魔王の城3
もともと城の中はひんやりとしているのだが、ここはさらに冷気が溜まっているようだった。
部屋というのもおこがましい、ただ四角いだけの空間。地下にあるこの場所は、他の部屋とは壁や床の材質が違うのだろう。鍾乳石で作られたかのような色合いの室内は、屋内というより薄暗い洞窟の中にいるかのような感覚に陥る。
その部屋に中央には石棺のようなものが置かれていた。ちょうどひと一人が入れそうなほどの箱。それ以外は見事に何も置かれておらず、燭台すらない。かろうじて天井付近の小さな窓から光が差し込んでいるが、夜になれば暗闇になるはずだ。
早朝にこの部屋を訪ねてくれと言われて来てみたが、人の気配はない。いったい何のための部屋なのだろうと思いながらも石棺に近づくと、中に入っているものにぎょっとする。
「リオ?」
石でできた四角い箱に横たわっているのは、白い顔をしたリオだ。眠っているにしてはあまりに静かな彼は、棺に入っているということもあり、生きているようにはとても見えなかった。死体か、よくできた人形だ。
ちょうど窓から差し込んだ薄い光の線が、彼の生気のない顔を照らす。恐る恐る白すぎる頬に手をふれると、ひんやりと冷たい。だが、胸の辺りに手のひらをおくと、かすかにだが上下しているのがわかった。じっと触れていると、じんわりとした温かさもある。生きてはいるのだろう。
「何してんだ、こんなとこで」
思わず呟くと、リオが薄く目を開けた。何度かゆっくりと瞬きをしてから、赤い瞳がフィランダーをとらえる。寝ぼけているのだろうか。瞳はこちらを見ているのに、それ以上の反応はない。
「リオ?」
改めて声をかけると、彼はぶるりと大きく身ぶるいをした。
「寒っ」
急に覚醒したのか、寒い寒いと連呼しながら両手で自身の体を抱く。そのまま起き上がると、何故だか部屋を出ていってしまった。フィランダーが首を傾げながらも追いかけると、彼は隣の部屋にあるベッドに入って、毛皮の毛布にくるまっている。
「何やってんだ?」
「いやほんと寒いんだよね、あそこで寝てると。死んでるんじゃないかってくらい体が動かないし」
「固い石の中で寝るのが趣味なのか?」
「そんなやついる? 俺だってたまには柔らかくて温かいベッドで起きたいよ」
「ベッドで寝ればいいだけじゃないのか?」
意味がわからないと首を捻ったフィランダーに、リオはぶるぶると首を横に振った。
「普通の人間ならそうだろうけど。俺は仮にも魔王だからね。一つだけだけど、歴代の偉大な魔王が使ってきた力が使えるんだよ」
「歴代の魔王の力?」
「聞きたい? 最高機密なんだけど」
「言いたいなら聞いてやるよ」
「言いたいから聞いてよ。どんなに離れた場所で寝ても、どんなに温かい布団で寝ても、必ず冷たい石棺の中で目をさます。まさに神秘の力だな」
毛布にくるまったまま真顔でそんなことを言われ、フィランダーは呆気に取られる。
どんな場所で寝ようとあの部屋に飛ばされるということだろうか。神出鬼没なこの城の魔獣たちをみていると、魔王ならそれくらいできて当然だという気はする。が、本人が望んでもいないのに、死体よろしく棺に入れられるというのは、力というよりは嫌がらせに近い。
「毎朝あんなことやってんのか?」
「あんなことって言われてもね。誰の趣味かは知らないけど、歴代の魔王はあそこで目覚めるんだから仕方ない」
「村で寝てもここに戻るのか?」
「だね。村どころか、馬を使って三日間くらい徹夜して、できる限り離れてみたこともあるけどね。どう足掻いても目覚めは固くて冷たい石の中だ」
はは、というリオの笑いが、渇いたものに聞こえるのは気のせいではないはずだ。
前に城から逃げ出すことができないと言ったのは、そういう意味だったのだろう。そして城に戻る別のルートとはなんだと聞いたフィランダーに、石の棺を覗かせた理由も理解した。
「たしかにこれなら、城に戻るのに黒曜に襲われる必要はないな」
「そこだけは助かってるけどね。まあ、あとは道で迷子になった時にも使える便利スキルではあるか」
リオは軽い口調でそんなことを言ったが、苦々しい思いはあるはずだろうと思う。何日も徹夜をして城から離れようとしたのが何年前のことかは知らないが、一人でこの城から逃げようとしたのは本当に違いない。
「魔王が迷子にならないようについた便利機能か?」
「それならせめて寝床は選んで欲しかったけどね。だいぶ体はなれたけど、最初の頃はなんど風邪を引いたことか。固い石は、背中も痛いし足腰にもくる」
