汲んで来てくれるか」

 また力仕事かよ、と秋良は天を仰いだ。他の仕事にしてもらえないかと様子を伺ったが、春霞と未来は何やら難しい話をしていて自分は代われそうにない。

 仕方なく秋良はたらいを抱えて階段を降りた。階段を降りてすぐにトイレがあったはずだ、あそこの手洗い場で水を汲んで来よう。



「これで、どうっすか!」

 たらいには思ったよりも水が入り、階段を上った秋良の腕は細かく震えていた。

「お疲れ様です、秋良。そこに置いてください、溢さないように気をつけて」

 春霞が指さした方を見ると、屋上の端の方になにやら火を起こす用意がしてある。どうやらたらいに入っていた細かい備品はこの為の物だったらしい。たらいを置くために立ててある石のブロックはどうしたのだろうか。水の入ったたらいをブロックの上に置き、春霞に尋ねると「未来が先に持ってきて置いていたそうです」という。

 なにか頭に引っ掛かったが、まぁいいかと納得することにした。

 しかし、こんなところで火を起こしてもいいのだろうか。床にはアルミホイルがこれでもかと敷いてあり、焦げ防止はしているようだが、それにしても。

 悩みはしたが、見ればブロックをうまく組んで外から火が見えにくいようにしてある。それに、考えてみれば自分は未来に巻き込まれた立場であって、部員でもない。水はすぐに汲める場所にあるし大事にはならないだろう。と秋良は高を括った。

「で、次はどうするんすか?」

 秋良が二人を振り返ると、二人は昇雪機の用意を終えたところらしかった。昇雪機はたらいを置いた方向に顔を向け、斜め上を向いている。

「そうだな、火をつけてくれるか。火種やライター、新聞紙や木材などはそこにまとめて置いてある」

 言われて足元を見ると、なるほど火を起こすための用意は一式揃っている。なんだかバーベキューの用意みたいだなあと思いながら作業に取り掛かる。

「湿度どうにかするって、まさかこれですか」

 秋良は作業をしつつ未来に訊いてみた。どう考えても他にはありえないが、単純すぎるように思えて訊かずにはいられなかった。

「そうだ」

 果たして未来は肯定した。

「そこで水蒸気を起こす。昇雪機で上昇させる。しばらくそれを続けた後、昇雪機を止める。上昇した水蒸気は空気中で冷え、地面に向かってゆっくりと降りてくるというわけだ」

 そして、と続けながら未来は秋良の横に立ち、下に向かって指をさす。秋良は屋上から顔を出し、下を覗き込んだ。

「こちら側は他の共通教育棟に囲まれていてほとんど無風状態だ。徐々に気温も下がってきている、今実現可能な条件としては充分だろう?」

 たしかに、と秋良は首肯した。これなら風の心配はいらないだろう。この程度で湿度が補えるのかは不安だが。

「さて、そろそろライトを点灯するか。火が点くまですることもないし」

 言いつつ屋上から下に向けて設置されたライトを点灯する。電源コードはいつの間にか階下から繋いできていたようだ。言外に急かされて、秋良は作業のペースを上げた。



 火が点いてからは、火の様子を伺いながら待つ時間が続いた。水の沸騰が始まってからは昇雪機のスイッチが入り、ぶうんという低い音が屋上に響いている。三人は火の前に座り、暖を取っている。

「そういえば、京子さんって綺麗ですよね。どういう人なんすか?」

 秋良はふと先程思い出した疑問をぶつけてみた。秋良の横に座っている未来が「んー?」と顔を向ける。

「メンヘラ女子、かな」

 予想外の答えに怪訝な顔を隠せない。説明不足だと察した春霞が補足する態勢に入る。

「簡単に言えば押し掛け女房といいますか……いい人なんです、綺麗なんです、でもこう、変わっていますし、よりにもよって未来に心酔しているというか……」

 しかし、春霞の説明も歯切れが悪い。とはいえおおよその関係は掴めた。

「えーと、彼女ではないんすか?」

 未来は顔の前で手を振り、とんでもない、と言う。

「断るにも断れなくてな。これは私が弱腰になったのではなく、文字通りの意味ではっきり断るという選択肢を選ぶことができなかった。そういう状況を作られた。現状に抗うのも面倒だし、まぁ身の回りの世話を焼いてくれるのは助かっているし……」

 つまりなぁなぁの微妙な関係なのだろう。

「なにを言っているんですか、やることやっておいて」

 わあ大人ってただれてる!

