北畠親房・顕家
元弘三年十月上旬
俺は、図書寮で紙・墨・筆を作ったり、本を集めて写本したり、(由良)具滋に集めさせた情報を吟味したり、尹子に字を習ったり、逆に料理を教えたりして過ごしていると、いつの間にか季節は巡り、秋となった。
この頃、陸奥守鎮守府大将軍に任じられた北畠顕家が、父の親房とともに義良親王を奉じて陸奥国へ下向する、という情報が俺の下に流れてきた。
村上源氏中院流北畠家の親房と顕家かー。
親房の著作『神皇正統記』では、新田義貞のことを『高氏が一族也』って書いてあるんだよね。
このこと一つ取っても、この時代における新田家の地位の低さが分かるであろう。
要するに、足利家を何とかしないかぎり、新田家が源氏嫡流になって天下を取ることなどあり得ない、ということになるわけだ。
話を戻す。
親房は当代でも一二を争う知識人であるし、顕家は公家の生まれにもかかわらず武家以上の軍事の才を持っているからな。
敵になるか味方になるかはわからぬが、南朝の重鎮となる親房や顕家の顔を見ておいて損はあるまい。
ということで、今回は息子の義顕も連れて北畠家を訪問することにした。
分かってはいたけど、顕家は若いね。まだ数え年で16歳かー。
そういえば、親房と顕家って武家に当たりが強い(差別的な)ことで有名なんだよね。
俺は進物を親房に差し出し、親房の反応を見た。
「これは、新田荘で採れたシイタケです。どうぞ、お受け取り下さい」
俺は、内心戦々恐々としていたのだが、何事もなく普通に受け取ってくれたよ。
おそらく、新田家も北畠家と同じ源氏だから、俺のことも好意的に見てくれているんじゃないかな、ってそうじゃない。俺は、親房と顕家の男見物に来たんだろうが。
とりあえず、義顕には顕家の相手をさせるとするか。
「義顕、お前は顕家殿に顕微鏡で色々な物を見せて、反応を探れ」
「承知しております」
それじゃあ、俺も親房の考え方を知るために色々と質問をしてみようかな。
「えー、親房殿は日本の歴史について大層お詳しいと伺っております。親房殿の歴史観についてご教授頂けたら、幸いに存じまする」
「ほー、何をしに来たのかと思えば、義貞殿は歴史に興味がお有りか。そういうことであれば、私の知る限りの話をして進ぜよう」
「よろしくお願いします」
「大日本は神国である。日神長く統を伝え給う(皇統は万世一系)。これは我が国だけで、他国にその類いなし。此れ故に神国と云うなり」
「つまり、万世一系の天皇家が治める日本は神の国ですごいんだぞー、と他国(主に中国)に対して宣言しているわけですね」
「まあ、そういうことだ。ただ、いくら天皇であっても、自身に徳がなければ『武烈天皇から継体天皇』のように別系統に移ることもあろう。そして、臣下も高位に昇って奢ることあらば、平家のように滅亡する羽目になるわけだ。であるから、一時の功で高位や領地を望むことは慎むべきである。新田家も八月の除目で四ヶ国の国司を賜ったが、直ちに返還して小所を望むのはいかがか。さすれば、他人に恨まれることもなくなり、領地は子々孫々に受け継がれ、お家も全うできることであろう」
「唐土の諺に『隗より始めよ』というものがあります。帝や大塔宮、三位内侍(阿野廉子)が領地を返上したら考えましょう」
「フフフ、話を続けるぞ。日本の領土には限りがある。(功を立てた者が)一国ずつを望まば、66人にてふさがってしまう。仮に一郡ずつであったとしても、日本には549郡あるので549人は喜ぶが、恩賞を貰えなかった一千万人は喜ばぬであろう。昔は人の心正しくて、平将門の事と次第を見たり聞いたりして(謀反を思い企てることに)懲りたものだ。奥羽の泰衡を追討せし折りにも、その功の優れたる者はあえて小所を望んで賜った。これは、人々に広く賞を与えんが為なり。それに対し、今は事にふれて君を落とし奉り、身を高くする輩ばかりが多くなるなど、この世は衰え果ててしまった。しかし、思いがけず一統の世(天皇親政の世)となったので、本来の日本の姿(律令国家)に戻るかと思ったらそうではなかった。皆が恩賞を望んで京は大混乱となり、この世はいよいよ乱れて、まさに末世の至りといったところだ。この乱れは、行き着くところまで行かねば収まらぬのではないか、と密かに思う今日この頃だ」
(うーん、親房といえば常に自信満々で武家を差別しまくる印象だったが、思い通りにならぬ世の中を見て弱気になることもあったのだろうか。であれば、こんな質問はどうかな)
