次の日の話
結局昨日はしばらく休んで、食欲がなかったから食べずに過ごそうとしていたら、扉の外から砂色の髪の人に声をかけられて心配されてしまったので、軽食を持ってきてもらって食べるなどした。ご飯は美味しかった。
今日はまた金髪の美形さんと赤髪のお兄さんと話の続きをする予定だ。朝ごはんを食べ終わってしばらくのんびりしていると扉がノックされた。美形さんとお兄さんが入ってきて、昨日と同じようにテーブルをはさんでソファーに向かい合って座る。
「昨日はゆっくり休めた?」
「はい。服とかも色々ありがとうございます」
赤髪のお兄さんから話しかけられて答える。転移してきたときはパジャマ代わりの服だったため、今日はもらった服に着替えていた。
「どーいたしまして。他にも必要なものがあれば言ってね。ってことで昨日の話の続きなんだけど」
お兄さんはちらっと美形さんの方を見ると、昨日はあまり話していなかった美形さんの方が話を続ける。
「まずは、自己紹介だな。昨日は名乗らずにすまない。俺の名前はクラウス・フォン・リーデル。この町で活動している特殊編成部隊の隊長をしている」
「俺はアロイス・フォン・シラー。同じく特殊編成部隊に所属していて、副隊長をやってるよ」
「えっと、東林寺奏です。呼びづらいと思うので、リンと呼んでください」
美形さんが隊長で、赤髪のお兄さんの方が副隊長のようだ。私は昨日名乗ってはいたが、向こうから自己紹介をされたため、こちらも改めて名乗っておく。元の世界での職業を言っても仕方ないと思い、とりあえず名前だけにした。
「ああ、じゃあ、リンと呼ばせてもらう。俺のことはクラウスと呼んでくれて構わない。隊員には隊長と呼ばれることも多いが」
「俺はリンちゃんって呼ぶから、俺のこともアロイスって呼んでいいよー。『副隊長』よりは名前で呼んでほしいなー」
「あ、はい。わかりました」
名前で呼ぶ許可をもらった。相変わらず赤髪のお兄さん――アロイスさんは気さくな感じだ。
「それで、昨日も話したが、リンはこの世界とは別の世界から来たと思われる。それはこいつ――アロイスも確認したし、他の情報と照らし合わせてもほぼ確実だと俺たちは考えているんだが、リンの認識もそれでいいか」
「はい。詳しいことはわからないんですけど、私がいた世界とは全く違う世界だというのはわかります」
今日は美形さん――クラウスさんの方が主に話をするようだ。お互いに異世界転移については認識が一致した。
「そうか。一応、これまでにも異世界から来た人はいるんだが、この国だと直近でも五十年前で、他の国も含めれば、一番最近では三十年前になる。そういうわけで、異世界から来た客人を保護する法律がどこの国でも整っていて、鑑定で異世界から来たことが証明されれば支援や補助が出るから、こちらでの生活についてはあまり心配しなくていい。――今までのところで何か質問はあるか?」
「異世界から来た人が元の世界に戻ったことってありますか?」
他にも異世界転移者はいるようだが、まずは元の世界に戻る方法があるかどうかを確認する。
「元の世界に戻ったという記録はないな」
「うちの国でも他の国でも、どういう原理で他の世界から来ているのか研究はしているんだけど、わからない部分も多くて、今のところ元の世界に戻す方法も見つかってないね」
「そうですか……。あの、私、特殊な知識や技術があるわけではないんですけど、それでも国からの支援や補助というのは出るんでしょうか?」
異世界「召喚」とかではなく、単純な転移だったようだ。そして元の世界に戻る方法がないから、この世界で生きていかなければならないだろう。一応、元の世界で働いてはいたのだが、この世界で役立つような技術とは思えないし、「知識チート」をするにも、学校を卒業してから何年も経っているため、学んだこともほとんど忘れてしまっていて、大して役に立つ知識もありそうにない。
「ああ。国に対して役に立つ知識や技術を提供するような必要は特にない。異世界からの客人の保護は国の義務になっているからな」
「詳しく説明するとね、何年も前に異世界から来た人が結構色々と技術革新的な発明をしたんだけど、それで得られた資金をもとに異世界から来た人を支援する制度が作られたんだよね。だから補助金とかはそこから出ているし、きちんと保護しているかの監視もあるから、支援が出されないってことはないよ」
なかなか支援制度が整っているらしい。何年も前に来た異世界転移者さん、ありがとう。心の中でお礼を言っておく。
