魔王の城2
「これ、リオが作ってるのか?」
並べられた料理は簡素ではあるが見た目にも美味しそうで、フィランダーは首を捻った。広い城内にはリオ以外に誰もいない。王の城に当然いるような従者や使用人などいるはずもなく、身の回りのことは全て自分でなんとかするしかないと言っていたのだ。
「もちろん。一人だと適当なもの食べちゃうけど、食べてくれる人がいるっていうのは作り甲斐があるよね。フィランダーが動けるようになってくれて嬉しいな」
にっこりと笑ったリオに、苦笑する。
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる姿は、まるで嫁のようだ。どうも城に話し相手が欲しいというのは本当だったらしく、フィランダーが動けない間もちょくちょくベッドに腰掛けて話に来ていた。こんなに広い城にずっと一人きりというのも、人恋しいのだろう。話し相手が自分を殺しに来た無骨な男だろうと、気にはならないらしい。
「魔王が手料理ね」
「人の血肉は入ってないから安心して」
「食べる前に食欲を削ぐようなことをいうなよ」
顔を顰めてから目の前のスープを口に入れたが、久しぶりのまともな食事ということもあり、問題なく美味かった。うまい、というと彼はさらに嬉しそうに笑う。
琥珀が治してくれると言った言葉に嘘はなかったようで、一週間ほどでフィランダーの体は驚くほど回復していた。さすがにまだ全身が痛みはするが、普通なら切断するしかなかったはずの左腕も、何とかくっついて動いてはいる。
「食料はどこで調達してるんだ?」
「フィランダーにも会った村だ。この辺は狩りもできないし、食べられそうな草も生えないからね。庭に野菜を植えてみたが、見事に枯れたな」
たしかにあんな魔獣がうろうろしていたら他の獣など近づかないだろうし、魔王の城に野菜が埋まっているなんて平和な光景は似つかわしくない。
「運ぶのが大変そうだな」
「まあね。金さえ払えば穴の下までは食料をおろしてくれるんだけど、ぼったくられるからね。自分で登って調達するのが早い」
村人から金をぼったくられる魔王とは、いったいどんな存在なのだろう。呆れながらも、険しい崖を思い出して首を傾げる。
「あの崖は登れるのか?」
「観光客やら自称勇者様がた向けに、多少は整備してる道がある。普段は隠してるけどね」
今度場所を教えるよ、なんてリオは言ったが、どういうつもりだろう。
今のところフィランダーは、外に出ることはできない。外には魔獣がうようよしているということもあるが、そもそも城から出られないのだ。色々と歩き回ってみたが、入り口や出口が全く見つからない。入ってきたはずの通用口も、正面にあった玄関も、どれも綺麗さっぱり見当たらない。ならば窓から出られないかと思ったが、どれも開かないし、剣で殴りつけてみてもびくりともしなかった。
琥珀が閉じ込めているんだろうとリオは言った。
剣の出所が知りたいなんて言ったらしい琥珀だが、全く姿を見せてはいないし尋問される気配もない。リオも特に剣について話題にすることはない。なんなら剣を返してくれたくらいで、いったいどういうつもりなのだろうと首を傾げているのだ。
多少の怪我をしていてもリオのことは簡単に倒せるのではないかと思うのだが、実際にやろうとすると魔王の力が働くのか、魔獣が飛び出してでもくるのか。
そんなことを考えていると、廊下から足音が聞こえてフィランダーははっと顔を上げた。これまで城の中でリオの気配以外を感じたことはない。食事中も腰に下げたままの剣に、密かに指をかける。
足音からするとそこにいるのは人間——もしくは二本足の何かだ。少なくとも黒や白の四本足の魔獣ではないし、足のない蛇でもない。
