魔王の城1
目を覚ますと真っ白な部屋にいた。
天井も白く、周囲の壁も白い。何もない空間に、まるで空の中に浮かんでいるような気分になる。この世の場所とは思えない部屋に、そういえば自分は死んだのだったとフィランダーは思い出す。
起きあがろうとするが、体は動かない。腕を持ち上げようとするとひどく体が痛んだし、そもそもぴくりとも動かなかった。ここが地獄というところなのだろうか。自由に動くことすらできず、常に苦痛を与えられ続ける。目が覚めたということは、誰か地獄の番人みたいなやつが拷問でもしにくるのではないかと思ったが、しばらく待っても誰もこない。
ただ白いだけの天井を睨むことしかできず、時間の経過もわからない。それはそれで苦痛だなと考えていると、急に近くで人の声がした。
「あ、起きたー?」
軽い声とともに覗き込んできた顔にぎょっとする。それは顔のすぐ近くにあったということもあるし、なにより二つの瞳がはっとするほど赤い。
「驚かしちゃった? ごめんね」
はは、と楽しそうに笑ったのは、リオという若者だった。彼はフィランダーのすぐ隣に腰かけると、じっとフィランダーを見下ろした。そしておもむろに頭の上に乗せていたゴーグルに手をかける。
「目が不気味っていうなら隠しておこうか」
フィランダーが彼の瞳を見つめていることに気づいたのだろうか。彼がゴーグルを下ろすと、確かに近くの村で会った若者に見えた。今から拷問をする気なら知らないが、地獄の番人には見えない。だとすると、フィランダーはまだ生きているのだろうか。
左手と右手の指をそれぞれ動かそうとしてみたが、どちらも動かない。ただ、痛みは左側の方がひどかった。白い獣に噛みつかれた左肩だろう。
フィランダーはしばしリオの顔を見上げてから、口を開く。声を出そうとしたが、喉が張り付いたように痛んで変な音しか出なかった。
「なに? お水飲む?」
彼はそういうなり、答えも待たずにフィランダーの口に何かを突っ込んだ。流れてくる水に何度か咽せながらも、なんとか喉の奥へと運ぶ。ひりつくような痛みがあったが、なんとか声を出せるようになる。
「……気味が悪いものなら他に散々見たぞ」
「他に?」
リオはそう言って首を傾げるが、やがて笑った。フィランダーを丸呑みにしたでかい蛇や、黒い魔獣や白い魔獣など、初めて見る奇妙な生き物のオンパレードだった。
「まあ、気味が悪いかどうかは置いておいても、ここでしかお目にかかれないものはたくさんあるよね」
そう言って彼はゴーグルを外したから、目の色など今さら気にならないというフィランダーの言葉は汲んだのだろう。フィランダーは改めて部屋の中を見回すが、部屋には彼以外にはいない。なんなら部屋にはドアすらないように見えるが、彼はどこから現れたのだろう。
「俺は生かされてるのか?」
「普通は、俺は生きてるか、って聞くもんじゃないの?」
「普通なら、助かる怪我とは思えない」
喋れるようにはなったが、相変わらず体は全く動かない。痛みもあるが、そもそも動かせないのだ。何らか彼らの力で延命させられているのだとしても、元通りになるとは思えなかった。ならば死ぬまでの間で尋問しようとしているなり、何かしらの目的があるのではないかと思ったのだ。
「魔王の城にまで一人で攻め入っておきながら、今さら普通と言われてもね」
「最初に普通といったのはお前だ。何が目的だ?」
「ん。フィランダーの剣が気になったんだって。これどこで手に入れたの? あれ、こっちだったかな」
リオは首を傾げながらも、フィランダーの持っていた二つの剣を交互に上げてみせる。二つの剣は大きさも意匠も全く違うが、彼にとっては似たようなものなのかもしれない。少なくとも彼自身は剣に興味はないのだろう。
「……誰が気になるんだ? 魔王様か?」
「魔王は俺だと思うけど」
あっけらかんとそんなことを言われて、フィランダーは眉を上げる。確かに倒れる前には彼が魔王だと言ったし、魔獣を従えたリオは本物の魔王にも見えた。だが、目の前の彼はあまりにも軽いし普通すぎる。
「本当にリオが魔王なのか?」
「見えない?」
「めちゃくちゃ弱そうに見える」
