家族がやってきた
元弘三年六月二十日 相模国鎌倉勝長寿院
俺は、相も変わらず着到状・軍忠状へのサイン書きをしながら、その合間に青銅砲やコンクリート製建造物の完成具合を見たり、機密情報を保持するための打ち合わせをしたり、醤油作りで退魔の力を放ったり、料理人に未来の料理を教えるなどして忙しい日々を過ごしていたのだが、そんな俺にさらなる突発イベントが発生した。
新田荘に残してきた家族が、鎌倉までやってきたのである。
まあ、倒幕という大仕事を成し遂げたのに、仕事にかまけて家族をほったらかしにしていた俺が全面的に悪いのは認めよう。
ということで、数日間家族サービスに費やすことを決めたのだった。
義助の妻子も一緒に来ているから、新田一族は皆で数日間の休暇を取ることになった。
「保子、知子、宣子、仕事にかまけて連絡しなかったことは謝る。本当にすまん」
俺は妻たちにこう謝り、そして頭を下げた。
「義貞様、頭をお上げください。義貞様は新政権における主要人物の一人ですから、家族より仕事を優先するのは当たり前のことでございます。義貞様は、今後活動場所を京に移されるのでしょう。なので、その前に一度だけでも直接会っておきたかったのです。新田荘は伯父上(安藤聖秀)・父上(安藤重保)と私たちで守りますので、義貞様は心置きなく京でお仕事に励んでください。あと、現地妻を迎えるときは、私たちにひとこと断ってからにしてください」
「いきなり現地妻だなんて、そんな予定はないデスヨ」
勾当内侍のことが頭によぎるが、会ったこともない人のことを考えても意味ないしね。
「「ちちうえー」」
「おお、徳寿丸(義興)と太郎(義宗)か。二ヶ月ぶりだが、少し大きくなったのではないか」
徳寿丸が次男で太郎が三男だが、誕生日は半月しか違わないので、二人とも三歳(数え年)である。二人の頭を撫でていると、長男の義顕も駆け寄ってきた。
「母上、お久しぶりにございます」
「身体の具合はいかがですか?」
「全く問題ありません。すこぶる元気です」
「くれぐれも、体調には気をつけるのですよ」
なんてことを、義顕と保子は話していた。
やはり、『子の心配をせぬ母などいない』と言ったところか。
うーん、久しぶりに家族が再会したのだから、何か思い出に残るようなことがしたいよな。
そうだ、あれなんか良いんじゃないか。
俺は、妻たちに提案した。
『料理人に何か食べ物を作らせるので、それを持って鎌倉の海でも見に行かないか』と。
俺と妻たちは、馬上の人となって鎌倉の海岸へと向かう。
もちろん、この時代の女性は騎馬くらい普通にできるよ。
徳寿丸は俺の愛馬である山風に乗りたいと言ってきたので、俺の前に座らせて海岸へと向かった。太郎も一緒に行きたそうにしていたが、子供二人を馬に乗せるのは怖いからな。太郎は帰りに乗せてやるとしよう。
それにしても、久々に徳寿丸を見て分かったことだが、こいつは結構強い『退魔の力』を持っているんだよね。やはり、母親の宣子が抜鉾神社神職の娘で、俺と同様に退魔の力を持っているからであろうか。後々のことを考えると、神社で修行をさせておいた方が良いのかな。そんなことを考えながら馬に揺られてしばらく進むと、鎌倉の海岸に到着した。
徳寿丸と太郎はもちろんのことだが、保子・知子・宣子も海を見て大興奮しているぞ。
やはり、上州人にとって海というのは特別なものなのだな、なんてね。
まあ、興奮して海で溺れたら大変なので、身辺警護をしている忍びたちに安全確保をさせた上で、皆で海を楽しむことにしたのだった。
「「保子様、それっ」」
知子と宣子が保子に海水を浴びせる。
「やりましたね。知子様、宣子様、それっ、それっ」
保子も負けじと、知子と宣子に海水を浴びせる。
「「「キャッキャッ、ウフフ」」」
おーっ、なんか百合っぽいぞ。
ちなみに、徳寿丸と太郎は俺のそばで砂遊びをしているよ。
義顕は、岩場で釣りをしているようだった。
やはり、十六歳の少年にとって、母と一緒は照れくさいのだろうか。
「「「義貞様も水遊びをしませんか?」」」
と三人が呼ぶけれど、俺は百合の間に挟まるつもりはない。
「俺が徳寿丸と太郎を見ているから、三人は海を楽しむといいよ」
「「「そうですか、残念です」」」
と三人は言うが、波打ち際を走るなどして楽しそうにしていた。
まあ、こうして日頃の疲れを癒やせばいいんじゃないかな。
しばらく海で遊んでいると昼時になったので、皆で食事を取ることにした。
弁当の蓋を開けると、そこにはおにぎりとどら焼きが入っていた。
早速おにぎりを頬張る妻たちであるが、中の具に衝撃を受けたようであった。
「「「この美味なる具は何ですか」」」
おにぎりの中には、昆布やアサリの佃煮が入っていた。
「これは佃煮だな。昆布やアサリを醤油・味噌・酒・砂糖で煮詰めて作るものだよ。なかなか甘塩っぱくて美味いだろう」
