恋を捨てた軍鶏令嬢〜「愛することはない」と言った殿下からの求婚なんてお断りいたします
約1万3千文字の軍鶏令嬢の物語です。よろしくお願いします。
ドレスの裾をたくし上げ、王城の廊下を闊歩する私は、くるりくるりと左右に首を振る。愛しい彼を探し求めて。
だが、左右に伸びる石畳の先に、探し人である第1王子の姿はない。
「ああ~もう! ランヴァルト様はどこにいるのよ」
がっくしと肩を落として項垂れる。
公爵令嬢とはいえ、夜会に参加しただけの私が立ち入れるのは、この辺りが限界だ。
追いつかなかった……。
今日はこれまでかという悔しさで、唇を噛む。
お父様から聞いた話では、ランヴァルト様は政治的策略で婚約者を決めかねているようだが、私と相思相愛の王子様だ。
16歳の私と17歳のランヴァルド・フォン・グレンバリが出会ったのは、今から10年前──。
優しい彼が私をフォローしてくれた日が、全てのはじまり。
気弱な私が、参集者代表として王子へ花を届ける大役を任され、とんでもなく緊張したあの時間。
一身に浴びる注目の眼差しで、いよいよ足がうまく運べなくなり、盛大に転んでしまったのだ。
大勢の人々が見守るなか、みっともない姿を晒してしまった。それも王子の誕生会の祝福ムードの中で。
持っていた花束の花びらまでも床に散り、王子にも渡せない大失態をしでかし、恐怖とともに情けないやら恥ずかしいやらで、立ち上がれずにいた私。
そうしていると、目の前に小さな手のひらが現れ、その先に視線を向けると、優しく微笑む少年がいた。
それがランヴァルト様だ。
彼を見上げた瞬間、胸が早鐘を打ちはじめ、彼の手をとった瞬間、切れない糸で結ばれた感覚があった。
そのうえ、彼の妻になった自分の姿が脳裏を占拠した。
弱気な自分としては信じられない感情だが、第1王子の妃になる。それが自分のあるべき場所だと悟った。
そんな私はランヴァルト様と結婚するために、厳しい淑女教育だって、泣き言一つ言わずにこなしてきた。弱虫なのに。
だが、まだ婚約者になれずにいる……。
政治的策略なんて、私には少しも理解できないが、彼は一向に婚約を発表してくれない。
だからもう一押し。もう一押しが必要なのだ。
そう思って2人きりになりたかったのに、彼ってば、会場から姿を消すんだもの。悲しすぎる。
おそらく、彼の婚約者になりたがる、とんでもない令嬢たちから逃げた気もするが、もう王族の居住区域まで下がったのだろう。
このまままっすぐ進めば、やや遠くにいる近衛に咎められてしまう。今日はここで断念だ。邪魔した令嬢たちのせいで。
今晩の夜会においても、色目を使う女性陣が、寄ってたかって彼を取り囲んでいたのだ。またしても。
「ランヴァルト様は10年前から私のものなんだから」
そう考える私は、婚約者候補に場所を譲らない非常識な態度をとる彼女たちを、叱責していたのだ。
ひとしきり指導を終えたころには、ランヴァルト様の姿は大広間になかった。悔しいことに。
「目一杯美しくしてきたのに、私を放っていなくなるなんて……酷いわ」
今日こそは彼と話をしたかったのにな。
「駄目だったか……」
正直いって、強気な態度を見せるのは、私の性に合わず、みんなの前では相当背伸びをしている。
今日はもう、ランヴァルト様には会えないし、引っ込み思案な私のキャラクターに戻しても構わないだろう。
そう考えてドレスのスカートをストンと落とした。
「はぁ〜ぁ。強く振る舞うって大変ね……疲れたわ……」
ポツリと呟けば、シーンと静まり返る人気のない廊下に、ビューッと吹き込む風の音が響く。
だが、その風に男性の声も混じっている気がしてその方向を再び見るが、突き当たりのバルコニーに人影はない。
だとしても右側の通路の奥から、聞き心地の良い若い男性の声が届いた気がして、ひとまず進んでみた。
そうすれば、張りのあるバリトンボイスが漏れ聞こえているではないか。
あああぁあ~、いたわぁ~と、一気にテンションが跳ね上がった。
私が彼の声を聞き間違えるはずがない!
