図書寮の日々
なにやら、尊氏と大塔宮の間がきな臭くなってきたが、今は雌伏の時。
俺は、この間に仲間を増やし、力を蓄えねばならぬ。
いくら就職氷河期世代の実力を見せつけたいと思っても、結局力が無ければ潰されるだけだしな。
ということで、大枚をはたいて珍しい書物を集める一方、新着図書や書評などを掲載した瓦版(図書新聞)を作って広報活動を始めてみたよ。
そのせいか、最近は図書寮を訪れる公家や武家も増え、さらには光厳上皇も図書寮に立ち寄ることがあった。光厳上皇は北朝の初代天皇だからな。顔見知りになっておいて困ることはあるまい。
さて、さらっと出てきた光厳上皇だが、この上皇の存在も日本の非常識を証明する良い証拠である。なぜなら、日本以外の国なら後醍醐帝が建武政権を発足させた段階で処刑されているはずだからだ。なぜ、光厳上皇が生かされているのか。それは、どう考えても怨霊を発生させたくないからであろう。まあ、親戚同士で殺し合いをせずに済むのは良いことだが、怨霊を発生させないために政敵を生かしたことが理由で南北朝という戦国時代になったのも事実である。やはり、怨霊信仰には良い面と悪い面が同じくらいあるねえ。ちなみに、光厳上皇は後で重要な役割を果たすことになるので、覚えておいてね。今言えるのは、光厳上皇は現状に対して強い怒りを秘めていることかな。なにしろ、後醍醐帝によって即位を無かったことにされた天皇だからね。光厳上皇の怒りが、やがて日本を二つに分ける戦争の火種となるのだった。
話を図書寮に戻す。
えーっと、今日図書寮に来ている奴はどこのどいつだ?
二条良基、万里小路藤房、世尊寺行尹、卜部兼好達か。何かさー、こいつらは本よりも俺の昼食目当てで来ているんじゃないかって気がするよ。
ちなみに、料理作りは尹子殿に手伝って貰っているぞ。
「今日は天ぷらそばだぞー」
と声をかけると、皆がすぐさま寄ってきて、昼食を食べつつ昨今の政治について議論を続けるのだった。こいつらは俺の言う制度、すなわち『この国を実際に動かしている階級の代表者に、天皇が大政を委任する』ことに拒否感は無いようだった。現実主義者なのかな。
そうそう、話は変わるけど最近『近思録』や『資治通鑑』を読みに来る武士がいるんだよね。
『誰だろうな』と思い、声をかけてみることにした。
「俺は、図書頭をやっている新田左馬助義貞だ。貴殿の名をお聞かせいただきたい」
その武士は、『児島三郎高徳』と名乗った。後世、太平記の作者として伝わる人物だね。
「毎日、熱心に本を読んでいますね」
「いやあ、本は良いですなあ。これほど多くの本が読めるとは、故郷の播磨から京へ上ってきた甲斐があったというものです。私はね、本を通じて歴史上の多くの賢人と対談しているのですよ。本が有るからこそ、後世の人々は彼らの考えを知ることができ、彼らの先へと進むこともできるのです」
「本が無ければ、情報の蓄積も共有もできませんからな。当然、文明の進歩もあり得ないということになるでしょう」
「素晴らしいご意見ですな。流石、図書頭をやっているだけのことはある」
「児島殿、こちらで昼食を食べながら話でもしませんか」
「良いのですか。ご迷惑ではありませんか?」
「大丈夫、大丈夫。本好きに悪い人はいないってね」
こうして、俺の読書仲間に児島高徳が加わったのだった。
せっかくの有名人だから、後で新田軍に誘って右筆にするのが良いかな。それで、戦が終わったら太平記を書かせるとしよう。
元弘三年十二月二十日
季節は巡り、冬となった。
俺は、図書寮の仕事をこなしながら、南蛮船が完成して西国に来るのを、一日千秋の思いで待っていた。
というのも、十二月十四日に足利直義が成良親王を奉じて鎌倉に下ってしまったからである。
できれば、直義に南蛮船を見せたくなかったのだが、五ヶ月じゃあ完成できないだろうしね。
多少見られるのは仕方がないか。
早く南蛮船を完成させて、新田荘から京に様々な商品を運べるようになれば良いな、なんてね。
◇足利直義視点◇
鎌倉に来てまず驚いたのは、見たことの無い建築資材で建てられている建物が多数存在したことだ。
これは何なのだろう?
壁を叩いたり押したりしたところで、びくともしない。
住人に聞いてみると、新田家の職人がわずか数日で建てたとのこと。
それが事実であれば、短期間で築城が可能となるではないか。
建物を破壊して壁の中を調べたいが、そんなことをしたら鎌倉中の住民を敵に回してしまうのだろうな。
かといって、義貞に聞いたところで『軍事機密』を素直に話すはずもないし、いったいどうしたものか。
あと、港で変わった形をした帆船が作られているのも気になった。
船大工どもは普通の船と言い張っているが、私の目はごまかせんぞ。
案の定、発注者は義貞であった。
大きな音を発して爆発するという新兵器も、義貞が発明したと聞いている。
私は日本一の天才で、兄上の作る幕府では副将軍となるべく生まれてきた男だ。
そんな私にとって、義貞ごときを理解できぬなどあってはならないことだ。
だが、不思議な建物も、変わった帆船も、大きな音を出す新兵器も私には理解できぬ。
私が日本一の天才であり続けるためにも、義貞には消えてもらうより他あるまい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
建武元年二月一日
今日は、待ちに待った南蛮船の到着予定日である。
俺は、朝早くから渡辺津(大阪府大阪市)に赴き、南蛮船の到着を今や遅しと待ち構えていた。
おっ、あの特徴的な二本マスト(帆柱)のスクーナー船は、まさしく前世の博物館で見た『ヘダ号』ではないか。
やったー、半年以上かかったけど、ようやくこの時代に南蛮船を再現することができたぜ。
渡辺津に入港した南蛮船から、寅吉たち船大工や上州屋などの商人が次々と降りてきた。
船大工たちは、年内に完成させられなかったことを頻りに詫びるが、俺としてはこうして皆無事に大阪まで来たことを、素直に褒めたいと思う。
だから、船大工たちには『気にすんな』と言っておいたよ。
商人たちは、新田荘から運んできた梅酒・醤油・麦芽糖・シイタケ・マツタケなどを京で高く売り捌いてやると意気込んでいたよ。
ちなみに、青銅砲も完成していたようで、南蛮船に4門ほど据え付けられていたよ。
鋳物師の弥右衛門には、後でボーナスを与えないといかんな。
では、関東から運んできた商品は、川船に積み替えて京で販売するとしよう。
船大工には、数日休暇を与えた上で、播磨国に直行させて南蛮船建造や水夫の育成をさせるのが良いかな。
それじゃあ、完成した南蛮船を使って日元貿易を始めるとするか。
日本刀とか乾物(椎茸、アワビ、ナマコなど)などを元に輸出すれば、大量の銅貨を輸入できるであろう。
日本海を北上して、蝦夷地と交易するのも良いかもしれんな。
そして、その財力をもって俺が越前で犬死する運命を変えてやるぜ。




