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甲斐国物語  作者: 芒果
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甲府道祖神祭礼

 この出来事以降、皆約束を守り、この時何が起こったのか詳細は書かなかった。文筆家として名高い河原は主君との甲府の散策のひと時を書いたに過ぎず、矢板は山吹が死んだと言うことを日記に書き記していたのだ。広重は自身の旅日記である甲州日記から幸貫と山吹の話を書いてあるページを破り捨ててしまった。しかし、このページは伊勢屋が偶然見つけてそのまま古文書と共に保管されていた。

 山吹も江戸で死んだことにされて真実は闇に葬られた…、かに見えたが真実は欠片となって散らばっており、その欠片を集めることで子孫たちの手によりここ甲斐国で起こった出来事が現代によみがえったのだ。


 そして、江戸時代の最後の場面が蘇る。


                ◇


 てんやわんやの中、広重が途中で出会った捜索隊と共に緑町にひょっこりと戻ってくる。勤番の役人には巨摩峡へ散歩に行ったがあまりの美しさに滞在してしまった、と言った。皆訝しんだが、無事に戻ってきたので一安心していた。

 広重は幕御世話人衆の面々に心配をかけたことを謝罪して回った。数日が過ぎたある日、外出から戻った広重に松葉屋が聞いた。


「広重殿、どちらへ行かれてたのですか?」


「ん、ちょっとはらいそまでね」


「はあ? はら磯ですか? 甲州には海は無いですが…、どこですか?」


「はっはっは、それはもう美しい所だぜ」


 その後、広重は凄まじい集中力を見せ、これまでに見たことのないような壮大な幕絵を描き上げたのであった。

 時が経ち、翌年の旧暦の小正月、甲府城下町で当国一大盛事と言われている道祖神祭りが始まった。通りには幕絵が飾られると共に江戸から呼ばれた歌舞伎一座により歌舞伎が催され、夜には信州名産の花火が上がった。今年は信州より名産の酒や味噌などもふんだんに送られてきており、これまでの道祖神祭りよりも盛大で、甲府の町は大いに盛り上がった。それは、はらいそにいる三吉への手向けとして信堅が道祖神祭りのために贈った信州名産の花火であった。和太鼓に合わせて三味線が鳴り響く中、松葉屋の店の前にはひと際人だかりができていた。全国から集まった絵師たちが競って描き上げた絢爛な幕絵が立ち並ぶ中、ひと際注目を集めたのが広重の幕絵であった。この幕絵の前に立ち、緑町の幕御世話人衆は悔しがっている他の町の商売敵たちを横目に優越感たっぷりにニヤニヤしていた。

 特に一枚の幕絵には人が集まっており、皆口々に感嘆の声を上げて食い入るように見ていた。そして、その幕絵の前にはにっこりとほほ笑む幸貫の姿もあった。一度松代へ戻った後道祖神祭りを見物しに河原綱徳と佐久間象山と共に再びお忍びでやってきたのであった。


「歌さん、これがあんたの見たはらいそかい……」


 穏やかな表情で幸貫がポツリと呟いた。


 その頃、隠居した矢板善昌は息子の善村を連れて秩父の三吉の家を訪れ、娘と娘婿、そしてまだ赤子の孫の前で三吉が死んだことを告げていた。


「梓殿、三吉殿は……亡くなりました」


「ああ、やっぱり。これだけ戻らなかったので。父はなぜ死んだのですか?」


「賊に斬られました」


「ああ、何と」


「全て拙者の責任でござる。申し訳ありません」


 赤子を抱きながらすすり泣く梓とその梓を慰める権六に対して矢板は地面に額を擦り付けて謝罪をする。息子の善村も善昌の後ろで同じように頭を下げる。梓は呆然となり何も言葉が出てこない。


「ただ、三吉殿には我らが感謝してもしきれません」


「……おとっつあんは一体何をしたのですか?」


「我らの大切なものを守ってくださりました」


「……そうですか。おとっつあんは最後に良いことをして死んだのですね」


「はい、そうです。それが真実だと示すために、我が矢板家が末代までご恩返しをいたします」


 その時、矢板は三吉の死の際に手から滑り落ちた泥面子を形見として梓に手渡した。この時から毎年矢板家から田中家へと贈り物が届くようになったのだ。

 秩父から片桐藩に戻った矢板は、残った人生を全て誰にも知られないようにひっそりと暮らす信堅と山吹と共に過ごしたと言う。


                ◇


 道祖神祭りであるが、明治新政府により明治五年に禁止されており、以降は完全に行われなくなっていた。そのため、当時甲府の城下町を飾った絢爛な幕絵たちは売り払われたりしていつしか無くなっていった。

 暫くして松葉屋の子孫である佐野から三峯に連絡があった。三峯と矢板の訪問以降、全く興味を持っておらず、蔵に適当にしまっておいた骨とう品を整理していると、これまで開けたことのない箱の中に一枚の布切れが入っているのを見つけた。何だろうと思い、広げてみるとそれは幕絵であった。

 それは何と渓谷で若く美しい女が祈っている、歌川広重が描いたと思われる一枚の幕絵だったのだ。祈りは一人の男に向けられていた。その幕絵の空には鮮やかな青色が大胆に使われている。その幕絵を見た佐野は三峯に連絡してきたので、三峯と矢板は急いで甲府の佐野宅に向かう。


「この構図と鮮やかな青はまさに広重と広重ブルー。それにここは巨摩峡、今は昇仙峡か?そして山吹が祈っている男……。これがきっと三吉だ!」


「これが広重が見たはらいそか……」


 この幕絵を見てこれこそ広重が想像したはらいそであり、道祖神祭りで幸貫が見た幕絵だと一同は確信していた。この幕絵を見て当事者の子孫たち一同は決意する。来年の小正月に佐野宅の前でささやかながらも道祖神祭りを行うことを。

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