無事帰還?
風光明媚な★市にある『はるぶすと』の最寄り駅。
改札を抜けると、すねたような顔をした夏樹が、もたれかかっていた手すりから身を起こす。鞍馬くんはこちらを見て優しく微笑みながら「お帰りなさい」を言う。
「あ、ただいま…」
きっと伊織が連絡してあったのだろうけど…。
二人の姿を見た私は、突然、十年も連絡が途絶えていた旧友に巡り会ったかのような気持ちがあふれてきて、今度は本物の涙がこぼれ落ちた。あれ、何で迎えに来てくれた位で
…。私いつからこんなに涙もろくなったのよ、もう!なさけない。
びっくりしていた夏樹は、また騙されたと思ったのだろう。
「もうその手には引っかかりません…よ。え?」
でも、私が本当に泣いているのだと知ると、またあたふたと「え?え?なんで?」とか言っている。私は泣き笑いになりながらそれを見ていたが、すっと頬にハンカチがふれたかと思うと、「大丈夫ですか?」と鞍馬くんが言ってくれる。これってこの間のあやねちゃんの時と全く同じね、などと考えていると、ふと伊織の言葉がよみがえった。
《人類愛?はカッコよすぎかな》
そしてその時、唐突にすべてのことが腑に落ちた。
鞍馬くんのあの優しさや気づかいは、千年人の本質である人類愛というか、博愛精神だったのだ。誰に対しても同じ愛情を注いでくれる。それは、お調子者の夏樹にしても、人で遊ぶ伊織にしても同じ。だからこの人たちのそばはこんなに居心地が良いんだ。
「ありがとう」
私は受け取ったハンカチで涙をぬぐって言った。そして、まだアワアワしている夏樹に向かって、
「びっくりさせてごめん。でも夏樹って本当に涙に弱いのね。夏樹を落としたいんなら、泣いてみせればいいわよってファンの女の子に教えてあげようー」
と、立ち直った顔で言ってやった。
「えー、やめて下さいよぉ。いつも強くて頑張ってる由利香さんだから、泣かれると困っちまうんすよ。女だから泣いて当然って思ってるのが泣いても、何ともないっすよ」
へえー、そうなんだ。でも、夏樹がそんな風に言うとは思いもよらなかった。へらへらしてるのにけっこうきつい。ちょっとびっくりしている私に、
「僕たちはね、由利香。人間の本質を見る目は確かなんだよ」
伊織はそう言うと、「さあ、早く君たちのお店に案内してよ~」と催促する。
鞍馬くんが心配そうにこっちを見たので、ニッコリしてうなずいた。
「もう大丈夫よ、帰ろう。お腹すいたー何か美味しいもの作ってよ、鞍馬くん」
「はい」
鞍馬くんはホッとしたような笑顔になって、「こっちだよ、冬里」と伊織を伴って歩き出す。駅前の喧噪から少し遠ざかると、★川沿いに桜並木の遊歩道が続く。私たちはその道を『はるぶすと』をめざしてのんびりと歩いて行ったのだった。
「へえー。これが噂の『はるぶすと』?」
「冬里、茶化さない」
「ごめんねー。だってすごく楽しみだったんだもん」
伊織は『はるぶすと』の入っているマンションに着くなり店を開けてもらって、店のあちこちをくまなく見て回っている。思ったより明るい色だね、とか、なんだかシュウにしては乙女チックー。由利香の趣味?とか好きなことを言っている。本当は先に部屋に帰りたかったんだけどな。まあ、仕方がないからお腹を満たそう。
「お店はお休みだけど、何か作れる?」
鞍馬くんにそう言うと、少し考えていたが、
「今朝は何を食べられました?」
と、聞いてくれた。
「えーと、オムレツとサラダとフレッシュジュース!」
「ああ、冬里はだいたい朝は洋食でしたね。それでしたら和食の方が良いですか…」
「僕は中華でもいいよ~」
伊織がまた口をはさむ。
