#047 「準備の夜」
学園祭前日。放課後の教室には、まだ紙を切る音とテープを引きちぎる音が残っていた。窓の外はすでに橙色に染まり、長い影が床を横切っている。
「よし、この飾りはここでいいかな」
想太は机をずらし、カーテンに貼った紙花の位置を整える。テープの端を指で押さえ、軽くなぞる。
「……うん、いいんじゃない」
はるなの声は落ち着いている。振り向けば、彼女は画用紙を切り抜いている最中だった。だが、刃先の動きが一瞬だけ止まる。視線が、ほんのわずかにこちらへ向く。
想太は気づかない。いや――気づかないふりをしている。
「あとメニュー表だな。えっと、紅茶と……」
「コーヒーとケーキも追加ね」
はるなは間髪入れずに言う。言葉は短い。だが、息は合っている。二人の作業は、驚くほど自然だった。
ペンを渡すタイミング。テープを差し出す動き。椅子を避ける距離。無言のまま、ぴたりと重なる。
時計の針が進む。窓の外の色が、ゆっくりと深まる。
ふと、想太は顔を上げた。
「……あれ、他のみんなは?」
教室を見回す。六つの机。だが、今は二つだけが使われている。
「とっくに帰ったわよ」
はるなが小さく笑う。
「気づかなかったの?」
想太の胸が、遅れて跳ねる。
「え、そうなのか……」
二人きり。その言葉が、頭の中でゆっくりと形になる。夕陽が窓から差し込み、はるなの髪を赤く染める。静かすぎる。紙の擦れる音さえ、やけに大きく聞こえる。
「な、なんか……妙に静かだな」
落ち着かず、ペンを机に置く。カツン、と小さな音。
「ふふっ」
はるなが笑う。その笑いは、昼間よりも柔らかい。
「ずっと二人で準備してたのに、今ごろ気づくんだ?」
少しだけ、からかう調子。視線はまっすぐ。想太は言葉に詰まる。
「う……」
耳が熱くなる。はるなはそれを見逃さない。自覚している。自分のほうが、少しだけ先に気づいていることを。だからこそ、余裕がある。カーテンが風に揺れ、光がゆらめく。影が二人の距離を近づける。はるなは机に手をつき、ほんの少しだけ身を乗り出す。距離が縮まる。けれど触れない。絶妙な距離。
「……ねえ」
静かな声。想太が顔を上げる。近い。夕陽の色が、はるなの瞳に映っている。
「明日、楽しみだね」
その言葉は、学園祭のこと。
――だけではない。
想太の心臓が強く打つ。
喉が乾く。
「……ああ」
やっとの返事。はるなは小さく頷く。満足したように、少しだけ微笑む。からかいは、そこで終わり。追い詰めない。引き際も知っている。夕暮れがゆっくりと夜に溶けていく。教室の中に残るのは、まだ名前を持たない熱。