 春霞の発言に秋良は軽く引いた。人並みに女性と付き合った経験はあるが、一線は越えていないし、そこまで生々しい事態に陥ったことはない。

 未来はといえば悪びれる風もなく「春霞ちゃんってば辛辣ー」などとぶう垂れている。

「ギブアンドテイクだよ、私は世話を焼いてもらってるから、彼女が求めていることを返しているだけで……。健全でないことは自覚しているから、どちらかに正しい形の相手が見つかれば、うん、何としても離れるよ」

 願わくば彼女が本当にふさわしい相手を見つけてくれると嬉しいんだけどね、と未来は笑った。その笑顔が今まで見てきたものと違うように感じたのは、秋良の勘違いだろうか。



 しばらくすると、水はほとんど蒸発してしまった。空炊きになってしまってはまずいので、まず秋良が火種を散らして、春霞が棟に備えてあるバケツで水を汲んで来て火を消した。同時に未来が昇雪機のスイッチを切る。昇雪機の稼働音が消え、途端に静寂が耳をつく。

 少しすると、どこからか人の声がした。発声練習だろうか。合唱部かなにかが近くの共通教育棟で練習しているようだ。

 それからしばらく、三人は取り留めもない会話をしながら水蒸気が冷えて降りてくるのを待った。

 春霞がふと空を見ると、いつの間にかほとんど日が沈んでいるようだ。分厚い雲に覆われて日が出ていないのでわかりにくいが、いくらもしない内に夜になるのだろう。ライトがなければ、屋上は真っ暗になっていたかもしれない。

 と、近くでばたんと扉が開く音がした。他の共通教育棟から誰かが出てきたらしい。実験結果を待って屋上から下を見るともなく見ていた三人は、向かいの棟から出てきた男女に目をやった。

 途端、春霞は秋良が息を飲んだのに気がついた。目を凝らしてよく見ると、女性が何度か見たことのある秋良の姉、結月であることが見て取れた。

 なんで、と呟く声が春霞の耳に届く。静まり返った屋上では、小さな呟きも聞こえてしまう。さすがに下にいる二人にまでは聞こえないだろうが。

 どうやら、結月が男性を連れ出してきたようだ。ああ、さっきの発声練習は演劇部のものか、と秋良は今更ながら理解した。

 結月は男性に見えないよう、綺麗に包装された小箱を後ろ手に隠している。屋上からはそれがはっきりと見てとれて、秋良は滑稽に感じてしまった。

 ――なんだよ、結局学校来て直接渡してるじゃん。嘘なんかつきやがって。

 きっと秋良が寝ている深夜にでも用意していたのだろう、今朝だるそうにしていたのは寝不足だったからかもしれない。

 男性が秋良たちのいる棟を指さして何かを言った。

 やばい、見えてる? と秋良は不安になったが、

「ライトを不審に思っているだけだろう。逆光で私たちは見えていない」

 未来が断言したことで肩を撫でおろす。さすがに結月に気づかれては気まずい。

 どうやらライトについて話すのはやめたらしい。男性と結月は向かい合って何か話している。

 結月はなかなか渡す勇気が出ないのか、屋上からでは聞き取れないが雑談をして間を持たせているようだ。

 はっきり言っちゃえよ、と秋良も春霞も苛々してきた頃、未来が小さな声で「来たな」と呟いた。

 言われて目を凝らし、秋良たちも気がついた。ライトの光に照らされ、細かな氷の結晶が煌めいている。よく見ないとわからない程度だが、たしかに輝く粒が宙を舞っている。

「おいおい、ほんとに起こしちゃったよ」

「です、ます」

 思わずこぼれた秋良の言葉に、春霞が言葉にならない相槌を返す。

 二人が感動していると、下の二人も変化に気がついたようだ。

「え、なにこれ、綺麗!」

 驚いた結月の高い声が屋上まで届く。男性も驚いているようだ。二人はきょろきょろと辺りを見回している。

 小さなダイヤモンドダストに気を取られて、結月は小箱を隠す手をおろそかにしていたようだ。男性が、どうやらからかい口調でそれを指摘している。

 それをきっかけに、結月はその小箱を男性に手渡した。男性もまんざらでもないように見える。

 ――なんだよ、いい雰囲気じゃん。

 これ以上は見てはいけない気がして、秋良は顔を背けた。

 顔を向けた先には未来が立っていて、下の二人をなんだか寂しそうな微笑みを浮かべながら見守っている。いつの間にか束ねていた髪は解いたらしい、縛っていた跡がついて毛先が跳ねている。

 秋良につられて春霞も顔を上げたらしい。同じように未来の様子を見て、きょとんとした表情を浮かべた。

 秋良は「なんでこの人はこんな顔をしているのだろう」、と考えたところで、もしかして、と思い至る。

「未来さん、ひょっとしてあの女の人知ってるんすか?」

「ああ、彼女の初公演から彼女のファンだよ」

 結月は一年生の頃から演劇部で役者として活躍している。高校生の時から演劇は続けており、大学に入ってからも即戦力として舞台に上げられていたのだ。同じ大学に通う未来が、何らかのイベントで結月を見知っていてもおかしくはなかった。

