3日目 京都最終日
翌朝起きて、ベッドの中で頬をさわると、まだモチモチ感が残っているー!
私はとっても嬉しくなって、上機嫌で支度をする。そして鼻歌など歌いながら、言葉遣いもていねいにまるでお嬢様のようにドアをノックした。
「コンコン、お二人とも起きていらっしゃるー?」
…中扉はしーんと静まりかえったまま。あれ?しばらくすると、そぉ~っとドアが開いて、夏樹がおそるおそる顔を出した。
「おはよう~♪夏樹~、どうしたのぉ?」
ふしをつけながらニッコリ笑顔で言う。すると夏樹は、ほーっと息をはいて、
「よかったぁ、由利香さん怒ってるんじゃなかった」
「なんで朝っぱらから怒らなきゃならないのよ、あんたもう何かしたの?」
「いやいや!なにもしていませんってば!ただ、起きていらっしゃる?、とか変に丁寧に言うから…」
ああ、ちょっと勘ぐったのね。なによそれ、私ってそんなに怖いのかしら。これからはもうちょっと夏樹に優しくしてあげよう。
「だってねー、まだお肌つるつる、モチモチ、なのー、嬉しくって~」
「へえー、女の人って、肌の調子でそんなに機嫌が変わるんすね、覚えとこう」
朝食がすんだあと、部屋に帰って今日の予定を考える。本当なら午前中の新幹線で帰るはずだったんだけど。まったく、伊織のやつ。
「神社仏閣は朝が早いから、もうどこへでも行けるわね。どうしよう…あっ」
「どうしました?」
「もうひとつ、行きたいところがあった!」
と、言うわけで、また私のわがままから今は三十三間堂へ向かうタクシーの中にいる。
三十三間堂ー正式名は蓮華王院と言って、本堂を三十三間堂と言うらしい。南北に延びるお堂内陣の柱間が三十三あり、その数字は観世音菩薩さまの変化身三十三身から来ているそうだ。
毎年成人の日には、〈通し矢〉といって新成人が晴れ着で弓道の弓の引き初めをする大会があり、初春の風物詩にもなっている。
ここのお堂には、千体の千手観音さまがある。すべてのお顔が違う、と聞いたことがあるこの観音様が大好きで、本当なら一日見ていてもいいくらい。
「ふぇー、壮観っていう言葉がぴったりですね~」
しばらく私を放っておいてくれた鞍馬くんと夏樹だが、あんまり長いこと動かずに見ているので、心配になったのだろう。そういいながら、夏樹が横に立つ。
「この中には、必ず会いたい人に似た像があるって書いてあるんすけど、ホントかな」
夏樹の説明を聞くともなしに聞いていた鞍馬くんが、
「会いたい人…ですか」
そう言って、あらためてひとつずつ確かめるように観音様を見直していく。そして途中でふと立ち止まって一点を見つめた。かなり長いことそうしていたが、目を伏せて「フフ…」と微笑んでまた歩いて行く。
あれ。鞍馬くんにも会いたい人がいたのね。どうやら見つけた様子。わたしも探してみようかな。はて、私の会いたい人ってだれだろう?なかなか思いつかないので、私はあきらめて鞍馬くんの後を追っていった。
その後は、バスで京都駅まで帰り、最初に夏樹がびっくりしていた京都タワーに上ってみる。ここのエレベーターは上るとき、京都弁の説明テープが流れるのよね。なんだか可笑しくって、降りてから夏樹が真似をするのがまた可笑しくって、笑い転げてしまった。
「へえー、京都って本当に高いビルがないんすねー。ずーっと先まで見えるや」
「そうねー。あ、新幹線が走ってるのも見える。あ、こっちは京都駅!ねえねえこっちには昨日行った清水寺よね、あれ!」
私があちこち引っ張り回すので、「あの」と何か言おうとしていた夏樹は、ゆっくり景色も見られないであたふたしていたが、
「由利香さんてばもう、話するひまもないじゃないっすか!」
と言ってプィッと向こうへ行ってしまう。おどろいた!なぜか強気の夏樹に置いて行かれてしまった。でも…夏樹、ちょっとは強くなったのね。お姉さん嬉しいわ~と、お祈りのようなポースで指を組む。
「何をニヤニヤしているんです?」