「まあ、違う世界ってだけで発想の違いとかも色々あるから、やってみたら意外とすごい発明しちゃったりするかもしれないしね」
「それと、部屋に落ちていたんだが、これはリンのものか?」
「あっ……そうです」
クラウスさんが持ってきたお盆のような書類入れのようなものがテーブルの上に置いてあったのだが、その上に重しのようにして布に包まれたものが置かれていた。その布を開くと私が使っていた携帯端末となぜか充電器が一緒に入っていた。
「では、返しておく。それは何に使うものなんだ?」
「ありがとうございます。えっと、こっちは電話とか、メールとかいろいろですけど、こっちはこの端末の充電器ですね」
携帯端末と充電器を受け取る。端末の電源が入っているかを確認すると、転移前の最後の記憶――寝る前に確認したときの日付からちょうど二日後の日付が表示されていた。転移するときに時間の経過などはおそらくしていなさそうだ。昨日一日ほとんど端末を触っていなかったから、充電もあまり減っていない。
「うん。その道具一つだけでも、研究させてもらえれば、結構この世界にとっては大きな貢献になるだろうし、支援や補助については心配しなくて大丈夫だよ」
アロイスさんににっこりと微笑まれる。クラウスさんは少し不思議そうに私の手の中の端末を眺めている。
「えーっと、もしかして、こっちの世界に『電気』ってない感じですか? 『充電』もできないですかね……?」
「んー。『充電』はよくわからないけど、今は難しいんじゃないかな。他の国にいる異世界から来た人が『電気』の研究をしているらしいけど、実用化はまだだった気がするし」
「そうですか……」
電化製品らしきものを見かけなかったため、そうではないかと思っていたが、電気を使うことはこの世界ではまだできないようだった。充電していた分がなくなってしまったら、端末は使えなくなりそうだ。電話やメールはやり取りできる相手もいないだろうからなくても困らないが、充電が切れれば端末に保存していたデータを見ることもできなくなる。
「その端末を使ってリンが研究すればいいんじゃないか?」
「いえ、私はあまり科学とか得意じゃなかったので。充電の仕組みもよくわかってないですし……」
クラウスさんから提案されるが、研究などはできる気がしない。もともと理系科目は苦手だったのだ。
「うーん。俺の方でも調べておくね。魔術を使って似た形のを実現する方法なら俺も何か役に立てるかもしれないし。そのときはリンちゃんも手伝ってくれる?」
「はい。すみません。よろしくお願いします」
異世界の魔術で何とかする方法もあるかもしれないと少しだけ希望を持つ。
「話を戻すが、国からの保護を受けるにあたって、異世界から来たことを、鑑定を受けて証明する必要がある。鑑定持ちに連絡を取ってこちらに来てもらうように調整済みで、数日のうちには鑑定を受けられるはずだから、そのつもりでいてほしい」
「わかりました」
昨日も少し話の出ていた鑑定というもので異世界から来たことが証明できるようだ。すでに調整済みとは、仕事が速い。
「そのときに保護の申請書類も書く予定なんだが……リンは文字を書けるか? 実際書くのは署名くらいになるが……」
「あー……自分の国の文字であれば書けるんですけど、たぶん、こっちの文字の読み書きはできないです……」
部屋を見て回ったときに備品に書かれている文字が読めなかったことから、おそらく文字は読めないと伝える。署名だけなら母国語で書くのではだめだろうか。こちらの国の文字表記で記載しないと読めないだろうから、急いで名前だけでも書けるように教えてもらった方がよいだろうかと考え込む。
「あれ? 文字読めなかった? 会話はできるから大丈夫かと思ってたんだけど」
「はい。部屋にある文字の書いてあるものとか見てみたんですけど、読めなかったので」
「読めるかどうか確認のために申請書類も持ってきていたんだが……一応、見てもらえるか」
「…………読めない、ですね」
クラウスさんから書類を手渡されて見てみるが、やはり読めない。会話はできているのに、不思議だ。
「そっかー。結構魔力ある方だろうし大丈夫だと思ってたんだけどなー。うーん、違ったのか……」
アロイスさんがなぜか納得がいかないというような顔で考え込みながらつぶやいている。そのつぶやきがクラウスさんも気になったのか、話を振る。
「どういうことだ?」
「んー、いや、ね。結構前の研究っていうか仮説で、異世界から来た人が言葉を学ばずに会話ができたり文字が読めたりするのは魔力量に比例しているんじゃないかっていうのがあって、昨日の感じだとリンちゃんの魔力量は多そうだったから、その仮説に基づくなら文字も読めるんじゃないかと思ってたんだよねー」
