評定
登場人物
新田義貞(五領徳業):主人公。新田義貞に転生して、犬死人生を回避するため悪戦苦闘する。物語開始時33歳。商業を重視し、海外貿易を活発にすることで国を豊かにする政策をとる。
祟り神(新田義貞の怨霊):ネズミや天狗を使役することができる。
脇屋義助:新田義貞の弟、32歳
船田義昌:義貞の執事
新田四天王:栗生顕友、篠塚重広、畑時能、由良具滋
岩松経家:新田一族。先祖が足利家から新田家に婿入りしているので足利寄りの行動が目立つ。
保子、知子、宣子:義貞の妻たち
翌日、朝食でいつも通り大根を食べた俺は、義助と共に安養寺館の大広間へと向かう。
そこには、世良田満義、岩松経家、大舘宗氏、江田行義、堀口貞満、里見義胤、船田義昌ら、新田一族の主だった者四十余名が既に集まっていた。
上座に座った俺は、早速本題に入った。
「昨日、幕府の使者から沙汰が申し付けられた。内容は、『凶徒退治のための費用六万貫を負担すること』と、『五日以内に納入できない場合、義貞の所領を没収すること』の2点である。このことについてどう対応すべきか、皆の意見を聞きたいと思い、こうやって集まってもらった次第だ」
皆の意見は、『長楽寺再建で多額の寄進をしたばかりだというのに、六万貫もの有徳銭(富裕税)を払えるはずもない』という意見が多数を占めた。
「西国では、帝も幕府に御謀反しておられるというではないか。そもそも、幕府とは我ら御家人を守ってくれるものではなかったのか。このような無茶を言ってくる幕府の言うことなど聞く必要ない。攻め滅ぼしてしまえ」
「義貞殿は、帝から幕府討伐の綸旨を賜ったと聞いているぞ。であれば、我が軍は官軍で、鎌倉攻めにちょうど良いではないか」
「「「そうだ、そうだ」」」
なんか、新田一族やたらと好戦的だよな。いくら幕府に冷遇されていたとはいえ、一足飛びに倒幕となるものか。何かがおかしい。
不思議に思い皆の様子を探っていると、こいつら全員から邪悪な気配を感じ取ることができた。ちなみに、邪悪な気配というのは、この世に破壊と混乱をもたらす怨霊の力のことね。
何処の誰かは分からんが、この日本に破壊と混乱をもたらすため、怨霊の力をばらまいている奴がいるのであろう。そして、その力に新田一族は飲み込まれてしまったわけか。
まあ、怨霊に操られた状態で挙兵しても、鎌倉を落として幕府を滅亡させることはできるのだろう。むしろ、怨霊の力で戦闘力が強化されるのだろうが、問題はその後だ。
怨霊に取り付かれて正気を失った連中の末路など、どうして良いものになろうか。
怨霊の命じるがままひたすら戦い続け、この世に南北朝時代という戦乱の世をもたらした挙句、史実通り新田宗家の滅亡に至るのであろうな。こいつはまずい。
ということで、俺は必殺技『退魔の力』を使うことにした。
(祟り神殿、離れていて下さい。退魔の力を使います)
『心得た』
「祓いたまえ、清めたまえ、顕現せよ退魔の力!」
俺を中心にまばゆい光が放たれ、その光が収まるのと同時に、皆は正気を取り戻した。
「あれっ、わしらは何をしておったのじゃ」
「義貞殿、その力は一体・・・」
「何故、軽々しく倒幕などと口にしてしまったのか」
新田一族の皆は、ひたすら困惑し続けるのだった。
◇謎の男視点◇
とある密教寺院に、その男はいた。
男は護摩を焚き、ひたすら世の中の混乱と幕府滅亡を祈っていた。
「フフフ、長年にわたり武士どもの欲と不安を煽って社会不安を顕在化させてきたが、ようやく幕府滅亡まであと一息という所まで持ってくることができたわ。ふむ、上野国では新田一族が幕府に反旗を翻えそうとしておるのか。よし、関東調伏の祈祷を行うのは今ぞ。朝敵覆滅、怨敵退散・・・・・・。ふん、武士のような汚らわしい存在は、同士討ちでもさせてこの世から消えて無くなればよいのじゃ。さすれば、世の中も平和になるであろう」
注:朱子学の観点で見ると、朝廷(王者)にとって武家とは野蛮人(東夷)であって、正さねばならぬ悪なのだそうです。一方、日本教の観点で見ると、朝廷(清らかな存在)は『穢れた武士が日本を支配しているのは許せない』ということになるようです。これらを合わせると、『野蛮で穢れた武士など滅ぼしてしまえ』『武士は生かされているだけでも感謝すべきなのに、土地や権力を欲しがるなどもってのほか』となるようです。
