出会い
当たった…当たってる?いや、まさか冗談だよねーははは~。
誰もが夢見る「福夢くじ」の一等賞。私もご多分に漏れず、何度も夢を買ってはがっくり肩を落とすのくり返しだった。今年の最初に出たそのくじは一等、一億円!こんなのあたるわけないよねー。とか何とか言いながら、何の気なしに買い求めたものだった。
いつも抽選日にはネットで目をさらにして番号を確かめるのだが、なぜかその時はすっかり忘れてしまい、ずいぶんたってから確認したのを覚えている。そして、なんと、なんと、当たっていたのだ。一等一億円に!。
絶対に誰にも言わない。家族にも、友達にも。
引き替えに行ったら否応もなく、どこからか情報が漏れてしまうのよ。そして、マフィアか何かにさらわれて、コンクリート詰めになって★湾に沈められるのよ、と、友達が冗談とも本気ともつかないような事を言っていたな…わー!どうしよう!このまま引き替えない方が身のためだよね。でも、でも。
数日間はああでもない、こうでもないと脳みそが溶けるほどグルグル考えていたのだが、ある日宝くじ発売BANKの前を通り過ぎようとしたとき、なにか強い力に引き寄せられるようにフラフラっと入っていってしまったのだ。
「いらっしゃいませ。お客様、今日はどのようなご用件で?」
顔に営業スマイルを貼り付けた行員に聞かれて、あ、いや、だのエートだの、意味不明の言葉を繰り返していた私の耳に、ふと、斜め前の窓口で話している人の声が飛び込んできた。
「ご融資と言われましても、そんなに簡単なものでは…」
「やはり、だめですよね。わかりました」
へえー融資の相談って、こんな開けっぴろげなところですることもあるのね。と、なんだか相談に来ていた人が気の毒になり、目が離せなくなった。そして、その人が振り返った瞬間、目があった。
「……」
「……」
「え?あれ?」
まるで金縛りにあったように身体が動かなかった。
目があったとたんに身体がふわっと浮き上がり、時間が何千年もさかのぼったみたいな感覚に陥った。とはいえ、何千年前など行ったことも見たこともないのだけど。
そしてその人が、なぜかいたたまれなさそうに目をそらしたとたん、身体が自由になった。
はっと我に返り、何度も、「申し訳ありません」と謝る窓口の人に見送られてその人が出て行ってしまうのと同時に、あとを追って銀行を飛び出していた。
「あのっ、すみません!」
「?」
「えーと、いきなりすみません。あのちょっと、お話しをさせていただきたいんですが。えーと、決してあやしいものでは…」
怪訝そうに首をかしげるその人に、なんだか要領を得ない説明をあたふたととしていたら、
「わかりました。とにかくどこか座れるところへ行きましょうか」
と、こちらの意図がすべてわかっているような落ち着き払った態度で、近くにあったチェーン展開しているカフェへ向かった。
まあこんな人の多い公共の場所で変なことは出来ないわよね。
自分から声をかけておきながら、やはり見知らぬ成人男性と二人きりになるのはためらわれたので、ちょっと安心しながらも、新発売のメイプルモカの看板を見つけて「わーこんなの出たんだ!」と嬉しくなって、しっかりオーダーする。
ふわっと空気がゆらいだ。ふと見上げるとその人が可笑しそうに私の方を見ていたので、しまった!と姿勢をただす。いい歳して、新しい物好きだと思われたかな。いかんいかん。これから大事な話をしなきゃいけないんだ。
二階に上がると、ちょうど窓際の、外に広がりながらも他の人に話を聞かれにくそうなところがあいていたのでそこへ落ち着く。
「立ち話でも良かったのですが、込み入ったお話かと思いましたので。こんな所へ入っていただいて良かったでしょうか?」
「ええ!ええ!もちろん。わたしの方こそ。たぶん驚かれたと思います」
「はい、それで?」
