親方登場
今日は木曜日。今ではアルバイト先となった元会社に出勤の日だ。
いつもなら絶対に定時であがってやるのだが、今は殺人的に忙しい時期で、なまじっか仕事を知っている私は便利に使われるのだ。上司は調子よく「ごめん!、秋さん。この埋め合わせは必ずするからね~。」と言ってくれるが、埋め合わせがあった試しは、ない。
ようやく会社から解放されたのは、定時をはるかにすぎたあとだった。もうヘロヘロで、スーパーにもコンビニにさえも寄る気力がないまま家路をたどる。あー確かカップラーメンの買い置きがあったなー、もう、今日はあれで晩ご飯すませよう。などと、およそ若い乙女の思考ではないことを考えながらマンションの近くまで来ると『はるぶすと』にまだ明かりがともっているのが見えた。
ラッキー!鞍馬くんがいるんなら、ランチの残った材料でなにか「まかない」作ってあるかもしれない。
以前にも似たような状況があって、その時はコンビニ弁当を買って帰っていたのだが、お店を覗くと鞍馬くんがちょうどその日の残り材料でサンドイッチを作っていた。
「わー、おいしそう~。ねえ、このお弁当とそれ、交換しない?」「え、良いですが…」「やった!じゃあこれね。このお弁当ね、RAWSUNこだわりの高級食材を使ったお弁当なのよ。ちょっとお値段も張るんだけどね」「よろしいのですか?私の作った残り材料のサンドイッチなどと交換して」「うんうん、だって見れば見るほど美味しそうなんだもん、このサンドイッチ」
期待どおりに、いや、それ以上に鞍馬くんのサンドイッチは美味しかった。あ~、またああいうの食べたい。
「こんばんは~、今日は珍しくまだあいてるのね」
と、入っていこうとしたとき、
「じゃあ鞍馬くんよろしくな!よーく考えてくれよ、よーくな」
出てきたのは、うちのお店を改装するときに担当してくれた工務店の親方。いや、社長って言わなきゃならないのかな。でも風貌はどう見ても親方よね。坂之下工務店の坂之下泰蔵さんだった。鞍馬くんの事をえらく気に入って、スカウトしていたのは知るとおり。お店の完成後も、ちょくちょくお店にコーヒーを飲みに来て下さる、今では常連さんだ。
機嫌の良い坂之下さんを見送る鞍馬くんは、ちょっと苦笑気味。なんだろ。
「こんばんは、まだ開いてるのね。いーい?」
「由利香さん今日も残業ですか?ええ、どうぞ」
カウンターに座りながら鞍馬くんの手元を見るが、今日はなにも作っている様子はない。
「あー、今日はまかない作ってないのね、残念だわ」
「え?」
「この前コンビニ弁当とサンドイッチ交換したことあったでしょ。今日はもう疲れちゃってどこにも寄れずに帰って来ちゃったから、はるぶすと開いてるの見て、ラッキー!って思ったのよね、じつは」
「それなら何かお作りしましょうか?今日はそうですね…。パスタならすぐに出来ますが」
「えー!いいの?嬉しい」
「私も夕食がまだでしたので。一人分も二人分も変わりませんから」
本当に嬉しい。思わぬところに埋め合わせがころがっていた。
「ところで、親方は何しに来たの?えらく上機嫌だったけど」
「ええ…求婚されました。」
「球根?窓際にチューリップでも植えるの?」
「いえ、その球根ではなく」
「きゅうこん…、って他には、求婚?え?求婚って、ええっ!?だめよだめよ、ええっ、坂之下さんって奥さんいるんじゃないの?そっちの人だったの?!日本ではまだ同性同士の結婚は認められてないわよ!いくらいい人だって、ほだされちゃだめよ、くらまくん!」
あんまりびっくりしたので、真っ赤になってぎゃあぎゃあ言う私を見て、
「???」
鞍馬くんはしばらくよくわからない風に考えていたが、やがてうつむくと肩をふるわせ、こらえきれずに吹き出した。カウンターの中で身体を折って笑っている。
「なによ、心配してるのに!」