「へえ~。鞍馬くんって中華も作れるのね」
なんだかもう驚きもしなくなっていた。きっと中国宮廷料理でも作れそうよね。
「さすがに本格的な中華までは…」
「あらそうなの?、鞍馬くんにも無理なことがあったんだ」
気軽にもらしたひとことに鞍馬くんはちょっと苦笑いしていたが、
「今度どこかへ修行しに行きますか。その前に今日は簡単な中華に挑戦してみます」
「え?シュウさん中華料理の修業に行くんすか!それなら俺も一緒に連れてって下さいよー」
夏樹が目を輝かせて騒ぎ出した。本当にこの子は料理のこととなると、見境がなくなるわね。でも、修行なんてその間お店はどうするのよ。それに、また試食地獄は嫌だからね。
「ダメダメ!貴方たちが修行に行っちゃったら、誰が『はるぶすと』の料理を作るのよ。お店をつぶしちゃったら容赦しないからね!」
鞍馬くんと夏樹はほけっとした顔で私を見ていたが、二人で顔を見合わせてちょっと肩をすくめて笑い合った。そして鞍馬くんがわたしの方へ来て、
「大丈夫ですよ。こんなに怖い由利香さんを放って行ったら、あとが大変ですから」
と、頭をくしゃっとなでた。びっくりして顔を見ると、ものすごく優しい顔で微笑んでいる。私は照れてしまってうつむいた。顔が真っ赤になっているのがわかる。
ホントにもう~。鞍馬くんの優しさは時たま凶器だわ。
「それから、やはり昼食は部屋でよろしいですか?日曜日に店を開けているのはまずいかと思いましたので」
「あ、そうよね。じゃあ私もいったん荷物を置いてから行くわ」
とりあえず、いちど自分の部屋へ帰れて良かった。私はきちっとした外出着を部屋着に着替えて、簡単に荷物の整理をしてから鞍馬くんの部屋へ向かった。
「いらっしゃーい。シュウの部屋ってなんか落ち着くね~」
リビングへ入ると、伊織がソファに陣取ってずいぶんくつろいでいるご様子。ホントに伊織はどこへ行っても同じね。私は伊織の隣に座りながら言った。
「伊織何してるのよ、お昼ご飯の用意は?」
「えー、だって今日は僕お客様なんだって。ここはいいからあっちへ行けって、さっきキッチンから追い出された」
「あらそう、それはそれは。それで何作ってるんだろう」
「さっきの由利香の言動が、シュウの料理人魂に火をつけちゃったみたいだよ」
伊織はさも可笑しそうに言った。ええー!なによそれ。
「簡単だけど日本じゃあんまり作らないよね。皮から作る肉まんだって、ふふ。時間かかりそう」
わあーすごい、肉まんって皮から作れるんだ。と、感心している場合じゃない。このぶんだと今日はいつになったらお昼にありつけるのかしら。そんなことを心配していると、
「でっきましたよ~」
夏樹が何やら盛りつけたお皿を両手に持って運んでくる。
「え?もう出来たの、肉まん!」
「へっ、ああ、それならシュウさんが時間がかかるからって、」
「今、皮をこねて休ませてあります。おやつにお出ししますね」
そう言って鞍馬くんもお皿を持ってキッチンから出て来た。
テーブルに並んだのは、美味しそうなあんかけチャーハンだった。
「やっぱり鞍馬くん中華も作れるんじゃない」
「ずいぶん昔に習ったのですが、さすがに当時のままでは今に通用するかどうかわかりませんし。これは現代のレシピを使っていますので、安心して下さい」
「ずいぶん昔って…?」
「…三百年ほど」
ちょっと言いにくそうに鞍馬くんが言う。いくら正体?をばらしてくれたとはいえ、三百年とか言われると二の句が継げなくなる。そのうち慣れるかしら。
「え、シュウさん中華習ったことあるんすか?じゃあもう修行なんて行かなくて良いじゃないですかー。ずるいっす」
