魔王の日常2
「魔王退治かな? それとも観光客?」
見慣れない男達を見かけ、リオは軽く声をかける。
こんな僻地の町に住んでいるのはせいぜい百名といったところで、何年も通っているうちに住民達とは顔見知りになっていた。よそ者は顔を見ただけですぐに分かるし、そうでなくても彼らは目立つ。馬には大きな荷物が乗せられているし、見た目にも重装備だ。分厚い外套が長旅の防寒用か、それとも戦闘用かは分からないが、見せびらかすように大きな剣や弓矢を携帯していることからも、目的はこの宿場町の先にある魔王の城だろう。
強面の男達の鋭い視線が刺さったのを感じて、リオは笑いながら首を振った。
「最近は観光客も多いものでね。魔王退治を志す勇者様がたに向かって失礼したな」
「何か用か、ぼうず」
「魔王の城に行くんだろう。案内しようか」
「お前が?」
そう言ってじろりと睨む視線が、リオの頭から足までを往復する。それから、ふん、と鼻で笑うようにされたが、リオにとっては別に珍しい反応ではない。坊主と言われるほどに子供のつもりはないが、武器は携帯していないし、彼らのように強く見えそうにないことは自覚している。
「こう見えて身は軽いんだ。町の人に聞いてみるといい。よく城を見てみたいなんて観光客や、魔王退治をする御一行様を城の近くまで案内してる」
魔王の城はこの先の森を抜けたところにある大穴の底だ。切り立った崖を降りないと辿り着けないし、落ちるのはなんとかなったとしても登るのは一苦労だ。リオが通るのは比較的安全な道を選んでいるが、それでも下手な人間であれば下に転がり落ちて命を落とすだろう。
「いくらだ?」
「銅貨で30」
「高いな」
「命がかかっていると思えば安いものだろう。常闇の魔王を倒してこの国に光をもたらそうなんて崇高な目標の第一歩目で、崖から足を滑らせたらもったいないと思うけどね」
そして彼らの着ている服や荷物からしても、それくらいの金額は簡単に準備できるはずだ、というのはこれまでの経験から算出した価格設定である。彼らが少しだけ考えるようにしたのを見て、敢えてそっけない口調で言った。
「気が向いたら、夜までに声をかけてよ。宿場や飲み屋の人間に、リオを呼べと言ってもらえれば分かるから」
リオは男たちの反応を待たず、馴染みの店へと足を向ける。あまり押しすぎても相手に警戒心を抱かれるだけだ。相手の方から頼みたくなるくらいがちょうどいい。
振り返らずに歩いたが、彼らは声をかけてはこなかった。仮に自分が彼らであっても、初対面のよく分からない人間に自分の命を預けたくはない。まずは町で評判を聞いてみるはずだし、それはそれでリオにとっては望むところだった。リオ以外に大穴の底まで案内する物好きはいないと分かるはずで、魔獣が闊歩する底を歩いてもこうして生きているということが、そのまま実績になる。
そもそも金額まで聞いてきたのは、彼らがすでに大穴を覗いた後だからだろう。魔王の城まで意気揚々と向かってから、深い穴を覗いて作戦を練り直しにこの町に立ち寄る男達は多い。馬は連れて行けないし、大きな荷物も邪魔になる。どこかで預かってもらうしかないのだし、詳しい地元の人間に安全に降りられる道がないかと聞きたいはずだ。そこで案内をというのは悪い話でなはいはずで、よほど自身達に自信がある人間や、金が惜しい人間でなければ、十分に検討の材料には上がる。
「カモが来てるぞ、リオ」
馴染みの店に入るなり、店主が声をかけてきた。
古くて薄暗い店内は、観光客に向けた色気のある雰囲気は全くない。食事を出す店だが、外部の人間から金を落としてもらうための立派な店ではなく、近所の人間だけを相手にするひっそりとしたものだ。
「五人組でしょ。さっき声をかけたところだよ」
「手が早いことで。いくらふっかけた?」
「30」
「なんだ、そんなもんか」
「金が底をついてきたからね。こないだ50って言ったら断られたんだ」
上着を脱いで隣の椅子にかける。遠慮するまでもなく、狭い店内にはリオ以外の客はいない。夕飯時ならともかく、昼間は暇そうに店主が皿を磨いているのが常だ。ずっと付けたままだったゴーグルをずらして瞬きをすると、彼はちらりとリオの目を見た。
「わざやざ道案内なんてしてやらずに、落っこちてる死体の金でも回収してた頃の方が、よっぽど儲かってただろうに」
「それで行くと、道案内をするフリをして崖から突き落とす方がよほど楽に金品を回収できるんだけどな」
「そんなことやってんのか? バレないように気をつけろよ。町の連中に袋叩きにされるぞ」
やらないよ、とリオは顔を顰める。
ここに来る人間が落とす金で生きているのは町の人間と同様だ。そんな悪評が伝われば、誰もリオには金を払わなくなるだろうし、そもそもこの町自体の存在自体も怪しくなるかもしれない。
ここはもともと魔王の城に向かうための宿場が発展して出来た町らしい。今も彼らが落としていく宿泊や食事代などが主な収入源となっている。大穴に向かう彼らの馬や荷物を預かるのはそれなりに信用が問われる。魔王の城を目指す人々は地図とともに、この町の名前は聞いているのだから、そこで避けた方がいいなどと言われてしまえば死活問題だ。
「出発は早くても明朝だろうな」
リオは小さな窓から白けた空を見上げる。今から出ても、城に着く頃には夜だ。どうせ大穴の底は昼間でも薄暗く、灯りは必要となるのだが、それでも全く視界がきかない夜よりはましだ。
「家に戻るのか?」
「いや。二階を借りる」
「毎度あり」
「金が底をついてきたんだよね」
「言ってたな。仕事にありつけることを祈ってるよ」
そんなことを言った店主に、リオは苦笑する。ここは宿ではないのだが、金さえ出せば二階の部屋を貸してくれる。いつでも空いているから使っているのはリオくらいなのだろう。テーブルに宿泊代分のコインを置いてから、立ち上がる。
「仕事の声がかかったら繋ぎよろしく」
「毎度あり」
「足元見るなあ」
そんな商魂たくましい男が、どうしてこんなボロい店で地元民向けに飯を作っているのだろう。よほど外の人間向けに商売をした方が稼げると思うのだが。
とはいえ、ろくに人のいないこの店だからこそ、リオが気楽に休めるというのはある。
ここの町の住人とは気軽に話をするし、それなりに親しくやっているつもりだが、それでもリオがよそ者なのは確かだ。一線を引かれているのは分かるし、人前でゴーグルを外す気にもなれない。
だがここの店主はリオの目が赤いことを気にしないし、リオが毎度部屋から消えていようと、特に何かを言われたこともない。リオが何者なのか知っているのかいないのか、詮索する気もないようなこの店は、リオにとっては本当に有り難いのだ。