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~秋~『はるぶすと』物語  作者: 縁ゆうこ
第2章 『はるぶすと』は本日よりしばらくお休みです。
10/28

1日目 奈良その3


 それから興福寺へまわって、奈良公園を散策して。その間じゅう私は、一人しゃべりまくって、何か言いたそうな夏樹を牽制していたのだけど。

 さすがに電車に乗ったときは疲れ果てて、言葉も出なくなっていた。そんな私に、

「あたたかいコーヒーです。さすがの由利香さんもあれだけしゃべるとのどが乾かれたでしょう?」

と、いつもの微笑みで、すっとコーヒーを手渡してくれる。何も聞かずに、余計なことはいっさい言わずに。これだもん、このさりげない優しさ。誰でも、なんでも打ち明けたくなっちゃうわよね。でも鞍馬くんはぜんぜん意識していないのよ。


 しばらくのあいだ、私はあたたかいコーヒーで心のこわばりが溶けていくのを感じていた。そして、どうしても聞きたいことを質問した。

「ねえ、ひとつだけ教えてくれる?」

「?はい」

「奥様、確か響子さんって言ってたわね。鞍馬くんには何か話してくれたの?」

「…」

 黙り込む鞍馬くんに、何もなかったのかなと思ったとき、

「子ども好きなご主人に、子どもが生めない身体だと打ち明けるのが、おつらかったそうです」

「「!」」

 ああ、そうだったの。それはちょっとつらい。でも、私が言うのもなんだけど、子どもだけがすべてではないし、あんなにラヴラヴなんだもの、乗り越えていけるわよね、きっと。

 それから京都に着くまでは、三人とも窓の外の景色を見ながら、おのおの物思いにふけっていた。

 色々あったけど、第1日目の奈良はこうやって終わっていった。


 その夜…

 疲れてどこへ行く気力もなくなっていた私は、わがままを言って、鞍馬くんたちの部屋に、ルームサービスの夕飯を持って来てもらった。お腹も一杯になって、

「明日もたくさん歩くんでしょ、もうお風呂に入って寝るわ」

と、うーんと伸びをしながら立ち上がると、

「由利香さん、まだこんな時間ですよ。やっぱ寄る年波?」

 帰りの電車ではなぜかおとなしかった夏樹も、ようやくいつもの調子を取り戻していた。

「なーつーきー、化けて出るぞ~」

「ひえっすみません」

 ぽかっと一発はたいてから自分の部屋へ戻る。


 ここのコネクティングルームをつなぐドアは、部屋のいちばん奥にあるので、お風呂の方は見えない作りになっている。私はついついドアを閉めるのを忘れてしまっていた。

「あれ?」

 服を脱いでいる途中で、クレンジングオイルを持って来ていないのに気がつく。また服を着るのが面倒なので、上半身にバスタオルをまいて外へ出る。と、そこで部屋同士のドアが開いているのが見えた。

「あっちゃー。ま、いいか」

と、そぉ~っとカバンのあるところへ行く。そのとき、夏樹の話している声が聞こえた。

「びっくりしましたよね、まさか奈良に千年人がいるとは思わなかったっすから。由利香さんが言うように、穴の開くほど見ちゃいましたよ」

「…」

 鞍馬くんの声は良く聞き取れない。

「そりゃあ、千年人なら子どもは生めないですよね。でも、何であの旦那さんと…」

 急に夏樹の声も聞こえなくなった。〈せんねんびと〉って何だろう。もっと聞いていたかったけど、部屋が寒かったのかくしゃみが出そうになって、あわてて浴室に戻る。お風呂に入っている間も、クエスチョンマークが頭の中をよぎっていた。

 まあとにかく身体の疲れをとろうと、洗面所に備え付けてあった温泉の入浴剤を入れて、いつもよりゆっくりお湯に浸かる(ここのバスルームは日本式に浴槽と洗い場が別々になっている)そうして、スッキリして浴室からでると、ひょいと夏樹がドアから顔を覗かせた。


「由利香さーん、シュウさんがね、ちょっと良いワインを頼んでくれたんっすよ。一緒にどうすか?」

 と言う。ええー、もう寝たかったのにぃ、良いワインと聞くと知らん顔できないわよね。 それに聞きたいこともあったし。仕方ない、と、隣の部屋へ行く。

「いぇーい!もう始めてました~。はいはい、飲んで飲んで」

 夏樹はなぜかテンションが高い。もう出来上がっているのかな?勧められるままに一口飲むと、美味しい!