間違いなくランヴァルト様がバルコニーにいる。
まさか浮気じゃないわよね……。
人目に隠れた場所で、他の令嬢と逢い引きなんてしていたら許さないからと、しょうもない妄想をしたけれど、どうやら一緒にいるのは彼の側近だろう。
彼とは別の低い声も聞こえてくるのだから。
やっと見つけたわ! と思う私は、彼らの元へと歩みを進める。
ふふふっ、こっそり何を話しているだろう。
私へのプロポーズについてかしらと期待して、2人の会話に耳をそばだてた。
同時に、高まるときめきで胸の鼓動が加速する。
大きな開口部から顔を出さないと、姿は見えない。
立ち聞きなんて駄目かしらと、咎める気持ちもあるものの、ワクワクの方が強い。
真面目な声を出す彼は、どんな顔をしているのかな、と想像が膨らみ、顔がにんまりしてきた。
ちなみに私の部屋に飾ってあるのは、茶色の髪をかき上げ、紫の瞳を細める構図で特注した神絵だ。
うっとりしながら彼のことを考えていると、ランヴァルト様の会話を、はっきりと聞き取れるようになった。少し前より声が大きくなったからか?
「もういい加減にしてくれ!」
あれ? なんだか彼の機嫌がよろしくないのか。
やや語尾の強い口調で、側近に言い募っている気がするのだが……。
「何をでしょうか?」
「私のために、無駄な夜会を開催するな。ったく、今日の令嬢たちは、熱量が一層大きくて限界だ。このまま部屋へ戻る」
「そんなことを仰らずに。そろそろランヴァルト様の婚約者をお決めにならないと、貴族の間で起きている派閥争いが酷くなる一方ですよ」
「それは十分に分かっているさ」
「でしたら一刻も早く、ランヴァルト様のポジションを安定させた方がいいですよ」
「弟を推す派閥ができたからって、気にしすぎだ。弟に主君を求めるなら、いくらでも譲ってやるさ」
「どうされたんですか? 投げやりに仰らないでください」
「何があっても、私の心を掻き乱す存在なんぞ、傍に置きたくないだろう」
「ですが、先延ばしも限界かと存じます」
「将来の妃のことを考えるだけで頭が痛い」
「それは、ルーデルス公爵家のアリシア様のせいですか?」
「ああぁあ~、その名前を出すのはやめてくれ。目につく令嬢に言い掛かりをつけている彼女の姿を思い出しただろう」
「あはは、今回もやっていましたね。自分の到着が遅れたのに『私より先にランヴァルト様に声をかけるな』と他の令嬢に噛みついて、場の空気が悪くなってました」
「彼女の名前を聞くだけで眩暈を起こしそうだ」
「殿下は本当にアリシア様とは馬が合わないのですね」
「そもそも、あんなのと合うやつはいないだろう」
「まあ、そうかもしれませんが」
「私の婚約者を発表したら、その令嬢にどんな危害を加えるか分かったものではないし、この状況で妃候補なんて選べると思うか?」
彼の言葉に嫌悪の感情が混じっている気がして、キーンという耳鳴りがしてきた。
だがそんな私を置き去りにして、話は進む。まあ盗み聞きだし当然だが。
「ですからアリシア様をお選びになるべきです。この国の筆頭公爵家の長女ですから、正妃候補としては一番望ましい存在で、誰がどう考えても、かの令嬢と婚約すべきでしょう」
「何が望ましい娘だ! アリシアだけは論外だ」
「そこまで強く仰らなくても」
「いいや、陛下が余計な気を回してあの令嬢と婚約を決めてきたら、悲劇でしかないからな。私に隠れて変な動きをしていれば、絶対に陛下を止めてくれよ!」
「ですが、アリシア様との婚姻は、政略結婚と割り切ればいいだけですし」
「無理だ。軍鶏のような女性を、私はどうやっても愛することはない」
「ははっ、軍鶏令嬢ですか」
「ああそうだ。令嬢たちに喧嘩を売る性格もそうだが、見た目も軍鶏そっくりだ。赤い瞳に瞼の上にベッタリと塗りたくる赤いアイシャドウに、真っ黒な髪。私には軍鶏にしか見えない」
「否定が難しいことを仰いますね」
「人を威嚇することしかできない軍鶏令嬢が、妃としての役儀をまっとうに務められるとも思えないし、私のプライベトゾーンに彼女を入れたくもない。私の妃候補について、彼女だけは断じて話にならん」
「……左様ですか」
と、彼の側近の弱々しい声が聞こえたころには、とめどなく溢れる涙。
嘘だ……。
現実とは思えない出来事に遭遇し、生気を失う私は、かろうじて意識を保っているだけだった。
「はは……。私って……ランヴァルト様にとんでもなく嫌われていたの……」
運命の恋だと思い、てっきり両思いだと信じていたのは、盲目で何も見えていなかっただけだったのか……。
いいえ違うわ。ランヴァルト様は「私を好きだ」と、お父様が聞かせてくれたのだ。
ただ、今は政治的に婚約者を定めていないだけとも。
お父様は私を騙していたの……?