ちょっとブルーになりかけた気分を料理一途の夏樹が救ってくれた。本当にうらやましいのだろう、ぷーっとふくれている。その様子が子供じみてて笑ってしまう。
「夏樹はまず和食でしょ。そのうち日本を旅して色んな土地の味を覚えるのもいいかもね」
「うわーそれいいっすねー。乗った!伊織が一緒に行ってくれるんですか?」
「うーん、それだと引退しなきゃならないね。いつになるかな~。二十年後?」
なんだか気の長い話をしてるわね、こうなると私はついて行けないので食べることに専念する。
やっぱり鞍馬くんの料理は何を食べても美味しい~。
「あ、そう言えば依子さんの送別会、今度の水曜日になりましたよ」
しばらく伊織と夏樹は未来の旅行話で盛り上がっていたが、ふと夏樹が思い出したようにこちらに向かって言った。
「え、ずいぶん急なのね」
「依子さんも色々準備があるみたいで、早めにしてほしいからって。それでね、どこからどう漏れたかわかんないんすけど、常連さんで依子さんと面識のある人が何人か参加したいって言われて。で、人数がふくれあがって二十人くらいになっちゃいました」
「それじゃあ『はるぶすと』だと全員座れないじゃない」
『はるぶすと』の座席数は十三。椅子をふやしたとしても、スペースから言うと、せいぜい十五、六人がせいいっぱいだろう。
「ええ、ですから夏樹とも色々考えたのですが、立食にしようかと思っています」
「ああ、それなら何とかいけるわね。立食パーティなんて素敵。依子さんの雰囲気にぴったりだわ」
「ふーん、由利香は依子の事をそういう風に美化してるんだ」
伊織がまたただならぬ発言をする。そう言えば依子さんの事ニガテだって言ってたわね。
「あら、しつれいよ、そんな言い方」
「依子には何言ったって失礼じゃないの」
それを聞いていた鞍馬くんは、本日何度目かの苦笑をして、
「依子さんは私たちより少し年上なので、私たちを可愛がってくれるものですから」
「!」
鞍馬くんたちより年上って…四百年以上!ってことよね。それであの美しさ、うらやましすぎるでしょ。私がほうっとため息をついていると、
「ほとんど変わらないじゃない。なのに、ああしろこうしろ、あれしちゃ駄目、これしちゃダメってうるさいんだもん」
私はおもわず吹き出してしまう。そうか、依子さんってお世話好きなのね。確かに伊織は、あんまりかまわれるのは嫌そうなタイプよね。
そうやって伊織はふんっと言う感じだったが、ここにいない人の事をあれこれ言うのがばからしくなったのだろう、すぐに機嫌をなおして鞍馬くんに聞いた。
「ところで立食ならどんな料理を用意するつもり?」
「うん、フレンチにしようかと思っているんだけどね。冬里がいるなら和食を任せることも考えようかな。夏樹の勉強にもなるしね」
「やった!」
夏樹は伊織が和食を作ると聞いて、しっぽがあったら振り切るほどの勢いで喜んでいる。伊織は「うん、わかったよ」と、快く了解してから鞍馬くんにこう告げた。
「じゃあシュウ、協力するからさ。せっかくのパーティなんだからちょっと本気出してくれる?」
「え?」
鞍馬くんは訳がわからないと言う様子で伊織を見ている。
「由利香がね、シュウの作る、ものすごーく美味しい料理はまだ食べたことがないんだって。だから~、ものすごーーーく美味しいのを食べさせてあげたいんだよね」
「なにを言い出すの!?あれは私がいつもタダ飯食べさせてもらってるから、お金を払ってちゃんとしたランチ食べたことがないって言っただけでしょ!」
伊織ってば恥ずかしいこと言わせないでよ、ホントのことだけと。でも、また苦笑いするかなと思った鞍馬くんはちょっと考え込んでいる。やがて決心した感じで言った。
