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上洛

登場人物

新田義貞(五領徳業):主人公。新田義貞に転生して、犬死人生を回避するため悪戦苦闘する。物語開始時33歳

祟り神(新田義貞の怨霊):ネズミや天狗を使役することができる

新田義顕:新田義貞の子、16歳

脇屋義助:新田義貞の弟、32歳

脇屋義治:脇屋義助の子、11歳

船田義昌:義貞の執事

新田四天王:栗生顕友、篠塚重広、畑時能、由良具滋

岩松経家:新田一族。先祖が足利家から新田家に婿入りしているので足利寄りの行動が目立つ

足利高氏:いい人。勇敢で戦に強く、人にやさしい。頭は良くない。力ある者が弱い者を従える弱肉強食の社会創造を目指す

足利直義:策略家、政治向きの人。得宗専制時代の政治を理想としているので、バサラ大名と馬が合わない

元弘三年七月二十日


夏だー。

暑いけど、令和の時代に良くある、うだるような暑さではないねえ。

さて、いよいよ上洛のために鎌倉を出発する日がやってきたのだが、新田一族の一員である岩松経家は、出発の準備を全くしていなかった。

俺がそのことを指摘すると、経家曰く『千寿王を補佐するために自身は鎌倉に残る』とのこと。

もともと岩松家は足利寄りだし(岩松家の祖先は足利家から婿入りしてきた)、高氏から何か指示でもあったのかな。

まあ、鎌倉に残ると言っている者を、無理矢理京まで連れて行くわけにもいくまい。

ただ、一つ気になるのは、鎌倉に残った経家が二年後に起こる中先代の乱で戦死していることなんだよね。

敵か味方か定かでない経家であっても、死ぬのが分かっていて何もしないのは寝覚めが悪い。そこで、北条家の残党との戦いで危機に陥ったら、現在築城中の新田金山城ニッタカナヤマジョウに逃げ込むようアドバイスをしておいたのだが、この親切心が後々危機を招くとは、今の俺には思いもよらなかった。


「えー、料理人は全員京へ連れて行くぞ。職人は、俺が指定した奴以外は全員新田荘に向かわせろ。石灰窯などの設備や資材を新田荘に送るのも忘れるなよ。船大工たちは鎌倉で南蛮船建造を続けるように。それじゃあ、我らは京へ向けて出発することにしよう」

こうして、くそ暑い中、俺は新田軍一万を率いて京へと向かった。

俺たちは、ひたすら東海道を西へと進む。

駿河国で見た富士山は、令和の時代と変わらず美しかった。

違いといえば、宝永山がまだ無いことかな。

駿河国かー。

たしか、今度の論功行賞で義助に与えられるんだよな。

であれば、富士金山(静岡県富士宮市)に金山衆を派遣して、砂金なり山金なりを採掘させれば良いんじゃないの。

そんなことを考えつつ、駿河国を通過する。

次の遠江国は足利直義に、さらにその次の三河国は足利高氏に与えられるんだよな。

(遠江国相良の臭水とか欲しかったなあ)

などと思いつつ浜名湖の近くを通ったのだが、この時代の浜名湖は未来と違って淡水湖であった。

ちなみに、浜名湖が汽水湖になるのは、明応七年(1498年)に起きた明応地震とその津波によって、湖と海を隔てていた地盤の弱い部分が崩れてからだよ。

話を戻す。

浜名湖を過ぎれば三河国だが、三河と言えば、やはり木綿かな。

木綿・・・、欲しいねえ。

ということで、今の内に種を買い占めて新田荘に送ることとした。

木綿なら、関東でも栽培できるんじゃないかな。

やはり、南蛮船の帆に木綿を使いたいからね。

早めに大量生産したいものだ。

三河で木綿の種を買い占めた俺たちは、尾張から北上して東山道に移り、そのまま西に進んで近江国を経て、元弘三年八月一日ついに京へ入洛した。

令和の時代であれば、新幹線に乗ればすぐ京都なのだが、この時代(1333年)だと時間が掛かるねえ。

もしかして、『時代は俺に蒸気機関車を作らせようとしているのか?』なんてね。


さて、こうして京に着いたわけだが、これからどうすりゃいいんだ?

