城を守る魔獣5
フィランダーは城壁を飛び降りる。片手をついて着地をしてから見上げると、もうそこに大きな黒い影が覆い被さるように現れていた。
襲いかかられる前に、すぐさま飛び退いた。城門まではすぐだが、道は大きな体に塞がれてしまっている。大きく迂回しようとした時に、門の内側から声がした。
「おい、わんこ」
大きな声ではなかったが、黒い魔獣が反応して止まった。そして弾かれたように頭を城門の方へと向ける。大きな口が開くのが見えて、フィランダーは咄嗟に耳を塞いだ。魔獣の大きな咆哮が皮膚を震わせる。門に向かって吠えている魔獣を避けるようにして城門に向かうと、門の中では蒼玉が片耳に指を当てるようにして立っていた。
「相変わらずぎゃんぎゃんうるさいな」
「だれがわんこだ!」
大きな岩盤のようだった黒い体が、みるみる縮んだ。城門内にはいると黒曜は人間の姿に戻るらしい。対する蒼玉は、もともと城壁内で白い魔獣の姿でいたが、今も人間の姿のままだ。蒼玉の方が自由度は高いのか。
「お前、どういうつもりだ? お前が俺を呼び出したのか? わざわざこのクズを囮に使って!?」
まっすぐフィランダーを指しながら詰め寄った黒曜に、蒼玉は面倒くさそうに手を振った。
「わんこがどこで寝てるか知らないし」
「だから、わんこじゃねえ! ていうかお前、人間なんかと仲良しこよしか? このクズが来た時にも出てこなかっただろ! どういうつもりだ!?」
「人間の言葉を話してても、吠えるのは変わんないのな」
うるさいというように手のひらを耳に当ててみせた蒼玉に、黒曜は腰の剣を一気に引き抜いて振った。下手な相手なら体を真っ二つにできそうな重い一閃。だが、蒼玉の方は危なげない動きでひらりと避ける。
「ぶっ殺してやる!」
「そんな虫が止まりそうな攻撃で俺がやれると思うのか? 頭まで犬並みだな」
黒曜がぶんぶんと剣を振り回すのだが、たしかに蒼玉の動きに比べると遅すぎる。挑発するように言った蒼玉は、さらに芝居がかった動作で首を振った。
「だいたい俺の仕事は、黒曜が排除に失敗した敵の相手だろ。なんで俺がわんこの尻を拭ってやらなきゃならん」
「な……! 失敗じゃねえよ! こっちはお前と違って数も増やせない。協力しろって話だろ!」
「数の問題か? 一人の人間を相手にしても逃げられてるじゃないか。いや、わんこの方が尻尾を巻いて逃げ出したんだったか」
「このクズのことを言ってるなら、お前も逃してんじゃねえか! 怪我して琥珀に治してもらったのも一緒だろ!?」
「俺はほぼ勝ってたけどな。人間もそう思うだろう」
急に視線を向けられ、フィランダーは眉を上げる。
「かもな」
実際、城に入った時にはほぼ虫の息だったのだし、琥珀に飲み込まれる前に勝負はついていた。フィランダーにとっては一匹で力のある黒い魔獣よりも、速くて数が多い白い魔獣の方が厄介であることには変わりはない。
「ほらみろ。俺の方が強いってことだ」
「俺がだいぶ削っておいてやったからだろ! 俺の方が強いに決まってる。これまでも俺は蒼玉や琥珀の百倍は敵を撃退してるんだからな!」
剣を振り回すのも不毛と気づいたのか、黒曜は剣を地面に突き立てるようにして叫んだ。彼も恐ろしい魔獣であるはずなのだが、蒼玉には完全に遊ばれているようだ。だんだん「わんこ」と呼ばれるのがぴったりに思えて来て、少し不憫になる。
だいたい百倍撃退したところで、順番が違う以上は蒼玉達より強い証明になるはずもない。蒼玉が反論するのではないかと思っていたが、彼はそこには触れずに適当に頷いた。
「そりゃ良かった。俺は今から遠出するからな。絶対に侵入者を壁内にいれるなよ。呼び出されると面倒だからな。いつもの千倍頑張れ」
「あ?」
「じゃ、あとは頼んだ」
蒼玉は黒曜の肩にぽんぽんと手を置く。黒曜は赤い瞳を瞬かせてから、眉を釣り上げた。
「まさかそんなふざけたことを言うために俺を呼び出したのか!?」
「もちろん。いつもお仕事ご苦労さん」
「おまえ何様だよ!?」
そうして剣を振ったがやはり届かない。
どうも若い兄さんたちが戯れているようにしか見えないのだが、二人とも琥珀と同じ存在であれば何百歳はくだらないのだろう。フィランダーはそっと彼らから離れてリオのそばへと向かう。
「いつも二人はこんな感じなのか?」
「だね。と言っても、二人が一緒にいるのを見たのが三度目くらいだけどね」
寝てる場所もわからないと言うくらいだ。フィランダーを使ってわざわざ呼び出す必要があったのなら、あまり二人が出会うこともないと言うことだろう。
巻き込まれまいとしているのか、彼らから離れた場所にリオは立っていた。二人を遠巻きにしているリオを見て、彼が魔王であるなど誰も信じないだろう。