泣きすぎてひくつく呼吸のせいで、息を吸うことさえも苦しくてたまらない。
これまでの人生の意味が分からなくなった私は、俯いたまま我が家の馬車へと乗り込んだ。
◇◇◇
ランヴァルト様と初めて出会ったとき──。
彼は強い女性が好きだと言ったのを今でも忘れていない。
めそめそと泣いていた私のことを、そう励ましてくれたのだから。
元々引っ込み思案で弱気な私は、無理に強くあろうとしたし、自分の意見は断固として主張した。
彼の理想の女性に近づくために。
それなのにどうして……?
ランヴァルト様と側近の言葉を反芻しながら眠りにつけば、知恵熱だろう。
その日の夜から高熱にうなされ、5日ほど寝込んでしまったのだから。
その最中に、やけに胸が苦しくなる夢を見て、現実味のある映像が脳裏を占めた。
軍鶏令嬢と呼ばれた今の空虚感が、夢の中の私と不思議なくらい共鳴を起こし、そのせいで、予知夢にしか思えない感覚だった。
夢の中の私はランヴァルト様の妃となっていた。
喜ばしいはずなのに、後宮の窓から、彼の側姫たちが産んだ王子や王女を妬ましく見ていたのだ。
彼にそっくりな子どもらが、やけに生々しくリアルに感じた。
「嘘だ……。ランヴァルト様が私以外の女性を何人も側室に召し上げているの……?」
信じたくなくて視線を部屋の中へ移すと、私が神絵と呼んでいる、ランヴァルト様の肖像画が飾られていた。
正確に言うなら、それしか飾られておらず、2人で並ぶ姿絵もなければ、世継ぎとなる子どもらしき絵もない。
殺風景すぎる部屋の壁に食器でも投げたのか?
至る所に傷やら穴が空いている。
「ナニコレ……」
動揺する私は急いで鏡に駆け寄り、自分の姿を見る。すると、今より頬が少しこけており、パサつく髪。
見た目年齢は、私のお母様より老けているけれど、アリシアである私で間違いない。
怖くなって逃げ出そうと考え、部屋の扉を開けたところで、パチッと目が覚めた。
「え⁉︎」
よく見慣れた私の部屋に戻っていた。
夢と現実の狭間が分からず慌てて鏡の前に立つ。
そうすれば、艶々で潤いのある16歳らしい髪と、ぷるぷるの肌が映る。
ランヴァルト様が言っていた瞼のアイシャドウ。
化粧を綺麗に落としているため、塗っていないのはもちろんだが、元々は瞼自体が赤く爛れていたのだ。
だが、今はそれもすっかり治っている。
「私って馬鹿ね。アイシャドウが肌に合わないのは分かっていたのに、被れた肌を見られないように、無理に化粧を重ねたせいで、ますます悪化していたんですもの」
こすりつけるようにアイシャドウを塗り、瞼の腫れを引き起こす悪循環。5日間化粧をしなかったおかげで、それを断ち切ることができ、綺麗に改善したのだ。
そうしていると、カチャリと扉が開き、私の侍女と目が合った。
ふっくら体系の優しそうなおばさん。そんな表現がぴったりのラーラが、私を見て感極まり、口元に手を当てている。
「お嬢様、起き上がっても大丈夫でございますか?」
「すっかり良くなったわ。心配かけたわね」
「旦那様が一番心配なさっておりましたわ」
「そう」
と返し少しだけ考える。
私はランヴァルト様に恋をしていたが、その恋を全力で応援してくれたのが、お父様だ。
たぶん、始めは私を喜ばせるための嘘だったのだろう。幼子の笑顔を見たくて。
それを真に受けて、彼の姿を見る度に追いかけ回していたのだから、私はどうかしていた。
私の告白に、彼が気のない返事ばかりするから、これでもかと手紙を送ったし。
彼の理想の妃になろうと、必死に強い女であろうとしたが、どうやら私はランヴァルト様に相当嫌われていたようだ。酷く悲しいことに。
恋とは恐ろしいもので、迷惑をかけているなんて、ちっとも分かっていなかった。
万が一、お父様が彼との政略結婚を決めてきたら、私を愛することはないと言った彼の言葉どおり、お先真っ暗な未来しかない。
高熱でうなされながら見ていた夢が、まさに現実になる。
それだけは絶対に嫌だ。駄目よ。
こうなれば、ランヴァルト様との婚約なんて、私の方がご免だわ。