新田軍一万を収容できる宿の探し方など、知らんぞ。

まあ、宿が無ければ郊外でキャンプ生活を続けりゃあいいか、などと思いつつ京の大路を進んでいると、鴨川に掛かる三条大橋の手前で、俺に声を掛ける者がいた。

「新田義貞様でいらっしゃいますね。お待ち申しておりました」

その者は世尊寺家に仕える侍で、斉藤内膳と名乗った。

「我が主(世尊寺経尹)から、宿所に案内するよう申し付けられております」

「へー、そいつはありがたいな。それじゃあ、案内を頼むよ」

そうして連れてこられたのは、四条坊城の壬生寺であった。

「入り用の物は、何でもお使い下され。足りぬものは、寺の者に言えば揃えてもらえますぞ。ところで・・・」

内膳は俺の方を向いた。

「地方の武家が上京する際は、皆、東寺にいる足利殿を訪ねております。この後、特に用が無いようでしたら、足利殿の所へ挨拶に行くことをお勧めしますぞ」

内膳はそう言い残し、世尊寺家へと帰っていった。

あとで、お礼がてら世尊寺家を訪問するとしよう。


「・・・・・」

「えー、今まで散々苦労して倒幕を成し遂げ、ようやく京にたどり着いたと思ったら、既に高氏は将軍気取りだとさ。さて、俺たちはどうしたもんかな」

俺は、新田義顕・脇屋義助・大舘宗氏・江田行義・堀口貞満ら新田一族の主な者を集めて、今後の方針について相談した。

皆の主張は一致していて、『倒幕という一番重要な仕事を成し遂げた我らが、足利家の下につくなどありえない』という意見がほとんどであった。

中には、『高氏の方から我らに挨拶すべきであろう』『論功行賞が行われる前から、高氏は将軍気取りか。そのような傲慢な奴は、一度痛い目に遭った方が良い』という意見もあった。

うーん、やべえな。

このままだと、新田家と足利家の間で戦が起こるぞ。

というか、こいつらはまた怨霊の力で操られているんじゃないか。

どこからともなく祟り神が現れ、俺にこう呟いた。

『京は怨霊の力で満ちておるぞ。特に御所周辺がひどいな』

(つまり、御所にいる何者かが、怨霊の力を使って武士たちを同士討ちさせようとしていると、そういうことでしょうか)

『まあ、それで概ね合っていよう。それにしても、怨霊の力を操っている奴は、よほど武士が嫌いなようだな。武器を取って戦う武士さえいなくなれば、世の中は平和になるとでも思っておるのだろうか』

(なにを馬鹿なことを。そもそも、桓武天皇が軍隊を廃止したから日本は治安が悪化し、結果国民一人ひとりが武装しなければ生けていけない国になったんじゃないか。天皇家・貴族がケガレた軍隊や武士を排除して平和な世を作るという理論は、第二次大戦後の平和憲法さえあれば自衛隊や日米安保など不要という考え方に通じるものがあるぞ)

「しゃーねーな」

ということで、俺は再び『退魔の力』を振るって、皆を正気に戻すことにした。

(祟り神殿、少し離れていて下さい)

『承知した』

「祓いたまえ、清めたまえ、顕現せよ退魔の力!」

ピカッと光ってその光が収まると、前回と同様に皆は落ち着きを取り戻した。

「はっ、我々はいったい・・・」

「どうして、このような思慮の足りない発言をしてしまったのか」

「お前ら、また怨霊の力で操られていたぞ。今、京で争いを起こせば、我らは朝敵として一人残らず討ち果たされるであろう。皆は嫌かもしれぬが、今回はこちらから高氏のところへ挨拶に伺うほかあるまい。今は、力を蓄えるときだ。ひたすら恭順の意を示すことで、高氏の油断を誘うという作戦を取ろうではないか」

皆は『無念でござる』などと言っていたが、建武の新政が始まってもいないのに争いごとを起こすわけにはいかんから、致し方あるまい。

ということで、土産を持って高氏のいる東寺を訪問することとした。

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