第19話 基礎魔法学担当教授デンホルム
「おはよう」
聞いた者を恐怖させるような低い声が教室に響いた。
声の主であるデンホルム教授は30代半ばの男性だ。
黒い短髪をオールバックにし、鋭い目つきで生徒たちを見据える様は威圧感があった。
(あの見下すような視線……気に入らない。しかし、この学校で教授をしているのだから実力は確かなのだろう……ふむ……)
レナードはそんなことを考えながらもデンホルムを観察する。
学校長に勝負を挑んだ際、レナードはあの包み込んでくるような雰囲気に圧倒された。
あのまま勝負を承諾されても、なすすべもなく負けるだろう。
(俺は魔法に対しての理解度が低い……知識だけがある状態だ)
レナードが元々持っている知識を、十分に活用できていない。
その課題がずっと頭から離れずにいる。
「さて、本日の授業だが……レナード、私の顔に何かついているのかね?」
教室の一番前に立ちながらデンホルムが怪訝な表情で問いかける。
レナードがずっとデンホルムを見ていたためだ。
「いえ、何もついていません」
レナードは軽く首を振りながら答えた。
間を置かずに返事をしただけなのに、教室の生徒たちがざわつく。
(なんだ?)
疑問に思うレナードに何も言うことなく、デンホルムが持っていた本を教卓に置いた。
「ふむ……では授業を始めよう」
デンホルムはそれだけ言い、ローブの懐から杖を取り出す。
「本日の授業は基礎魔法学だ。まず、魔法とは何か……レナード」
指名されたレナードはすっと立ち上がり、口を開く。
「魔法とは、体内に宿る魔力を使い、様々な事象を引き起こす技術だ」
レナードが淀みなく答えると、教室から驚きの声が広がる。
「黙れ。言えて当たり前のことに反応するんじゃない。他の者はわからなかったのか!?」
デンホルムが生徒たちを怒鳴りつけた。
教室が静まり返る。
「レナード、座ってよし」
レナードは素直に席に着いた。
そんなやり取りを見ていた生徒たちの緊張も少し和らぐ。
(……わかっていても使えない……なぜだ?)
これまでレナードは何度も自分が知っている魔法を使おうと試みていた。
しかし、修練で用いる身体能力向上以外の魔法が発現したことは一度もない。
マルコとの決闘では、有り余る魔力の塊を放出してマルコの魔法を相殺した。
それだけのことができる魔力があるのにもかかわらず、今のレナードは魔法がほとんど使えていないのだ。
(魔力は十分にある。この授業でなにかわかるといいんだが……)
レナードはそう考えつつも、デンホルムに視線を向けた。
「属性は全部で六つある。火・水・土・風の基本4属性に加え、光と闇の特殊2属性に分類されている」
デンホルムの説明を生徒たちがメモを取りながら聞いている。
「使える魔法の種類や威力は術者の魔力量に影響すると言われている」
そこでデンホルムは一度言葉を止めると、生徒たちをゆっくりと見回した。
「──すなわち、魔法の発動には魔力は欠かせないのだ」
デンホルムは力強くそう断言し、教卓の上で手をかざした。
すると教室内の空気が一気に冷え込む。
(砂漠を行軍するときに便利な魔法だな。誰も倒れずに済みそうだ)
レナードがそんなことを考えながら眺めていると、教室の生徒たちは顔を青くして震え始めた。
「この魔法は……まさか……」
「さ……寒い……」
「先生……どうして……」
そんな声がちらほらと聞こえてくる。
(俺の体も冷えてきたな……よし)
レナードは体温が下がらないように鍛錬の時のように魔力を体中に巡らせた。
「レナード、何をしている」
「体温が下がらないようにしているだけです。お気になさらず」
「ほう……」
レナードの答えを聞いたデンホルムは片眉を釣り上げた後に言葉を続けた。
「このように、魔力を高濃度で放出すれば周囲に影響を及ぼし、自分が得意な属性がわかる。全員やってみなさい」
デンホルムがそう告げると教室内の空気が元通りになった。
生徒たちもほっとしているように見える。
(なるほどな……)
デンホルムの指示に従って、生徒たちは魔力の放出を試みる。
「ふむ……レナード」