そう考える私は、身支度を整える前に、すべきことに気がついた。
「ラーラにお願いがあるの」
「なんでございましょう」
「私の髪をバッサリ切ってくれない」
「はい? お嬢様は夢でうなされて混乱なさっているのでしょうか」
「正気よ」
「申し訳ございませんが、お嬢様。そのようなことを仰るのか、意味が分かりません。淑女たるもの、髪が長くなくてはなりませんのに」
「令嬢に必要な長い髪を捨てるわ。そうすれば、ランヴァルト様と間違っても結婚できないから」
「お嬢様……。一体あの日の夜会で、何があったんですか?」
不安げな表情を向ける彼女へ、優しく微笑んだ。
「ラーラは分かっていたんでしょう。私がランヴァルト様から嫌われているって。夜会の前はいつも、ランヴァルト様にアプローチをかけるのを止めてくれていたものね」
「お気づきになったのですね」
「ふふっ、ここだけの話だけど、彼がこっそりと私の話をしていて、相当に嫌われていたんだから。私ってば向こう見ずに夢中になっていたけど、すっかり目が覚めたわ」
「だからって、何も髪を切らなくても」
「ううん。大事なことよ。お父様は私とランヴァルト様との結婚を望んでいるもの。放っておいたら、陛下に頼んで縁談をまとめてくるかもしれないでしょう」
そこまで話せば納得したラーラは、鏡の前に私を座らせ、ハサミを手に取った。
ザクッという音とともに、ぱさり、ぱさりと濡羽色の髪が床に落ちていく。
少しすると──。
鏡の前には、見慣れた姿はない。
顎のラインで切りそろえられた髪は、淑女とはほど遠い、使用人のような見た目。これでいいと、満足げに微笑む。
私の我が儘に応えてくれたラーラに感謝を述べると、問題のお父様に話をつけにいった。
腰を抜かしたのは言うまでもなく、納得してもらおうと、「この国の現状を把握するために孤児院への支援をする」と告げた。
令嬢の象徴である長い髪では実情を見せてくれず、正確に把握できないから髪を切ったと、それらしいことを伝えたてみた。場当たり的な思いつきだが、意外に反応は悪くない、
特権を与えられる代わりに、平民の生活を守るのは貴族の務め。それを貫いた。
そして、長年片想いしていた殿下への恋は、報われそうもないので諦めたことも。
髪が短くなったあとでは何も言えなくなったお父様は、渋々だったが認めてくれた。
◇◇◇
その数日後──。
あらかじめ出席すると回答してしまった、ルティン侯爵家のパーティーの日だ。
「どうしよう……行くのをやめようかしら、ラーラ」
「今日は殿下とお会いする最後ですよ。行かなくてよろしいのですか?」
「そ、そうよね。最後くらいご挨拶をしてくるわ」
とは言ったものの、元々メンタルが弱々しい私だ。
令嬢らしからぬ短い髪で会場に入れるわけもなく、屋敷脇の人目につかないところでしばらく時間を潰すことにした。
これまでも、会場に入る前は、振る舞い方について入念なイメージトレーニングをしてきたため、各屋敷に存在する人目につかない穴場は把握済みなのだ。
って、自慢できることでもないけど。
そそくさと脇道に逸れ、以前見つけたベンチに腰掛けていると、ザシャッと草を踏む音がして、その方向に顔を向ける。
すると、青い顔のランヴァルト様が視線の定まらない様子で立っているではないか。
「どうしてここに……ラン──」
「あっ、申し訳ない。先客がいるなら別の場所を探す」
「いいえ、ご遠慮なさらずに。私が避けますから」
「いや、誰かと待ち合わせだろう。私のことは気にするな」
「待ち合わせではございません。出過ぎた質問ですが、体調がお悪いのではないですか? 少し休んでからお戻りになるとよろしいかと存じますわ」
慌ててベンチから立ち上がった私は、彼に着座を促した。
「あ……すまない。そうさせてもらえると助かる」
と言った彼がベンチに腰掛けたところで、静かに目を閉じ、くたりと力が抜けた。
「ランヴァルト様? 眠ったの?」
このまま第1王子を放っておくわけにもいかないだろうと、おそるおそる彼の横に座る。
彼の眩暈を引き起こす軍鶏令嬢。そんな私が近づいたのに、彼は微動だにしない。