「実際、めちゃくちゃ弱いよ。フィランダーなら怪我してても一撃で倒せたかもね」
そんな言葉にどきりとする。
対峙した時に、フィランダーが彼を殺そうとしたのは分かっているのだろう。それでいて、彼を殺さなかったフィランダーを見て、彼はフィランダーのことを『自殺志願』だと言ったのだ。
名声が欲しいだけの自称勇者なら、そもそも途中で逃げ帰っていただろうし、本物の勇者なら何がなんでも魔王を倒そうとしただろう。だが、フィランダーはそんな気にはなれなかった。
フィランダーが倒したかったのは、自分では足元にも及ばないような絶対的強者であり、絶対的悪者だった。手を伸ばすだけで簡単に倒せそうな魔王を殺したところで、これまでの自分となんら変わりはしない。
「……魔王が弱くていいのか?」
「さあ? 良いか悪いかは分からないけど、いるかいないかで言ったらここにいる。魔獣たちもいるし、なんとかなるんじゃない?」
「魔獣は俺が減らしたぞ」
「みんな生きてるから大丈夫だよ。フィランダーみたいに琥珀が治してくれてる」
コハク、という単語に聞き覚えがあり、記憶を探る。たしか蛇に丸呑みされる前に、リオが口にしていた言葉だ。
「琥珀ってのはあの蛇か?」
「そう。フィランダーを助けたのも彼女だと思うよ。その剣の出どころが知りたいって言って、城に入れたんだ」
彼女というのはあの蛇のことか。性別があるというのも驚きだが、あの大蛇がドアを開けてフィランダーを招き入れたというのなら更に驚きだ。
「フィランダーもしばらくすれば動けるようになると思うけど、その前にこの剣について教えてくれない? ていうか、どっちの剣? どっちも?」
「俺が知るかよ」
言いながらも、予測はついていた。
一本は支給された業物だが、もう一本は昔から使っているもので、人から譲り受けたものだ。支給されたものの方がモノは良いため、今ではほとんどこちらしか使っていないが、昔から使っている剣の方も手放していない。たまに二本差しが役に立つこともあるから、持ち歩いているという面もあるが、単純に気に入っているということもある。
刀身に光が当たると、リオの瞳のような赤に染まるのだ。
「剣が欲しけりゃ奪えばいいものを、わざわざ生かしてまで聞きたいってんだろ。話したら生かしておく必要なくならねえか?」
「それはそうかもね。話したくないなら話さなくてもいいと思うけど」
「尋問でもする気か?」
「フィランダーにそんなことしてもあんまり意味ないと思うな。琥珀もそんな無駄なことしないんじゃない? 尋問して吐き出すような人間なら、黒曜に襲われた時点で逃げ出してる」
「コクヨウ?」
「黒いやつね。最初に襲われただろう」
それが名前なのか種族名なのかは分からないが、それぞれ呼び分ける程度には近しいのだろう。近くで話しているとどうも普通の人間と変わらない気がしてしまうのだが、あの魔獣たちの仲間というのなら普通の人間であるはずもない。
「白いやつは?」
「蒼玉」
「白いのに?」
「目が蒼いだろう。琥珀という名も瞳の色だと思うな」
ふうん、と答える。
名前に興味があるわけでもないが、リオがぺらぺらと城の内情を話すのは、生きて帰すつもりはないということだろうか。少なくともそうした情報を外で聞いたことはない。
「他も似たような名前か?」
「そうだね。城にいる仲間の人数でも把握しようとしてるのか?」
面白そうな顔でいったリオに、フィランダーは笑う。露骨な探りではあったが、相手も疑いを隠す気はないらしい。
「そんなとこだな」
「ここから逃げるための情報集めなら協力してもいい。ここを出てからいろんな情報を外に発信するつもりなら、あんまり協力したくはないけど」
「例えば村で観光客を口説いてる道案内が、魔王本人だって?」
リオが魔王であるということも、弱いということも本当なのだとすれば、勇者たちはわざわざ魔王退治のために危険を犯して大穴に降りる必要などない。城は魔獣たちによって厳重に守られていたが、村にふらりと現れた道案内に護衛はいなかったのだ。捕えるなり、煮るなり焼くなり自由にできる。