「源頼朝公と北条義時公について教えて下さい」
「ふむ、白河・鳥羽の御代より政道の古き姿衰え、後白河の御時に兵乱起こりて奸臣世を乱す。天下の民の暮らしは塗炭に落ちるが、頼朝一臂を振るいてその乱れを平らげたり。頼朝の勲功は類いなき程であるため、源氏三代で滅んで(北条)義時の世になっても、背くものは一人もいなかった。頼朝は高官に昇り守護・地頭の任命権を得たが、これは(後白河)法皇の勅裁によるものであって、朝廷から盗んだものではない。宮中が落ち着き、萬民の肩が休まったのは頼朝の徳政によるものである」
「つまり、源氏が三代で滅んでも北条家の世が続いたのは、天皇家の失徳と頼朝公の徳政によるものというわけですね」
(ふむふむ、やはり親房の考え方の根本に朱子学があるというわけだな)
「他に聞きたいことはないか」
「親房殿の思想の根本にある朱子学について、ご教授いただきたい。近思録を読んでみたのですが、どこから攘夷思想(例:東夷を滅ぼすのは正義)が出てくるのかいまいち分かりませんので」
「なんじゃ、義貞殿はそんなことも分からんのか。窮理については知っておるな」
「禅の不立文字に近い物でしょうか。ひたすら読書に打ち込んで道理を学べば、ある時ぱっと心が晴れて理(世界の法則)に精通するようになるといったことでしょうか」
「そこまで理解しているなら答えはすぐに出よう。唐人(中国人)になったつもりで理を考えるのじゃ。かの国には華夷秩序(中華思想)という考え方があり、唐人にとってはそれが理なのじゃ。だとすれば、どうなる」
「えーと、皇帝が統治する朝廷の文化と思想が最高で、そこから離れた人間(四夷)は文明の影響と恩恵を受けていない野蛮人だから、討伐して教化するのが正しい。そして、これは唐人(中国人)の持つ理だから、文章に表すまでもない(中国人の常識)ということか。そして、これを日本に当てはめると、天皇が統治する朝廷の文化と思想が最高で、そこから離れた武家政権は野蛮人の打ち立てたものだから、討伐して教化するのが正義すなわち攘夷思想が出てくる訳かー」
(うわあ、朱子学は想像以上にやべえな。そもそも、理なんてただの思い込みじゃねーか。中華思想に基づいて他国に内政干渉したり侵略する中国の行動は、全て正義なんだとさ。本当に、内政干渉や侵略される国は、たまったもんじゃないぞ)
「だから、帝(後醍醐)が鎌倉幕府を滅ぼして天皇親政の中央集権国家を設立するのは正義となる訳じゃよ」
「ちょっと待ってください。わたしの考える理は、親房殿の考える理と違います。理はひたすら観察を続けることで明らかになるものなのです。義顕、顕微鏡を持ってこっちに来てくれ」
義顕が顕家と共にこちらにやって来たので、親房に微生物・赤血球・植物細胞などを見せてやった。
「ふむ、顕微鏡を使えば目に見えぬ小さな世界を見ることができる訳か。で義貞殿、おぬしは何が言いたい。最新の学問である朱子学が間違っているとでも言いたいのか」
「朱子学では、万物は気(素材)でできており、その気に存在の根拠を与えるものが理となっておりますが、この通り池の水の中には目に見えぬ微生物がうじゃうじゃいますし、血液中には赤血球があり、生き物は細胞でできているのです。あくまでも、万物は気で形成されていると言い張るなら、気を目に見える形で示してもらう必要があります。やはり、朱子学の理気二元説は空論であると、わたしは考えます。よって、中華思想を無理やり日本に当てはめた倒幕理論並びに天皇親政の中央集権国家設立には根拠がないことになります」
「義貞殿は、父上だけでなく主上のお考えにも異議を唱えるというのか。朝臣であれば、主上のお考えに従うのは当然であろう」
怒り出す顕家を親房が制した。
「義貞殿は、武家といえど日本でも稀な知性と教養の持ち主ぞ。おぬしでは相手にもならぬわ。義貞殿、続けよ」