そういえば……。
彼のプライベートゾーンは半径何センチなのだろう。私を入れたくないとも言われたのに。
目覚めたときに軍鶏令嬢が横にいて、怒られないだろうかという不安も過ぎるが、そうなったときより、今の彼が不届き者に見つかる方が困るし、いたしかたない。
そんな私の緊張をよそに、意識のない彼は私の肩にもたれかかってきて寝息を立てている。
彼の体重と熱を感じながら、目が覚めるまでひたすらじっと待つことにした。
◇◇◇
しばらく経ったころ、彼がうっすらと目を開けた。
それと同時に私に寄り掛かっていることに気づき、動揺したように離れていった。
「申し訳ない。ご令嬢の肩を借りるとは、私としたことが情けない」
ん? ご令嬢と呼ばれているということは、彼は私がアリシアだとは気づいていないのか?
それなら好都合。あえて「軍鶏です」と言う必要もない。
彼の気持ちを逆立てないよう、私も知らない振りでいいやと話を続ける。
「会場で何かあったのでしょうか?」
「飲んだワインに睡眠薬でも入っていたんだろう。大半の毒や薬に耐性があるから、普段なら問題はないはずなんだが……今回は耐えられず、外に飛び出して来たところに君がいた」
「殿下をお慕いする令嬢はたくさんおりますから、いろいろと大変そうですね」
「気を張っていたのだが、巧妙で分からなかった。私が眠ってどれくらい時間が経っただろうか」
「時間にして22分間、眠っておりました」
「その間ずっと横にいてくれたのか?」
「眠りに落ちた殿下をお1人にするわけにもいきませんから」
「君の気遣いに感謝する」
「薬で眠りに落ちたのは、毎日気を張って夜によく眠れていないからだと存じますわ」
「ああ~、まあそうかもしれないが」
「よろしければどうぞ。ハーブを練り込んだカヌレです。食べると気持ちが落ち着きますよ」
そう言って、持参していた箱の蓋を開け、赤子のこぶし大くらいのカヌレを2つ差し出した。
「どうして茶菓子を持ち込んでいるのだ?」
場にそぐわない菓子の勧めに、彼の眉間に皺が寄る。
「これは願掛けなんです。引っ込み思案な私は……会場に入る勇気がなくて。だけど、これを食べたあとは落ち着ける気がして、夜会の前にいつも食べていたので。ですが、殿下がいらないなら私が食べますね」
そう言って、小さなカヌレを一つ手に取り、小動物がはむはむ食べるように口にする。
そもそもランヴァルト様の横にいるだけで、緊張が止まらないのだ。
もはや無意味とも思える願掛けを、この期に及んで実行に移す。
「くくっ、随分と美味しそうに食べるんだな。……やはり私ももらっても良いだろうか?」
「ええ、もちろんですよ」
もう一つ残っているカヌレを彼に渡す。
そうすれば彼は、一口でぱくっと食べてしまったではないか。
さすがにそれは油断しすぎだ。
私のカヌレ……。
確かに毒やら怪しい薬は混ざってないが、王子が一口で食べるのはよろしくないだろう。
それも、君呼ばわりの、得体の知れない人物が突き出したものを。
気になって彼の横顔を見つめていると、こちらを向いて幸せそうに微笑んだ。
「王城の菓子よりうまいな」
「ふふっ、またまたご冗談を。それは私が作ったものですから、王城の職人のお菓子より美味しいなんてことは、ございませんでしょう」
「いいや本当だ。心が落ち着く優しい味がする」
「それは混ぜたハーブの効果ですよ」
「はははっ、こんなにすぐには効かないだろう。君の……えーと」
私の顔をまじまじと見ながら何かを考え込んでいるため、首を傾げ尋ねた。
「どうかしましたか?」
「私は貴族の顔を全て把握しているはずだが、君に覚えがない。悪いが名前を教えてくれないか」
「アリ──……しゃ」
大変だわ。
ここで軍鶏令嬢だと名乗るのもどうかしている。そう思って中途半端に名前を告げた。
「アリーシャか、名前を聞いてもやはり覚えがないな」
「病気がちなもので、これまで屋敷の中で隠れるように暮らしておりましたから」
「それでか……。指輪をしていないということは恋人はいないのか?」
