魔王の城4
「この剣はどこで手に入れた?」
すぐ真上から声がして、フィランダーははっと目を開ける。何かがフィランダーの体の上にいる。ずっしりとした重み。小柄な人間——それは女に見えた。腹の辺りであぐらを描くように座っている。重くて苦しいというほどではないが、自分の体を抑えられているという焦燥は当然ある。
何かを持っている。そう彼女の手に視線を向けた瞬間、それを目の前に突きつけられた。鋭い光を放つそれは、フィランダーの剣だ。剥き身のまま眼前に向けられ、フィランダーは呼吸を止める。
眠っていたとはいえ、ここまで接近されて気づかないはずはない。普通であれば誰かが部屋に入れば気づくだろうし、体の上であぐらをかかれる前に当然、目を覚ますはずだ。どうやって現れたのだろう、と思うが、どこから何が現れるか予測もつかないのがこの城だ。
突きつけられた剣先の向こうに見えるのは、妙齢の女性。ぱっつりと短めに切り揃えられた前髪に、切れ長の瞳。フィランダーを見下ろす彼女の瞳は、はっとするような金色の光がある。
「琥珀か?」
「この姿では初めましてと思うがな」
きゅっと細められた彼女の瞳が連想させるのは、琥珀と呼ばれていたあの大蛇だ。
金色の瞳も、あの蛇にはまっていたのと同じ色をしている。魔獣は人型に変身できるらしいし、リオは琥珀を彼女と言っていたから女性の姿をしているのだろうと思っていた。剣について聞きたいとフィランダーをここに閉じ込めているのも琥珀なのだと言っていたから、いつ姿を見せるかと身構えていた部分もあったのだ。
「初対面の挨拶が必要ならしてもいいが」
「はは、面白い人間だな。そんな格好で挨拶をしたいのか?」
「俺の体から降りるつもりがあるのなら、是非そうしてもらいたいな」
「気に入らないなら押しのければ良い。重くはないだろう?」
そうして見下ろす彼女の瞳には、面白そうな色がある。
確かに押しのけられないほど重くはないのだが、身動きは取れない。適当にあぐらをかいて座っているように見えても、ちょうど体の重心を抑えられているし、目の前には剣が突きつけられたままだ。剣の握り方は適当にしか見えないが、得体の知れない凄みはある。
ぞくりとするものを感じながらも、フィランダーは挑戦的に見上げた。
「女に乗られるのは別に悪くはないが、裸ならなお良かったな」
「蛇を口説こうとは、随分と守備範囲が広いんだな。剣の切れ味を、自分の体で試してみたいか?」
「わざわざ時間をかけて治した人間を、出会って数秒で殺すのは勿体ないだろう」
「そうでもない。私にとっては数秒も数日も大差ないからな」
見た目からするとフィランダーとさほど変わらない年齢に見えるが、魔獣である彼女は何百年も生きているということなのだろうか。魔王は代替わりしたとリオが言ったが、琥珀の雰囲気はとても数年前に生まれたとは思えない。
「殺すなら殺せばいい。どうせあんたの手のひらの上なんだろ——」
言い終わるのを待たず、本当に剣が振り下ろされて全身が硬直する。
赤く光る刀身は、フィランダーの首をかするようにして、寝台に突き刺さった。どっと冷たい汗が出て、鼓動が速くなる。鋭い金色の瞳は、フィランダーを冷たく見下ろしていたが、やがて口元を綻ばせた。
「多少は顔色が変わったな。死にに来たとはいえ、死ぬのは怖いのか?」
「……知らん女に寝込みを襲われて、ビビらないほどたいそうな人間ではないぞ」
「そうか? それなりに度胸は認めてるがな。ひとりでこんなところまで来た人間は随分と久しぶりだよ」
琥珀はそう言ってから、寝台に刺さった剣を引き抜く。その時にまた首筋に刃が掠って、フィランダーは眉根を寄せた。脅すためにわざとやっているのか、それとも単に当たっただけか。フィランダーが腕を上げて痛む首に手のひらを当てても、彼女は全く気にした様子はない。
痛いと言ったところでだからなんだと言われるのだろうし、血でベッドが汚れると訴えたところで、翌日には白いシーツに戻っている気もする。何を言おうか迷ったが、また彼女がかかげた剣を振り下ろす前にと、聞いた。
「その剣の何が気になる」
「これはかつてこの城から持ち出されたものだ。呼ばれたか?」
「呼ばれる?」
「お前がここに来たのは、剣が戻りたがっていたからじゃないか」
「俺は剣と喋れるような変態ではないぞ」
魔王の城に来たのが剣のためだと言われても、フィランダーには全く意味が分からない。魔王退治でもしようと思ったのは最近だが、剣を手に入れたのは随分と昔である。
「のこのこと剣を引っ提げて、ここまで歩いてきてくれたんだ。この城の中まで辿り着く人間がほとんどいないことを考えると、偶然よりは必然だろう」
「辿り着くって、あんたが助けてくれたんだろ」
「私は何もやってない。魔王の命で怪我は治してやったがな」
「ドアを開けたのは琥珀じゃないのか?」
「違うな。城に剣を招き入れたのは、城の意思だ」
フィランダーを招き入れたわけではなく、フィランダーの持っている剣が招き入れられたということか。どんなに破壊してもすぐに修復し、魔王が逃げても呼び戻すのがこの城だ。剣を取り戻そうとしても、おかしな話ではない気はする。
