週末の予定
どうしても思い出せないことがあったら、聞きにおいでよね。
あれから、夢にまで出て来る伊織の言葉。
普通なら思い出せないことがあっても、すぐに忘れてしまうか、ちゃんと思い出すか、のどちらかだと思う。だけど…今回のことばかりは、ぜったいに私の記憶のなかにあるはずなのに、なぜかヒントすらわからない。
そして、鞍馬くんや夏樹には聞いちゃいけないと、本能的なところで私にはわかっているのだ。だから、だから。
「はい、〈料亭紫水〉でございます」
聞きにおいでって言ったくせに、伊織ったら連絡先も教えてくれていないのよまったく。仕方がないので電話帳で料亭の番号を調べて電話しているところだ。
「あ、あの。えーとすみません」
「はい?」
なんて言えばいいのよー、伊織って当主で通じるかしら?そのとき頭にひらめいたことがあった。
「あの、九条さんはいらっしゃいますか?」
「九条ですか?失礼ですがお客様はどちら様でしょうか」
あ、いけない。あまりにも必死だったから名乗るのも忘れていた。OL失格ね。
「申し訳ありません。わたくし、秋と申します。秋 由利香です」
すると、電話の向こうの人が突然ものすごく恐縮しだした。
「あっ!申し訳ございません!いますぐにお呼びいたします」
と言って保留のお琴のメロディなどが流れ出す。なんだろう?
しばらくして、カチッとお琴の響きが切れたかと思うと、思いがけない声が受話器から飛び出してきた。
「ふふっ、ゆーりか。連絡くれるの遅かったじゃない?」
「伊織!?」
びっくりした。九条さんが出て来るとばかり思っていたから、フェイントかけられた感じ。
「なんで?」
「なんでーって、由利香から連絡があったら、すぐ僕につないでくれるように徹底しておいたからねー」
徹底って、どんな徹底の仕方よ。さっきの人の慌てようから、私は〈料亭紫水〉の従業員の方に申し訳ない思いでいっぱいだった。なので脱力しながら注意しておいた。
「伊織ー、あんまり従業員の人たちに無理なこと言っちゃだめよ」
「なにが?なにか無理な事言ったかな、僕。でもさ、由利香なかなか連絡してこないから、どうしちゃったんだろうって心配してたんだよ。今どこ?迎えに行こうか?」
「どこって、自分の家に決まってるじゃない」
「えー?なにそれ、もう京都に来てるのかと思ってたー、なんで来てないのー」
「来てないわよ!そ・れ・に、聞きにおいで、って言っといて、連絡先も教えてくれなかったじゃない!」
「アハハ、ごめんね。でも、こうやって由利香はちゃんと連絡してきたでしょ」
んもうー、相変わらず伊織は伊織だわ。でも今の話だと、伊織は私が連絡することを確信していたもよう。和食ランチと駄々っ子オヤジのせいでちょっぴり遅くなってしまったけどね。
「あのね、伊織」
「うーん、今来ていないのならどうしようかな~いつなら来れる?」
「また話を聞いてない!ちょっと教えて欲しいだけだから、電話で充分でしょ」
「ん~それがダメなんだよねー。会わないと思い出させてあげられないんだよ」
「なにそれ」
たかが忘れたことのひとつやふたつ、なんで会わなきゃ思い出せないのかしら。私は少し不安になって黙り込んだ。
「あ、由利香怖がってる?だーいじょうぶ。僕がそばにいればぜんぜんヘイキなこと。だからおいでって言ったんだよ」
「へえー、ずいぶん自信がおありなのね」
「うん。でも決して電話では聞かないで下さい…だよ~」
茶化してはいたが、伊織は私が行かなければきっと話してくれないだろう。仕方ないな。
私はスケジュール帳を取り出して、週末の予定を確認した。ちょうど良いことに、この土日は空いている。
「それなら、お店も会社も休まなくていいように、今度の土曜日曜でいいかしら?」
「OK~。じゃあ僕の個人番号教えておくから、新幹線の時間が決まったらメッセージ残しておいて。京都駅まで迎えに行ってあげる」
良かった、とりあえずこのモヤモヤは今度の土曜日で終わるわね。
でも、ことはそんな単純なものではなかったと、あとで思い知ることになるのだけど。
伊織に電話した翌日、夏樹が意外な事を話し出した。
「あ、由利香さん。依子さんがね、奈良に移り住むそうです」
「え?!なんでまた?」
「この間、響子さんが依子さん家に泊まった日があったでしょ。そのとき一晩中話し合って決めたそうっすよ。響子さんのお店って広いじゃないですか。そのうえ庭もあるし。二人じゃけっこう大変らしくて、だれか雇おうかって前からご主人とは相談してたんですって」
「それで依子さん?」
「ええ、依子さんなら人物も確かだし、気心も知れてるし」
それはそうよね。どこの誰ともわからない人よりよっぽと良い話だわ。でも依子さんいなくなっちゃうのね、寂しいな。あ、ネコ子も寂しがるわよね、きっと。それを察したのか夏樹がにししーと笑いながら言った。
「ネコ子も連れていくんですって」
「そう!なら良かった」
すると鞍馬くんが言う。
「由利香さんは優しいですね、ネコ子のことまで気にかけて」
「だって、依子さんとネコ子ってとっても仲良しだったじゃない?きっとネコ子が寂しがると思って」
「そうですね」
「それでさ、今度の日曜日に依子さんの送別会しようかって考えてるんすけど、由利香さんご予定は?」
「え!今度の日曜日?」
あーまずいな。どうしよう。私はとっさにいいわけを考える。
「えーっとね。この間から古い友人が家に泊まりに来いってうるさくて。今度の土日をそれにあてちゃったの。ごめんね」
うん、我ながら上手いいいわけ。まああながち嘘でもないか。新しい友人だけどね。
「ええー、じゃあまた別の日を考えなきゃ仕方ないッスね。依子さんにももう一回相談してみます」
「ごめんね。ありがとう」
私はちょっぴり申し訳ない思いで言った。