「いや、あっははは、あ、すみません。由利香さんは、ははは、よく、主語を省かれるのでつい、誰がと言うのを省いて、ふふふ、私もうつってしまったのかな……くく」
驚いた。鞍馬くんがこんなに笑うなんて珍しい。
「すみません、私としたことが…。いえ、違いますよ、求婚のお相手は坂之下さんのお嬢さんです」
「え、ああ娘さん?親方娘さんがいらしたの?」
「ええ八歳だそうです」
にっこり笑いながら言う鞍馬くんに、ガクッと頭が落ちた。
「八歳って、親方…気が早すぎ…」
詳しく聞いてみると、鞍馬くんの事をどうしてもあきらめきれない親方が、よわい八歳のお嬢さんの結婚相手を鞍馬くんにと「求婚」しに来たようだ。お嬢さんはもちろん知らない、と、おもう。
「それなら、お嬢さんも承知の上なのですか?とお聞きしたら、言ってないとおっしゃるので、なら、了解をもらってからならお話を伺いますと言っておきました」
ほら、やっぱり知らないわよね、まったく。でも親方ってたしか五十歳を超えていたんじゃないかしら、それで八歳の娘さんって。
「長いことお子さんに恵まれなかったようですよ、本当に可愛くて仕方がないようですね」
そんな話をしているうちに、ニンニクとオリーブオイルを炒める、いいにおいがただよってきた。
「ああー良いにおい」
「本日のまかないは厚切りベーコンのペペロンチーノです。ペペロンチーノお好きだとおっしゃってましたよね?」
「ええ!良く覚えてくれてるわね!」
「お客様の嗜好を覚えるのも仕事ですから」
「え?お客って私は…」
「今日はお客様ですよ」
と、ウィンクしてみせる。
はあ、こりゃー女性客のリピーターが多いはずだわ。私ですら勘違いしそうだもの。鞍馬くんってやはり天然の人たらしだ。
「…はあ…」
「どうかされましたか?」
「いーえ、せいぜい誤解されないようにしてね」
「?」
でも、正直な気持ち、鞍馬くんなら何を言っても受け止めてくれそうだ。ここに座って楽しそうにしているお客様もこういう感じなのね。
会社の愚痴言って気晴らししたくなる。言っちゃおうかな~と思ったその時。
「どうぞ」
と、スープカップが差し出される。「え、スープ?」てっきりパスタだけだと思っていたので、びっくりしてそれを見やる。
「ランチの野菜スープの残りです」
スープにカリッと焼いたバケットとチーズをのせて、オーブンでオニオンスープ風に仕上げてある。その上、「野菜が足りないと思いまして。」と、もう一品出てきたサラダにはちょっぴりだけど生ハムがのっていた。
そして厚切りベーコンの入ったペペロンチーノ。あの短い時間にこれだけのものを作るなんて、本当に魔法みたい。
「すごい…このメニュー、ランチに出せるんじゃない?」
「…ランチにするのでしたら、パスタを半量にして、何かもう一品加えたほうが良いですね。これだとバリエーションに欠けますし。そしてスイーツも」
と、いたずらっぽく。
そうなのだ、日替わりランチも日々進化している。鞍馬くんのランチはそれだけで充分満足できるのだが、「あとでちょっと甘いものも食べたくなるわよねー」と、ふともらしたお客様の言葉を聞いて、プチケーキをランチにつけてみたところ、これがとっても好評だったのだ。お値段はそのままなので、ランチのレベルも下げずにいられるのは鞍馬くんの努力の結果だ。
「いただきまーす」
さめないうちにいただこうとして、カップを持ち上げる。
「失礼、髪の毛が入りそうですよ」
と、鞍馬くんが私の方にかがんで、口元に手を伸ばしてきたその瞬間、
「そこまでだ!」
ドアがバチーンと音をたてて開け放たれた。
「坂之下さん?」
「親方?」
ゼエゼエ息をきらせて入り口に立っているのは、さっき帰ったばかりの坂之下さんだった。
「あんたはなんだね!鞍馬くんはわしの娘の婿候補だ。あんたは、くくくらまくんとは、どういう関係なんだ」
どういう関係と言われても、ただの店主と従業員ですが。というか、坂之下さん、お店に来たときいつも私と話してるじゃない!