こうして関東調伏の祈祷が続けられたが、いきなり強い力で祈祷の力は断ち切られ、新田一族に向けられた力が男の方に跳ね返ってきた。
「むっ、失敗か」
撥ね返された力が男に襲い掛かるが、周囲に侍っていた一人の女官が持つ未知の力により、男の身は守られた。
「そなたのおかげで助かったぞ。それにしても・・・、関東調伏の祈祷が破られるとは、いったい何者の仕業じゃ」
新田義貞は、真の敵の存在をまだ知らない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺は、困惑する新田一族に対し、こう言い放った。
「実はな、俺は今日神の啓示を受けて、未来の知識と退魔の力を手に入れたんだ。先ほどの皆は怨霊の力に当てられておかしくなっていたので、俺が退魔の力を振るって正気に戻したわけだ。どこぞに武士の不平・不満を煽って、この世に戦乱をもたらそうとしている奴がいるようだが、それはひとまず置いておくとして、今問題にしたいのは幕府のことだ。そもそも、幕府とは我々武士の権益を守るためのものであるにもかかわらず、今の幕府は我々を守ることなく、逆に重税を課して我々を圧迫している有様だ。我らがこれだけ苦しんでいるというのに、得宗の北条高時公は田楽と闘犬三昧である。武家を苦しめて自らは楽しむというのは、まさに桀紂の心と言うべきではないか。(執権が)その道違う時は、威有りといえども保たずという。ここにおいて、幕府の命運は尽きたと俺は断言する。俺の手元には幕府追討の綸旨もある。大義名分は我に有り。新田一族が幕府討伐のため挙兵するのは、今をおいて他にない。このことについて、どうかこの場で皆に同意していただきたい」
すると、『義貞殿の言うことは尤もだ』『武士の権益を守らぬ幕府など、存在する価値無し』『そうだそうだ』という声が上がり、義貞へ賛同する意見が相次いだのだが、それに待ったをかけたのが世良田満義であった。ちなみに、満義は新田荘一の有徳人(金持ち)だよ。
「お待ちくだされ。五日以内に六万貫払うのは無理だが、幕府の徴税吏とよく話し合って、期限を延ばしてもらえばよいではないか。それをいきなり倒幕などと、話が極端すぎますぞ」
「多分、幕府の徴税吏は話に応じぬと思うぞ。幕府は、皆が思っている以上に追い詰められている。今回の六万貫も力づくで奪いにくるはずだ。有徳人の家を打ち破るなどしてな」
「義貞殿も言っていた通り、本来幕府は我ら御家人を守るためにできた組織ですぞ。幕府の徴税吏が、我らに対してそのような乱暴狼藉をするはずあるまい」
「幕府を信じたいなら信じるがいいさ。まあ、満義殿はすぐ意見を翻して、俺の言ったことが正しかった、倒幕に参加させてくれ、と言ってくるだろうよ」
「ふん、話にならんな。さらばだ」
そして、満義は倒幕に反対している十数人を連れ、部屋から出て行ったのであった。
俺は残った者に対し、こう呼びかけた。
「では、我らは五月八日早朝に生品神社で兵を挙げるとしよう。皆はそれまでに準備を整えていただきたい」
俺の呼びかけに皆が同意した。こうして、この場はお開きとなったのだが、一人不満を漏らす者がいた。岩松経家である。
「なあ義貞殿、貴殿が色々と物知りなことは良く分かったが、高氏殿が六波羅攻めをすることを皆に話せば、この場は倒幕でまとまったのではないか」
こう非難する経家に対し、俺はこう答えるのだった。
「まあ、ここは俺に任せるがいいさ。幕府の徴税吏はかならず乱暴狼藉をするはずだ。幕府の役人が腐りきっていることを世に知らしめてから挙兵する方が、皆も倒幕に力が入るんじゃないかな」と。
余談だが、新田一族に『退魔の力』を使った俺は、鬼切に主人として認められたようだ。
鬼切を別の部屋に置いて一晩寝て起きると、何故か鬼切が手元に戻っていることが度々起こったので、ある時『鬼切よ、来い』と念じたら、鬼切は目の前に現れたのだった。
(これは、捕まったりした時便利かもしれん。丸腰の囚人の前にいきなり太刀が現れたら、看守は逃げ出すだろうなあ)
なんてことを思ったりした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
