建武の新政その1
登場人物
新田義貞(五領徳業):主人公。新田義貞に転生して、犬死人生を回避するため悪戦苦闘する。物語開始時33歳
祟り神(新田義貞の怨霊):ネズミや天狗を使役することができるぞ
新田義顕:新田義貞の子、16歳
脇屋義助:新田義貞の弟、32歳
脇屋義治:脇屋義助の子、11歳
船田義昌:義貞の執事
新田四天王:栗生顕友、篠塚重広、畑時能、由良具滋
岩松経家:新田一族。先祖が足利家から新田家に婿入りしているので足利寄りの行動が目立つ
保子、知子、宣子:義貞の妻たち
安藤聖秀:義貞の正室保子の伯父
鎌倉幕府滅亡後の六月五日、後醍醐天皇は京へと帰還した。
建武の新政がスタートしたのは、まさにこの日である。
『朕の新儀は未来の先例なり』と宣言した後醍醐帝は、光厳天皇の即位を無かったものとし、正慶の元号を廃止した上で、関白鷹司冬教を解任した。ちなみに関白を解任したのは、後醍醐帝が親政をするのに邪魔だったからだ。
一方、足利高氏は従四位下左兵衛督並びに鎮守府将軍に、直義は従五位下左馬頭に任じられたが、高氏の望んだ征夷大将軍は結局大塔宮護良親王に与えられた。
ここにおいて、幕府のトップを変えれば良いと思っていた足利兄弟と、幕府を否定し天皇中心の中央集権国家設立を目指す後醍醐帝との路線の違いが明らかとなった。
六月十五日、新政にとって最も重要で致命的なミスともいえる旧領回復令が発布され、その後も寺領没収令・朝敵所領没収令・誤判再審令などが次々と発布された。
これは、従来の土地所有権が全て無効とされ、新たに綸旨を得た者だけが土地所有権を主張できるということを意味するので、結果として京は綸旨を求める者で大混乱することとなった。
まあ、六月十五日をもって今までの土地所有権が白紙になってしまったのだから、大混乱するのも無理はないというか、無茶すぎだよね。
後醍醐帝も殺到する訴訟を裁ききれず、結局七月二十三日に『所領の安堵については国司に任せる』という宣旨を出して、六月十五日に発布された旧領回復令は撤回された。
結果的に、後醍醐帝の目指す律令政治(公地公民制)は大幅な後退を余儀なくされたのだった。
これ以降、後醍醐帝は朝令暮改を繰り返し、建武政権も崩壊するまで迷走を続けることとなる。
元弘三年五月二十三日 相模国鎌倉勝長寿院
幕府滅亡後、俺は北条一門が自害した東勝寺の近くにある勝長寿院に陣所を構え、ひたすら着到状や軍忠状に『承りおわんぬ(花押)』とサインしていた。これは、後々恩賞を得る際の証拠になるから重要なんだよね。
「兄者、お疲れ様です」
義助の差し出す茶を飲んで、一息ついた。
「義助、他の者は何をしている?」
「皆は、北条家の残党狩りをしております」
「じゃあ、それが一段落ついたら身内と信用できる家臣達をここに集めてくれ。あと、安藤聖秀殿の様子も見てきてくれないか。自刃していないなら、俺たちの仲間になってくれるはずだ」
「承知しました」
義助を見送った俺は、再び着到状・軍忠状へのサイン書きに戻るのだった。
その日の夜、嫡子の義顕、脇屋義助・義治親子、執事の船田義昌、新田四天王(栗生顕友・篠塚重広・畑時能・由良具滋)、飽間盛貞・家行・定長、吾妻行盛といった連中が俺の陣所に集結した。
なお、義助は安藤聖秀のスカウトにも成功していた。
「聖秀殿、よく来て下さった。これで、保子(義貞の正室で聖秀の姪)も喜びますぞ」
「ふん、まだ収穫量を二倍以上に増やすことのできる農法とやらを聞いていないからな。本当にそのようなことが可能であれば、そなたの家臣でも何にでもなろう」
「では、数日かけて聖秀殿に俺の知る農法を叩き込みますので、その後新田荘でそれを試してもらうことにしましょう。えー、皆にも念のために言っておくが、俺は未来の知識を持っている。多少歴史は変わっているが、この2~3年であれば俺の知る通りの歴史の流れになるはずだ。俺を信じるなら、俺の言う通りに動いてくれ。もし信じられぬのであれば、京にいる足利高氏殿の下に行くがよかろう。ちなみに、飽間盛貞・家行・定長の三人だが、本来であれば既に戦死して、あの世に行っているぞ」
「もちろん信じます」と速やかに宣言する、義顕と義助・義治親子。
「俄かには信じがたいことでございますが、殿が全戦全勝なのも確か。我々も殿を信じましょう」と答える、船田義昌と新田四天王と吾妻行盛。
「知らぬ間に命を助けられていたとは。どこまでも殿についていきます」と忠誠を新たにする、飽間氏の三人。
「義貞殿が以前わしに話した鎌倉幕府滅亡の原因は、未来の知識によるものだったのか」と納得する、安藤聖秀。
「では、全員俺に従ってくれるということで話を進めるぞ。聖秀殿には、塩水選・苗代作り・正条植えに加えて千歯こきや唐箕の作り方も教えるので、これらを用いて米の収穫量を倍増させていただきたい。あと、現在行っている椎茸栽培の規模も増やして欲しい。それと同時に、新田金山(群馬県太田市金山町)に難攻不落の城も築いてもらおうか」
「承知いたしました」
「飽間盛貞・家行・定長は、聖秀殿の仕事を手伝ってくれ」
「「「ハハッ」」」
「吾妻行盛は、本領(群馬県吾妻郡)に戻ってじゃんじゃん忍びを育成してくれ。忍びは、いくらいても足りないからな。全員雇ってやるぞ」
「ハハー」
「由良具滋(新田四天王の一人)と配下の忍者隊は、鎌倉中の屋敷の床下土を集めて、火薬作りをしてくれ」
「承知しました」
「船田義昌には、引き続き金の管理と資材の調達を任せる。工房とか石灰窯とか、場合によっては特殊な道具類も作ってもらう予定だから、責任重大だぞ。とりあえず、揃えて欲しい物を紙に書いてまとめておくから、後で取りに来てくれ」
「承知仕りました」
「栗生顕友・篠塚重広・畑時能は、料理人・大工・鍛冶師・鋳物師・陶工(焼き物師)・金山衆(金山経営を行う山師)などの職人を集めてくれ。色々と、やってみたいことがあるんだ」
「「「「我らにお任せ下され」」」」
「それで義顕と義助・義治だが、俺は農業や軍事の改革に専念したいので、お前らに新田一族の取りまとめを頼みたい。連中が不満を募らせて、我らに反逆することがないよう、よろしく頼むぞ。それから、もし俺に何かあったとしても新田家を盤石なものとするため、軍事・農業・商業・法律など俺の知る限りの知識をお前らに授けることとする。しっかり勉強しろよ」
「「「困難な仕事ではありますが、新田一族の取りまとめと勉学について、一生懸命励むことにします」」」
「皆には苦労をかけるが、これも我らが生き残るためだ。皆の力を頼りにしておるぞ」
こうして、俺は掛け替えのない仲間を手に入れたのだった。