「いませんし、片想いの彼が私を嫌っているのを知ってしまいましたから……。もう2度と恋はしないと決めたんです。結婚への憧れもどこかに消えましたし」
「若いのにそんなことを言うのはもったいないだろう」
「いいんです。無理をするのは疲れますから」
「ああ~、今日はもう帰らねばならないが、また今度ゆっくり会えないだろうか? 今日の礼もしたい」
「残念ながら、ご遠慮いたします。私はこのあと、孤児院を回る旅をしようと考えておりますから」
「孤児院を……?」
「ええ。日常に必要な文字の読み書きや計算を教えてあげるだけでも、生活はぐんと楽になりますから」
「孤児院の者に……か?」
「10年近く有意義に時間を使ってこなかったものですので、誰かの役に立つことをしたくて。彼らも教育の機会があれば就ける仕事の幅は広がりますし」
「そうか……。アリーシャの家名を教えて欲しい」
「ふふっ、我が家の両親は私が死ぬと思って、貴族名鑑用の届け出をしなかったのでしょう。ここで殿下に知られてしまったことを咎められると、私は家にも帰れませんのでご容赦くださいまし」
「そういうつもりではないんだが──」
口元に手の甲を当て、後ろめたげな反応を見せるため、余計なことを喋らすまいとして、大袈裟なくらいに彼を急かすことにした。
「殿下は急いで戻らないとなりませんわ。姿が見えなくなって時間も経ちましたから、きっと心配されておりますよ」
そう伝えると、口唇を噛む彼は、何度も振り向きながらこの場を去っていく──。
よし、うまくいった。
彼の姿が完全に見えなくなり、ほおうっと安堵の息を漏らし、急いで馬車へと向かった。
◇◇◇
軍鶏令嬢と強い認識があるくらい私を知っているのに、髪を切って、アイシャドウがないくらいでアリシアだと気づかれないなんて、と驚きもする。
だが、大事にならず良かった。そっちの感情の方が大きい。
それにランヴァルト様に伝えたこともあながち嘘ではない。
令嬢として必須である長い髪を切った以上、これまでのように社交界に顔を出すわけにもいかないし、しばらくは孤児院に身を寄せるつもりだ。
彼とはもう会わないから。
そんな風に考えながら荷造りをしていたときだ──。
屋敷の中がやけに騒々しい。足早に廊下を往来するのは従者たちだろうか。
何事かしらと思い廊下に顔を出すと、八合せのようにラーラが通りかかる。
「ラーラ、一体何があったのかしら?」
「ランヴァルト様の尋ね人を、ルーデルス公爵家が匿っていると申されて」
「誰かを探しているってこと?」
「はい、そのようです。すでに他の貴族の確認を終え、未調査なのはルーデルス公爵家だけとのことで、厳重な調査を求められております。お嬢様も向かいますよ」
部屋から出るように彼女は促してくるが、公爵家の令嬢は私1人だ。
顔を確認しなくとも、私のことはよく知っているだろう。どう考えても。
「どうして私まで行かなければならないのかしら?」
「申し上げにくいのですが、アリシアお嬢様だけは、別室に呼ばれております」
「ん? どういうこと?」
「ランヴァルト殿下が女性を探していると知ったら、お嬢様がどんな反応をなさるか分からないからとのことで、この屋敷だけ殿下直々にご訪問されたようです」
「ふふっ、誰を探しているのか知らないけれど、彼が何をしても怒らないわよ」
「今のお嬢様であれば、そう仰ると存じておりました」
「もう彼に興味はないもの」
半分笑いながら言えば、ラーラは私を諭すような口調で励ましてくれた。
「今のお嬢様が一番輝いておりますから、自信をもってランヴァルト殿下の話を伺ってくださいね」
「ところで誰を探しているのかしら?」
「どうやらアリーシャというご令嬢を探しているようです」
その言葉には、思わず眉根を寄せた。
私の知らぬ間に、全く心穏やかではない事態になっているではないか‼
貴族名鑑に載せるために未申請の令嬢を探しているようだが、それはアリシアである私のことだ。
とはいえランヴァルト様は、軍鶏令嬢の顔も見たくないはず。
