#048 「恋のはじまりに」
学園祭当日の朝。校舎は、いつもよりもずっと華やいでいた。廊下には色とりどりの紙飾りが揺れ、窓から差し込む光が、床をきらきらと照らしている。特別クラスの扉は大きく開け放たれていた。外の世界とつながる日。
「よし、飾りつけ完了!」
隼人が両手を広げて宣言する。
「お菓子の在庫、確認済みだ」
要は落ち着いた声でメモを閉じる。
「制服のチェックもオッケー!」
美弥がくるりと回る。フリルの裾が揺れ、廊下の女子たちから小さな歓声が上がる。
「……本当にやるんだね、これ」
想太は苦笑しながらメニュー表を持ち上げた。どこか現実味がない。昨日まで“準備”だったものが、今日から“本番”になる。
視線を横に移す。はるなはエプロンのリボンを結び直していた。結び目を引く指先が、ほんのわずかに震えている。
緊張か。それとも――想太の胸が小さく鳴る。
「……似合ってるな」
言った瞬間、自分でも驚く。無意識だった。
「えっ」
はるなが顔を上げる。夕方とは違う、朝の光。頬が一瞬で赤く染まる。
「いや、その……本当に似合ってると思ったから」
言い訳のように続ける。沈黙が落ちる。廊下のざわめきが、遠く感じられる。
「な、なによ……! べつに、普通でしょ」
強がる。けれど、視線が逸れない。逸らさない。昨日までとは違う。想太は視線を落とす。胸の奥が落ち着かない。廊下の向こうから、足音が近づく。
「そろそろ開場だって!」
「特別クラス、初めて入れるんだよね!」
期待の声。ざわめきが、波のように押し寄せる。
「……来るな」
想太が小さく呟く。はるなは隣で、静かに息を吸った。唇をきゅっと結ぶ。その横顔は、どこか決意めいている。
想太は知らない。けれど感じている。はるなの空気が、少しだけ変わったことを。ただの緊張ではない。ただの高揚でもない。その目は、もう逃げていない。
胸の奥がざわつく。嬉しい。怖い。落ち着かない。それでも、離れたくない。
はるなは、そっと胸元を押さえた。鼓動が早い。名前を呼ばれるたび、視線が合うたび、息が詰まる。
もう偶然では片づけられない。否定もしない。ごまかさない。その感情には、きちんとした名前がある。はるなは小さく息を吐く。想太を見る。
ほんの一瞬。やわらかな笑み。
その視線の奥で、何かが確かに始まっていた。廊下の向こうで、開始の合図が鳴る。特別クラスの扉が、さらに大きく開かれる。
そして――それは、恋のはじまりだった。