こんな感じで、世良田以外の新田一族をまとめた俺は、五月八日の旗挙げに向けて、色々準備をすることにした。
まずは、必要最低限の家財道具を残した上で、他は全て世良田の商人上州屋清兵衛に売り払い、そうして得た金で武器・兵糧・その他必要な物を集めることにした。
ちなみに、世良田宿とは長楽寺の門前の宿であるが、この時代には大層栄えていたようで、鎌倉にも『有徳人(金持ち)多し』と聞こえていたらしいぞ。
一応、俺は清兵衛を呼び出して話をしてみたのだが、特産品の開発や海外貿易について話をすると、良い商機と思ったのであろうか、清兵衛は目の色を変えて身を乗り出して来たぞ。
なかなか商売に意欲的で良い感じだ。清兵衛とは、長い付き合いになりそうだな。
そんなわけで、俺は金の管理を執事の船田義昌に、資材の調達を上州屋清兵衛に任せると、早速由良具滋とその配下の忍びどもに焙烙玉作りとその扱い方について伝授することにしたのだった。
えー焙烙玉の作り方だが、焙烙(素焼きの平たい土鍋)に火薬と礫と鉄釘を詰め込んで、導火線を取り付ければ完成である。焙烙玉が爆発すれば、礫や鉄釘が周囲にまき散らされて敵兵にダメージを与えられるわけだが、やはりでかい音が重要かな。馬も兵も恐れて、我先に逃げ出すであろう。
問題は、焙烙玉を敵軍に投げ込む方法だが、素手で投げるのは限度がある。投石機を考えたけど、大きい上に重くて運びにくいしな。やはり、投石器の方が手っ取り早いということで、三人の妻たちにお願いして『ひも状のスリング』を作ってもらうことにした。
そして、忍びの一部を集めて焙烙玉の投擲を専門とする隊を編成し、完成したスリングを用いて投擲練習をさせたのだった。
今は変な方向に飛んでいるけど、一週間も練習すれば狙い通りのところに焙烙玉を飛ばせるようになるであろう。というか、早く上手に飛ばせるようになってくれよ。
次に、軍制についても改革することにした。
俺は義助を呼ぶと、新田軍で『分捕切棄の法』を採用する旨を伝え、栗生顕友・篠塚重広・畑時能らとともに兵士たちに周知するよう命じた。
ちなみに、栗生顕友・篠塚重広・畑時能と忍者隊を率いる由良具滋の四人は、新田四天王として後世に言い伝えられているよ。こいつらは忠誠心が高いから、これからの戦いで大活躍してくれると俺は信じているぞ。
話を元に戻す。
「「「「分捕切棄の法に御座いますか?」」」」
義助たちが不思議そうな顔をしているので、俺は詳細について説明することにした。
「別に難しいことではないよ。軍奉行という役職を新たに置き、戦功を記録させれば、新田兵はわざわざ重い首を持って戦う必要が無くなるというわけだ。もし近くに軍奉行がいない場合は、近くにいる味方に証言して貰えば良い」
「討ち取った敵の首はその場に棄てるから分捕切棄ですか。ふむ、言われてみれば簡単なことですが、これは余程の天才でないと考え付きませぬぞ。『命懸けで討ち取った敵の首を捨てよ』というのは『恩賞を捨てよ』と同じ事ですからな。いやはや、未来の知識とは恐るべきものですな」
こう、義助は俺を称賛するのであった。
あとは・・・、越後・甲斐・信濃における兵集めはどうなっているかな?
(祟り神殿、倒幕の兵はどれくらい集まりそうですか)
『うむ、これから十万以上の兵が激突する大戦が見られるということで、天狗山伏どもも熱心に兵集めをしておるぞ。おぬしが持つ『幕府追討の綸旨』の写しを、越後・甲斐・信濃の武士どもにばら撒くなどしてな。かの国の武士どもは、皆挙って上州に向かっているところだ。渋った武士どもには、ちょいと怪異を見せてやったら慌てて上州に向かったぞ。多分、一万騎は集まるのではないかな』
(ふむ、一万騎か。史実より三千騎ほど多いな。こいつは幸先いいぜ)
そんな感じで戦の準備をしていると、六万貫の納入期限である五月五日になった。
予想通りではあるが、幕府の命を受けた徴税吏の紀出雲介親連と黒沼彦四郎が、新田荘の隣の渕名荘(群馬県伊勢崎市周辺)から入部してきた。
こいつらを捕らえて、黒沼彦四郎を血祭りにあげるのは決定なのだが、まあ話ぐらいは聞いてやるか。ということで、義助に出迎えさせて、長楽寺へと案内するのであった。