「えーとですね、さっき銀行で融資をそのー、断られてましたよね。それで、立ち入ったことをお聞きして申し訳ないんですが、どういった目的でお金を借りようと思われたんですか?あのっ、興味本位でこんな事聞くんじゃなくて、もしかしたら、もしかしたらお役に立てるかと」
なんだか悪徳金融や宗教の勧誘みたいだな、わたし。なんでこんな事、言ってしまうんだろう。
その人は少し考えてから、
「カフェと言う言い方はあまり好きではないので、そうですね、喫茶店を、経営してみたいと思いまして」
「喫茶店ですか」
「はい。」
「なら、融資は受けられるんじゃ…」
「ただ、なんと言いますか、私自身がついこの間日本国籍を取ったばかりで」
「えっ!?日本人じゃない、というか、外国の方?ついこの間国籍を取った?」
「ええ、外国から…ですね」
何とも言えない表情で答えるその人に、そうか~それなら銀行も融資を渋るわけだ、担保も、たぶん保証人も日本にはいないのかもしれない。それなら、と、とうとう核心に入っていく。
「えーと、驚かないで聞いて下さい。で、決して決してからかっているわけでも、何か見返りとかそういうものが欲しいわけでもないんです。ただ、あんまり夢のような話なので自分でもどうして良いかわからないので。まず、福夢くじってご存じですか?」
「いいえ」
「ああやっぱりないですよね、ついこの間日本に来られたばかりですものね。で、実はその一等賞が当たってしまったんですよね。その金額がばかげてて、なんと一億円!、それでですね…」
ふと固まってしまった私を、疑問符の顔で見るその人。ここまで言ってしまってから、ああやっぱりこんな話を本気にする訳がない、とか、本当はこの人がマフィアで、私が当選してる事なんてとっくにわかっていて、こんな風に仕向けられたんだ、とか、とてつもなくマイナス思考にはまっていきそうになったその時、
「え?」
まただ、またあの感覚。ここは何処だろう、そして私はだれ?じゃなくて、見たことも聞いたこともないような空間がひろがっていて、私はそこに浮遊している。そして、なぜか目の前にいるこの人を信頼しても良いと言う確信が、頭に、いや、脳にダイレクトに入ってくる。
「このお金を貴方の夢に使って欲しいんです」
ふと、現実に戻ってきたとたんに言っていた。
「そういうことでしたら、共同経営にさせていただけませんか?」
私のつたない説明を辛抱強く聞いていたその人が、(一億なんて大金!とか言ってあわあわしたり、マフィアに連れ去られて云々とか馬鹿な妄想を話したり、そのたびに失笑をかったような気がしたが)すべて聞き終わってから、提案してくれたのがそれだった。
「共同経営?でも私、お店の経営とかしたことありませんし、名前が出て誰かに狙われたら」
「命を狙われるようなことはまずないかと…でも、ねたみや、いわれもない恨みをもたれる方はいるかもしれませんね…それではこうしましょう。経営者は私で全面的に前に出させていただきます。貴女は出資者と言うことで、お名前はいっさい出さず、売り上げ利益は貴女の方にすべてお渡しします」
「え!それはダメですよ、じゃあ貴方はどうやって暮らして行くの?」
「虫の良い話をしても良いですか?」
ちょっといたずらっぽい顔をしてその人が言った。あ、この人こんな表情もするのね。
「実は、とても気に入った場所がありまして、★マンションはご存じですか?」
「ええ、あの風光明媚な★川ぞいにある、何年か前に出来たばかりの…」
「はい、そこの一階に、ちょうど私が考えているような喫茶店を開くのにピッタリの物件がありまして、出来ればそこを購入したいのです。そして、同じマンションに住めれば上下の移動だけで出勤が出来ます。経営して行くには何かと都合が良いと思うのですが」
「ええ、まあ。」