「この城に俺を閉じ込めているのも城か?」
「いや? 剣を回収すれば、人間なんかに興味はないだろうよ。私がやってるだけだ」
「何のために?」
「一応は剣の入手経路くらいは聞いておいてやろうと思ってな。失せ物はその剣だけじゃないんだ」
「尋問したいだけなら、怪我を治さなければよかっただけじゃないのか? わざわざ歩き回れるようにしておいて、わざわざ閉じ込める必要がどこにある」
怪我を治したのは琥珀と言っていた。放っておけば動けなかっただろうし、話を聞きたいだけならこれまでにもいくらでも時間があった。
「質問の意図が分からないな。私が人間なんかの命を惜しんでいるのだと期待しているのなら、残念だったな。お前が死のうが生きようが興味もない」
「それでも、魔王の命令には逆らえないのか?」
言いながらも、リオにそんな力があるのだろうかと内心で首を捻る。城を守る魔獣である黒曜にさえ命を狙われると彼は言っていたのだ。だが、怪我を治したのは魔王の命だと琥珀は言ったし、魔王を害そうとすれば琥珀が助けるのだと言っていた。そして黒曜も、琥珀に命令できるのはリオだけと言ってはなかったか。
探るように聞いたフィランダーに、琥珀はにやりと笑った。
「なるほど。あれを懐柔するつもりか?」
「別に死にに来たわけじゃない。リオに命乞いをすれば命が助かるというのなら、やってみてもいいな」
「悪くない策だとは思うが、あれは色々と甘いからな。次があると思わないほうがいい。いまお前を殺して外に放り出したところで、魔王は気づきもしないだろうよ」
いったいリオと琥珀もどういう関係性なのだろう。黒曜ほど露骨に嫌ってはいなさそうだが、魔王だと敬うつもりはカケラもなさそうではある。
「命が惜しいのか?」
「人並みには惜しいと思っていると思うが」
「それならさっさと質問に答えてもらおうか。剣はどこで手に入れた?」
「それを話したら、その剣をいつでも俺の脳天にぶち込めるんだろう」
話の流れからすると、命が惜しくば知っていることを話せということなのだろう。が、剣についての情報を聞き出せば、フィランダーに用は無くなるはずだ。フィランダーの言葉に、琥珀は剣を弄ぶようにしながら笑った。
「勿体つけるなよ。別に話さなくてもやれる。一応は首が繋がっているうちに、喋る機会くらいは作ってやろうかというだけだ。お前が思ってるほどこっちに興味はない。知らん人間の名前や土地の名前を聞いたところで「ふうん」としか言えんしな」
心底どうでも良さそうに琥珀は言った。単純にこちらに切り札はないと言いたいがための駆け引きかもしれないが、相手は色んな意味で完全に自分の上にいる存在だ。こちらが駆け引きをしたところで、あまり手はないようにも思える。
色々と考えるのも面倒になって、フィランダーは息を吐いた。
「引っ張ったところでたいそうな出所もないからな。人にもらったんだよ」
「何者だ?」
「傭兵だよ。相手はもう死んでるし、近しい人間もいない。なんで持ってたかは俺も知らない。残念だが、出所は追えないと思うな」
「名前は?」
「ハリー」
「知らんな」
「だろうな。別に有名な人でもない。魔王の城に討伐に来たなんてこともないはずだ。そもそも剣をもらったのは光の勇者が現れる何年も前だから、魔王の城の存在もあんまり知られてなかっただろうしな」
「もらった理由は?」
「さあ。俺がボロボロの剣を使ってたから見かねたんじゃないか。使ってない剣があるんでやるよって放ってきたよ」
琥珀は少しだけ虚空を見るように何かを考えていたが、やがてフィランダーを見下ろして肩をすくめる。
「ふうん」
「興味のある話じゃなくて残念だったな」
「まあ、そんなもんだろうな」
彼女はそういうと、フィランダーの腹に思いきり膝を立てた。急に内臓を押されて思わず息を詰めるが、ただ体の上から降りようとしただけだったらしい。ベッドからも降りた彼女を見て、フィランダーは上半身を起こす。
「どこに行く?」
「別に。用は済んだからな」
そう言って、彼女がむき身のままの剣を投げてきたのでどきりとする。適当に投げただけのそれは、フィランダーの腹にあたってから、足の上にぽんっと落ちる。琥珀はそのまま部屋を出ようとしたので、フィランダーは慌てて声をかけた。
「この剣はどうする気だ?」
「お前のなんだろう。別に私は剣なんかに興味はない」
「この城は剣が欲しいんじゃないのか?」
「そうかもな。この城が欲しがってるなら返してやればいいし、何なら勝手にどこかに歩いて戻るだろ」
「……剣が?」
眉を上げると、琥珀は首を傾げる。
「今さら剣に足が生えたところで、驚くべきことがあるか?」
「蛇に足が生えても別に驚かんが、剣に足が生えるのはさすがに驚くぞ」
フィランダーの言葉に、琥珀は白けた視線を向けてくる。
「命が惜しい人間のセリフとは思えんな」
怒るというよりは呆れたように言った琥珀だが、ひらりと手だけを振って部屋から出ていった。