#042 「雨の日の傘」
放課後。昇降口を出た瞬間、空が割れたように大粒の雨が落ちてきた。アスファルトを叩く音が一気に広がる。生徒たちの悲鳴と足音が混ざり合う。
「うわっ……!」
想太は反射的に鞄を開き、傘を引き抜いた。ぱちん、と骨が開く音。
その隣で、はるなが立ち止まっている。雨粒が前髪を濡らし、頬を伝う。
「……忘れちゃった」
空を見上げたまま、ぽつり。
「え?」
「傘。……持ってくるの忘れたの」
声は小さい。周囲はすでに走り去っている。二人だけが取り残されたように、雨の中に立っている。
想太は一瞬だけ迷う。胸の奥がざわつく。
「じゃあ、一緒に入っていこう」
口から出た言葉は、思っていたより自然だった。はるなが顔を上げる。ほんの一瞬、目が合う。
その瞳が、少しだけ揺れる。
「い、いいの?」
「当たり前だろ。濡れたら風邪ひくし」
想太は傘を少し傾けた。
はるなは一拍遅れて、そっとその中へ入る。距離が、急に狭くなる。肩が触れる。制服越しに、じんわりと体温が伝わる。
――近い。
想太の心臓が大きく跳ねた。はるなの呼吸が、わずかに乱れる。傘に打ちつける雨音が、やけに大きい。
「……狭くない?」
はるなが小声で言う。視線は前を向いたまま。
「仕方ないだろ。一本なんだから」
想太は平然を装う。だが、傘を持つ手がほんの少しだけ強く握られている。歩き出す。足並みを合わせるため、無意識に歩幅を揃える。そのたび、肩が軽く触れる。はるなは逃げない。距離を取ろうともしない。ただ、耳が真っ赤だ。雨が制服の袖を湿らせる。湿った空気が二人の間に溜まる。
「……雨に濡れた方が、まだマシかも」
はるなが小さく呟く。
「え? なんで?」
想太が顔を向ける。至近距離。
はるなは視線を逸らす。
「な、なんでもないっ!」
声が少し上ずる。足元の水たまりに雨粒が弾ける。沈黙。傘の下、二人だけの空間。外界から切り離された、小さな世界。
想太は気づいている。肩が触れるたび、胸が騒ぐことを。隣の気配が、やけに意識に引っかかることを。
それでも。これはただの雨宿りだ、と言い聞かせる。
はるなは前を向いたまま、歩く。けれど、傘の端が少しずつ想太側へ傾いている。自分が濡れてもいいから、彼を濡らさないように。無意識の配慮。
小学生みたいだ。たった一本の傘で、こんなに意識するなんて。それでも。
雨音の奥で、確かに何かが芽吹いている。やがて、雨脚が少し弱まる。それでも二人は傘を閉じない。閉じる理由が、まだ見つからないからだ。
言葉にできない熱が、胸の奥で膨らんでいく。想太は、まだそれに名前をつけない。つけたら、戻れなくなる気がして。雨は静かに、二人の沈黙を包み続けていた。




