#044 「夜の電話」
その夜。部屋の灯りを落とし、想太はベッドに寝転んでいた。窓の外は静かだ。街灯の淡い光がカーテン越しに滲んでいる。天井を見つめながら、昼間のざわめきを思い返す。相合い傘。廊下の歓声。はるなの赤い横顔。
そのとき。枕元に置いた端末が、小さく震えた。机の上で、かすかな振動音が響く。画面が光る。
《着信:はるな》
想太は上半身を起こした。心臓が、はっきりと一度跳ねる。夜に、はるなから電話。珍しい。いや――初めてかもしれない。指先が一瞬だけ止まる。それから、応答ボタンを押した。
「も、もしもし?」
声がわずかに裏返る。
『……あ、あの……こんばんは』
スピーカーから流れる声は、少し緊張している。普段よりも、ほんの少しだけ高い。
想太はベッドの端に座り直した。
「こんばんは。どうしたの?」
『べ、別に……! なんとなくよ!』
語尾が上ずる。そのあと、小さな息遣い。
想太は口元を押さえた。笑いそうになるのを堪える。
「なんとなくって……」
少し間を置く。
「夜に電話するの、勇気いっただろ?」
沈黙。数秒。
『……そんなことないわよ』
すぐに返す声。けれど、その後に小さく続く。
『……少しは、そうかもだけど』
その素直さに、想太の胸が静かに熱を帯びる。夜は静かだ。虫の声も、車の音も遠い。二人の呼吸だけが、かすかに行き来する。言葉を探す。何を言えばいいのか分からない。それでも、今日のことが頭から離れない。
「……今日は、ありがとう」
気づけば、口にしていた。
『え?』
「相合い傘」
喉が少し乾く。
「一緒にいてくれて、嬉しかった」
言った瞬間、心臓が強く鳴る。端末越しに、はるなが息を呑む音が聞こえた。短い、確かな吸気。そして――
『……ばか』
小さな声。通話の向こうで、かすかに笑う気配がした。けれど、はっきりとした温度を持っている。耳元で囁かれたみたいに、胸の奥に落ちる。
想太は思わず笑う。
「はは……ごめん」
少し真面目な声に戻す。
「でも、本当にそう思ったんだ」
再び、沈黙。今度は長い。だが、居心地は悪くない。
はるなが何かを飲み込む気配。
『……うん』
それだけ。たった一音。けれど、昼間の否定よりも、ずっと正直だった。時計の針が、カチ、と鳴る。
『……じゃあ、おやすみ』
声が柔らかい。昼間の強がりとは違う。
「うん。おやすみ」
通話が切れる。画面が暗くなる。部屋はまた、静寂に包まれる。想太はしばらく端末を握ったまま、動かなかった。胸の奥が、熱い。くすぐったい。でも、不安ではない。今日までなら、否定できた。ただの偶然。ただの友達。
けれど――
「……嬉しかった、か」
自分の言葉を、静かに反芻する。天井を見上げる。街灯の光が、かすかに揺れている。名前は、まだつけない。つけたら、戻れなくなる気がするから。それでも。今日の電話は、確実に何かを越えた。夜は深く、静かに続いていく。