「それで、貴女のお金で一階の物件を購入していただきたいのです。実は私も少しは資金があるのですが、とても二部屋を買うまでには行きませんので。経営は最初赤字になるかもしれませんが、そのうち黒字に出来ると思いますので、もしよろしければそれまでの補填なども…本当に自分でいうのもお恥ずかしいような話ですね」
「いいえ!いいえ、使って下さいと言ったのだから、全然気にしませんよぉ。でも、それじゃやっぱり貴方が食べて行けないじゃない」
するとその人は、またまたいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「私はかすみをたべて生きていけますから…」
ほうけた私をフフッと見ながら、
「と、言うのは冗談で、私には利益の中から給料を払っていただければ良いですよ」
「えー何か変よー。経営者は貴方なんだし。あっそうだ!なら、私が喫茶店のお手伝いするわ。どうせ今の会社はアルバイト扱いで、そんなに出勤しなくても良いの。それで、貴方が私に給料を払うって言うのはどうですか」
「……わかりました。では、そうしましょう。ところで、こんなに込み入った話をしているのに、まだお互いに名前も知りませんでしたね。あらためまして、私は鞍馬 秋と言います。鞍馬寺の鞍馬に季節の秋と書いてしゅうと読みます」
「え!秋?!偶然ですね。私の名前は秋 由利香です。季節の秋よ。どっちも秋が付くのね…。うーんと、そうだ!喫茶店の名前に秋をつけましょうよ」
「そうですね」
そんな経緯を経て、喫茶『はるぶすと』はオープンすることになった。
カウンター五席、大テーブルは六席。それと二人がけのテーブルがひとつ。一人で切り盛りするにはちょうど良い大きさだ。お店のこまごましたことを決めるときに、私にも内装やデザインを考えてくれと鞍馬くんに言われたが、自分にセンスが無いのはわかっているので、丁重にお断りし、お店が出来上がっていくのをちょくちょく覗きに行った。
お店は予想に反して明るい色を基調としていた。鞍馬くんのイメージから、もっと重厚な感じかなと思っていたのだが。でも、なぜか不思議な安心感があってくつろげそうだ。
覗きに行くと鞍馬くんは、いつも現場で様々なことをしていた。打合せはもちろん、内装工事にかかわるちょっとした作業も、いったい何処で覚えてきたのかというほど器用にこなしていた。
あるときなど、現場にいるいかにもガンコそうな親方に「いやー、あんたは何をやらせてもすごい。とてもシロウトとは思えないぜ。喫茶店なんか人にまかせて、うちの跡継ぎになっちゃくれないかね?」などと、スカウトされていた。驚きながらも鞍馬くんは、あの丁寧な物言いでことわっていたけど…またそれが気に入った!と、引き渡しの日にも「喫茶店がうまくいかなかったら、いつでも連絡くれよな。おまえさんなら大歓迎だ!」と、物騒な事を言っていた。お願いだから、開業する前からつぶれるようなこと言わないで。
じつは私も一度だけ壁を塗らせてもらったが、出来上がりは……。まあ目立たないところだったし、ご愛敬と言うことでそのままになっている。
基本的に『はるぶすと』の営業時間は十二時のランチから、クローズは鞍馬くんの采配で夕方には閉まっていたり、夜中まで開いているときもある。ただし、ランチ以降はケーキと飲み物だけ。喫茶店なのでどんなに夜遅くてもお酒は出ない。私は会社との兼ね合いで、月・水・金のランチ時間から夕方まで、時には夜まで、お手伝いをする。
私の両親は仕事の都合でイギリスにいるため、もともと一人暮らしだったのだが、今回一億円のうち、『はるぶすと』をオープンするための資金から余ったお金で、ちゃっかり鞍馬くんと同じマンションを購入した。経営のことなどで、電話では説明しにくい打合せや相談が多いことと、やはり一人暮らしの中での色々な経験上、用心棒になりそうな人が近くに住んでいるのは心強い。
心配していたお店の経営も、今のところ黒字が続いている。