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魔王の日常1


「あちらに見えますのが、魔王の城でございまーす」


 真昼でも仄暗いこの場所で、城壁につけられた篝火の赤が、城の輪郭を浮き上がらせた。ぐるりと立派な石壁が囲む城壁に、固く閉ざされる鉄の門扉。その向こうには石造りの高い尖塔がいくつも並ぶ。幾度となく破壊されて燃やされたとされているが、いつの間にか何事もなかったかのように復元されているという、曰くつきの建物だ。


「この国から光を奪っているとされる常闇の魔王が、あの城に住んでいるとかいないとか。皆さん、あの尖塔の一番上、見張り台のような足場が見えますか? たまにあそこに人影を見たなんて言う人もいます。それが魔王軍の亡霊兵士なのか、それとも無断で立ち入った命知らずの観光客かは分かりませんが、話のネタにはなるでしょう。時間もありますし、少し見てみましょうか」


 リオはそう言って立ち止まったが、遠目でこう暗くては、足場がどこかもわからない人がほとんどだろう。灯りがついているのは城壁の外だけで、城の中から漏れてくるような灯りは見えない。


 それでも城の大きさと異様な雰囲気は伝わっているようで、人々の視線は城に釘付けになっていた。息を飲むようにして立ち尽くしたり、反対に興奮したように会話をしたりと反応は様々だが、なんにせよ彼らはこんな僻地までわざわざ足を運んできた物好きたちだ。興味津々な様子で見つめている。


 赤の炎に照らされる城は、現実感はないのに虚構にも見えない、異様な存在感がある。空虚な静寂に満ちた、廃墟のような城。それでいて荒廃した雰囲気はなく、石造りの壁には苔ひとつ生えていない。いつ魔王の兵士たちが飛び出してもおかしくないような緊張感もあるのだが、怖いもの見たさなのか、それとも怖いもの知らずか、人々は動く影でも見えないかと好奇の視線をめぐらせている。


「六年前に光の勇者が魔王を討伐して世界が鮮やかに染まったのは、皆さんの記憶にも新しいことと思いますが、まあ、今は見ての通りの暗闇です。すでに魔王が復活しているなんて噂もありますが、こんな近くまでお城を見に来た皆さんは、きっと信じてないのでしょう。魔王が放った黒炎は、隣の町にまで届いたとも言われてますからね」


 リオが空を仰ぐと、白けた太陽が見える。


 空は白く明るいのに地上にはその光が届かない。それはこの魔王の城がある谷底ではより顕著に見られる現象だが、彼らが住む地上でもさほど明るいというわけではない。昼でも晴天でも常に分厚い雲がかかっているようで、目に入るもの全てが灰色だ。それは皆が生まれた時から変わらず、誰もがそんなものだと思って生きていたのだから、それに不都合があるわけでもない。


 ——はずだったのだが、六年前。世界は人々に全く違う姿を見せた。


 突如として空が青く染まり、地上には緑の草木が茂る。透明できらきらとした日の光が差し込み、色とりどりの花が咲き、蝶が舞い、世界に鮮やかな色が満ちた。そんな光景を目の当たりにした人々は、そこで初めて魔王の存在を意識する。


『常闇の魔王がこの世界を黒く塗りつぶす。光の勇者が魔王を倒した時、この国には眩いばかりの光が満ちるだろう』

 

 それは人々の間でも昔話として語られていたのだし、国の歴史書にも同様の記載がある。だがそれが、単なる伝説や比喩でないと本気で信じていた人間がいただろうか。


 誰もが美しい世界に見惚れ、酔いしれた。だが、世界は徐々に色褪せていき、数年もするとすっかり元通りの灰色の世界に戻ってしまっている。ともすると鮮やかな世界の方が、何かしらのまやかしだったのではないかという声も上がっているが、何にせよ人々は一度見た光が忘れられない。


 今度こそ本当に魔王を倒そうという動きは国レベルであるのだし、魔王の存在や魔王の城なんてものに興味を持って、こうして見物に来る人間も後をたたない。


「かつて人々を虐殺し、この世界を闇と混乱の底に沈めたとされる魔王ですが、その姿は知られていません。姿を見て生きて帰った者はいない——なんて言われてますからね。物語では、巨大な獣のような描写をされることはありますが、それは魔王本人ではなく魔王の手先である魔獣の姿ではないかと言われてます」

 

 話をしても、真面目に聞いている人はほとんどいなかった。仲間内で話をしている人が多く、見知らぬガイドの声など単なる雑音なのだろう。誰もリオを見ていないことを確認してから、リオは大きなあくびをする。のんびりと周囲をみまわしていたが、しばらくして一人が道を外れて城に近づこうとしているのが見えて、慌てて口を開く。

  

「あ、そこから先は危ないですよ」


 言った瞬間、視界の先で黒い影が蠢いた。


 先ほどまではなかった姿に気づいたのはリオだけではなかったらしく、ひっ、と誰かが短く息を飲むのが聞こえる。


 あーあ、とリオは人々に聞こえないように小声で毒づく。


 距離があるにも関わらず、影は大きい。人の何倍もの体積がありそうに見えるそれは、城の篝火に照らされてゆらりと動いた。それがこちらに向かっているように見えて、城に近づこうとしていた人は慌てて戻ってきたし、他の人々も思わず後ずさる。


「はい、こちらにお戻りくださいね。ちょうど話をしようと思っていたところでした。あちらに見えますのが、魔城の番犬と言われている魔獣です。有名な物語の挿絵に描かれてる魔王は、あの獣の姿だと言われていますが、みなさんはどう思われますか?」