「坂之下さん、落ち着いて下さい。彼女はうちの従業員の秋ですよ。それより、どうなされました?」
「従業員?…ああそうなのか、いやすまん。え?あんた秋さんか?!いやー今日はなんだか雰囲気が違うもんで、わしはてっきり鞍馬くんを誘惑しているんだと…ハハハ」
坂之下さんは顔をひきつらせて、笑いながらカウンターの椅子にすわる。
誘惑って、どこをどう見たらそんな風に見えるのよ、だいいち私の顔に手を伸ばしてきたのは鞍馬くんの方だと思うけど。私はまたガクッと頭を落とした。
「坂之下さーん勘弁して下さいよー。私今日はそれでなくても仕事で疲れてるのに。と言うわけで、すみませんがこれ食べさせていただきますね。おなかぺっこぺこなんです」
と、スープに口をつける。うーーん、やっぱり美味しい!
「いやーごめんごめん。それにしても秋さん今日はなんというか、美人だ!いや、いつもが美人じゃないと言ってるわけじゃないぞ。いつもは、そうだな…どちらかというと可愛い?んだが」
可愛いに?がついているのに引っかかりを感じますが。
まあ今日はいちおうOLの日なので、メイクもデキル女風にしっかり、ばっちりしています。スーツも着ているしね。
「彼女は以前の仕事とこちらとを掛け持ちして下さっているんですよ。今日は会社帰りなのでたしかにお綺麗ですが、少し冷たい感じですね。武装モードとでも言いましょうか」
「なるほど」
「どちらかというと、私は『はるぶすと』にいる由利香さんの雰囲気のほうが、ふわっとしていて好きですよ」
サラダを食べていた手が止まる。だからー、何でこの人はそんな恥ずかしいセリフをさらっと言えるのかしら。照れてしまって顔が上げられない。きっと赤くなってるだろうな。
「いやいや、鞍馬くんは上手いこと言うな。女性に優しい。あ、ところで、さっき帰ってる途中に忘れ物に気づいたんで取りに来たんだよ」
「これですか?」
「あ!それそれ、いやぁありがとう」
忘れ物というのは、坂之下さんにしては少し可愛いめのハンカチだった。
「これはな、あやねがわしの誕生日にプレゼントしてくれたんだよ。もう嬉しくてうれしくて。忘れるなんてどうかしていたな」
と、本当にとろけそうな笑顔でハンカチにほおずりする。あやねちゃんっていうんだ、お嬢さん。なんとなくだけど、きっと、とても可愛い子なんだろうなと思ってしまった。
と、いきなりキュルルルルーっと坂之下さんのお腹が派手な音をたてて鳴った。
「ありゃ、いやー。秋さんが食べてるのがあんまり美味そうなんでね」
と頭をかいて言う。
「よろしければ、坂之下さんもいかがですか?」
「いやいや、帰ればマイハニーが美味しい夕食を作って待っててくれているんだよ。これがまた出来たヤツで。」
と、鼻の下をのばす。あら、のろけ?奥様のこともずいぶん想ってらっしゃるのね。
きっと素敵な家庭なんだろうな、顔に似合わず?ふふっ。
「ハンカチがあったんで、もう失礼するよ」
ほんとうにいそいそと言う感じで、坂之下さんは帰って行った。ドアが閉まると急に十人も人が減ったように静かになった。
「やれやれ、嵐のような人ね」
「そんな風に言うものではありませんよ」
と、たしなめられる。
「ごめんなさい、でも鞍馬くん、今後が大変ねー。もしお嬢ちゃんがOKしちゃったらどうするの?」
「その時は、事情をよく説明して、あきらめて下さるよう説得します」
「…もしかして鞍馬くんって、結婚してるの?」
「いいえ、結婚制度に興味はありません」
「結婚制度って…え?じゃあ籍は入れていないけど、奥さんがいるとか!」
とんでもない事を言った私の声に応えるように、
「ついでに子どもまでいるんじゃないッスか?」
と入り口の方から、聞き慣れた声がした。




