オープン
鞍馬くんは、とても不思議な雰囲気を持つ人である。
「あら、開いたわよ」
「こんにちはー」
今日も、喫茶店が開くのを、店の前の椅子に座っておしゃべりしながら待っていた数人の奥様が、うきうきしながら思い思いの席につく。お目当ては、鞍馬くんが腕をふるう本日の日替わりランチ、限定20食だ。鞍馬くんはこの店のオーナー兼シェフで、ここがオープンした当時に売り出したこのランチに、宣戦布告とばかり、食べ歩きが大好きで味にはちょっとうるさい奥様方が、口に合わなければ容赦はしませんわよ、と訪れたものの、その盛りつけや味にすっかりとりこになってしまい、口コミで評判が広まった次第である。今ではその20食がすぐに売り切れてしまうほどの盛況ぶりだ。
そこそこ都会でそこそこ田舎、温暖な気候に落ち着いた雰囲気が漂う★市。そんな★市の、とあるマンションの一階に喫茶『はるぶすと』はある。『はるぶすと』とはアルファベットでは『HARBST』と書く、ドイツ語で秋を意味する言葉である。この名前にも由来はあるのだが、それはおいおい説明していくとして…。
「いらっしゃいませ」と、私。
「いらっしゃいませ、ご注文は?」
「あら、鞍馬さんたら、また。この時間に来るっていうことは、ランチ目当てに決まってるでしょ。それにランチは日替わりだけよ」
「そうよう~、いいかげん覚えてね」
これもいつもの光景だ。『はるぶすと』のシェフというか料理人は鞍馬くん一人だけなので、ランチは日替わりのみ。そのほかのメニューも飲み物とケーキだけ、と極端に品数をおさえている。まあ、これにも訳があって、従業員は私だけ。その従業員が月・水・金しか出勤できないと言うのでは、メニューがありすぎると困るというのもうなずける。
それにしても、ランチに来るお客様に毎日毎日飽きもせずに「ご注文は?」とたずねる鞍馬くんも鞍馬くんだ。
「もしかしたら、何かのご都合で今日は飲み物だけになさることもおありでしょうから」
「あら、それはご丁寧に」
「さすが鞍馬さんね、丁寧なのは言葉だけじゃないってことね」
そう、鞍馬くんは誰に対しても態度や言葉遣いが半端なくテイネイである。そして、風貌も性格も穏やか。決して今時のイケメンではないが、顔立ちもそれなりに整っているし、なぜか一緒にいるとほんわかして、ふわふわの布団にくるまっているような心地よさがある。
その雰囲気に魅力を感じてやって来るお客様もたくさんいる。
客層は圧倒的に女性が多い。それはなぜかとたずねれば、鞍馬くんは注文をとるときも、ランチを作るときも、お勘定をしているときも、一人一人の愚痴や相談やよもやま話や…に耳をかたむけて絶妙にあいづちをうつのだ。ホントにみごとに。女はただ話を聞いてくれるだけの相手が大好きだ。そして、その合間に魔法のように美味しいランチを作ってしまう。鞍馬くんのランチには、おしゃべりというおまけもついているから魅力的なのだ。
「よっ!」
「あーら、いらっしゃい。なにしにきたの?」
そうそう、忘れちゃいけない。鞍馬くんのファンはなにも女性に限ったことではない。 このお店がオープンしてすぐ、この男がやってきて、鞍馬くんを見るなり、
「先代ー!」
と、抱きつこうとしたのだが、不意打ちにもかかわらず見事によけられ、すっころんだ経歴の持ち主である。
朝倉 夏樹。最初さもいかがわしそうに睨み付ける私に、多少びびりながらも、
「俺、あさくらなつきっていいます!えーと夏樹って呼んでいいっすよ」
「ナッキね」
「ちげーよ!夏樹」
「えーと…ナッキ?」
「…あ~!もう!ナッキでいい!」
と、からかうつもりで間違ってみた。で、本人が自分からナッキでいいとのたまったので、そのままにしようかなと思ったが、あんまりなので、ちゃんと夏樹と呼んであげることにしている。
鞍馬くんを見るなり、なぜ先代と呼んだのかはそのあと聞いてみたのだが、「え?俺そんなこと言ったっけ?ああー、もしかして知り合いのせんだいさんっていう名前の人にあんまりよく似てたからさ」と言っていた。
私がそれを聞いたときに、なぜか二人の間に微妙な空気が流れた気がしたのだが、すぐに消えてしまったのと、どう見てもお互いを知っているような雰囲気ではなかったので、まあいいかと流してしまった。夏樹は嘘がつけそうな性格じゃないし。と、その時は思っていた。
「由利香さーん、相変わらず性格悪いですね」
「あらぁ、貴方ほどじゃーなくてよー」
「おふたりとも、そのへんで。いらっしゃいませ、夏樹。ご注文は?」
「せんだい…いやシュウさんはやっぱやさしぃ~、日替わりランチで!」
「はい」
私ははぁ~っとため息をつく。鞍馬くんもこんな軽いフレンドリィな相手にまで、その敬語は使わなくても良いんじゃない?でも、不思議なことに夏樹だけはなぜか呼び捨てだ。
私の名前が出てきたところで、そろそろ『はるぶすと』の由来と自己紹介をしてもいいかな。
私の名前は、秋 由利香 (あき ゆりか) 。そして、鞍馬くんは本名、鞍馬 秋 (くらま しゅう) 。
もうお判りだと思うが、鞍馬くんと私の名前には期せずして「秋」が付いていたのだ。だから、「秋」をお店の名前にしようという事になった。ただ、日本語や英語では遊び心がないので、私が、はるか昔にかじったドイツ語がいいから、それにしようと言い出したのがきっかけだ。
私こと、秋 由利香は誰でも名前くらいは知っている上場会社のOLをしていたのだが、寄る年波?とちょっとした事情で、正社員から毎日勤務しなくても良いアルバイトに転向させてもらった。
もちろん独身!なんて偉そうに言えることではないか。
でも、特にパートナーを必要とも思わないし、自分の遺伝子を後生に残すのなんて、なんだかおこがましくて。それに、友人たちの色恋にかかわる話を聞くにつれ、つくづく私は恋愛体質ではないなー、と思う。だいいちめんどくさい、そんな暇があるなら帰って一人お酒でも飲んでる方がずっといいやと思ってしまうオヤジ女子である。
最初は心配して彼氏の男友達を紹介してくれていた友人も、とっくにあきらめて、今では彼女たちの愚痴の聞き役や、恋の相談に乗ってやる始末。こんなだから、鞍馬くんも安心して私と組んでいるのだろう。
鞍馬くんは年齢不詳。見かけは30代かな?と言うところだが、聞いても答えてくれない。それでも、あまりにも私がしつこく聞くものだから、「三百歳くらいでしょうか」と、冗談とも本気ともつかない答えが返ってきたことがあって、それからは聞く気もおこらない。
しかも出会いはとんでもないシチュエーションだった。