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甲斐国物語  作者: 芒果
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不思議な贈り物

 埼玉県秩父市の市街地から少し離れた住宅街の書斎で三十半ばの男が古い書物を読んでいた。その書物は江戸時代に毛筆で書かれており、何の知識もない一般人が読んでも書かれているひらがな一つすら判別できないような崩した文字が流れるように書かれていた。しかし、その男は気にも留めずこの難解な書物をまるで小説を読むかの如くすらすらと読み進めて行く。

 昼下がりで書斎には窓から西日が差し込み始め、外の木々の葉は季節の移り変わりと共にすでに赤や茶色へと変わっていた。日差しはまだ暖かかったが、内陸地の秩父の夜は寒さが増す。その男はまだ時間が止まったように無言で書物を見つめている。そして、その男の時間を進めるがごとくインターホンが鳴った。男ははっとして古文書に没頭していた頭を上げ、振り返りながら椅子から立ち上がると玄関へと出て行った。

 扉を開けると宅急便の配達員が立って段ボールを片手で必死に抱えながら 男に受け取りのサインを頼んだ。


「どうも~、ありがとうございました~」


 配達員は元気よく言うと、道路わきに止めていた配送車に乗り去っていった。男が宅急便の配送伝票を見ると、発送人が長野県の矢板善光で、受取人が秩父市の田中三峯宛と書かれている。


「はは、矢板さんからか。うん、もうそんな季節か……」


 微笑みながらそう呟くと、田中三峯は段ボールを上げて中身を確認する。すると、中には新蕎麦が入っていた。毎年この季節になると長野の矢板家から贈り物が届くのだ。それも三峯と矢板が知る限り、この贈り物はなんと天保年間の1842年から200年近く途切れることなく延々と続いていると言う。しかし、妙なことになぜ始まったか記録が残されておらず、三峯も当の送り主の矢板でさえこの贈り物が始まったか詳細を知らない。残っているのは三峯の家に伝わる、矢板の先祖が手渡したと言い伝えられている泥面子くらいであった。


 矢板の家系は元々信州の片桐藩の家老の家柄であった。屋敷は街道に面した場所にあり、付近にそれなりに広い土地を所有していたので、廃藩置県後にはその場所で蕎麦の製麺所を始めると共に蕎麦屋も経営しており、今では明治時代から続く老舗となっていた。矢板は先代の主人であったが、還暦を期に製麺所と蕎麦屋を息子夫婦に譲り、引退して今は孫と遊ぶことと郷土の歴史を調べることが何よりも楽しみな好々爺である。

 一方の三峯の祖先は元々奥秩父の山奥に住んでおり、代々樵をしていたが戦後になるとその不便さと仕事の都合により、祖父の代に秩父の街へと引っ越した。そして、三峯が幼いころに両親が今の家を新築した。しかし、10年前に父親が亡くなり、3年前には母親も亡くなり、一人っ子の三峯はこの家を相続して一人で住んでいる。そして、この贈り物の受け取り主も祖父から父、父から母、そして母から自分へと受け継がれていたのであった。


 三峯は子供の頃から毎年贈られてくるこの贈り物や家老の矢板から手渡されたという泥面子を見ながら次第に想像が募り子供なりに色々と調べて行くうちに江戸時代に魅せられて歴史好きになったが、その情熱を失わずに大学院まで出て博士号を取得した。ここまでは良かったのであるが、如何せん歴史学者のアカデミックな就職先は極めて少ない。大学の講師や助教などポスト自体が無いのだ。あってもポストはなかなか空かず、ポストが空いてもそのポストには恐ろしいほどの求職の応募があり、三峯が応募してもいつもはじかれてしまう。

 仕方なく近くの北埼玉大学の非常勤講師として食いつないでいるが、授業は一コマ90分で報酬は7000円。しかも週に数コマしかないので、非常勤講師だけでは生活は非常に苦しい。そこで歴史の専門知識を生かし副業で歴史の雑学などの記事を執筆し、雑誌に寄稿して生活を補っていた。このライターの仕事も連載があれば定期的な収入になるのであるが、連載を打ち切られると途端に収入が下がる。

 しかし、持ち家である上にいつも家にいて自炊している。さらに、書籍以外に特にお金の使い道が無い三峯にとっては今の収入でも生きて行くために十分であることと、自由になる時間がそれなりにあるのでその分自由に古文書を読め、研究もはかどるので今の生活もまあ悪くない、と思い日々それなりに楽しく生活している。


