魔王の日常4
「食料は昨日、ついでに下まで運んでるんだ」
五人組を案内した時に、黒曜の届かない範囲までは食料を運んできていたのだ。リオはフィランダーを連れて城を出て、城門へと向かう。
城壁の中にはシンメトリーに作られた庭がある。中央は兵士たちが集まれるような開けた空間があり、両サイドに植木や石でできた造形物などが並ぶ。騎士の石像や剣を持った男の像は、かつて石にされた勇者達だなんて琥珀が言ったことがあるが、真偽は不明だ。左右に全く同じものが二つずつあるから嘘なのではと思っているが、赤い篝火に照らされた像は、今にも動き出しそうで不気味だ。
フィランダーは興味深そうに周囲を見回しながら、口を開く。
「白いのはリオを襲わないのか?」
「だね。蒼玉は無駄なことはしないから。よほど俺が気に入らないなら別だろうけど、どうせ俺を狩ったところで、次の魔王が生まれるだけだしね」
「俺のことは?」
「俺がここにいたら大丈夫だと思うけど」
城の中は大蛇である琥珀が守っていて、城の建物の外から城壁までは白虎である蒼玉が守っている。城壁の外は黒狼である黒曜のテリトリーだ。他にも上空には翡翠がいるのだが、ほぼ姿を見せることはない。
「白いのは何頭いるんだ?」
「一人だよ。数は増やせるみたいだね」
「分裂してんのかよ。さすがは魔獣だな」
感心したように言った彼は、すぐに首を傾げる。
「いくらでも増やせるのか?」
「さあ? 俺はあんまり増えたの見たことないんだよね。フィランダーが戦った時は何人いたの?」
「四頭だ」
「すごいね、それ一人で相手にできるの?」
「出来なかったから死にかけてたんだろ」
「でも、今回はそれを突破できると思ったからきたんでしょ」
「地形は把握したからな。遮蔽物と入り口までの位置関係や距離なんかは確認してたから、何とかなるだろ」
たしかに彼は前にこの城から出る時にも、注意深く周囲を見回しているようであった。いつ襲われるかと警戒しているのかと思っていたが、次に進入するときのことまで考えていたのだろうか。
「今さらだけどフィランダーってすごくない? 昨日の自称勇者たちは、五人がかりで黒曜にやられてたけど。何食べたらそんなに強くなれるのさ」
「食ってるもんはそう変わらないと思うけどな」
「じゃあ、まさか本当に光の勇者の生まれ変わりだったのかな」
「俺は何歳の設定なんだよ」
光の勇者が現れたとされるのは魔王が倒された六年前だ。そこで死んでいたにせよ、生まれ変わっていたなら五歳か六歳か。
「なら光の勇者の隠し子とか?」
「俺の両親は無職の飲んだくれだよ」
「勇者と無職は大差ない気はするけど、さすがに飲んだくれてはないか。そういえば、ほんとは何歳なの?」
「二十二」
「え、そうなの? 若くない?」
「老けて見えるってことか?」
「うん。もうちょい年上と思ってた。俺とあんまり変わらなくない?」
そうか、と彼は首を捻る。
別に老けて見えるわけでもないし、四つ年上が近しいかと言えば、そういうわけでもない。が、貫禄というか威厳というか、なんならリオの倍くらい生きていそうなほどの落ちつきに見えていたのだ。
そんなことを言っている間に、城門へと辿り着く。両開きの門扉はとても重くて固いのだが、リオが全力で押せば何とか開けられる。いつものように片方ずつ全体重をかけるようにして押していたのだが、途中でフィランダーが手を貸してくれるとあっさり開いた。
「うわあ、力持ち」
「リオの体重が軽いんだろ。荷物は?」
「道を逸れてここから左手の方に進んでいった先に、小さな木箱を準備してる。そこにいろんな荷物と一緒にまとめていれてあるよ」
「ここから見えるか?」
「さすがに木箱は見えないよ。近づけばわかると思うけど、一応は隠してるしね」
「距離は? リオが走って何秒かかる?」
「どうだろ。三十秒くらいじゃない」
「了解。俺が黒いのを誘き出すから、その隙に城壁内まで頼む」
「本当に大丈夫?」
「黒いのが分裂しなきゃ、大丈夫と思うがな。城内までは追って来ないんだろ」
そう言って気軽に城壁の外に足を進めたので、リオもついていく。分裂しなければということは、リオの方に現れなければということなのだろう。フィランダーは黒曜一人くらいなら逃げ切れるということか。
「あの城壁の火は消えないのか? 俺が最初に近づいた時はついてなかったが」
「よく分からないけど、火を消して潜んでるときもあるみたい」
「潜んでるって、誰がそれを判断して篝火を付けたり消したりすんだ? 琥珀か?」
「城じゃない?」
ふうん、とフィランダーは言ったので、リオは密かに笑う。普通なら、城が勝手に火をつけたり消したりするわけはないと思うのだが、それで納得するあたりさすがはフィランダーというべきか。もしくはそれで納得させられるあたりがさすが魔王の城なのか。
「俺が外にいたら必ず明かりは付いてるみたいだよ」
「魔王が迷子にならないようにかな」
「配慮してくれるなら、もっと違うとこにして欲しいんだけどなあ。でも観光ツアーをやる時は助かってるよ。灯りがないと全く城が見えないしね。——あ、ここだよ」
