まもなくデビュー戦の剣闘士、腹痛を起こすほど緊張しているところを闘技場王者に励まされる
俺はもうまもなく試合を控える剣闘士。
今の気持ちを率直に述べると、めっちゃ緊張してる。
そしてめっちゃ腹が痛い。
ホントもうすごい痛み。シクシクとかズキズキとかギリギリとかそんな感じのが全部襲いかかってきてる。
そのくせ便意とかはないんだ。ようするにただ痛いだけ。分かりやすいゴールがないタイプの腹痛。
もし今俺の腹をかっさばいて中身を見たら、きっとすごいことになってる。
胃袋とかうねうね動いてると思う。胃液とかザッパーンって感じだと思う。そんぐらい腹が痛い。マジ勘弁。
落ち着け、ポジティブシンキングだ。
闘技場で戦うからって決して負けイコール死ってわけじゃない。鎧もつけるしヘルメットもつけるし使う武器は木剣だ。大昔は真剣でやってたらしいけど、そんなんやってたら剣闘士はみんな死ぬか再起不能になっちゃって興行にならんしな。
詳しい数字は忘れたけど、確か数年に一人死ぬか死なないかってところじゃなかったかな。
死ぬじゃねえか。そう、死ぬことだってあるんだよ。
ほとんど死なないなんてデータは俺らにとっては全然慰めにならない。
たとえ死ぬ確率が10%だろうが0.1%だろうが俺らにとっちゃ生きるか死ぬかの50%にしか感じられない。
そういうもんだ、戦いなんてのは。
なんで俺は剣闘士なんて職業を選んじゃったんだろう。
ガキの頃、ちょっと剣術かじったら周りからすごーいなんて褒められて、父ちゃん母ちゃんからもお前には才能があるなんておだてられて、調子こいて田舎から王都に出てきて剣闘士になっちまった。
ホントバカなことしたもんだと思うよ。俺は俺を調子に乗らせたあいつらを恨むよ。
今からでも人生やり直したい。やり直したら絶対戦いとは無縁の職業につく。例えばなんだろう。役人とかさ、職人とかさ、学者なんてのもいいかな。
とにかく絶対剣闘士にだけはならない。
今からでも「試合棄権していいですか!」ってできないもんだろうか。できるわけないよな。
ああもう、腹痛い、腹痛い、腹痛い、腹痛い、腹痛い……。
***
ようやく腹痛が収まってきたので、俺は覚悟を決めて控え室を出る。
闘技場内の通路を歩く。
今の俺はきっと、緊張が服を着て歩いているような有様になっているだろう。
すると、前から一人の男が歩いてきた。俺と同じく鎧をつけている。
俺には誰だかすぐに分かった。
アダムさんだ。闘技場絶対王者といわれるアダムさんが歩いてきた。
金髪で厳めしい顔つきながら、どこか色気も感じさせる。正真正銘の大スター。全闘技場闘士の憧れといっても過言ではない戦士である。
俺は姿勢を正して、挨拶する。
「こんにちは!」
「やぁ、こんにちは」
アダムさんはにこやかに応じてくれた。
「ずいぶん緊張しているようだが、これから試合かい?」
「は、はい! 今からデビュー戦なんです!」
「なるほど、それは緊張するわけだ」
俺はアダムさんに問う。
「アダムさんもデビュー戦は緊張しましたか?」
「それはそうさ。なんなら今だって緊張してる」
「そうなんですか!?」
「戦いなんてのはそんなものだ。試合になったらがむしゃらになってしまう」
冗談の部分もあろうが、アダムさんほどの闘士でもやはり試合というのは緊張するものなのだ。
こんなチャンスめったにないと俺はさらに質問してしまう。
「アダムさんは……緊張した時ってどうしてますか?」
アダムさんは顎に手を当て、少し考えてから、
「そうだな……“素振り”かな」
予想外の答えが返ってきた。
「素振りというのは剣闘士にとって最も基本的な動作だからね。これを繰り返すことで自分は今まで頑張ってきたと思い出すと、自然と緊張もほぐれるものさ」
「なるほど……」
どことなく納得できない部分もあったが、俺はうなずいた。
「ま、どうしても緊張がほぐれないのなら試してみるといい」
「はいっ、ありがとうございます!」
「ああ、そうそう。君の名前は?」
「俺は……ウッドです。ウッドと言います!」
俺の自己紹介に、アダムさんは優しい笑みを浮かべてくれた。
***
なぁ~にが「素振りで緊張がほぐれる」だ。
なぁ~にが「試してみるといい」だ。
ふざけんな。どの口がほざいてやがる。
んなもんで緊張がすっかり消えたら苦労はしないんだよ。
緊張ってのはな、呪いみたいなもんなんだ。