「「「醤油とは何ですか?それに、砂糖のような高価なものが、簡単に手に入るものなのですか」」」
「醤油は、俺が味噌作り職人に命じて作らせた調味料さ。砂糖というか、厳密にいうと麦芽糖なのだが、それも職人に作らせているよ。砂糖のような強烈な甘さはないが、まろやかな甘味も良いものだろう。醤油も麦芽糖も、少量であれば分けてあげられるよ」
「「「ぜひ下さい。これがあれば、素晴らしい料理を作ることができましょう」」」
「まあ落ち着け。せっかくだから、どら焼きも食べて感想を聞かせてくれ」
それでは、ということでどら焼きを食べる妻たちであったが、またもや衝撃を受けたようであった。
「なんなんですかこれは。こんな美味しいお菓子、生まれて初めて食べました」
「これは、小豆の餡ですか。実に上品な味ですね」
「餡を挟んだ皮?えーと、『ぱんけーき』というのですか。外は香ばしく、中はふわふわで、ほんのり甘くて、たいそう美味しゅうございます」
「喜んでもらえて何よりだ。あとで作り方を教えてやるから、新田荘に戻ってから試してみるといいよ」
「「「義貞様、有り難うございます」」」
こんな感じで、俺たちは午後も海遊びに興じたのだった。
まあ、こういう機会でないと、家族サービスもできぬからな。
京へ行く前に家族に会えて、本当に良かったよ。
翌日は、鎌倉の寺社巡りをするなどして過ごした俺たちであったが、家族との楽しい時間もあっという間に過ぎ去って、妻たちが帰る日となった。
俺は、かねてから考えていたことを保子たちに話した。
「本当に申し訳ないのだが、最低でも二年、下手すると五年以上新田荘に戻れないと思う。でも、これだけは約束しよう。必ず生きて新田荘に帰ると。俺が新田荘に帰る時、それは世の中が平和になった時だ。世が平和になれば、民たちも旅行などして遊ぶ余裕が出てこよう。だから、君らには藪塚の地(群馬県太田市藪塚町)に温泉街を作ってもらいたい。藪塚の地に、霊験あらたかな冷泉が湧いているのは知っていよう。その冷泉を用いた湯殿をたくさん作った上で、食事処・射的場・劇場・ボウリング場などの施設を併設すれば完璧だな。俺は、皆で温泉に浸かることを夢見ながら、これからの戦いに臨むことにするよ。これが計画書と建物の設計図だから、よく読んでおいてくれ。あと、何者かわからぬが、怨霊の力を振るってこの世に破壊と混乱をもたらそうとしている奴がおるようだ。そこでだ、宣子と徳寿丸は抜鉾神社(宣子の実家)で修行をしてきて欲しいのだが、どうだろうか。怨霊との戦いともなれば、二人の退魔の力は必要不可欠だからな」
そして、宣子と徳寿丸に鬼丸を託した。徳寿丸が鬼丸を自在に操れるようになれば、怨霊との戦いも上手くいくであろう。
「承知いたしました。実家だけでなく、榛名神社や赤城神社にも赴いて修行いたしましょう」
「ちちうえー、とくじゅまるもがんばります」
「おお、よく言ったな。偉いぞー」
俺は、徳寿丸の頭をなでてやった。
「ちちうえー」
太郎も俺の近くに寄ってきて目で訴えた。
うーん、徳寿丸に鬼丸を渡したのだから、太郎にも何かやらないと差別になるよな・・・。
そうだ、太郎には『論語』『報徳記』『二宮翁夜話』をプレゼントしよう。
俺は、朱子学は空論ばかりで嫌いなのだが、論語は好きなんだよね。結構、良いことも書かれているし。
そして、孔子が後の世に伝えたかったことを最も良く理解していた人物(孔子の道統を引き継いだ者)が二宮金次郎だと、俺は思っている。『報徳記』『二宮翁夜話』は、そんな二宮金次郎の言行録ね。ついでに、俺の書いた世界地図もくれてやるとしよう。
「太郎には論語・報徳記・二宮翁夜話と世界地図をやろう。お前は義顕の良き重臣となるよう、一生懸命勉学に励むのだぞ」
「しょうちしましたー」
太郎の頭は、俺と義顕の二人でなでてやったよ。
ちなみに、この時に渡した世界地図がオーパーツとして後世の学者たちを悩ませることになるのを、その時の俺はまだ知らない。
話を戻す。
この時、義顕まで俺の側に来て物欲しそうな顔をしていたのだが、『お前にはあとで家督と鬼切を渡すのだから、今回は我慢しろ』と言っておいたよ。
「それでは、しばしのお別れだ。皆も息災で過ごすように」
「「「義貞様、ご武運をお祈り申し上げます」」」
こうして、妻と子たちは新田荘へ帰っていった。
せっかくなので、妻子の護衛ついでに鍛冶職人やコンクリート職人たちを新田荘に送り込んでおいたよ。奴らには、温泉街作りや金山城の築城で活躍してもらうとしよう。
皆には幸せになって欲しいと心から思っているのだが、俺が選択肢を間違えたら、一家全滅なんだよな(義顕は金ケ崎城で自害、義宗は沼田荘で戦死、義興は多摩川の矢口渡で謀殺されて怨霊化)。
改めて、俺にのしかかる責任の重さを痛感するのであった。