「なんですか?」
デンホルムが近づいてくるのを見て、レナードは視線を上げた。
「話がある。廊下に出なさい」
「わかりました」
デンホルムに言われた通り、教室の外へ出るレナード。
「他の者は次回までに自らの得意属性を把握しておくように。この授業は以上だ」
そう言い切り、バタンと強く扉を閉めるデンホルム。
教室内から扉越しに片付けを始める音が聞こえてくるが、レナードは構わず話しかける。
「それで……話というのは?」
レナードは率直に疑問を問いかけた。
「ついてこい」
デンホルムは短くそれだけを言い、廊下を歩いて行く。
(…………素直についていくか。魔法についてもっと詳しく聞きたいしな)
こちらの意見を聞こうともしないデンホルムに反抗する気持ちが芽生えるが、レナードはグッとこらえつつデンホルムを追う。
やがてデンホルムが足を止めたのは、重厚な扉の前だった。
教室の扉とは比べならないほどの装飾を施されている扉だが、引手がない。
「我、魔法の真理を追い求めるものなり」
扉に手を添えながら、デンホルムが詠唱を口にする。
すると、扉は勝手に開いていった。
「入れ」
デンホルムが短く促すと、レナードはゆっくりと中に入った。
──バタン!!
レナードが入ったと同時に扉がけたたましい音と共に閉まる。
扉の先にあったのは書斎のような部屋だ。
壁には本棚が並べられており、本で埋め尽くされている。
(本の虫……いや、主か?)
レナードは湧き上がってくる感情を自制して、部屋を観察する。
部屋の最奥にある椅子に座ったデンホルムが突き刺すような視線をレナードに向けた。
「お前は……何をしている?」
低くてずっしりとした声を放つデンホルム。
何を質問しているのか曖昧な内容だが、レナードに迷いはない。
「強さを求めております」
「…………」
レナードの回答に対してデンホルムが黙り込む。
(これが今の俺の行動原理だ。ただ強く、誰よりも強くなりたい)
レナードは改めて自身の目標を確認した。
「それで禁術に手を出したのか?」
「最短で強くなれると思ったからです。他に方法があれば教えてください」
「ほう……学校長が見出した天才レナードにわからないことがあるというのかね」
レナードの答えを聞いたデンホルムが興味深そうに目を細めた。
「お願いします」
レナードは深く頭を下げてデンホルムの言葉を待つ。
しばしの沈黙が流れた後、デンホルムが口を開いた。
「魔術師がそう簡単に頭を下げるな」
「上げたら教えていただけるのですか?」
デンホルムはゆっくりと椅子から立ち上がると、歩いてレナードに近づいた。
頭を下げ続けるレナードを見て、デンホルムは小さく鼻で笑った後に手を差し出す。
「お前はなぜ強さを求める?」
「自分が自分であり続けるため……そして、戦うためです」
差し出された手を握ることなく、レナードはそう言い切った。
そんなレナードの反応に呆れつつもデンホルムは小さくため息をついて椅子に座りなおす。
「私に何を求める? 教師である以上、禁術なんて教えることは不可能だぞ」
「魔法の使い方を教えてください。今はまったく発動しないんです」
レナードの言葉に眉を顰めるデンホルム。
そんな様子のデンホルムに対して、レナードは説明を続ける。
「今の私はあらゆる魔法を試みたんですが、禁術以外は全く発動しないのです」
デンホルムはため息交じりに頷いた後に口を開いた。
「それではどうやって我が校の入学試験に合格したのだ? 不正でもしたというのか?」
レナードはその言葉を噛みしめるように考えながら答える。
「……マルコたちに暴力を振るわれてから、魔法が発動しないようになったのです」
あの日以降、レナードが魔法を発現できていないのは事実だ。
レナードが深刻に伝えたからなのか、デンホルムの纏う雰囲気が若干和らいだ。
「そんなことが……わかった、よかろう」
そう言ってデンホルムは机の引き出しから一冊の本を取り出した。
その本を机の上に置くと、レナードに向かって差し出す。
(本で魔法が使えるようになるのか?)
レナードが手に取るよりも先にデンホルムが話し始めた。