日本教に対する一考察
日本人の持つ宗教観について考えると、過半数の日本人は「信仰している宗教は無い」と答えるらしい。
言い換えると、日本人の過半数が無宗教ということになるのだが、客観的にみると日本には日本教というものがあって、日本人自身にも自覚できぬほど無意識のうちに染み込んでいるそうだ(例:芥川龍之介の言う造り変える力、など)。
実際、ある民族が理にかなわない(効率的でなく非常識な)行動をとるのは、宗教に基づくことがほとんどである。
ここで俺(著者)が危惧するのは、日本人が外国人から見ると明らかに宗教的価値観で(非常識な時代にそぐわぬ)行動しているにもかかわらず、日本は無宗教という先入観から、日本人自身がどうしてこういう行動をとるのか理解せぬまま同じことを繰り返して国益を損ないかねない、ということである。
繰り返すが、日本人が自身の持つ宗教観に振り回されていることを認識して行動しているのならいいけれど、もしそうでないなら非常にまずいと、俺は常々思っている。
そして、その宗教観というのが『①怨霊信仰』『②言霊信仰』『③ケガレ忌避』と考えられる(参考:井沢元彦著逆説の日本史22明治維新編第六章補遺編)。
ということで、それぞれの宗教観の悪い面について以下で述べようと思う。
①怨霊信仰
日本では、あらゆる災厄が怨霊の仕業なのだから、怨霊鎮魂こそが政治上の最重要課題であった。
言い換えると、怨霊鎮魂さえ上手くいっていれば世の中は丸く収まるのだから、できるだけ怨霊を発生させない、すなわち敗者を作らないようにできる限り競争を避けてきたわけである。そのため、令和の時代でもなんやかんや理由を付けて真の競争社会になっていない、ということになる。学歴社会(就職の条件に学歴を入れることで、競争を制限している)がそうだし、世襲議員(立候補者を制限して、敗者を少なくする)とか談合事件が多くなるのも、その表れと言えよう。
これが酷くなると、富を持つものは益々豊かになり、貧乏人は益々貧乏になってしまう。いわゆる貧困の連鎖と言う奴だが、努力をしない貧乏人が悪いという自己責任論や新自由主義的考え方は、いい加減止めるべきだ。日本には、今すぐにでも正しい競争原理(受験や選挙の際、貧乏人が有利になる制度等)を導入しなければならない。もし、この意見に反対する奴がいたら、『いつまで怨霊信仰に振り回されているんだ』と言ってやれば良いと思う。
そういうわけで、日本人は出来るだけ競争を避けてきたのだが、それでも怨霊(この世に恨みを持って死んだ人、政治的敗者)を発生させてしまうことがある(実際はただの思い込みだけどね)。そうなった場合は、その死者の恨みをなんとかして晴らそうと、生きている人が一生懸命行動することになる。
例えば、犯罪者を厳罰に処すとか、生きている人より死者の意思を優先させるといったことであろうか。
まあ、海外にもこういう事例はあると思うが、生者より死者の意思を優先するのは日本だけである。
第二次大戦時に顕著であったが、『○○の死を無駄にしてはならぬ』という理由で無謀な事業に邁進する状況に陥るのは、本当に避けたいと思う。
やはり、死者は既に居ないのだから、現時点で生きている人の意思なり都合で物事を決めるのが健全と言えよう。
②言霊信仰
言霊信仰とは、言葉は単なる記号ではなく霊力を持つといった発想であるが、こいつがある限り真の言論の自由はありえないと言うことになる。
言霊の世界では、もし戦争になった場合とか事故が起きた場合とか言うと、実際に戦争とか事故が発生してしまう(発言した人はそれを望むと改変される)ので、そういった悪いことは一切書けないし、考えることも出来なくなってしまうのである。
実際、戦争でも事故でも何時どのタイミングで発生するか分からないのだから、前もって備えておかねばならないのだが、言霊の世界ではそれが許されないのである。
ついでに言うと、『日本は平和憲法が守ってくれるのだから、軍隊などという不吉なものは不要である、廃止してしまえ』というのも言霊である。「平和、平和」と口に出していれば世の中は平和になるという考えこそが、言霊の全てである。
この辺りをきちんと意識して適切に対処しないと、気が付いたら日本滅亡となっていそうで実に怖いぞ。
③ケガレ忌避
日本の神道には、死穢(死によって発生するケガレ)が諸悪の根源であるという信仰がある。
死穢は、目に見えない計測不能な物で全く根拠はないが、確かに実在するものと日本では信仰されてきた。
そして、ケガレは水に流す(ミソギ)ことで排除したのだが、職業上どうしても死穢に触れなければならない人も存在する。いわゆる、皮革業者や軍人等だが、彼らはケガレの多い存在として差別の対象となった。
本作品で武士が東夷として差別の対象になっているのは、このケガレ忌避が原因である。
そして、現代日本における軍人の地位が低いのも、軍隊不要論が出てくるのも、ケガレ忌避によるものなのである。
いい加減、死穢などという根拠のないものに振り回されて人を差別するようなことは、終わりにしましょう。