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#035 「教室のざわめき」

 朝のホームルーム前。少しは静かになった。それでも教室の前後には今日もSPが立ち、廊下は他クラスの生徒で埋め尽くされている。白いラインの内側で列は守られている。押し合いもない。

 だが――視線の数は減っていない。廊下側のガラス越しに、いくつもの顔がこちらを覗き込んでいる。


「……いいなぁ」

「はるな様の隣なんて」

「毎日あの距離って、ずるくない?」

 扉越しの声が、かすかに教室へ滲み込む。


 想太は椅子に腰を下ろし、小さく息を吐いた。

「……なんで僕なんだよ」

 誰に聞かせるでもない独り言。


 その隣で、はるながぴくりと肩を揺らした。

「……べ、別に気にしてないけど!」

 少し早口だ。

 机の上で、彼女の指が無意識に制服の裾をつまむ。すぐに離す。


 ガラスの向こうで、何人かが小さく跳ねた。

「今、声ちょっと上ずったよね?」

「やっぱ意識してるって!」

 ざわめきが波のように広がる。


 想太は窓の外へ視線を逃がした。

 校庭では体育の準備が始まっている。ホイッスルの音が遠く響いた。


「落ち着けよ」

 後ろから隼人の声。

「反応するから面白がられるんだって」


「……してないつもりなんだけど」

 想太は苦笑する。

 廊下の向こうで、誰かがガラスに顔を近づけた。SPが一歩前に出て、静かに制する。秩序は守られている。けれど、熱は確実にこちらを向いている。


「統計的に、観測人数は昨日より増加」

 要が淡々と言う。


「頼むから実況しないでくれ……」

 想太は額に手を当てた。


 隣で、はるなが一瞬だけ視線を向ける。

 想太の横顔。その視線に気づく前に、彼は窓の外へ目を戻してしまう。はるなの指が、机の縁をきゅっと握る。ほんのわずかな沈黙。


「きゃーっ! 今、目が合った!」

 廊下の向こうから高い声。一斉に人影が揺れる。


 想太は反射的に顔を伏せた。まるで展示物のようだ、とぼんやり思う。

「……僕、普通に生きてるだけなんだけどな」

 小さく呟く。


 その声は、はるなには届いていない。彼女は視線を落とし、耳まで赤く染めたまま動かない。自分の鼓動が、やけにうるさいことに気づいているのは――彼女のほうだけだ。

 想太は知らない。廊下のざわめきが、急に遠く感じられた。代わりに、隣の気配がやけに近い。けれど、その理由を考える余裕はない。


「席につけー!」

 担任の声が廊下に響いた。


 人影がゆっくりと散っていく。ざわめきも、少しずつ引いていく。教室の中には、六人だけが残る。静かだ。静かすぎるほどに。

 想太は深く息を吐いた。二学期は始まったばかり。このざわめきが消える日は、まだ遠い。

 そして――隣で自分の気持ちに戸惑い始めた少女の変化に、彼が気づくのは、まだ少し先のことだった。

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