「石棺の中に寝具を入れてたらいいんじゃないのか?」
「最初に試したけど、勝手になくなってるんだよね。部屋の中には石棺以外何も置かれてない、ってのがこの城のデフォみたい」
「融通がきかねえな」
フィランダーの言葉に、リオは楽しそうに笑う。
「ほんとにね。ま、融通がきかなくて便利なこともあるけどね」
「たとえば?」
「この城って何度も焼き払われたり壊されたりしてるようだけど、毎回しれっと復活してるらしいんだよね。たまに俺がうっかり手を滑らせてカップを割っても、次の日には元通りになってる」
「それは融通が利く利かないのレベルの話か?」
「こっちは本当に便利機能なのかもね。掃除も必要ないのは助かってる。あんまり模様替えはできないけど」
さすがは魔王の住む城ということか。食器はともかく、いくら城や城壁を破壊しても元通りになるというのは厄介だ。せっかく魔獣たちをかいくぐって城を攻撃してもすぐに修復されるとなれば、攻める方としては心が折れるに違いない。
「魔王も城の一部だってことか?」
フィランダーの言葉に、リオは目を瞬かせる。
「あ、そういうこと? 魔王の定位置は棺の中だから、朝になったら突っ込んでおこうって、ご親切に転送してくれてるんだ」
「俺が知るわけないが」
「でも、それだけのことなのかもね。なんなら死んだ魔王の代わりに誰か別の人間を選んで城に突っ込む、ってのも同じようなものなのかも」
それだと力を持っているのは魔王ではなく、この城、もしくはこの城を所有する何者かということにならないだろうか。
フィランダーが口を開こうとすると、リオは大きくあくびをした。先ほどまではぶるぶると震えていたが、毛布にくるまって体があったまってきたのだろう。瞼がとろんとしていて、明らかに眠そうだ。
「あんなとこじゃ、まともな睡眠取れなそうだな」
「そこはさすがに慣れたけどね。それより崖を何度も登るのが面倒で、村に行く時は何日か起きてるからな。反動か、ここだと眠いんだ」
そう言って彼は目元まで埋めるように毛布を引き上げる。
「寝なおすのか?」
「寝ないよ。せっかくあったまったのに」
そう言った彼だが、うつらうつらとしているようで、何度か瞼が落ちる。他人がいてよく眠れるものだと思うが、それだけ疲れているということなのだろう。
魔王の城は大穴の底にある。近くの村まで行くだけでも本当であれば一苦労だし、うっかり村で眠ってしまうとまた登らなければならないとなると、何日か起きてようと思うのかもしれない。
しばらく見下ろしているうちに、すっとリオの頭が消えた。毛布の下にあったはずの厚みも消えて、フィランダーは眉だけを上げる。
目の前から人が一人消えたところでいまさら驚く気にもなれない。石棺のある部屋を覗いてみようと部屋を出ると、そちらの部屋から「冷たっ」というリオの声が聞こえてくる。
「リオって可哀想だな」
思わず心の底から声が漏れた。石棺から上半身だけ起こしたリオが、なんとも言えない視線を向けてくる。こんなのでも仮にも魔王だ。他人に哀れまれるのは複雑なのかと思ったが、彼は指を目元に当てて涙を拭うような仕草をする。
「泣いてもいいかな」
「男に胸を貸すつもりはないぞ」
「同情してくれるだけで十分だよ」
腰のあたりまである石棺を乗り越えてから、リオはまたベッドへと向かう。先ほどまでの温もりがあるのだろう、毛布にもぐりこんだリオに、フィランダーは首を傾げる。
「また寝るのか?」
「起きてる」
「そう言って毎朝、部屋を何回往復してるんだ?」
「二、三回ってとこだよ」
可哀想だなと改めて呟くが、彼は温かい毛布の誘惑には勝てないらしい。ちょうど気持ちよく寝入った瞬間に、冷たくて固い石の中に放り込まれるくらいなら、いっそ起きた方が良いのではないだろうか。
しばらくするとまた毛布の厚みが消えて、フィランダーは苦笑した。今度はリオの声が聞こえてこないから、眠ったままなのかもしれない。フィランダーは温もりが残ったままの毛布を持っていき、リオが眠っている石棺の中に放り込んでやる。
じっと見下ろしてみるが、特にリオにかけた毛布に変化はない。最初から石棺に寝具を敷いていても消えていると言っていたが、後からかけてやる分には消えないらしい。
「誰かが投げ込んでやればいいってことか」
可哀想な魔王のために、たまに布団をかけてやっても良いかもしれない。