「君のお姉さんだということも、知っている」

 わざとぼかして尋ねたのだが、見透かされていたようだ。

「未来。これ、知っててやりましたね?」

 春霞は未来を見据えて、確信めいた口調で言った。

「私は、彼女のファンさ。それ以上に言うことはないんだよ」

 そう言ってようやく下の二人から目を離し、未来は春霞たちに向き直った。

 そして、その表情に秋良は確信した。

 ああ、この人はこういう人なのか。

 そういえば、今日家に尋ねていったときにも、今と同じように髪が跳ねていた。インターホンで返事をしたのは未来だったのだから、寝ていたはずはなかった。

 あれは、今日のことを必死に考えていたのではないか。長い髪を束ねて、思考を巡らせていたのではないか。

 そういえば、先に火を起こした時の為のブロックを持ってきていたというのも違和感があった。やはり、ある程度先に計画を立てて行動していたのだろう。

 もしかして、バレンタインという日を避け、人に知られることを避けて仮病まで使おうとしていた姉の背中を押したのは、未来なんじゃないか。というのは、考えすぎかもしれない。



 帰ろう、という未来の言葉で三人は後片付けを始め、屋上には何も残さず共通教育棟を出た。火を消した時に水で濡れたところもあるが、そのうち乾くだろう。雪が解ければ、それに紛れるとも考えられる。

 結月たちはもう棟に戻ったのか、それとも家に帰ったのか、出くわすことはなかった。

 備品を全て部室に戻したところで、一息つく。重い昇雪機を抱えて階段を降りたのが留めになったらしく、秋良はしきりに両腕をさすっていた。これは明日、確実に筋肉痛だな。と秋良は憂鬱になった。

「今日はありがとう。おかげで、ダイヤモンドダストを見ることができた」

「まぁ、ごく短い時間に少量でしたし、プチダイヤモンドダストってところでしょうかね」

 未来のお礼に春霞が素直じゃない返事をする。普段は素直なのだが、未来が相手だと捻くれるようだ。

「いえいえ。なんか身内の背中押してもらったみたいで」

 秋良がそう言うと、未来は困ったように苦笑していた。



「部としての活動は、これで終わりにしようと思うんだ」

 大学を出た帰り道、突然未来がそう宣言した。

「部費はなくても私自身はお金に困らないし、なんというか、いいものを見れて決心がついたよ。一人で部活というのもおかしな話だ」

「でも未来さん、あの部室手放すんですか?」

 秋良の質問に、未来はにこりと笑い返した。

「いや、元のサークルという形に戻して、あそこはその活動場所として使わせてもらおうと思う。部費を出すこともなくなるし、査定の手間もなくなる、教授たちにとっても悪い話ではないだろう」

 その答えに納得し、秋良は「あー」と声を上げた。

「ところで、だ。サークルという形態を取った場合、学内の学生以外も参加が許可されることになる」

 未来の言いたいことがわかったのか、春霞は露骨に嫌そうな顔をした。

「つまるところ、他の大学の学生だろうと、高校生だろうと、参加が許可されるわけなのだ」

 ここまで言われれば秋良にも未来の言いたいことがわかった。初めて未来を先回りをした気分になり、頬が緩む。

「未来さん、はっきり言ってくれなきゃわかんないっすよ?」

 秋良が意地悪な笑みを浮かべているのを見て、春霞はため息をついた。ああ、なんで先を促すんですか。

「えっとだな……よかったら、入らないか。私のサークルに、助手として」

 助手として、と付け加えるところが素直ではない。でも、誘われたことが秋良には純粋に嬉しかった。

「いいですよ、自分の部活動以外の時間だったら、たまに手伝うくらいなら」

 秋良の返答に、未来が顔を輝かせる。「いいのか!」

「僕は、やるとは言ってないです」

 春霞が面白くなさそうに顔を逸らす。

「え、春霞、やらないのか」

 急にトーンを落とした未来の声に、春霞が振り返る。

「まぁ、でも、昔みたいな無茶をしないっていうなら、気が向いたら手伝ってやらなくもないのですよ」

 気がついたら秋良と春霞は二人まとめて未来に抱きしめられていた。

「もー、断られるかとハラハラしていたよ。よろしく頼むぞ、二人とも!」

 離せ、と春霞がもがき、秋良も「男同士で抱き合う趣味はないです」と抗う。意外とすんなり未来は二人を離した。

「これで君たちも〝ガジェット。〟のメンバーだな!」

「ガジェット……元々のサークルの名前に戻すんですか」

 春霞がそう言うと、未来は「いや、」と否定した。

「元のままっていうのもつまらないからな。ここはモー娘。に倣って句読点をつけることにする」

 え、古くないですか。秋良と春霞の声が重なった。

 未来はジェネレーションギャップを感じたらしく、僅かに顔を歪めていた。


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