目的地について足を止める。雨風を避けるために作った木箱の蓋を開けた。そこには持ち込んだ食料や、火を起こすための道具などを入れていた。フィランダーは使い込んだ鍋を手に取って、呆れたような顔をする。
「ここで飯を食ってんのか?」
「城に持ち込めない時にはね。ご飯食べるためだけに崖を登るのは疲れるし」
「片道だけでも確かにげんなりするな。だが、戻りはどうするんだ?」
「ここで寝るしかないかな」
湿った地面を指さすと、フィランダーはふっと息を吐いた。呆れて声も出ないということか、彼は何も言わずに剣を抜く。腰に下げているのは二本だが、彼が手にしたのは魔王の城から持ち出されたという剣の方だ。
「黒いのが出てきたら、荷物持って城壁内に入っててくれ」
「了解。気をつけてね」
「ああ」
リオが荷物をまとめて手にしたのを見てから、フィランダーはリオから離れた場所まで移動する。城の方へと足を向けると、すぐに黒い魔獣が姿を見せた。
リオは荷物を持って、とにかく城門に向かって走る。黒曜がリオに向かってきていないかとか、フィランダーは大丈夫かとか気になりはしたが、振り返るのは門をくぐってからだ。数十秒ではあるが全力で走ると息切れはする。開けたままの門を入ると、リオは肩で息をしながら振り返った。
すると意外とすぐそばにフィランダーが来ていて驚く。その後ろには大きな黒曜の姿もある。走ってくるフィランダーに道を開けるように端によると、彼はすぐに滑り込むように城門内に入ってきた。
それを追うようにしていた大きな黒い狼は、自分の体より小さな門に立ち止まる。そのまま消えるかと思いきや、大きく口を開けたのでリオは咄嗟に両耳に手をやった。
城壁が揺れるような大きな咆哮が響く。
耳を塞いでいてもなお、鼓膜が震える。肌に圧を感じるような魔獣の大きな咆哮は、それが一つの武器でもある。耳を塞がないと完全に耳がやられるし、一瞬は思考が奪われ体がすくむ。相手を竦ませて、その隙に爪を振り下ろすのだ。
だが、今回は単なる怒りの叫びだろう。リオとフィランダーの動きを止めたところで、すでに黒曜の手が届かない場所にいる。黒曜は牙を剥き出すようにしてフィランダーを睨んでいたが、手も足も出ない。
「うるせえな」
片手で耳を押さえながら、フィランダーはリオのそばに来る。リオのように耳が塞げたかは分からないが、さほどのダメージもないらしい。
「どうやったの?」
「走ってきただけだよ。一応は牽制で剣を振り回しはしたが、当たってもない。この黒いのは城に入れないのか?」
「城壁の中だと人型になるみたいだけど」
リオが言った瞬間、門の外からのぞいていた大きな頭が消えた。
代わりに現れたのは黒づくめの男性だ。人型になった黒曜は、フィランダーと距離をとりながらも睨みつける。フィランダーと同様に長身で鍛えられていて、大きな剣を下げている。いかにも歴戦の戦士といった風貌だった。リオと同じ赤い瞳は、服から髪から全身が黒い中で明らかに浮き立っていて、燃えるような怒りがある。
「人間如きがちょこまかと逃げ回りやがって! 昨日も囮を使ってこそこそ侵入してたが、正面から戦う気はねえのかよ!」
「あんまりないな」
フィランダーはそう言ってから、肩をすくめる。
大きな獣の姿をしているときほどではないが、怒っている時の黒曜は迫力がある。人間の姿をしていても剣を持ち歩いているし、リオより何倍も強い武人だろう。リオなどは怒鳴られると思わず背筋が冷えるのだが、フィランダーが気にした様子はない。
「リオに会いに来ただけだ。別にあんたに用はないから、引っ込んどいてもらいたいんだが」
「クズ虫との逢引きなら外でやれ。いちいち城に近づくんじゃねえ! 人間が気軽に足を踏み入れて良い場所じゃねえぞ」
「そう言われてもな」
クズと言われても特に気にならないのか、フィランダーの方に怒りは見えない。黒曜については大抵、怒っているか苛立っているか、もしくはリオを見下しているかで近寄りがたいのだが、フィランダーはいつも飄然としている。
「ここなら正面から戦っても良いぜ。その剣が飾りじゃないなら、抜いてみたらどうだ?」
剣を持ったまま言ったフィランダーの言葉に、黒曜が盛大に顔を顰める。
「なんで俺が人間に合わせて、この姿で戦ってやる必要がある」
「別にそっちにその気が無ければ、必要はないな。また食料でも調達に行った時にでも会おうか」
ひらりと手を振って、フィランダーは背を向ける。
激怒した黒曜がフィランダーに飛びかかるのではないかとヒヤヒヤしたが、意外にも彼はその場で足を止めていた。怒りを顔面には貼り付けているが、手が出せないのはフィランダーに勝てないからか。彼は魔獣の姿の黒曜が相手でも、一対一で剣で戦えるのだ。実際に黒曜が剣を持って戦うところなど見たことがないし、人間の姿で剣を振るったところで、黒曜に勝ち目はないのではないか。
じっと見てしまっていたからか、黒曜の睨みつけるような視線が、フィランダーの背中からリオに向いた。相手がフィランダーではなくリオなら、確実に剣のサビにできるところだろう。リオは慌ててフィランダーの後を追って、城の中へと逃げ込むことにした。