「すごく飲みやすい、口当たりがいいわね~」

「でしょ、でしょ?ささ、ぐいっとあけて、残すともったいない」

と、勧め上手な?夏樹にのせられて、ずいぶん過ごしてしまったらしい。


 どのくらいそうやってワイワイしていたのだろう。知らない間に頭がガクッと落ちる。ああ、ねむい…。聞きたいこともあったのに、寝ちゃダメじゃない、と、うとうとしていると身体が宙に浮く感じがした。

「あ…鞍馬くん…?」

「寝ていて下さって良いですよ。」

 えーと、これはいわゆるお姫様だっこというヤツ。あはは、良かった。

「?どうされたのです?」

 半分眠りながら、くすくす笑っていたらしい。

「いつもこんな風にちゃんと運んでくれてたのね。私は前に夏樹にせまってた時みたいに、首根っこ持って運ばれてるのかと思った…」

「ご希望とあらば、そうしますが?」

「いーえ、けっこうです」

 ベッドに下ろされると、もう眠気も限界。と、その時おでこに何か当たる感触がした。あ、この感じ知ってる。むかし、父が寝る時によくしてくれたあいさつ、おやすみのKiss。なつかしい。

「お父さん…おやすみなさい」と、ついもらしてしまって、私は深い眠りに入っていった。


 翌朝、パチンという感じで目が覚めると、もう起きる時間をすぎてしまっていた。五分くらいしか寝ていない感覚なのに、ずいぶん寝たんだ。熟睡した証拠ね、よしよし。うーんと伸びをして、とりあえずシャワーを浴びる。さっぱりしたらお腹がすいてきたので、部屋をつなぐドアをノックしてみる。

「鞍馬くーん、夏樹ー、起きてる?」

「はーい」

と、ガチャッとドアが開くと、ふたりとももうゃんと着替えまで出来ていた。

「相変わらず早いわね。おはよう」

「おはようッス」

「おはようございます」


 私はなぜか鞍馬くんの顔をまじまじと見てしまう。なんだっけ、何かあったような…

「あー!思い出した!鞍馬くんてばひどーい。昨日隣の部屋へ連れて行ってくれるとき、首根っこ持って運んだでしょ!覚えてるんだからね!」

「?」怪訝な顔をしながらも、鞍馬くんはちょっと可笑しそう。夏樹は鞍馬くんと私を交互に見ていたが、いきなりはじけるように笑い出した。

「え?ぶワッハハハ!し・シュウさんやるぅ!あっははは」

 笑い転げる夏樹に、

「なによ!あんたも見てたんでしょうに」

「えーえ、見てましたよ、こんなふうにでしょ」

と、近づいてきていきなり姫だっこをする。

「え?え?」

「シュウさんがそんなひどいことするわけないじゃないッスか。ちゃーんとこうやって運んでましたよ。由利香さん夢見てたんじゃないんですか?」

 ええー?本当かしら、ずいぶんリアルな夢ね。鞍馬くんを見やると、

「夏樹の言うとおりです。寝ている女性の首根っこをつかんで運ぶような失礼な真似は、いくら何でも出来ません」

「そうなの?わかったから、もう下ろしてよ」

「何だったら、このまま朝食ビュッフェ会場までお連れしますが?」

と、鞍馬くん口調で夏樹がおどける。うわっ!けっこうよ。それでなくても顔だけはいいから目立つあんたに、姫だっこ姿で朝食ビュッフェなんかに行かれた日には、まわりのお姉様や奥様の視線が、槍くらいの大きさになってビシビシつきささるわよ。

「丁重にお断りします」

 憮然として言うと、夏樹は「えー」とかいいながらも下ろしてくれた。

「それよりも、お腹すいたー。早く朝ご飯食べに行きましょ」



 私はこのとき、昨日聞いた「千年人」と言う言葉も、鞍馬くんがおやすみのKissをしたことも、記憶の中からきれいさっぱり忘れ去っていることに気づかなかった…。




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