「ちょ、ちょっとあれ、本物!? 大丈夫なの……?」


 近くの人々がリオにしがみついてくる。


 黒い獣はゆっくりと近づいてきていた。四本足で歩いてくる大きな黒い姿は、番犬と言うよりは巨大な狼のようだ。


「大丈夫です。が、番犬と言っても首輪は付けられていないので、あまり近づかないでくださいね。体重は軽く十人分くらいありそうですが、ああ見えてなかなか俊敏です。姿を見せるのは割とレアなんですが、皆さん運がいいですね」


 背後の篝火とのコントラストとも相まって、凶々しくも猛々しくも見えるその魔獣は、ある程度の距離を保って止まった。


 顔のあたりにはぎらりと光る二つの瞳の青。それが確かにこちらを睨みつけているように見えて、大きな悲鳴が上がった。パニックになって走り出そうとした人々にリオは「走らないでくださいね」と声をかける。


「最初にお話したでしょう。魔獣には、すばしっこい獲物に反応する習性があります。逃げるならゆっくりにしましょう。暗くて足元も悪いですしね」


 すでに何名かは走って逃げてしまっていたが、残りは固まるように静止した。そのうちの半分は恐怖の視線を魔獣に向けて凍りつき、残りの半分はすがるようにリオを見る。


 ちらりと魔獣の方を見ると、それは威嚇するように牙を剥き出しにしていた。人の一人や二人くらいは簡単に丸呑みできるサイズの魔獣を目の前にして、生きた心地がしないだろう人々に向けて、リオはなるべく明るい口調で言った。

 

「さて、貴重な魔獣も見られたことですし、そろそろ戻りましょうか。逃げちゃった人たちが集合場所を覚えていればいいですけど。皆さんもはぐれて迷子になったら大変ですから、気をつけてついてきてくださいね」


 そう言って来た道を戻ろうとすると、リオにしがみついたままだった男が声を上げる。


「た、助けてくれ!」

「もちろん一緒に帰りますけど、手を繋ぎます?」


 リオの腕を必死で掴んでいる男性の手を見て言うと「ふざけるな!」と男は怒鳴った。だが、それでいて震える手を離そうとはしないのだから、よほど恐ろしいのだろう。

 

「あれは城に近づかない限りは襲ってこないから大丈夫ですよ。ほら、あそこから動いてないでしょう?」

「だ、だが、逃げれば追ってくるんだろう」

「走らずにゆっくり帰れば大丈夫ですよ。嘘だと思うなら私が先に行くので見ててください。もし私があれに食べられちゃったら、その隙に逃げてくださいね」


 男の手を解いてから、魔獣に背を向けて歩き出す。すたすたと何歩か歩いたところで振り返るが、魔獣は動いていない。それを見て、男は置いていかれまいと慌ててついてきたし、他の人たちも一斉に動き出した。


 そもそも魔獣が逃げる獲物を追いかける習性があるというのは、リオが勝手に言っている嘘だ。実際は城に近づかなければ襲ってこないが、足元も良くない暗がりで走っては怪我人が続出する。もし魔獣に会っても走るなと道中で散々話していたつもりなのだが、本当に会えるとは思っていなかったのだろうか。


「ほら、大丈夫だったでしょう? 魔城の番犬は門番みたいなものらしいですからね。近づかなければ基本無害です。魔王の城を探索する兵士たちや、魔王退治に向かう勇者たちは、どうしたって相手をしなきゃならないから大変ですけど」

 

 そんなことを話しても、泣きそうな顔で歩いている人々は背後の魔獣が気になるようで、走り出したいのを必死で我慢しているようだった。せめて泰然としているリオの近くに、と思っているのか、ほとんど体が触れそうなほどに密着して歩いてくる。彼らはしばらく押し黙って歩いていたが、やがて一番近くにいる男が口を開く。


「き、君はあれが恐ろしくないのか?」

「そりゃあ、恐ろしいですよ。何度も殺されかかってますからね。腕を噛みちぎられそうになったこともある」

「は?」

「見ます? 痛そうでしょう」


 そう言ってリオが袖をまくると、男は驚いたように目を丸くする。薄ら灯りでもはっきりと見えるほどに大きな痕は、自分でも腕がくっついていることが奇跡のような傷だ。


「迂闊に城に近づこうとすると、こうなるから気をつけてねってことですね。好奇心は分かりますが、あまり危険なことはしない方がいいですよ」


 敢えてそう言ったのは、目の前の彼がそもそも城に近づこうとした男だったからだ。近づかなければ魔獣が現れることもなく、全員が怖い思いをすることもなかっただろう。そもそも案内をする時に、リオの前を歩くと命を落とす可能性があるとさんざん脅しているのだが、彼のように話を聞かずに近づこうとする人間は意外と多い。


「ま、ここまで来ればもう大丈夫ですよ。ほら、城もあんなに遠い」


 そう言って遠くを示すと、皆はほっとしたように息をつく。


 そして喉元すぎればなんとやらなのか、興奮した様子で会話をしだす人々の顔を見てリオはこっそり苦笑した。そもそも怖いのなら魔王の城など見にこなければいいものを、わざわざ金まで払って見にくるのだから、よほどもの好きか暇人なのだろう。魔獣と出会ったことも彼らにとってはいい土産話になるに違いない。


 おかげさまで生活ができているのだから、リオとしては物好きだろうが暇人だろうが、大歓迎であるが。


「さて皆さん、お楽しみいただけましたでしょうか。今回は城だけでなく魔城の番犬まで見られてとっても幸運でしたね。あの魔獣は本物の魔王が復活するまで、何百年もあの城を守っているなんて逸話があるんですが、実は他にも魔城を守る魔獣は存在します。ほとんど姿を現さないのでかなりレアですが、とっても運が良ければ見られますよ。気になる方は、足を運んでいただければ。またのご来訪をお待ちしてますね」

 

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