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【短編小説】心理的瑕疵メモリー

掲載日:2025/12/19

 太陽と言う死の怪物は、暑さと言う長い尻尾を引きずったまま地球の裏側に隠れてしまった。その怪物は自身の尻尾を追うようて、また地球の裏側から顔を出す。

 その間に降るわずかな夕方では街の体温が下がらず、むしろ湿度と不愉快指数を上げていくだけでどうしようもない。

 雨上がりの晴れ渡った空とは対照的に、灰色の不愉快さがすっかり沈着してしまった埃っぽい街の路地を何度か往復しながら、ようやく覚悟を決めてドアを押した。

 


「いらっしゃいませ」

 店員の愛想良い声と同時に、店内からは過剰に乾燥した冷たい空気が私の身体を撫で回すようにして出て行った。

 濃い赤や黒を基調としたゴシック調(私にはロココとの区別がついていない)の薄暗い店内をちらりと見渡して、ドアを開けた時に声をかけたと思しき店員を見つけると、その前にある椅子を引いて座った。



 椅子の細い金属フレームは四角く、座面には布ケース越しにでもわかるハニカム構造のクッションが置かれていた。

 私はそのクッション(とても柔らかい!まるで干したての羽毛布団みたいだ!)に腰を下ろして臀部に硬い座面を感じながら

「こんにちは、どうも。何か良い記憶を探していまして」

 緊張しながら舌を噛まずに、それでいて初めてではない(前に使った事があるが、随分と昔なのでシステムを忘れてしまった風の設定は誰しもがやる、ナメられ防止策だ)感じを演出しながら言った。


 机を挟んで向かいに座っている巻き毛の店員は香水がきつく、赤紫色の甘ったるいベタベタとした匂いがひどく鼻に付いた。

 別の店員に出された緑茶の香りが一切わからないほどで、よくもまぁ接客業が成り立つものだと不思議に思った。

「当店のご利用は初めてですか?」

 随分と昔に……と答えると女は「なるほどですね」と不思議な言葉遣いをして、店のシステムをざっと説明した。



「今回ご来店のきっかけはご失恋ですか?どなたかのご逝去とか?」

 巻き毛の女はアンケートの準備をしながら当たり障りのある質問を投げかける。

「まぁ、そんなところです」

 そんな事はどうだっていいじゃないか。

 アンタにだってどうでも良いだろそんな事は、とケサランパサランの鳴く様な声で呟く。

「何かいいました?」

 巻き毛の店員がこちらを見た。

「いえ、何も」

 私はニッコリ笑う。

 香水の匂いも気にならなくなってきたし、私は私で調子を取り戻しつつある。


 手元のタブレットに表示されたアンケートを埋めていく。

✔︎1999〜2010年型

✔︎高校生

✔︎共学の学校(制作あり、学ラン希望

✔︎運動部、できれば球技系でバスケ部かバレー部、ダメならサッカー部(卓球部と野球部はNG、武道系も不可)

✔︎予算は10万程度


 他の項目を含めてざっくりとアンケートに記入した。

 あとは「どこで弊社を知ったか」などと言う項目を適当に埋めていく。

 私が塗り潰すマスを見ながら巻き毛の女は酷く旧式のキーボードを叩いている。私のアンケートが反映されているだろう画面を覗き込むことはできないが、おそらく細かい条件設定などをしているんだろう。



 光る石やらチェーンやら、過剰な装飾こついた長い爪で器用にキーボードを叩く彼女を関心して見ていると、女は画面を見たまま軽いため息をつくと

「このご予算ですと、んー、こう言った記憶しか当店では扱いが御座いませんね」

 と努めて平穏な声で言った。

 巻き毛の女は長い爪で、やはり器用にモニターを私に向けて回転させると

「心理的瑕疵アリ」と但し書き(書くものか?これは印刷でもないし)のあるいくつかの記憶を見せてきた。


 想定の範囲だ。落胆するほどではない。

 私は自分にそう言い聞かせて愛想笑いを作った。

「まぁそうですよね、10万ぽっちだと」

 巻き毛の女はすかさず

「15万円ほどご用意できるようでしたら、心理的瑕疵の無いが記憶もこちらにご用意がありますが……」

 と言いかけたが、私は遮るように

「いや、そこまでの予算はありませんので」

 と手で制した。

「左様でございますか」

 巻き毛の女は長い爪で自分の巻き毛を弄った。キラキラと光る爪やチェーンのついたその指先が、私を吝嗇の貧乏人と罵り嘲笑ったように感じた。



 なぜ私がこんな惨めな思いをしなきゃならないの?

 持ちえなかった幸福にすら必要な金を払えず、手に入れられる記憶は心理的瑕疵のあるものだけ。



 店内の誰もが私を蔑んでいる様な気分になり、耐えられなくなった私は逃げ出す様にして店を飛び出た。

 売るほど記憶がある人間もいれば、金を出して記憶を買う人間もいる。

 最低だ、最悪だ。

 酷く惨めな気分で駅に向かう。街はやはり不愉快な湿度と気温のままで、埃の臭いに疲労が重なって厭な色を増していた。


 群青から赤へと変わっていくグラデーションの空はカクテルのように態とらしく、それでいて白々しい感じが私を苛立たせた。

 夕暮れの商店街を歩く制服姿の男女が手を繋いで影法師を伸ばしながら夜を引っ張ってくるのが目に入った。

 その空の青さは鼓動の度に血液より赤くなり、空や全身を駆け巡りながら伝達して私は壊れかけの冷蔵庫みたいに全身を震わせた。


「どうしましたか?」

 何が?

 私に聞いているの?何かって?

 わかるでしょう。

 私には無かったもの、欲しかったのにどうしても手に入らなかったもの、今でさえお金が足りずに仮初のそれですら手に入らなかったもの。

 

 仕方が無い。

 私は彼らの前に躍り出ると懐から包丁を取り出して自分の喉に突き立てた。

 願わくば彼らの売り飛ばす記憶が少しでも安くなり、その記憶は心理的瑕疵アリとして扱われる未来が訪れることを!


「もしもし、どうしました?」

 肩を叩かれて振り向くと真っ青な制服に身を包んだ警察官がこちらを見て微笑んでいた。

「いえ、何でもありません」

 私は俯いて逃げ出した。


 電車か高いところか、まだ決まらない。

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