私がアリーシャだと正直に伝えれば、すぐに帰ってくれるはず。問題はない。
そう考えながら、応接間の扉を開く──。
ランヴァルト様が応接用のソファーに深く腰をおろしていた。
だが彼は、よほど私と2人きりで会いたくなかったのだろう。お父様までこの部屋にいるんだもの。
内心、はぁ~あ、とため息をつきながら、彼らが腰掛けるソファーを見て固まっていると、ランヴァルト様がすくっと立ち上がった。
それを見て反応したのは、お父様だ。
「アリシア、殿下がお待ちかねだ。早くこちらへ」
「アリシア……だって」
お父様の反応を訝しむランヴァルト様が、震える声で言った。
カーテシーをしてから歩みを進め、2人の近くまで行くと、彼に告げた。
「先日ぶりでしょうか」
「君はアリーシャではないのか?」
その言葉には、父が反応した。
「何を仰います殿下。アリシアは孤児院に文字を教えに行くと言い出し、髪を切っただけですが」
「こ、孤児院だって……。アリーシャは本当にアリシアなのか……」
「我が家の長女のアリシアは、もう誰とも結婚するつもりもないようで、ゆくゆくは修道院へ入れるつもりです。殿下とお会いするのも今日が最後かと存じます。ほらっ、お別れの挨拶をアリシアから直接しなさい」
はじめはランヴァルト様に話しかけていたお父様だが、後半、くるっと私に顔を向けたため、素直に従う。
「はい、承知いたしました。ランヴァルト様が平和な国を治めることを、遠くから願っております」
「──ッ! 悪いがアリシアと2人で話がしたいから、公爵は席を外して欲しい」
一瞬で表情を曇らせ、慌てて告げた。
その言葉に反応したお父様が「扉は開けておきます」と言い残し、立ち去ろうとする。
お父様! 問題は扉なんかじゃないからいなくならないでよ、と悲痛の眼差しを向けた。
だが、そんな気持ちに気づくわけもなくいなくなってしまった。
私と2人きりになるのが嫌で召喚したお父様を、なぜに追い払ったのだ⁉︎
そんなことを考えるものの、理由は至ってシンプル。
先日の嘘を咎めるためだろうと、げんなりとしながら彼を見つめる。
「アリシア……」
「あの夜会で、ランヴァルト様にアリシアだとはっきりと告げなかったことは、お詫びいたしますから、ご容赦くださいまし」
「駄目だ、許さない」
「左様でございますか……。それでは牢にでも入れるおつもりでしょうか?」
王族に虚偽を伝えた。
これだけでも十分な罪になるのは重々承知だ。
そうだとしても、投獄されて1か月もすれば出て来られるだろう。そう思って罰を受ける覚悟で穏やかに返す。
「駄目だ……。私に別れを告げ、旅に出るなど許さない」
「左様ですね。殿下へ別れを告げるような親しい間柄でもないのに、余計なことを申し上げました」
「いや、違う。謝罪するのは私だ。申し訳ない」
「ん? 先日のことでしょうか……? それなら謝罪など必要ございませんわ。それではごきげんよう」
にこっと微笑み告げた。
すると、何かに焦った様子の彼が力強く私の手首をとった。
「行かないでくれ」
「と言われましても……」
「私は分かっていなかったが、もう間違えない。一番ふさわしい人物をやっと見つけたんだ。アリシアを後宮に入れ、もう逃がさないから」
「え~と、後宮で下働きをさせるということでございましょうか? そうだとしても、今、後宮に誰かおりましたか……」
正妃も側妃もいない第1王子に対し、無粋とも思える質問をした。
するとにっこりと笑うランヴァルト様が、とてつもなく恐ろしいことを口にした。
「アリシアは一生私に仕えてもらう。妃としてな」
「は⁉ 断固お断りします」
「どうして……」
「ランヴァルト様の妃になるつもりは、ございませんから」
この言葉で、彼の顔が一瞬で曇り、少し前までの余裕の笑みを消し去り、見つめてくる。
「私の妃はアリシアしかいない」
「筆頭公爵家である我が家が政略結婚に一番ふさわしい、とお考えでしょうが、このとおり私は、淑女としての髪も捨てましたから、ランヴァルト様の婚約者にはなりえません。謹んでお断りいたします!」
