1日目 奈良その1
京都からは近鉄特急で奈良まで約三十分。広告の宣伝文句のようだが、本当にその通り。快適な小旅行を終えて、奈良に到着した。
地下改札から地上へ上がると観光案内所があったので、簡単な地図を貰ってから外へ出る。良い具合に今日から三日間は晴れそうだ。
「奈良と言えばやっぱり大仏様よね。あ、興福寺の阿修羅像も見たーい。春日大社も行きたーい」
「へえー、大仏様って何なんすか?阿修羅像?春日?」
「夏樹なーんにも知らないのね」
「まあそんなに攻めてやらないで下さい、夏樹は本当に日本が初めてなんですから。夏樹、百聞は一見にしかず、見ればわかるよ」
などと話しながら、まずは東大寺へ行こうと言う事で、駅から奈良公園方面に向かって歩く。けっこうな坂道だ。
しばらく上って行くと道は平坦になり、右手に奈良公園が広がる。その向こうに木々のあいだから興福寺が見える。歩いていると、夏樹が急に悲鳴を上げた。
「うぇー!なに?…え?鹿!?」
見ると、一匹の鹿が夏樹の背中を頭で押している。
「なんでなんで?!なんで鹿がこんな所に~」
そうか、夏樹は奈良も初めてだったんだ。そりゃあびっくりするわよね。鹿が放し飼い?になってるんだから。
なぜ奈良に鹿がたくさんいるかと言うと、その昔、春日大社を創建する際に、神様が白鹿に乗って奈良の地に入られたと言う言い伝えがある。そのため、奈良では鹿は神の使いだと言われ大切にされている。
と、教えてやると「へぇ~。日本はやっぱ不思議の国だね」とかなんとか言って、感心している。
「それにしても、夏樹って女の子にもてるのね~。このこも女の子よ」
そう言ってからかってやる。そう、角がないので雌の鹿だ。
「えー勘弁してくださいよぉ~。ほれ、俺についてきても何にも良いことないぞ、あっちにいっぱい仲間がいるじゃん」
と言うと鹿はあっさりと離れていった。
国立博物館をすぎて少し歩くと、東大寺への案内版が見えてくる。道を折れると、まっすぐに大仏殿への参道が続いている。ここにも鹿がたくさんいる!人間もたくさんいて、鹿せんべいを買って鹿にあげていたり、写真を撮ったり。そんな光景を見ながらしばらく歩くと、南大門という大きな門にたどり着いた。
「うわぁ、これはなんすか?」
「南大門と言って南にある入り口みたいなものかな。ここには仁王様がいらっしゃるんだって」
と言いながら門の両側にいらっしゃる阿吽の像に近づいて、思わず息をのんでしまった。
うわぁー、すごい!ここの仁王様、すごく大きい!東大寺には何度か来たことがあるのに、仁王様をまじまじと見るのは初めてかもしれない。でも…でも…。
「かっこいい~~」
当然、仁王様なのでお顔はとっても怖い。でも、踏みしめた足から続く筋肉のひとすじひとすじが…すごい!。実際の男の人では、あまりにもムキムキはちょっと勘弁してほしいほうなんだけど、ここの仁王様は無駄な脂肪がひとつもないという感じの、すごく綺麗な筋肉をしていらっしゃる。
ぼお~っとほうけながら仁王様を見上げる私を、ふたりは唖然として見ていたが、しばらくすると、
「へえ~、由利香さんってこんな強面の人が好みなんすか?」
と、夏樹がからかうように言う。
「違うわよ!お顔は怖いと思うんだけど…この無駄のない身体の線。無駄なく付いている筋肉。綺麗だと思わない?」
「そうですね、仁王様は金剛力士と言って、寺院の中に悪い物が入らないようにする守護神ですから。敵?になるのでしょうか?と闘うために鍛えた体をしているのでしょう」
「そうなんだ、そう言えばすげぇー」
夏樹もようやく気づいたようだ。右と左を行ったり来たりして、像を見比べている。
そのあとは大仏殿へ向かう。赤い大きな中門から先は、拝観料を払って入るようになっている。中庭?と言うのかな。大仏殿までの前庭が広い広い。やっとたどりついた建物も見上げるような大きさ。階段を上ると、ようやく大仏様にお会いできた。
大仏様も久しぶりだ。相変わらずお優しくていいお顔をしている。いつもながら、手の表情のしなやかさと、指の美しさにも見とれてしまう。
知らず知らずのうちに手を合わせていた。日本人ならではなのかな。夏樹などは最初、大仏様の大きさにただぽかんと見とれていた。