 一方の矢板も士族の家系であったことと、実家に先祖代々受け継がれてきた骨とう品や掛け軸、書物などが大量に残っていたこともあり歴史好きで、蕎麦屋の経営の傍らでよく歴史関係の本を読んでいた。同じ歴史好きの三峯と矢板の二人である、意気投合して時々歴史談議に花を咲かせている。

 実際、歴史学者となってから三峯はこの贈り物の謎を解明しようとした。送り主の矢板の家には当時の片桐藩の家老であった矢板善昌の日記が残っており、その矢板日記の中には江戸の藩邸で若くして亡くなった主君の側室である山吹の遺骨を持ち帰るため、秩父往還を通り江戸から片桐藩に戻ったこと。その道中で三峯の祖先の三吉と出会い、命の危険があった三吉の娘の出産を手伝い無事に孫を取り上げたこと、三吉が荷物持ちとして秩父から栃本の関所を通り、雁坂峠を越えて甲府まで同行したことなどが書かれていた。その後の出来事はほとんど何も書かれておらず、唐突に「恩のある三吉殿とその子孫に矢板家の末代まで恩義を返し続けるように」と書かれているのだ。これでは何が起こったのかさっぱりわからない。出産を手伝ったのだから普通に考えれば逆のはずである。なんだか喉の奥に魚の小骨が刺さったように釈然としないのであるが、日記には書けない何か大事件があったことだけは三峯も矢板も漠然と感じていた。

 一方の三峯の家にも、矢板に赤子を助けてもらい、その赤子の子孫が三峯であることも伝わっていた。この言い伝えは矢板日記の記述と一致している。翌年には家老の矢板が三吉の家を訪問していることも伝わっている。つまり、何か出来事があったのではあるが、その出来事が何であったか故意に秘密にされているのだ。恐らくであるが、矢板は三吉に返しきれない大恩があったのではないか、そうでないと末代まで贈り物をする意味が分からない。何故、矢板家が田中家に贈り物をするのだろうか。他に情報が無く、二人の推理はここで止まっていた。

 三峯はこの贈り物のお礼としていつも秩父名産の味噌を送っている。今年はどの味噌を送ろうか思案しながらまずは蕎麦のお礼をと矢板に電話をしようとした時、贈り物に入っていた矢板からのメモを見つけた。そのメモには矢板の字で長野のローカル番組を見ていると、信州松代藩の家老の子孫の家から江戸時代の日記が見つかったことと、その日記に秩父の樵であった三吉を甲府で埋葬した、と書かれていたこと。しかも、その日記を書いた人物は善光寺地震の被害の詳細を記したむしくら日記を書き、当代でも著名な文筆家の河原綱徳であることが記されていた。もちろん江戸時代の古文書で一瞬テレビに映った程度である。自分の理解が本当であるか自信が持てず、電話するのもはばかれたのでメモとして贈り物の中に同梱したのであった。そのメモを見ながら三峯はスマホを取り出し矢板へ電話をした。数コールで矢板が電話に出た。


「あ、矢板さんお久しぶりです」


「おお、三峯君、久しぶりだ」


「今年も新蕎麦ありがとうございます。今年の蕎麦はいつもより香りが強いような気がしますが、今年の出来はいかがですかね?」


「うん、なかなか鋭いね。今年は天気がいい日が多かったのでね、蕎麦も良く育っている。今年のは特に香りが強いよ」


「はは、それは今日食べるのが楽しみですね。あ、それはそうと、新たに古文書が見つかったというメモを見たのですが……」


「おお、そうそう。何か松代の河原家で日記が見つかったとテレビでやっていてね。その日記に三吉という名前が書かれていのだ。他にも秩父や樵という単語もあった気がするが、すぐに別のシーンに変わってしまったのではっきりしないんだ」


「……なるほど。うーん、それは興味がありますね。一度確認してみたいです。見間違いでも私にとっては研究資料になりますので、無駄足とはなりませんし。あ、もしお時間があれば矢板さんもご一緒にどうですか?」


「おおなんと、それは願っても無いことだ。是非是非私も同行させてくれ」


 三峯の提案に矢板が飛びつく。矢板との電話が終わると、三峯はすぐさま河原日記の持ち主を探すために各所に電話を掛けた。すると、河原日記は現在、長野県の教育委員会で一時的に管理されているとのことであった。教育委員会に連絡して川原日記を見せて欲しいとお願いすると、割とあっさりと閲覧を許可してくれた。このような時に三峯が務める大学の肩書と研究目的という大義名分が役に立つ。早速閲覧の日にちを調整して当日に長野市へ向かって出発した。

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