「アリシアを愛しているんだ」
「?」
その言葉には耳を疑った。
またしても、お父様と同じく、私を騙す嘘を言い始めたのだ。今度は本人自ら。
もうこの手の話は信じるわけもない。
そもそも「愛することはない」そうはっきりと、彼の口から聞いたのだから。
それに、後宮で寂しく年老いる人生なんて受け入れられないし……。
お願いだから帰ってくれ。そんな強い願いを込め、彼を真っすぐ見て告げた。
「以前の私は、ランヴァルト様をお慕いしておりましたが、今はその気持ちもどこかへ消えてしまいました。父も私に政略結婚を望んでおりませんので、どうかお引き取りを」
「そうか……。ではまたアリシアを口説きにくる。ルーデルス公爵には、娘を屋敷で監禁しておくように、きつく命じておく」
「はい? いくら口説かれようと、絶対に後宮なんて行きません! ランヴァルト様なんて大嫌いよ!」
「参ったな……。今となれば、そっちのアリシアも可愛いな。私は強い女性が好きなんだよ」
威嚇するように伝えたが、彼は嬉しそうな顔をして部屋をあとにした。
◇◇◇
その日以降──。
お父様による監視によって、屋敷から一歩も出られなくなってしまったのだ。
我慢の限界だと、今朝、お父様に文句を言った。
そうすれば、殿下に伝令を送ってくれたため、これで安息の日々を取り戻せる。
ラーラに着替えを頼み、いざエントランスへ向かえば、なぜかランヴァルト様が立っているではないか。
「どうしてランヴァルト様が我が家にいらっしゃるのかしら……」
「アリシアが外に出たいと公爵から聞いたからね」
「出るなと説得されても、私は外の景色を見に行きますから」
「今日は丁度、屋根のない馬車で来たから、景色を堪能するにはもってこいだ。風も気持ちいぞ」
「まさかとは存じますが、ランヴァルト様と一緒に出かけるということでございますか?」
「もちろんさ。アリシアが外に出たいときは、私が必ず付き添うから、遠慮せずに呼び出してくれ」
「呼ぶわけないでしょうが! それにランヴァルト様とは出かけませんから」
「ならば王族命令を使い、後宮に連れ込むか」
「そんなことをしたら、一生嫌いますよ」
「あ〜、それは困ったな。では命令は私との外出に留めておくか」
「ランヴァルト様……これまで王族の権力を使うことはなかったのに、使い方を間違っておりますわ」
「アリシアと一緒にいたいからな。これまで自重していたが、遠慮せずに行使すると決めたんだ」
そんな恐ろしいことを言う彼に、強引に馬車に乗せられた。
それも、本来の使用用途は、結婚式などのお披露目パレードに使うオープンタイプのとんでもない乗り物に。
たなびく髪もない私は、横に座り嬉しそうにしているランヴァルト様をひたすら睨み続けたのだが、彼は一向に気にする様子もない。
そんなチグハグな2人を乗せた馬車は、王都の中をゆっくりと周回した。
これって、軍鶏の散歩かしら……。
どちらにしても、外に出たいなんて口走れば、面倒な事態になるのだけは理解し、余計なことは言わないことにした。
◇◇◇
それから──。
私を愛することはないはずのランヴァルト様の猛烈なラブコールと、後宮に押し込められるわけにはいかない私の攻防は続いたが、短かった髪が伸びたころには、逃げ道を失った。
髪が伸びてしまえば、お父様までその気になり、ラーラも髪を切ってくれないのだから。
そうなれば、にっこりと笑う彼は、軍鶏を檻に閉じ込めるかのように私を捕獲した。
幸せな人生を諦めたと思っていたのだが、どうしてか……。
軍鶏令嬢を待っていたのは、空虚とはほど遠い、毎日続く激しい溺愛だった──。
お読みくださりありがとうございます!
短編を書きたくて、挑戦してみました。
面白い、楽しめた、軍鶏って、などなど……何かを感じた皆さま!!!!
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また、作者の長編作品もよろしければ、お立ち寄りください。
改めまして、本作をお読みくださり、ありがとうございました。