「わたしが言いたいのは、唐国(中国)と日本では考え方が違うこと。唐国を手本として、全ての制度を日本に導入する必要はないということです。資治通鑑をお読みになっている親房殿は御存じでしょう、唐国の政治は決して褒められたものでないことを。易姓革命についても、かの国は『徳有る者が皇帝となり天下を治める』ではなく、『皇帝として天下を治めているということは、その者に徳が有ったからだ』と逆転現象を起こしているではないですか。結局、あの国は天命を背景に皇帝が好き勝手やっているだけなのです。儒教は御存じの通り忠より孝を優先させますから、民は家族を第一に考え、公より私を重視することになり、自分の家族(一族)さえ良ければ他はどうでも良いという考えになります。一方、日本の誇る天皇家は万世一系で、誰でも皇帝になれる唐国とは違います。皇帝制と天皇制は全く違うものなのだから、いい加減他国の制度を輸入するのでなく、日本の風土に合った制度を独自に作りあげれば良いではないですか。もちろん、他国の良い制度を受け入れて、日本に合うように改変するのは有りです。しかし、日本に朱子学を導入するのは悪影響が多すぎます。特に、祖法を守ることを重視するあまり、新しい事態に全く対応できなくなるのは大問題です。朱子学の導入は止めておいた方が良いでしょう」
「ふむ、それで日本の風土に合った制度とは何じゃ」
「この国を実際に動かしている階級の代表者に、天皇が大政を委任するという制度です。今の日本は、武士がいなければ何もできない国になっています(農業は武装農民が、商業は武装商人が担当している)。であるから、天皇が武士の代表者に権力を与えることにして、武士の政権に正統性を与えれば良いのです。もし、武士以外の階級が育ち、国の運営に関わる実力を持つようになれば、その階級も政治参加させれば良いのです。というか、朝廷は武力を保持していないのだから、武士の代表者が幕府を開くと宣言してそこに日本中の武士が結集したら、朝廷にその流れを押しとどめることはできないのです。主上には朱子学の空論でなく、現実を見て政権運営して欲しいと思っております」
俺が話し終わると、親房は少し考え込んでから徐に口を開いた。
「ふむう、おぬしの言うことは尤もかもしれんの。だが、帝(または治天の君)は神の子孫であり、この国の正当な統治者である。わしら公家は、時に命を懸けて帝や治天の君を守り続けてきたのじゃ。やはり、この国では帝や治天の君の発言内容こそが正義であって、そこに疑問を差し挟む余地などない。朱子学の正邪については、歴史が証明するであろう」
うーん、やはり楠木正成と一緒か。人の志を変えるというのは難しいね。
そういえば、万世一系で言いたいことがあるんだった。
「親房殿、貴殿は先ほど『万世一系の天皇家が治める日本は神の国ですごいんだぞー』というようなことを言いましたが、わたしはこの考え方に異論を持っています」
「話してみよ」
「元々、日本は長い歴史を持つ唐国(中国)に対して強い劣等感を抱いていました。この劣等感を撥ね返すためにどうすれば良いか。我らの先人たちは、『天皇家は万世一系で家臣たちも官職を世襲している。これこそ、孔子の理想とする社会だ』と主張して、日本は唐国に勝るとも劣らぬ国ということにしたのでしょう。つまり、天皇家の万世一系は人為的なものであって、徳の有無(天皇家が有徳の家系)は関係ないと思います」
「言いづらいことを良くしゃべるのう。この話は、この場限りのものじゃ。他で言うでないぞ」
「承知しております」
会話の感触からすると、親房・顕家親子は歴史通り後醍醐帝(南朝)に殉じることになるのであろうな。
彼らとの会話の中で、俺はそんなことを思ったのだった。
◇三位内侍(阿野廉子)と高師直◇
「師直よ、わらわが何故そなたを呼び出したのか。その理由は分かっておるな」
「はて、最近尊氏様のお命を狙う輩が増えた件についてでしょうか」
「そうじゃ。黒幕は大塔宮(護良親王)ぞ。大塔宮は、武家からの人気が高い尊氏を妬み、密かに尊氏を暗殺しようとしておる。わらわは、これを見て見ぬふりは出来ぬ故、そなたに教えるのです。師直よ、大塔宮の魔の手から尊氏を守るのじゃ」
(さすれば、我が子に皇位を継がせるための最大の障壁が無くなるであろうしの)
「ハハッ、承知いたしました」
(フフフ、流石三位内侍。拙者が惚れた女だけのことはある。あの女の強欲ぶりには、拙者でも歯が立たぬわ。中流貴族の娘に過ぎぬ三位内侍が、己の美貌と才知で帝の寵愛を受け、皇子を授かり、その子の皇位継承の障害となる大塔宮を排除しようとしている、か。あの女は、最早自身でその欲を押し止めることが出来ぬのだ。権謀術数を駆使して国母となった暁には、彼女は何を望むのだろうか。日本を手に入れるだけでは飽き足らず、外国にまで手を出そうとするのだろうか。欲の暴走の果てに何があるのか、拙者はそれを見てみたい)
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