眠らないで
ベロニカは昔よりもよく眠るようになった。眠ればまたあの哀しい夢を見てしまうのだけど、帰宅して風呂に入れば、夕食も摂らずに眠ってしまう。
現在ベロニカは、星老会から与えられた小さな家に一人で暮らしている。教会から近いのと、星老会の目が届きやすいというのが理由だ。
けれどベロニカはこの家を気に入っている。静かで落ち着いていて、一人で暮らすのに丁度いい大きさで。何より、窓からたくさんの星が見えるのが彼女のお気に入りだった。
惚けたように空を見つめる彼女の髪を、僕は丁寧に梳かしていく。洗い立ての彼女の髪からは、甘く、幸せな香りがした。
ベロニカが眠りにつくまでのこのわずかな時間、僕たちはいろんな話をする。ミサに来ていた子どもが可愛かったこと、今読んでいる本の進み具合のこと、ガイルの奥手ぶりにこっちがやきもきしてしまうこと、今日の朝食にお気に入りのマーマレードを使ったこと。
哀しい夢の中でも、楽しいことが思い出せるように。
「私感じるの。今日一日の幸せな話を二人でしているとね、この家全体に幸福が満たされていくのが。そうして幸福という羊水に満たされた子宮のようになるのよ。ここは世界中で一番優しい場所になるの」
「じゃあ僕たちは羊水に包まれた赤ん坊ってことだね」
「それもとびきり幸福な、ね」
ベロニカは話をしながら時々あくびをした。
僕はそれに気づいているけれど、話すことをやめない。ベロニカも必死に眠らないようにしている。
何でもないように振舞っているけれど、ベロニカは眠りを恐れている。アイリスの力があっても、デトラの哀しみすべてを拭いきれるわけじゃない。毎晩見るというあの夢は、確実にトラウマになっていた。
そして僕も、彼女が眠ってしまうのは怖かった。彼女は眠っている間は恐ろしく静かだ。寝息さえも聞えない。
まるでこのまま永遠に起きないのではないかと思うほどだ。
「大丈夫よ」
不意に、ベロニカがつぶやいた。どきりと心臓が鳴る。
「私は大丈夫だから」
その言葉を最後に、ベロニカは眠ってしまった。
一人残された僕は、彼女をベッドに横たえ、聞こえもしない「おやすみ」をそっとつぶやく。
また、心を読まれた。
不安を感じ取られてしまった。
いつもそうだ。ベロニカはいつだって僕の気持ちを汲み取って、優しい言葉をかけてくれる。僕はいつだってそれに救われていて、そのたびに今度は僕が彼女を救ってあげようと思うのに。
なのに。
窓の外を見やれば、一面に星々が光っている。
『私が守ってあげる』
不意に、6年前のベロニカの言葉が甦った。
あの日から何もかもが変わった。星の子として祭り上げられて、自由な時間も持てなくなって、毎日星の涙を流し続けて。ベロニカの生活はデトラ中心に回っているようだった。
それでもベロニカは泣き言も言わず、ただ笑っていた。彼女には、デトラのためならどんな運命でも受け入れるような、そんな危うさが見え隠れしている。
「分からないよ、ベロニカ。どうしてそこまでして君はデトラを守りたいの?」
分からない。だから怖い。これから君にどんな運命が待ち受けていて、君がどんな行動を起こすのか。
このままじゃベロニカが遠くに行ってしまいそうで。
そばに居続けることすらもできなくなりそうで。
「教えてよ。僕は君に対して何ができる?」
そうつぶやいても、彼女の耳には届かない。
星明かりはいよいよまぶしく、僕とベロニカの間に暗く深い影を作り出していた。