「ふえー、おっきいですね~。ここは何でもかんでも大きいや」
「そうでしょう。それにどの仏様も良いお顔をしてらっしゃるし」
そう言いながら、後ろの方へまわったり、子どもがくぐると丈夫に育つと言われている柱の穴を見たり。夏樹は調子に乗って柱の穴をくぐってみようとしていたが、鞍馬くんにたしなめられてあきらめた。
東大寺を後にしたあとは春日大社に参拝し、そのまままっすぐ興福寺へ向かうはずだった。ところが観光案内所で貰った地図を見ていた夏樹が、
「なんかいま、見つけたんすけど、〈ならまち〉っていうところがあって、そこがね、そこがね、いいらしいんすよ」
なるほど、〈ならまち〉と言うのは元興寺の旧境内を中心とした、古い町並みが残る人気のスポットだと書いてある。その界隈はしゃれたカフェも多いということだ。鞍馬くんもカフェと聞いて心が動いたもよう。
「いろんな店を見ておくことは、良い刺激になるかもしれませんね」
「やった!じゃあ決まり!」
猿沢池の南側に位置するならまち一帯は細い道が多く、パンレットに載っているとおり、趣のある家屋が所々に残っている。
てっきりカフェ巡りをするのだと思っていたら、やれ資料館だ、物語館だ、あっちのお寺だ、こっちのお寺だ、と、夏樹にさんざん歩き回らされる。そうやって小一時間もウロウロしただろうか。
「もう限界!どっかでお茶したいー、すわりたいー。夏樹のせいよ、どっか探して!」
さすがに疲れてきた私は、わざとわがままっぽく叫んでやる。
「わっ、すんません。あんまり面白かったもんで…。えーっと、カフェカフェ」
夏樹があたふたして地図を広げだしたとき、すっと鞍馬くんが指先をあげた。その向こうに小さな森のような庭が見える。そして、ふっとこちらをみる鞍馬くんと目があった瞬間…
「!」まわりの景色がすうっと消えて、身体が浮遊する。見えるのはあの森のような庭だけ。あ、この感じ久しぶり、初めて鞍馬くんに会ったとき以来だわ!などと、悠長なことを考えていると、いきなりどんっと身体が重くなってまわりが元の光景に戻る。私は、また今頃なんで?などと思いながら、しばらくはぼうっとしていた。
「由利香さん?」
夏樹の声にはっとして我に返る。鞍馬くんを見やるとちょっと困ったような顔をしていたが、
「あそこに何か店があるようですよ、行ってみましょうか」
と、さっきの小さい森庭を目指して歩く。正面から見ると、自然の優美さを取り入れたコンパクトなイギリス式庭園が、奥の入り口へと続いている。看板にcafeの文字を見つけたので「やった!」とガッツポーズをして鞍馬くんの後へと続いた。
表から見た感じは小さな一軒家のカフェなのだが、中に入ると思ったより広い。しかも、店の外にはかなりおおきなテラスと庭があった。
「すてき…」
思わず声が出る。おとぎばなしに出て来るような可愛い壁紙と、テーブルごとに異なるチェアやソファ。チェストに飾られた調度品や薔薇の花。カフェというよりどこか個人のお宅にお邪魔しているような感じだった。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
マスターらしき人が声をかけてくれたので、私は迷わず庭に面した席についた。
「おもてから見るより広くて素敵ね~」
「女の人ってのは、こういう感じの店が好きですよね」
「そうよう~、座ってるだけでロマンチックになれるわ」
けへっ、と笑う夏樹の頭をはたく真似をしていると、
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
と、さっきのマスター自ら注文をとりに来てくれる。
「あ、えっとメニューを見せていただけます?」
「はい、こちらです」
メニューを受け取って開くと、夏樹は横からちょっと真剣に眺めてくる。やっぱり他のお店のことは気になるわよね。鞍馬くんもだ。
「当たり前ですが、もうランチの時間は終わっていますね。それでは、私は飲み物だけで」
「うーん、俺はスイーツ食べよっかな」
「あ、私もわたしも」
夏樹と二人、あれがいいこれがいいと迷いに迷ったあげく、結局二人ともケーキセットに落ち着いた。飲み物は、どちらかというと紅茶に重きを置いている雰囲気だったので、それぞれ違う種類をオーダーした。