フィランダーの言葉にどんな反応をするかと見ていたが、リオは軽く笑っただけだった。
「それは困るな。そんなこと漏らされたらあそこで商売できなくなっちゃう」
「心配する方向性が違いすぎないか? だいたい、なんで商売なんてやってるんだよ」
「なんでってそりゃ、お金を稼ぐためでしょ。俺の服とかご飯とか、何処から手に入れてると思ってるのさ」
「魔王が自分の飯代をバイトで稼いでるのか?」
眩暈に似たようなものを感じる。
魔王なら支配する民から金品を巻き上げろと言いたいところだが、ここに魔王の城があると聞いてはいても、魔王に支配された国があると聞いたことはない。かつては魔王が攻撃を仕掛けてきたとか、大量の民を虐殺したなんて話もあるが、現在は魔王の城を見に行く観光客がいるくらいなのだ。実際に魔王による被害があったなどという話は聞いたことがない。
「だね。迷惑はかけてないから放っておいてといいたいとこだけど。ま、青い空が見たいって気持ちは、俺も分からなくはないからね」
そう言ってリオは僅かに視線を上げたが、そこには当然空はないし、外を覗ける窓すらない。
「魔王が光を奪ってるんだろう」
「俺にそんな力があれば、とっくに返してあげてるよ」
「だが、魔王を倒せば光が戻るんだろう?」
「そうだね。だけど、せいぜい数年ってところだ。フィランダーも知ってるだろう。六年前に光の勇者が魔王を倒したと言われてるけど、すぐに新しい魔王が生まれた」
「新しい魔王?」
六年前に光の勇者が魔王を倒した時、世界が光に満ちた。重くのしかかるような灰色の空は青く澄んで、木々は緑に、小川は青く、花々や蝶は色とりどりの色彩を見せる。だが、その色はだんだんと褪せていき、数年もすればたしかにもと通りのうす暗い世界に戻ってしまっていた。
倒された魔王が復活したのではないか、というのが国の見解で、何度も魔王の城に偵察に向かっているのだ。だが、リオは復活ではなく魔王が生まれたと言った。魔王は倒されるたびに代替わりするということか。
「……リオは何歳なんだ?」
フィランダーの問いに、リオはきょとんとした顔をしてから、楽しそうに笑った。
「十八くらいかな。魔王が生まれたって言っても、さすがに何年か前に生まれた子供じゃないよ。それとも逆に何千歳も生きてる老人だと思った?」
魔王であれば姿がどうであれ何千年生きていてもおかしくないと思ったが、彼は意外にも見た目通りの年齢らしい。
「リオが魔王に選定されたってことか?」
「みたいだね。それまでは俺もフィランダーと同じで普通の人間だったんだけど」
「は?」
「まあ、この目はもともとこんな色だけどね」
赤い目をした人間など見たことがなかったし、魔王が人間の中から選ばれることなど、到底信じられない。
だが、魔王というイメージからかけ離れた彼の言動の説明はつく。選定されたみたい、ということは、自ら進んで志願したわけでもないのだろう。迷惑をかけないから、放っておいてほしいとも言っていた。魔王という名を負ってはいても、特に何かの悪行をしたいわけではないのか。
「押し付けられた魔王ってのが気に入らなきゃ、この城から出ればいいだけなんじゃないのか?」
「それができれば苦労はしないよ。俺はここから出られない」
「村にいたじゃねえか」
「まあね。だけどすぐ連れ戻されるから」
外に出ていても何かしら監視の目でもついているということだろうか。魔王と呼ばれるくらいであれば、少なくともこの城の中では一番の力や権力を持っているのではないかと思っていたが、そうではないらしい。
「俺もここから出られないのか?」
「さあ。でもしばらくは寝とくしかないんじゃない? どうせその怪我じゃ動けないでしょう」
逃げられるかはともかく、しばらく生かしておくつもりはあるらしい。それが良いことか悪いことかは分からないが、生殺与奪を握られている以上は、ジタバタすることに意味はない。
「それならしばらく世話になるよ」
「前向きだね。俺としては同居人が増えるのは大歓迎だよ。ここには話し相手がいないんだ」
そう言ってにっこりと笑ったリオの顔には、特に何か悪意があるようには見えない。