「え?やーねえ、ニヤニヤなんてしてないわよ」
無言で見つめてくる鞍馬くん。
「はいはい、鞍馬くんには勝てないわねーもう。夏樹が珍しく自分の意見を押し通したんで、嬉しくって。これって親離れ…じゃない姉離れを喜ぶ感じ?」
「え、あはは、さすがは由利香さんですね。でも…姉離れはまだまだのようですよ」
と、ちらっと目をやった方を見ると、アワアワと夏樹が隠れるのが見えた。
「あ」
「ね?」
どうやら怒ってしまったことを気にしてこちらを伺っていたらしい。ちょっとがっかりしたが、良いことを思いついた。鞍馬くんをくるっとまわして、その後ろに隠れる。
「?」
「このままわたしを隠して歩いてくれる?」
そう言って夏樹のいるあたりへ進んで行く。鞍馬くんは可笑しそうにしていたが、夏樹の前に来ると顔を引き締めた。
「あ、シュウさん。由利香さんは?」
鞍馬くんはだまって首をかしげる。
「俺、ちょっと気になるものが見えたんで由利香さんに聞こうと思ったのに、由利香さんてば、あの調子で引っ張り回すから、もうどうしようもないっすよ。でも、さすがにちょっと言い過ぎたかなって…」
グスッ、グスッ
「へ?」
私は鞍馬くんの陰から出ると、おもむろにハンカチで鼻と目のあたりを押さえてか細い声で答えた。
「そうよ…夏樹言い過ぎだわ…グズー」
「え?、え?お・俺?おれが由利香さん泣かしちゃった?えー!シュウさん!どうしようどうしよう」
そう言ってオロオロし出す。この演技?は鞍馬くんにとっても以外だったのだろう。唖然としていたのでさすがにやり過ぎかと思い、あわてて種明かしをした。
「なーんちゃって!うそ泣きだもーん」
てっきり夏樹が怒ると思っていた私は、
「え?嘘泣きぃ?…はあ、よかった~。俺、由利香さんに泣かれるとどうして良いかわかんないもん。もうー、いつものように怒っててくれた方がよっぽどいいや」
「なによそれ、失礼ね!」
と、頭を軽くはたく。
「そうそう、由利香さんはやっぱりこれでなくっちゃ」
「ところで夏樹、気になるものってなーに」
「あ、そうそう」
と、夏樹が指さす方向には、
「山にね、なんか書いてあるんすよ、ほら」
大文字の大の字があった。
「ああ、あれはね、大文字の送り火のひとつね。日本にはお盆、えーと八月の十三日から十五日までをそう呼ぶんだけど、その日にあの世から亡くなった精霊が帰ってくると言われているの。欧米だとハロウィンがそれにあたるのかしら?」
そして、京都ではその霊が冥土へ帰って行くときに、山肌に書いた文字や形に火をたくのだ。大の字の他には、妙法・舟形・左大文字・鳥居の五つがあるので、五山の送り火と呼ばれている。
「ええー、あの山の文字に火が!実際に見たらすごいんだろうな~」
「それはそれは綺麗よ」
「え、由利香さん、見たことあるんすか?いいなー、俺もみてみたい~」
そんなことを話していると、伊織と約束した時間が近づいたようだ。
「もう行かないと。そろそろ冬里も来る時間です」
「え、それは大変。じゃあもう降りましょう」
「へーい」
待ち合わせは、京都駅に直結しているホテルのラウンジだ。急いで行ってみると、まだ伊織は到着していなかった。良かった。待たせでもしたらうるさいことこの上ないからね、きっと。私たちは伊織が来たときに見つけやすい位置に座って、それぞれお茶を頼んで待つことにした。
しばらくすると、九条さんを伴って伊織が入って来るのが見えた。今日は、ピシッとしたスーツで決めている。こうやってみると、伊織もつくづくいい男だわね。でも、なんで私のまわりって、見た目だけはいい男ばっかりなの?なんちゃってねー。などとバカな事を考えながら、どうもぼーっと伊織を見つめていたらしい。
「由利香どうしたの~、僕がカッコイイからって、そんなに見つめないでよ~照れちゃうじゃなーい」
と、ずいーっと顔を近づけてくる。またこいつは。
「だれが!」