全身黒い黒曜と、白い服を身につけて色白の蒼玉は、雰囲気は対照的であるものの、二人とも長身で背格好も似ている。顔立ちもはっきりとしていて目を引く二人は、揃いで作られた彫像のようだ。黒曜は将軍のようにいかにも強そうなオーラがあるし、蒼玉の方はどこぞの王子かといったいでたちで、全身が煌びやかで目を惹く。
そこと比べると、リオはせいぜい従者か使用人だ。
「じゃ、よろしく頼むよ」
蒼玉がこちらに顔を向けたので、リオと一緒に彼らの元に戻る。
「人間なんかと仲良くお出かけか!?」
「羨ましいだろう」
「そんなわけあるか! 何考えてんだよ!」
「人間もモノも使えるところだけ使えばいいだろう。リオも魔王にしては激弱でしょうもないが、作る飯は美味い」
そんなことを言って蒼玉は黒曜に背を向ける。
フィランダーは黒曜を警戒しながら蒼玉を追った。ふるふると怒りに震えているようには見えたが、黒曜が飛びかかってくる様子はない。大人しく蒼玉達を見送るつもりなのだろう。
いまだに剣を握っているが、黒曜の剣は蒼玉には届かないはずだ。そして彼は睨むようにフィランダーやリオを見たが、これまで剣を向けられたことはない。相手が剣を抜けば当然フィランダーも応戦するし、剣と剣で戦うのならきっとフィランダーが負けることはない。黒曜もそれは分かっているから仕掛けてこないのだろう。
そんなことを考えていると、いつの間にか蒼玉の姿が消えていた。フィランダーは思わず立ち止まる。
「どこに行った?」
城門の外に出てあたりを見回すが、蒼玉の姿はない。人間の姿も、白い魔獣の姿もだ。どちらにせよあんなに目立つものが一瞬のうちに消えるとは考えづらいのだが、姿形も見えない。
ふと足元で何か動くものがあり、フィランダーは咄嗟にその場を飛び退く。
「……猫?」
そこにいたのは真っ白な猫だった。耳がピンと立った、小さくて可愛らしい猫。だが、その目にはまっているのが冴え冴えとした青い瞳であることに気づき、フィランダーは眉を上げる。
「……もしかしてコレか?」
「蒼玉だね。——わっ」
リオに飛びかかるようにジャンプした猫は、そのまま肩を経由してリオの頭の上に乗る。フィランダーの視線と同じくらいの高さになった猫は、何故だかリオの頭を前脚で叩いた。
「にゃあ」
可愛らしく鳴いた猫に、フィランダーは目を瞬かせる。
「……随分と可愛らしい姿になったな」
「蒼玉は外には出られるけど、城壁の外だとこの姿にしかなれないんだって」
「たまに町をうろついてるってそういうことか」
「にゃあ」
返事なのか何なのか、高い鳴き声が返される。
真っ白で艶やかな毛並みや賢そうな瞳は、野良猫というには気品がある。宝石のような瞳の青も目立ちそうなものだが、人間の姿でいる時ほど周囲から浮きはしないはずだ。魔獣の姿とは比べるまでもない。ささっと路地裏にでも入ってしまえば、追いかける人間もいないはずだ。
「移動は大変みたいだけどね。長距離は疲れちゃうし、馬車にも乗れないし。町の中でも追い払われちゃったりするしね」
「追い払われるというより、この顔なら保護されるか売り払われそうな気もするけどな」
「確かに連れて帰りたくなるくらい可愛いもんね」
そういう問題ではない気はしたが、どちらにせよ蒼玉にとっては迷惑な話だろう。
「これまでもリオが外に連れ出してるのか?」
「たまに崖の上までね。疲れるから上の町まで乗せてってくれって」
そう言ったリオは、慣れた様子で頭に猫を乗せている。歩くとバランスを取るのが大変そうだが、猫は危なげなく頭に乗っている。ほぼフィランダーと同じ高さになった猫の青い瞳を見ながら、フィランダーは首を傾げる。
「喋れないのか?」
「にゃあ」
「ずっとこのまんまってことだよな?」
「にゃお」
「……それならそうと、昨日のうちに言っとけよ」
昨夜のうちに行きたい町や食べたいものなどを色々と訴えていたが、まさかこの先全く言語コミュニケーションが取れなくなるとは思わなかった。喋れたら喋れたで、町中で猫と会話をしていたら危ない人間である気はするが。
「とりあえず南の町に行けばいいんだよな」
フィランダーが役に立つといったのは、移動する足として有用そうだということだったのだろう。リオは眠ってしまうと城に戻されるが、フィランダーは特にそうした制限もない。行ったことのない町に行ってみたいと言っていたし、リオよりもフィランダーの方が色々な町をふらついていた。
「俺も行くからね」
リオがそう言って拳を握ったので、フィランダーは苦笑する。
リオも一緒に行きたいと言ってはいるが、せいぜい起きていられるのは数日だろう。意識が途切れたらアウトらしいので、途中で城に戻されるだろうが、出来る限り一緒についてくるつもりらしい。
「がんばれ。応援はするよ」