「わかったよ。でも、今回だけね。あまり騒がれるのは好きじゃないし、だいいちそれで困るのは私たちだよ」
「え?え?何を言ってるの?」
今度は私が訳がわからない。すると伊織がチッチッと人差し指を振りながら言った。
「前に言ったでしょ?シュウは別格だって。彼の本気の料理は本当にすごいんだよ」
「そんなに?」
夏樹の方を見ても深くうなずくだけ。うんうんとね。鞍馬くんは今度は苦笑いして、
「でも、今でも自分自身にそんな才能があるとは思えませんよ。私はただ美味しいものを食べてもらいたくて、その嬉しそうな顔が見たくて、思いを込めて作っているだけです」
と、照れたように言う。そのあと、
「あ、それと、冬里の言う本気は一品だけにしますから、どの料理がそれか、由利香さん当てて下さいね」
ニッコリと笑って言うので、私は思いっきり「えー!」と反発してやった。でも、こういう言い方の鞍馬くんが後に引かないことは重々承知なので、仕方なくうなずく。
だけど、ちょっとまてよ…。
「じゃあ今まで、まかないやタダ飯はともかく、お店のランチすら本気出したことないの?。食べさせてもらって偉そうなこと言えた義理じゃないけど、なんで?」
鞍馬くんが躊躇して言いよどんだので、そのあとを伊織が引き継いだ。
「あんまり美味しいからさ、うわさがうわさを呼んですごいことになったことがあるんだよ。んーと、いつだっけ?お屋敷にいる頃?シュウの取り合いで戦になるんじゃないかとまで言われたんだよね、あのとき」
「なにそれ」
「そうですね、今まで本気、ですか、で料理して良いことがあったためしがないので…。私はただ美味しいものを食べてもらいたいだけなのに、それがかえって事態を混乱させてしまうようです」
「そうでしたよねー。当時はまだ今みたいにメディアが発達していないのに、すっげえ遠いところの領主がうわさを聞きつけてやってきて、ムリヤリ連れて帰ろうとした事もありましたよね」
当時と言うことは、お屋敷にいた頃って百年単位で昔なのね。でも、そんな頃にその評判ということは、現代なら…。
私は『はるぶすと』にTVのリポーターが押しかけて大騒ぎしていたり、何時間も待っている行列が出来たり、訳のわからない料理評論家が、鞍馬くん相手に偉そうにうんちくたれていたりする図を思い浮かべた。うわーうっとおしい!思わずドン!とテーブルを叩いて口走った。
「冗談じゃないわ!『はるぶすと』がめちゃくちゃになるくらいなら、本気なんて出さなくていいわよ、鞍馬くん!」
「由利香、なに考えたの?」
「あ、えーと。有名になりすぎるのも考えものだと思ったの。きっとメディアが押しかけて、その時だけ騒ぎ立てるのよ!ばっかじゃない。その上成金たちが鞍馬くんを取り合いしに来るのよきっと。そんな奴らには鉄拳くらわしてやる!私が守ってあげるからね、鞍馬くん!」
三人とも、伊織までびっくりしたようにこっちを見ている。その伊織が急に私の頭をなでながら嬉しそうに言った。
「よしよし、由利香は良い子だねー。由利香の言うとおり、百年人には自分の欲のためなら手段を選ばないのが多いんだよね。それに比べて由利香はホントに偉い」
「あ・…ありがとう…」
なんだか妙な気分。どう見ても見た目は伊織の方が下なのに、良い子だねーとか言われても。でもこの人たちは何百年も私より年上?なのよね。鞍馬くんはそんな私に守ってあげるとか言われたものだから、ちょっと複雑そうな顔。
夏樹はというと、
「やっぱ、由利香さんはおっとこまえだわ!」
そう言って親指を立てたのだった。