リオもフィランダーの視線に気づいたようで、ドアの方を見る。ノックもせずに部屋に入ってきたのは黒い男だった。
「人間を城に近づけるなと何度言ったら分かる」
短い黒髪に浅黒い肌。真っ黒い服をきているから全身黒い。一本芯が入っているかのようにピンとした姿勢と、服の上からでも鍛えられているのがわかる肉体。長身から見下ろすような威圧的な視線もあわせて、まるで兵士のようだ。少なくともフォルムは人間には見える。
ただ、彼の瞳もリオと同じで赤い。
「人間って彼のこと? なら近づけたのは俺じゃなくて琥珀だ」
軽く肩をすくめながら言ったリオに、男は盛大に舌打ちをする。そしてじろりとフィランダーを睨んだ瞳には明らかな怒りがある。燃えるような、それでいて凍てつくような視線に、どこかで彼と会ったことがある気がしたが、顔貌は全く知らない男のものだ。
「そいつじゃない。クズ虫が大量に連れてきてる外の奴らだよ。——ていうか、何を仲良く飯を食ってんだ」
「黒曜も食べる?」
「食うか。クズ虫の作った人間の飯なんか」
「食料は貴重だからね。食べなくて生きていけるならそれはそれに越したことはないな。僕らは食べないと死んじゃうし。ねえ?」
そう言ってフィランダーに視線を向けられるが、いまいちなんの反応を返せば良いかわからない。魔王であるはずのリオをクズ虫と呼んだ男は、フィランダーを虫ケラのように見下ろし、拳を握る。
筋肉のつき方からも、十分に力があることは明らかだ。武器など持っていないが、その拳だけで人は簡単にぶち殺せるだろう。
「餓死するより前に、俺が殺してやるよ。その侵入者を外に放り出せ。なんならお前も一緒に出てこいよ」
「俺は嫌だな。それにフィランダーも、琥珀が捕まえてるんだ。俺に言われてもね」
「ふざけんなよ。琥珀に命令できるのはお前だけだろ」
「放り出してもいいけどね。また負けたらどうするのさ、黒曜?」
明らかに挑発的に言ったリオに、黒曜と呼ばれた男が目に見えて顔色を変える。怒りに顔を引き攣らせ、分かりやすくぶちギレた男に、フィランダーは思わず椅子を引いた。
黒曜という名前は、たしか黒い魔獣のものだったはずだ。目の前の男とは姿形がまるで違うが、その瞳の赤は見覚えがある。
フィランダーは立ち上がる。男の狙いはフィランダーではなくリオだ。咄嗟に間に入ろうとした瞬間に、リオに名前を呼ばれた。
「フィランダー、大丈夫だ」
足が止まる。瞬間、床がぐにゃりと変形して音もなく迫り出した。
黒い男の体を包み込むほどに大きくなったそれは、黒曜の足先から頭の先までを飲み込むと、すぐに地面に潜るようにして床に消える。
「くそ、琥珀、ぶっ殺し——!」
男の怒号の叫びもすぐに途絶える。
何事も無かったかのようにただの床に戻った場所を呆然と見つめてから、リオに向き直る。立ち上がっていたフィランダーとは違い、彼は食卓についたままだ。
「あれが琥珀か……?」
一瞬の出来事だったが、床と同色の何かが、丸呑みするように黒曜を喰らったことだけはわかった。ちらりと見えたのは金色の鋭い二つの瞳。前にフィランダーを喰らった大蛇と同じ色だ。
「だね。城の中は彼女の腹の中みたいなものだからね。ここで魔王を攻撃しようとする敵がいたら、なんでも飲み込んじゃう」
冷静に食事を続けるリオを見て、フィランダーも椅子に戻った。聞きたいことは山ほどあった気がするが、目の前であった衝撃にしばし言葉を失う。飲み物を飲み込んでいると、リオが口を開く。
「フィランダーが俺を倒したかったら、琥珀が手を出す隙もないほど素早く、頭と体を切り離すことだね。多少の怪我くらいなら琥珀がすぐに治せちゃうから」
