楠木正成
俺は、今まで足利兄弟、世尊寺家の親娘、赤松親子と会って話をしてきたのだが、この時代最大の『花形役者』楠木正成に会っていないことに気付いた。
日本一の大忠臣に会わなきゃ、この時代に生まれてきた意味は無いよね。
ということで、早速使いを出して、楠木正成の男見物に行くこととした。
義助は『またフラフラしているよ』なんて不満そうな目で俺を見ていたが、正成と仲良くすることは、新田家のためでもあるんだよね。
正成であれば、俺が世のため人のために行動し続ける限り、俺の味方であり続けるはずだ。仮に敵対関係になって、俺が京から逃げ出す羽目になったとしても、正成はあえて俺を見逃すであろう。建武三年正月の戦いで敗れて京を逃げ出した尊氏を、正成がわざと見逃したようにね(出典:梅松論)。
後醍醐帝の忠臣でガチガチの朱子学信者だったとしても、この時代最高の戦略家である正成には、どうすれば世の中が治まるか分かっていたはずだ。
すなわち、天皇は君臨すれども統治せずという状態にして、政治や軍事などのケガレ仕事は武士の代表(征夷大将軍)に任せるという、朝幕並立体制の復活しかないことをね。
話が長くなったが、本当に正成が俺の思うとおりの人間であれば仲良くするさ。
そうでなければ、ほどほどに付き合うことにするかな。
正成の宿所に着いた俺は、早速門番に取り次ぎを頼む。
すると、正成が自ら出てきて、俺を客間へと案内した。
挨拶と進物の遣り取りが終わると、早速本題に入ることとした。
「えー、正成殿がわずか数百の兵で幕府軍十万余を引きつけ、九十日以上屈しなかったため、全国に討幕運動が飛び火し、結果幕府は倒れて此度の新政に至るわけですが、帝から東夷(幕府)征伐の相談を受けた際、本当に倒幕は可能という確証はあったのでしょうか?」
「いいや。確証は無かったが、あの場では『たとえ緒戦は負けても、正成ある限り必ず勝つ』と答えるしか無かったのだ」
「まあ、そうでしょうね」
俺は、正成の答えに納得した。
ここ、日本人の思考回路を考える上で重要なのだが、偉い人からプロジェクトの成否について相談を受けた時に、決して『失敗するので止めましょう』と答えてはいけないのである。
いわゆる『言霊信仰』が、ここで出てくるわけだ。
つまり、言霊信仰は『プロジェクトは失敗する』という意見を『プロジェクトの失敗を望んでいる』に変えてしまうのである。
言霊の世界では、口に出したことは実現するのだから、後ろ向きな意見など一切言えなくなってしまうわけだね。
そして、そのプロジェクトの実行中に死人が出ていたりすると、益々中止になど出来なくなってしまうのだが、これは『怨霊信仰』によるものである。
つまり、『誰それの死を無駄にするな』と言って、生者より死者を優先することになるから、行き着くところまで行かないとプロジェクトは終わらない、ということになるのである。
言い換えれば、『一度動き出した事業は止まらない』といった感じかな。
日本人が、損得を冷静に考えて、不採算事業は速やかに廃止するといったことが苦手なのは、おそらく『言霊信仰』や『怨霊信仰』のせいなんだろうね。
こんな感じで書いてくると、『言霊信仰』と『怨霊信仰』はものすごく悪いことのように思えてくるが、当然良い面も存在する。
『言霊信仰』は国民の識字率を劇的に向上させたし、『怨霊信仰』は日本を敗者に優しい社会にしただけでなく、怨霊鎮魂のために独特な文化が花開く国にもしたわけである。
言語に霊力が宿っていると信じる人間なら、そりゃあ一生懸命言語を覚えるだろうね。そして、敗者に優しいということは、外国みたいに敗者の文化を破壊したりせずに、後世に残す(伝統文化を大事にする)ことになるのであった。出雲大社や平泉の中尊寺金色堂は、その典型例といえるであろう。
言霊信仰は、和歌や物語を書きたいがために仮名文字の発達を促し、怨霊信仰は寺社や大仏の建造に伴う建築技術の発展や和歌・小説・演劇の異様な発達などをもたらしたのである。
余談だが、最近よく議論される転生ものが多すぎる問題についても、怨霊信仰の影響があると俺は思っている。特に、若くして非業の死を遂げた主人公が転生先で無双するなど、まさに怨霊信仰そのものではないか。言い換えると、トラックにはねられたり断罪されるなどして死んだ主人公(悪役令嬢も含む)はこの世に恨みや未練を持っており、放っておくと怨霊になってしまうから、転生先で無双させて良い気分になってもらおう、というわけである。これこそが、日本の誇る鎮魂技術『顕幽分離主義』ね。死者がいくら物語の中(または異世界)で活躍しようと、生者にとって何の問題もないのであった。
これらのことをきちんと認識した上で物事に対処するのであれば、第二次大戦時の軍部みたいに日本人が暴走して大失敗することも少なくなるのではないか、なんてことも思ったりした。
余談が長くなったけど、話を戻すよ。
俺は、後醍醐天皇のやろうとしている天皇中心の中央集権国家が上手くいくか、正成に聞いてみることにした。
「正成殿、帝は『延喜・天暦の治へ還れ』と言って日本を天皇中心の律令国家に作り変えようとしているようですが、はたして上手くいくものでしょうか?」
正成曰く、
「難しいだろうな」と。
「実際、醍醐・村上の御代と現在では、社会の中身が全く違いますからな。その際たる違いは、武士の有無でしょうか」
「そうだ、日本は武装農民・武装商人の国となって久しいのに、今更律令を持ち出したところで大混乱するだけであろう。だが、わしは帝の忠臣であり続けるぞ。もし、志し半ばにして倒れるような事があっても、わしは帝のために七度生まれ変わって朝敵を討つであろう」
(うん、楠木正成は信念の人か。このような生き方はとても悲しいけれど、潔くて美しくもあるね)
「承知致しました。だが、俺は俺なりに、民が幸せに生きることのできる世を創りたいと考えております」
「義貞殿、貴殿は理想主義者ですな」
「いや、正成殿ほどではありませんよ」
「「フハハハハー」」
いやー、楠木正成は予想通りの人だったね。
でも、ガチガチの朱子学信者だから、王者たる帝を支える以外の生き方はできないのであった。うーん、残念。