思わず頭をはたいてから、しまった!と思う。九条さんがいたんだ!でも、伊織は本当に嬉しそうな顔をして、
「わー、由利香にはたかれちゃった」
などと言っている。私は思わず九条さんを拝む形で頭を下げる。九条さんはいえいえと手を振って優しく笑いながら、
「どうか今後とも忌憚のないおつきあいをお願いします」そして伊織に向かって、「また素敵なお友達が増えましたね、伊織さま」
と、嬉しそうに言ってくれた。良かった、どうもありがとう九条さん。
「ところで、これは当主からの心ばかりの差し入れです。新幹線の中でお召し上がり下さい」
そう言って渡してくれたのは、どうやら〈料亭紫水〉特製のお弁当のようだ。
「ごめんね。一緒にお昼をとりたかったんだけど、今日はこのあとも会食をご一緒に、っていう仕事が入ってるんだ」
へえ、忙しいのね。じゃあ昨日からその合間を縫って、私たちの相手もしてくれてたんだ。なんだかんだ言っても、やっぱり老舗を受け継ぐだけの力量はあるのだ。
座ってお茶でもどう?と言う私に、
「うーん、やめとく。さっきもいっぱい飲んだから」
と、伊織。仕事先で勧められるお茶を断るわけにはいかないものね。
その後は、お土産を見たいという夏樹に、伊織おすすめのお店を何軒かまわってからホームへ上がった。この間、お土産屋さんでも、ホームへ上がってからも、私はなるべく九条さんのそばにいるようにしていた。…だってね。
ただでさえ目立つ夏樹に、癒し系の鞍馬くん、それに伊織が加わって、なんなのよこの三人!どこへ行ってもお姉様や奥様の視線が集まること、集まること。
三人でお土産の相談をしているだけなのに、いつの間にか店員さんが試食を持って来て熱心に勧めていたり、反対にそばに来たお姉様にどれがいいかと聞かれたり。それに対して、夏樹は愛想が良いからへらへらと答えてやるし、鞍馬くんは人当たり良く丁寧に対応するし。伊織は…遊んでいる!としか言いようがないな。
「伊織さま、ずいぶん楽しそうです。あんなに気を抜いたお顔は久しぶりに見ます」
「え、そうなんですか」
「はい、器用なお方なのでなんでもすいすいこなしてしまいますが、それでも日頃は緊張されることも多々あります。やはり持つべきものは、良き友人ですね」
そうかあ、それなら来た甲斐があった。とはいえ、私は伊織に会うことは京都へ来るまで知らなかったんだけどね。
九条さんとそんな話をしているうちに、アナウンスが流れてするすると新幹線が入って来た。あー、もう終わっちゃうのかあ、なんだか寂しい。
「冬里。色々ありがとう」
「どーいたしまして」
「今度は伊織が『はるぶすと』に来て下さいよ、絶対!」
「うん」
「楽しかった~」
「そうだね、由利香、またね」
伊織が握手を求めてきたが今度は答えてやらなかった。こんな衆人環境で変な真似されたら、たまったもんじゃない。
「やーよ、また何かするつもりだもん」
「あれ、信用ないなあ」
「あるわけないでしょ」
ふふん、と笑いながらもどうやらあきらめたようだ。次々と人が列車へ乗り込んでいく。鞍馬くんたちはもう先に中へ入ってしまっていた。別れを惜しんでいた訳じゃないけど、いつの間にか列の最後尾にいた私は、じゃあねと手を振って乗り込もうとした。
その時。
あろう事か、伊織がふわっと後ろから抱きすくめてきたのだ。そして、
「どうしても思い出せないことがあったら、いつでも聞きにおいでよね」
「え?」
耳元でそうささやくと、トンっと背中を押した。するとスッと身体が列車の中へ引き込まれ、それと同時に後ろでドアが閉まる音がした。
振り向いて窓に飛びつくと、もう列車は走り出している。伊織が笑顔で手を振り、その後ろで九条さんが深々とお辞儀をしていた。おもいだせないこと…。なに?
そのあと、持たせてくれたお弁当を広げてみると、私のだけ少し小振りで、可愛い彩りになっていた。
まったく、最後まで心憎いヤツ。