「……俺がやれないと思って言ってるのか?」
「ただ教えてあげてるだけ。中途半端に手を出そうとしたら、琥珀に食べられちゃうよって。出て来れるかどうかは俺にもわからない」
「あの黒曜とかいうのも?」
「彼の場合はいつものことだよ。琥珀も呆れてると思うけど、さすがに魔獣を腹の中に閉じ込めておくことはできない。すぐどこかに吐き出してるよ」
やはりあの男は城門を守っていた魔獣か。
「魔獣ってのは人間に変身できるのか?」
「みたいだね。人間の形をした何かが魔獣に変身してるのか、魔獣が人間の形に変身してるのかはわからないけど。なんにせよ言葉は通じるから助かってるよ」
言葉は通じたとしても実際に通じ合っていたようには見えないが、リオは軽く笑っている。魔獣というものは魔王を崇拝するなり支配されるなりで従っているものだと思っていたが、あの男がリオに向けていた視線は、軽蔑であるようにすらみえた。
「リオも変身するのか?」
「魔王に? できれば良いけどねー」
「何か魔王の力みたいなのはないのか?」
「何代か前の魔王は目からビームがでたなんて話もあるけどね。俺はさっぱりだよ。まあ、目からビームを出したいかって言われると微妙だけど。せめて手のひらかな」
はは、と笑ったリオが嘘をついているようには見えない。ただの子供が何の力も与えられないままに、魔王だと言われてここに連れて来られたということなのだろうか。だとしたら、リオにとっては不幸なことに違いないし、そんな魔王の城を守るために存在する魔獣にとっても、面白くないだろう。
「変身ができなくても、せめてフィランダーくらい強ければいいだろうな。一人であの黒曜と戦って退かせたんでしょ」
そんなことを言われても、黒と白の魔獣と戦って死にかけていたのだ。琥珀の脅威的な治癒力でなんとか動けているが、本来なら死んでいただろう。褒められたところで全く嬉しくないのだが、リオの顔を見ていると、皮肉で言っているのではないとわかる。
「弱くても、琥珀ってのが守ってくれるんだろう」
「この城の中ならね。あ、さっきはフィランダーにも助けようとしてもらっちゃったな。ありがとう」
フィランダーは内心で首を捻る。特別に助けようと思ったつもりは無かったが、確かに咄嗟に、割って入ろうとしてしまった。弱そうに見えるリオを守ろうと思ったのか、それとも単に黒曜を止めたかっただけか。自分でも分からないが、実際に何ができたわけでもない。
「あんな護衛がいるなら二度とやらねえよ」
「だね。少なくとも城の中では安全だ。外にいる時はそれなりに大変なんだけどね」
「敵が襲ってくるのか?」
「敵というか。外から城に入ろうとすると、黒曜に襲われるんだけど」
「は?」
魔王が城に戻ろうとして、番犬に襲われるとはいったいどういうことだ。
「……あいつは魔王を守る魔獣なんじゃないのかよ?」
「あれは城を守る生き物だ。俺のことも侵入者と思ってるんじゃないかな。絶対、俺だって気づいて襲ってるけどね」
外に出ればあの魔獣に襲われるとなれば、魔王であるリオも城から一歩も出られないのではないか、と。そう思ったが、彼は食料の調達や仕事をするために頻繁に城を出ているのだ。
「毎回、あの黒い魔獣から逃げきれてるって?」
「ま、外から帰ってくるのはたまにだけどね。普段は別の帰り道があるんだ」
「別の道?」
「興味ある? なら明日地下に来てみてよ。朝日が昇るころくらいにね」
地下に抜け道でもあるのだろうか。興味があるかないかで言えば、ありはする。いずれ抜け出そうと思った時に使えるかも知れないし、そうでなくともどうせ一日中やることもない。不可思議な魔王の城を探索するのは、実はそれなりに楽しかったりもする。