「そんな話があるのか」
「うん。まあ、まだ仮説だけどね。本人の魔力量と、異世界から来た当初から言葉が通じたかの記録が残っている事例がそんなに多くなくて検証できてないって話だったはず。あ、リンちゃんは自分の魔力量どれくらいとか把握してる?」
「いえ、魔力とかそういうのは物語の中でしか聞いたことがないので。自分にあるのかどうかもよくわからないです」
「そうなんだ。じゃあ、魔術とかも物語の中の話って感じ?」
「そうですね」
「そっか。鑑定のときに魔力量もわかると思うし、たぶん魔術の適性あると思うんだよね。魔術に興味あれば、俺が教えられるから言ってね」
「――それよりもまずは文字の読み書きが先だろう」
アロイスさんから魔術へのお誘いがあったが、私が返事をする前にクラウスさんから止められる。
「あー、まあ、確かに。読み書きできないと何かと不便だし、まずはそっちが先か」
「ひとまず、文字の読み書きくらいなら俺達でもある程度は教えられるだろうから、鑑定で適性がわかるまでは文字の勉強をしてもらおうと思うがよいだろうか」
「はい。教えてもらえるなら、ありがたいです」
「そうか。適性があれば魔術も試してみていいと思うが、生活していくなら、この国の基本的な知識も一通り学んだ方がよいだろうな。何か今後の生活で希望はあるか?」
「色々学んだあとにはなると思うんですけど、こちらで生活するために何か仕事には就きたいですね。元の世界でも働いていたので。……こっちで役に立つような職業ではなかったので、こちらで何かできる仕事があればいいんですけど……」
普通の会社員だったため、特殊な技能も持ち合わせていないし、この世界とは文化も違うだろうから、正直なところ役に立てる気がしない。事務仕事をするにもまずは文字の読み書きができるようにならなければならないだろうから、働けるようになるまではしばらくかかりそうな気がする――と、ここまで考えて、文字の読み書きができなくても働ける仕事がないだろうかと思い至る。異世界テンプレだと転移先の識字率も様々だった気がするため、文字の読み書きができるようになる前から働けるような職業もあるかもしれない。そう考えて聞いてみることにする。
「あの、文字の読み書きができなくてもできるような仕事って何かありますか?」
「……最低限の読み書きはできた方がいい。国からの補助もあるし、俺たちも手助けはする。急いで仕事を探す必要はない」
「そうそう。うちの国の識字率、結構高い方だから、たいていの人は読み書きできるし、身につけておかないと大変だと思うよ。こうして会ったのも何かの縁だし、遠慮せず頼ってくれた方がうれしいな」
クラウスさんの眉間にものすごくしわが寄っている。文字の読み書きができないまま働くというのは、あまりよくない提案だったようだ。アロイスさんも苦笑している。少なくとも読み書きができるようになるまではお世話になった方がよさそうだ。仕事ができるようになったら何かお礼を考えよう。
「すみません。じゃあ、しばらくの間、お世話になります」
「ああ。こちらの生活に慣れるのが先だろうから、仕事のことはそれから考えればいい」
「ところで、リンちゃんって何歳ぐらい? 元の世界で仕事してたってことは成人はしてるのかな」
アロイスさんがこの場の雰囲気を変えるように話を変える。
「えっと、二十七歳ですね。元の世界では成人ですけど、こっちでも成人扱いになりますか?」
「へっ……そうなんだ。うん。こっちでも成人だね。……いや、ごめん、もっと下かと思ってた……ちなみに、俺もクラウスも二十九歳だよ」
「そうなんですね」
異世界あるあるの若く見られる問題が起きたようだ。おそらく実年齢よりも下に見られているだろうとは感じていたが、アロイスさんもクラウスさんも少し驚いたような顔をしている。クラウスさんは軽く咳払いをして話を戻す。
「んんっ――今後の方針も決まったことだし、今日はここまでにしておくか。文字の勉強に使えそうな資料をそろえておくから、明日からは俺の部屋――隊長の執務室に来てほしい。このあと向こうにいる二人が建物の案内をするから、そのときに部屋の場所は確認しておいてくれ」
建物の案内をしてくれるのは昨日も会った二人で、部屋の設備の使い方を教えてくれた砂色の髪の気さくなお兄さんはスヴェンさんで、赤髪で眼鏡をかけた無口な人はラースさんというらしい。
そうしてしばらくはこちらの国の文字の勉強をすることになった。