取ろうと思って取れるもんじゃないの。まとわりついてくるの。俺の場合は腹痛までついてくるしな。めっちゃ腹痛い。
たかが素振りで緊張がなくなるならみんなやるっての。全人類みんな素振りするわ。
そしたらみんな筋肉ついて、ムッキムキだらけの世の中になるかもな。アハハ。
全然笑えねえっての。
だけど「どうしても緊張がほぐれないのなら試してみる」しかないんだよな。
溺れる奴は藁にもすがるってやつだ。
試合までまだ時間はある。とりあえず素振っとこう。
一回、二回、三回、四回、五回……。
***
いよいよ試合が始まる。
対戦相手は格上の剣闘士だ。といってもデビュー戦なんだから、同じ新人でもない限りみんな格上になるんだけど。
素振りはやったけど、正直あまり緊張はほぐれていない。
それにしてもものすごい観客の数だ。
俺は王都育ちで闘技場はいつも満員だってことはもちろん知ってたけど、戦う方になってみるとこの観客の熱気に圧倒されそうになる。
声援が全身に突き刺さるようだ。
開始の合図である太鼓が鳴らされ、俺は突っ込んだ。
ここからの攻防、しばらくはよく覚えていない。
アダムさんの言う通り、がむしゃらになってしまったからだ。とにかく無我夢中で剣を振っていた。
だけど少しずつ、少しずつではあるが、頭の中が冷静になっていく。
デビューに向けた厳しい訓練を思い出してくる。
もしかして、アダムさんが言ってたのはこういうことだったのかも、と分かってきた。
そうだ、これは本番の試合。だけどやることは訓練と一緒。
やるべきことはいかに相手の攻撃をかわして、自分の攻撃を叩き込むか。
――それだけだ!
対戦相手の鋭い振り下ろしを右にかわすと、俺はがら空きのボディに木剣を打ち込む。
「ぐふっ……!」
相手の動きが止まった。チャンスだ。
俺は全力の一撃を肩に叩き込んだ。
手応えあり。相手はたまらず剣を落とす。
「勝者、ウッド!」
俺の勝ちが宣告される。
痺れるような快感が俺の全身を駆け巡る。これが勝利の美酒ってやつなのか。
癖になりそうだ。きっと剣闘士たちは、この美酒を味わいたいがために今日も試合に臨むのだろう。むろん、あのアダムさんも。
大歓声に包まれながら、俺は思わずこうつぶやいていた。
「ありがとう……アダムさん……!」
***
いよいよ試合が始まる。
素振りしまくったけど全然緊張はほぐれてないし、無駄に疲れただけ。腹痛もバッチリ残ってる。いつも通り最悪のコンディションだ。
ああ、そういえば気になってたことがあった。
さっき会った……ウッドだっけ。あいつどうなったんだろ。ちょっと闘技場の係員に聞いてみよう。
え、マジ? あいつ勝ったの?
しかもデビュー戦とは思えない堂々とした勝ちっぷりだった?
なんだよあいつ、全然緊張なんかしてないじゃん。俺と同類だと思ってたのに裏切られたよ。あいつ絶対試験前には「勉強やってない」って言うタイプだよ。ホントはやってるのに。
先輩風吹かせて「素振りで緊張をほぐせ」なんてアドバイスした俺がバカみたいじゃん。
いや、まあ、あれほとんど出まかせなんだけど。実際、素振りしてる俺が全然緊張ほぐれてないし。むしろ緊張高まったし。素振りしたせいで、余計戦いを意識しちゃったわ。逆効果すぎる。
「そろそろ試合ですね。みんながあなたを待ってますよ」
うるせえな、分かってるよ。試合前にあまりプレッシャーかけないでくれ。ホントお腹痛いんだから。突っついたら爆発しちゃうよ。
「今日の相手はそこまでのランクではないですし、あなたなら楽勝でしょう」
ハードル上げるんじゃねえよ。ふざけんな。
俺は今までに一度だって、相手を楽だとか弱いとか思ったことはないし、楽勝だと思った試合だって一度もない。いつもいっぱいいっぱいなんだわ。圧勝したような試合もそう見えるだけなんだわ。
さっきのウッドとかいう奴だって恐ろしいもん。今日の夜、絶対あいつの夢見るよ。俺があいつにボコボコにされる悪夢。
まあそれも、今からの試合が無事に済めばの話なんだけど。勝敗なんてどうでもいいから、とにかく無事家に帰りたい。温かい布団にくるまりたい。
田舎の父ちゃん母ちゃん、俺に力を貸してくれ。
「ではアダムさん、試合場へどうぞ!」
「ああ、行ってくる!」
あーもう、やるしかない。めっちゃ腹痛いけど頑張る!
完
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